2018年10月22日

映画『愛を読む人』実話解説・歴史事実・原作違い/解説・アウシュビッツ裁判・ロマ族の悲劇

映画『愛を読む人』(実話・史実 編)

原題 The Reader
製作国 アメリカ、ドイツ
製作年 2008
公開年月日 2009/6/19
上映時間 124分
監督 スティーヴン・ダルドリー
脚本 デヴィッド・ヘア
原作 ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮文庫刊)


評価:★★★★    4.0点



この映画はナチスドイツと現代ドイツが抱える問題をはらんだ作品です。
ここで描かれたのは歴史事実を踏まえた、主人公達の架空の物語でした。
下では劇中で語られる、そんなドイツの持つ歴史的な問題の実際を取り上げてみました。
その「歴史的事実」を語る事は、この映画のネタバレに言及する事になるので、以下はこの映画を既に見た方々にお読み頂くのが良いかと思います。

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映画『愛を読む人』予告

映画『愛を読む人』出演者

ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)/マイケル・ベルク(レイフ・ファインズ:青年時代ダフィット・クロス)/ロール教授(ブルーノ・ガンツ)/ローゼ・マーサー:イラーナ・マーサー(レナ・オリン)/娘期イラーナ・マーサー(アレクサンドラ・マリア・ララ)/ジュリア:マイケルの娘(ハンナー・ヘルツシュプルング)/カーラ:マイケルの母(ズザンネ・ロータ)
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映画『愛を読む人』実話解説

フランクフルト・アウシュビッツ裁判


この映画内でハンナが裁かれた、アウシュビッツを巡る法廷シーンには、ドイツ社会に衝撃を与えた歴史的裁判が反映されています。
フランクフルト・アウシュビッツ裁判(フランクフルト・アウシュビッツさいばん、der Auschwitz-Prozessまたはder zweite Auschwitz)とは1963年12月20日から1965年8月10日までフランクフルトで行われた裁判であり、ホロコーストに関わった収容所の幹部ロベルト・ムルカ(de:Robert Mulka)らをドイツ人自身によって裁いた裁判をいう。ニュルンベルク裁判において裁かれなかったナチスの過ちに対する責任が問われたことがきっかけで行われた。正式名称はムルカ等に対する裁判。(wikipediaより)
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(写真:実際の裁判の様子。この映画の法廷シーンがこの裁判を忠実に模したものだと分かる。)


reader_bauer.jpg裁判で告発側の中心にいたのはドイツ=ユダヤ人夫婦の間に生まれ、ナチス政権下でドイツ国外へと亡命し、49年に西ドイツへ戻り、56年からフランクフルトの検事を務めていたフリッツ・バウアー検事長(写真)でした。
59年1月起訴の発端となる1通の封書がバウアー検事長の元に届きます。差出人はフランクフルトの新聞社記者トーマス・グニールカで、その内容は偶然発見された戦時中のアウシュヴィッツ強制収容所の殺人記録でした。

バウアーはこの証拠書類を元に連邦最高裁判所に提訴し、裁判は63年12月に開廷します。
そんな中で、作品中ハンナが関わったとされる、終戦間際に過酷な状況下でアウシュビッツから囚人を移送する「アウシュビッツ死の行進」事件も裁かれたのです。

ドイツ国内世論調査では54%の国民が裁判に反対「もうたくさんだ」「異常な状況下での行為に罪を問うのか」と声が発せられたと言います。

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裁かれたのは収容所に勤務した副官ロベルト・ムルカや、看守、衛生兵、親衛隊医師、歯科医、薬剤師、衣服担当ら22人の所員達でした。

彼らは互いに罪を否定しあったり、他人に罪を着せ自分は容疑から逃れようとしたそうです。
その裁判には、はるばる海外からも呼び寄せられた359人の証人(内アウシュヴィッツ生存者220人)が証言台に立ちました。
被害者たちは、収容所内の非人道的な残虐行為を生々しく語り、中には凄惨な出来事を呼び覚ましため、証言台でうずくまり言葉を発せない証人もいました。
そんな人生の苦悩を負わされた証言の数々を聞いても、被告たちの態度には過去を反省する態度がなかったと言います。

あまつさえ謝罪するどころか、被告の1人ヴィルヘルム・ボーガー(ユダヤ囚人にたいする凄惨な拷問方法を考え出した、アウシュヴィッツの野獣と呼ばれたSS親衛隊士官)に至っては、ナチス式の敬礼さえ退廷の時に見せたそうです。
結局判決は、ボーガーを含む被告6人に終身刑、3人に無罪、シュタークを含む11人に最長14年の懲役刑が言い渡されました。

裁判後、バウアー検事長は「加害者の口からせめて一言でも人間的な悔いの言葉を聞きたかった」と述べたと言います。
ドイツ国内では裁判後、この罪を追及すべきとする声と終わりとすべきだという声が対立し続けます。

しかし追求派の声が勝ち、戦争犯罪の時効は2度延長され、3度目の時効期限にいたり時効事態が廃止されました。
そしてこの裁判が、戦争犯罪に対するドイツ社会の転換点となったと歴史的に評価されているといいます。

この裁判を題材にした映画が『顔のないヒトラーたち』として製作公開されています。
<映画『顔のないヒトラーたち』予告>


この映画は、そんな歴史的裁判に対する、原作者で法律家のベルンハルト・シュリンクの意見が反映されていると感じました。
歴史と法の関係として、この映画を見た時ヒロイン・ハンナはまた別の意味を持って、この映画に登場しているように思います。
関連レビュー:ハンナとは何を意味したのか?
『愛を読む人』ネタバレ結末感想編
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ネタバレ・ラストシーン・結末感想

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関連レビュー:スティーブン・ダルドリー監督作品
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映画『愛を読む人』解説

原作『朗読者』との違い・ロマ族悲劇


本作の原作本である 『朗読者』では、ハンナがルーマニアのロマ族出身であることが、その出自から推察できるよう書かれています。
ロマ族とは、日本ではジプシーと呼ばれる人々を指し、放浪の民としてヨーロッパを旅芸人などをしつつ移動し、日々の糧を得ている姿が小説や映画にしばしば登場します。
彼らは旅先で自由気ままに行動し、地域にトラブルと混乱を生む存在として住民から嫌われ、欧州社会に在ってはユダヤ人と同じく差別と偏見を受けた人々でした。
そして歴史的事実を見れば、ナチス・ドイツはこのロマ族もまたアウシュビッツ・ビルケナウ「ジプシー専用収容所」に入れられ、ジェノサイドの対象として殺戮されたのです。
ロマ族大虐殺/ポライモス(Porajmos、Porrajmos、Pharrajimosとも)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツやクロアチア独立国、ハンガリー王国など枢軸国が実行した、ロマ絶滅政策を指す。ロマ語の複数の方言で「絶滅」ないしは「破壊」の意。
ヒトラー政権下、ロマ及びユダヤ人は何れもニュルンベルク法により、「人種に基づく国家の敵」と定義。ナチス占領下の国家においても同様の絶滅政策が採られた。
reader_Roma.jpg(写真:1940年5月22日ドイツ、アスペルグの町でドイツ当局に強制退去させられるロマ市民)

第二次世界大戦におけるロマの犠牲者数は、推計で22万人から150万人に上るとされる。
しかし、テキサス大学オースティン校ロマ研究プロジェクトの主事を務めるイアン・ハンコックによると、被害者数は過小評価される傾向があるという。ハンコックはクロアチア、エストニア、ルクセンブルク及びオランダでほぼ全てのロマが殺害されたと指摘している。
ルドルフ・ラムルハワイ大学名誉教授はナチス・ドイツで25万8000人、イオン・アントネスク政権下のルーマニア王国で3万6000人、そしてウスタシャクロアチアでは2万7000人が犠牲になったとしている。
被抑圧民族協会によると犠牲者は27万7100人に上り、イギリスの歴史学者マーティン・ギルバートは、ヨーロッパの70万人のロマのうち犠牲者が22万2000人以上になると推測。(wikipediaより)

そして、ハンナの隠した「文盲」という属性は、ロマ族が持つとされたものであり、それゆえハンナは「文盲」が露見しそうになると逃げ出すのだと考えられます。
そう思えば、ハンナが「文盲」を隠す理由が、自らの命を守ることに直結していたと理解できます。

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しかし、その情報は映画には一切出てきません。(写真:ケイト・ウィンスレット演じる映画のハンナ)

個人的に思うのは、小説にあるハンナがロマ族であるとした場合、ハンナもまたナチスドイツの被害者であり、自ら生きる為にはユダヤ人を殺さざるを得なかったという文脈になり、読み手側に混乱が生じるように思います。
その点映画には、ロマ族の情報が無いだけに、「ハンナ=ドイツ人」が自らの「恥」を隠すために、ユダヤ人を虐殺したという「ゲルマン民族の恥と罪」に集約されることになり、この映画のテーマがダイレクトに表現されていると思います。

繰り返しになりますが、この映画の脚本は「歴史の継承=過去を記憶し、未来の反省とする」というメッセージを、ロマ族の情報を出さなかった事で、より見る者の心に力強く響かせられたように感じました。




posted by ヒラヒ at 17:09| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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