映画論(ホワイトウォッシュと日本 編)
このブログでは、これまで日本人を白人が演じた「ホワイトウォッシュ(ホワイトウォッシングとも呼ばれる)」の実例と、アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシュ」批判をご紹介させて頂きました。
| 関連レビュー:「ホワイトウォッシュ」問題を徹底解説 日本人を白人が演じた実例集 アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシュ」反対意見 アメリカの人種差別実例 |
しかし、それが日本人にとっても同様の問題なのかというと、むしろ日本人は「ホワイトウォッシュ」を望んでいると思えます。
実はそこには、文明評論家サイードが言う「オリエンタリズム=西洋優越支配体系」を信奉する「オリエンタリスト=西洋優越主義者」に、日本人がなっている事を意味していると思えるのです。
| 関連レビュー:「ホワイトウォッシュ」と「オリエンタリズム」解説 「ホワイトウォッシュ」を喜ぶ日本 サイードの「オリエンタリズム」 「オリエンタリスト」としての日本人 |
そして、自らも西洋支配側の一員だという選民思想があるため、他のアジア人種が日本人を演じる事には抵抗を持つと分析しました。
以上を踏まえて、本来、非西洋は一致団結して西洋支配に対抗し、西洋の優越を強める「ホワイトウォッシュ」や「文化盗用」に反対すべきで、日本も非西洋諸国としてそれらを許すべきではないという論旨で進んできたのですが・・・・・
実は個人的には、「ホワイトウォッシュ」や「文化盗用」を許すべきだと主張したいのです。
<目次> |
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映画に見る愛の「ホワイトウォッシュ」 |
しかし、『ゴースト・イン・ザ・シェル』のハリウッド製作者や、『SAYURI』の原作者の心には、日本文化に対する愛がありました。
さらに時代を遡れば、1957年に撮られた『サヨナラ/SAYONARA』という作品。
なんと歌舞伎役者ナカムラを白人のリカルド・モンタルバンが演じる、堂々たる「ホワイトウォッシュ」映画でした。
当然、ここで日本人として非難する事は容易です。<映画『サヨナラ』歌舞伎役者ナカムラ>【意訳】ロイド:誰?/アイリーン:あれはナカムラ、私があった中の1人。とても有名よ。/ロイド:ライオンだ。/アイリーン:彼女がライオンに変わるの。/ロイド:え、この場でライオンになるんだ?/アイリーン:そうよ。/ロイド:それは見たいな。/アイリーン:愛してるわロイド。怖いぐらいに。いつでも、そしてどんな時でも。/ロイド:僕も愛している。君とここに居れて嬉しい。(キス)/ロイド:誰も女性とキスしないのかい。
この映画には、間違いなくサイードの言う「オリエンタリズム」の差別感を感じます。
たぶんこの製作者は無自覚の「オリエンタリスト」であることも間違いないと思います。
しかし、それでも、この映画を撮った監督ジョシュア・ローガン(写真)には、深い日本文化に対する愛があったのです。
1951年に日本で見た歌舞伎に魅せられた彼は、その公演をアメリカで実現したいと、何年も関係方面に働きかけ奔走します。
しかし遅々として進まない状況下、この『サヨナラ』の原作に出会い、これを映画化することで愛する歌舞伎を広く広められると飛びつきます。
しかし日本の歌舞伎役者には、英語でその魅力を伝えられる俳優がおらず、止むを得ずリカルド・モンタルバンを使わざるを得なかったというのです・・・・・・・・
| 関連レビュー:日本文化の愛と「ホワイトウォッシュ」 映画『サヨナラ/SAYONARA』 日本娘とアメリカ将校の恋 日本人俳優で史上ただ一人のアカデミー賞ウィナー |
つまりは、愛する「歌舞伎」をアメリカに効率よく広めたいという熱意のあまり、「ホワイトウォッシュ」に走ったのです。
愛するがゆえに「ホワイトウォッシュ」に訴えざるを得ないという、こんな事実もあったのでした。
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愛の「ジャポニズム」 |
この「ジャポニズム」には、当然時代を反映して劣ったアジア文明を見る西洋としての「オリエンタリズム=西洋優越主義」が、社会的通念として有ったろうと思います。
しかし、そんな上から目線の玩弄対象としてではない、真に尊敬と羨望の眼差しをその「ジャポニズム」に向けた、世界的な芸術家の一群がパリにいたのです。
印象派と名付けられた、彼ら画家たちが持っていた「浮世絵」への愛を、私は本物だと信じます。
中でも印象派の巨匠「モネ」は自ら住むジヴェルニーの庭に、遠く日本から輸入した睡蓮を植えて「日本庭園」と名付け、さらにその家には浮世絵の膨大なコレクションがありました。
モネは、交流のあったパリ在住の日本画家・山下新太郎に宛てて「日本の美術に深く感謝し、日本人に本当に感謝しています。」と、手紙の中に感謝を書き送っています。
また、『ひまわり』で有名なゴッホも数百点の浮世絵を持ち、浮世絵から多大な影響を受けました。
ゴッホは弟テオに「日本美術は、因習にとらわれた教育や仕事からぼくたちを解き放ち、自然へと回帰させてくれる」「僕たちは日本の絵画芸術が好きなんだ、僕たちはその影響を受けているんだ―印象主義者はみな共通してその影響を受けている」などとその思いを手紙で吐露しています。
つまりは、モネを初めとする印象派の画家達にしても、「日本文化盗用」や、絵の中での模写、言わば「絵画ホワイトウォッシュ」もあるかもしれませんが、間違いなく深い「日本文化」に対する愛があるのです。(写真:モネの「ラ・ジャポネーズ」)
そして、愛のあるところ尊敬と信頼が生まれるはずです。
仮に人種間の対立や障害、差別や支配があったにしても、そんな分断や利害の衝突を超えて「優れた文化」は伝播し、人々をつなぎ得るのだと信じます。
それは「日本文化」だけでなく、どんな民族であってもその風土や歴史が培った文化があり、その文化にはデザインとして洗練された美を持ち得るのだと事実が示しています。
たとえば、黒人が嫌いだと言う差別的な人でも、黒人由来の「POP’S」を楽しみ、その音楽を受け入れています。
それは、反韓感情のある日本でも「K'POP」を受け入れ、反日感情のある韓国でも「アニメ」を楽しむのと一緒です。
つまり文化は、人種間の対立や分断を埋める力を間違いなく持っており、その文化を愛した人々は政治体制や宗教対立を超えてでも、共に1つになれると主張したいのです。
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まとめ:愛の「現代ジャポニズム=ワパニーズ」 |
たとえば、「現代のジャポニズム」とでも言うべき現象があります。
アニメと日本をこよなく愛し、なぜ自分は日本に生まれなかったんだと、日々我が身の不運を嘆くような日本マニアが出現し、それを世界では「ワパニーズ(Wapanese)」と呼びます。
「多くの西洋人オタクは、しばしば「ワパニーズWapanese」として知られる。そのような人々は代表的には白人だが、大概アニメや漫画で見られる事物を真似、理想化された形で日本や日本文化を崇拝している。このような崇拝は、日本文化の外形を真似るだけの場合もあり、寿司やインスタントラーメンを食べたり、お箸を使ったりするようになる。また、通常の英語の会話で日本語を使ったりもするが、おおよそ、不正確でアニメ内の会話からの単語によるものである。(wikipedia英語版)<「サタデー・ナイト・ライブ」の「ワパニーズ」コメディー>
この「Wapanese」という言葉は「White Japanese」を語源とするとも、「日本人になりたい」を意味する「wanna be + japanese」を意味するとも言われます。(1918年9月時点では、ワパニーズはオタクの蔑称となっており、「weeaboo=ウィーアブー」という呼称を使うことが増えてるようです。)
このアニメ文化のように、人々を魅了するコンテンツであれば、その文化は発信源の人種的な枠を超えて、千里を駆け、万里を渡り、世界に届くのだと事実が語っているでしょう。
そこには、文化というモノが持つ大いなる可能性があると思うのです。
下に、そんな世界的な広がりの一端を挙げてみました。
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アメリカ大陸:アメリカ合衆国、ロサンゼルス「Anime Expo (2018)」
来場者数35万人越え!北アメリカ大陸最大のアニメ・コミックの祭典。他にもNYやカナダ、そして南米ではブラジル、サン・パウロでのアニメイベント「AnimeFrineds」も15万人を集めた。
ヨーロッパ:フランス・パリの「日本エキスポ(2017)」
ヨーロッパのアニメ・コミックファンが集結するフェスティバルには30万人が訪れる。
ヨーロッパ:ドイツのデュッセルドルフの「日本デー(2018)」
日本文化全般を紹介するこの催しは、何と60万人の来場者で、大盛況と同時に大混雑だった。
東南アジア:タイの「ジャパンエキスポ・タイランド(2018)」
東南アジア最大の日本文化フェスは、AKB48も出演し60万人を集客した。
中近東:UAEドバイの「MEFCC(中東映画&マンガ大会)2017」の様子
イスラムの戒律の強い中東の国では、まだ日本のアニメやコミックがオープンではないにもかかわらず、6万人規模の集客を誇る。
こんな風に、ある民族に起源をもつ「文化」が世界標準となり、人類共通の財産となりうるのだと、上の例が語っているでしょう。
しかし「文化」をある人種に固有の所有物とみなし、「ホワイトウォッシュ」だと反対し、「文化盗用」だと非難すれば、その「文化」からは、人々をつなぐ力が喪われてしまうでしょう。
そもそも日本のアニメも、手塚治虫の「ディズニー愛」に端を発しています。
さらに日本の浮世絵の独特の画面構成に「中国絵画」の影響が有ります。
そう思えば、ある文化を特定の「人種の財産」とする見方も、独善的だと言わざるを得ません。
こんな「文化の伝播=グローバリゼーション」は、むしろ積極的な「文化盗用」や「ホワイトウォッシュ」によってのみ成し遂げられ、そしてその「文化」に多くの人種の創意工夫が加わって、初めて「世界文化=人類文化」と呼ぶべき姿へと昇華されるのでしょう。
そして、そんな「世界文化=人類文化」を通して、人々は人種差別や文化対立を超えて一つになれるという希望を見い出せると信じます。
それゆえ、人種固有の文化と主張し、他文化と峻別をしようとするより、むしろ可能な限り開示し、「文化盗用」や「ホワイトウォッシュ」を積極的に推し進め、普遍化された「人類文化」を人々が共有するとき―――
そこには全世界を包む「人類愛」が生まれると夢見るのです。
そして、どんな深い対立があったって「愛があれば乗り越えられる」と、そう締めくくることにします。
| 関連レビュー:日本と西洋の文化的対立とその相克 映画『戦場のメリークリスマス』 捕虜収容所の東西文化の衝突 大島 渚 監督の愛の映画 |
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