2018年09月11日

映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏〜』料理・人種差別反対!/感想・解説・差別表現・批判

映画『シェフ! 三ツ星レストラン〜』(感想・解説・批判 編)

原題 COMME UN CHEF
製作国 フランス
製作年 2012
上映時間 85分
監督 ダニエル・コーエン
脚本 ダニエル・コーエン

評価:★★☆    2.5点



この映画は、軽快でオシャレなコメディー風味で、肩ひじ張らず楽しめる作品に仕上がっています。
ネットの映画採点を見ても、「YAHOO映画」で3.7/5、「ぴあ映画生活」で77%、グーグルで84%の評価を受けていますので、多くの観客が見て損はないと感じている作品です。

しかし個人的な評価としては、疑問を感じざるを得ない描写があって、低い点となりました。
以下、その理由を述べさせて頂ければと思います・・・・・・・

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<目次>
映画感想
映画解説「分子ガストロノミー」差別
映画解説「人種差別」
映画解説「映画が差別的になった理由」

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映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』予告

映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏〜』出演者

アレクサンドル・ラガルド(ジャン・レノ)/ジャッキー・ボノ(ミカエル・ユーン)/ベアトリス(ラファエル・アゴゲ)/スタニスラス・マテール(ジュリアン・ボワッスリエ)/アマンディーヌ (サロメ・ステヴナン)/ティティ(セルジュ・ラヴィリエール)/ムッサ(イサ・ドゥンビア)/チャン(ヴァン・ヘイ・ミーン)
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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』感想


この映画の冒頭『ポール・ポーキューズ』の名前がいきなり登場し、フランス料理を描く作品らしいオープニングにワクワクします。
ポール・ボキューズ(Paul Bocuse, 1926年2月11日 - 2018年1月20日)は、フランスのリヨン近郊にあるレストラン「ポール・ボキューズ」のオーナー3つ星シェフで、ボキューズ・ドール賞の創設者。(右写真)
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第二次世界大戦後の1946年、リヨンの「ラ・メール・ブラジエ」(La Mère Brazier)で修行した後パリでもキャリアを積み、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響を受けた。1959年に生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継いで、1961年には国家最優秀職人章(MOF)を取得、1965年に得たミシュランの3つ星を50年以上維持した。
鱸のパイ包み焼きや、料理人としてはじめてレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領に捧げたトリュフのスープはあまりに有名。クレーム・ブリュレを今の形にしたのも彼である。(wikipedia より)

しかし、見て行く中で期待はじょじょに裏切られ始めました。
いろいろ料理について語るものの、なぜか料理がおいしそうに見えない。
たとえば、フランス料理を描いた映画であるなら、かの名作『バベットの晩餐会』のごとく、しっかりメニューとその皿を描いてもらい、食べたいという気持ちにさせて欲しかったのです。
関連レビュー:フランス料理と神の恩寵
映画『バベットの晩餐会』
ガブリエル・アクセル監督のフランス料理映画の傑作
88年度アカデミー外国語映画受賞作

さらに違和感を感じたのは、フランス映画のはずなのに、フランス映画らしい味わいが感じられなかった点です。
たとえば、フランス映画の演出では、ストーリーに必要とされる以上に、細部に華麗な装飾をほどこし、アクション映画を描きながら恋愛ロマンにしか見えないなど・・・・・・
関連レビュー:フランス映画の過剰なロマンティズム
『ニキータ』
リュック・ベッソン監督の語る美しき暗殺者
名作『レオン』につながる、ジャン・レノ主演作

フランス映画が持つ、隠喩的ロマン主義とでもいうべきものが見えず、作家主義的な特徴も無く、シンプルでストレートな語り口に、ちょっと肩透かしを喰らった気になったのです。
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脚本と監督を務めた、ダニエル・コーエン(写真)という人物は、1964年 アルジェリア生まれという事でフランス文化圏で生まれ育ったのは間違いないと思います。
しかし、そのキャリアを見てみると、イギリスで撮影監督を2本やり、『エイリアン VS ヴァネッサ・パラディ』というフランス主体の映画で俳優をやったりと、キャリア自体を見てもそこまでフランス映画にしっかり関わってないのかもしれません。

そんなこんなでフランス的でない、どこかハリウッド映画のような起承転結のシンプルな割り切り方は、フランス映画的な含みがなく、薄くて軽いなと感じたのでした。
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考えてみれば、最近のリュック・ベッソンに代表されるような、ハリウッド的な娯楽作品を撮るフランス人監督達の画風には、一見ハデで華やかに見えても、この映画のようにどこか空虚な印象があります。

それは、ハリウッド的な大スターと資金量が無い中で、単純な(万人に判りやすい)ハリウッド映画文法に則れば、必然的に迫力が薄い作品が生まれざるを得ないのではないかとも考えたりします。
つまりは、単純なストリーな主張に説得力を持たせるには、過去の同種映画より多くの物量が無ければ迫力を生めないだろうと思えるのです。その事実はハリウッドの映画製作費が、昨今では数百億ドルにまで脹れあがっている事でも明らかではないでしょうか・・・・・

さらには、アメリカ文化が信じる「ルールに則った上での公平な競争」という理念があるからこそ、勧善懲悪やハッピーエンドのシンプルな物語を信念を持って語れるのでしょうが、ヨーロッパ的な階級社会に在ってそんな「公平」を元にした「成功物語」にリアリティがあるのかとも思ったりします・・・・・・・・・
しかし、このハリウッド的なフランス映画だという点で期待と違う、また料理映画なのに料理がしっかり描写されていないなどは、個人的な思い込みを裏切られたというだけのことです。

しかし、個人的思い入れと映画の完成度とは、また別の問題だというのは、我ながら承知しております。
そういう意味では、決して物語として破綻しているわけではなく、笑いを交えながら、1人の夢見がちな男の成功物語を上手く書いて、さらに「人生で大事なモノ」なんてテーマも明快に描かれていると思いました。
また、キャステイングに関してはほぼ完璧で、特に女優陣が素晴らしいと感じて、フランス女優の伝統は守られているのだなぁ〜と感慨深いものがありました。
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そんなこんなで、脚本・編集・演出・撮影など映画技術として評価させて頂ければ、★4つは付けたい作品でした。
しかし、作中でいう所の「分子料理」、一般的に「分子ガストロノミー」と呼ばれる料理の扱いに納得がいかず、さらにはそこから派生して、この監督には差別的な傾向があるのではないかと思えたのです。

下に★1.5点を引くことになった詳細を書かせて頂きます・・・・・・

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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/差別表現

「分子料理=分子ガストロノミー」差別

この映画には、個人的には明らかに差別表現があるように感じられて、★1.5点を引きました。
この映画はコメディーなので、どこかで笑いを産まなければなりませんが、どうもその笑いが他者を侮蔑する形で作られているように感じたのです。

まず気になったのは、「分子料理=分子ガストロノミー」の表現です。
この映画で描かれているのは、こんなカンジ・・・・・・

【意訳】シェフ・ラガルド:それで?/黒人助手:カモの粉を細かく入れたみたいな。/アジア系初老助手:魚っぽい。/シェフ・ラガルド:本当だ。お前は魚とカモを一緒にした!/分子料理家:たぶんコンデンサーの問題だから、確かめなくちゃ。/分子料理家:味見して、ラガルドさん。本当のカモのエッセンス。/シェフ・ラガルド:違うな。これはラズベリー。/分子料理家:続けデ、食べ続けデ。(キッチンで爆発)/シェフ・ラガルド:どうした?/分子料理家:心配ナイ。ラガルドざん。普通の科学的反応でスカラ。

実際ここには、「分子料理=分子ガストロノミー」への侮蔑のみを感じ、敬意を感じません。

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しかし「分子ガストロノミー」をゲテモノ料理扱いしているのは、現代で料理を描く映画としてはいかがなものかと思わずにはいられません。

フランス料理が、19世紀前半のシェフのアンナトン・カレームや、19世紀後半にの偉大な料理人オーギュスト・エスコフィエによって世界的な名声を勝ち得た時、それは旧来の料理に対する革新的なアイデアと共にあったのです。
そして「分子ガストロノミー」も、そんなフランス料理が成し得た革新に、科学的な知見を加えることで、更なる味覚の地平を切り開く21世紀の革新だったのです。

たとえば、分かり易く言えば、「青物を茹でるときには、湯に塩を入れなくてはならない」とか「肉の表面を強火で焼くと肉汁が閉じ込められる。」という料理界の常識は、実はまるで嘘だったと「分子ガストロノミー」によって科学的に証明されたおかげで、肉の調理のバリエーションが増え、新たな料理が生まれるという具合です。

そんな「分子ガストロノミー」を代表する料理人が、スペイン人シェフのフェラン・アドリアです。
フェラン・アドリア(カタルーニャ語: Ferran Adrià i Acosta、1962年5月14日 - )は、スペイン・バルセロナ県ルスピタレート・ダ・リュブラガート出身の料理人。ジローナ県ロザス近郊にあるエル・ブジの料理長だった。世界有数の料理人とみなされている。(wikipediaより)
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<フェラン・アドリアのドキュメンタリー映画予告>

このフェランを意識しているからこそ、上の「スペイン人分子料理家」の登場となるわけです。

しかし、この現代の美食「分子ガストロノミーをゲテモノ」扱いする事が正しいでしょうか?

料理を題材とする映画ならば、料理に対して敬意を持つべきではないでしょうか?

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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/人種差別表現


こんな「分子料理=分子ガストロノミー」への侮蔑的表現を見ていると、この映画は本質的に差別があるように思えてきました。
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たとえば、スペイン人の分子料理家は、スペイン語なまりのフランス語で、興奮すると「アナタ、怒る、ワダシ、カエル!」というような口調になり、これはスペイン人から見れば差別的でしょう。

そんな人種差別的な表現は、主役二人も日本人に化け見せてくれます。
分子料理家を追いだしたものの、ミシュランの採点者の嗜好に合わせなければクビになる二人は、致し方なく「分子料理」を出している、ライバルの店に日本人大使館員夫婦に化け偵察に行くというシーンです。
【意訳】ウェイトレス:レモン味カラメル・ネギです。/ジャッキー:これが?/ウェイター:野菜畑のビーフです。この葉を嗅ぎながらお食べ下さい。/ジャッキー:難しいわ。/ウェイター:ご自分で/ジャッキー:面倒ね/ラガルド:アリガト(日本語)/ウェイター:シリル料理を堪能ください。/ジャッキー:取れない。/ラガルド:香りは面白い。スッパイ。(麺をすするのを見て)どう?/ジャッキー:胸腺だ。胸腺スパゲッティ―。
正直一番笑えるシーンだったのは間違いありません。
しかし、差別目線で見ると、今時チョンマゲとゲイシャの日本人というのも驚きます・・・・・・
まるで60年代のハリウッド映画の「ホワイト・ウォッシング=イエロー・フェィス」の差別的表現を見るようです。
関連レビュー:「ホワイトウォッシング」問題を徹底解説
日本人を白人が演じた実例集
アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシング」反対意見

いくら、コメディーだとはいえ、この映画の「笑い」は差別的な笑いに満ちているように思えてなりません。

そう思うと、映画のそこここに、そんな悪意を感じだしてしまいました。
たとえばジャン・レノ演じるシェフを裏切る、二人の副シェフの存在も気になります。
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この裏切り者は、アジア系と仏領アフリカ北部の出身に見えます。

さらには、主役2人を助ける3人の助手は、彼らの成功に貢献したように思いますが・・・・・・・・
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主人公2人は人生の成功を納めたのに対し、彼ら非白人種の3人は元の老人ホームのコックに逆戻りする事にも、どこか釈然としません。

実を言えば、個人的には「ホワイト・ウォッシング=イエロー・フェィス」に限らず、他人種を描くには2種類あると考えています。
1つは、愛のある、尊敬のある「敬意を含んだ他人種表現」。
もう一つは、蔑んだ、嘲笑を含んだ「悪意を含んだ他人種表現」です。

そして、この映画は間違いなく後者であり、ここに「侮蔑」と「あざけり」を個人的には感じたのでした。

次では、その差別が起きた理由を、追求したいと思います・・・・・・
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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/人種差別と国粋主義


こうして差別の例を検証してみると、一つ気付いた事があります。
この映画は、フランス人シェフとフランス料理の栄光を描いて、それ以外の料理や人種を評価していないのです。
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つまりは、この映画は「料理映画」ではなく、「フランス万歳!国粋映画」なのだと。

けっきょくは「フランスの愛国者」が作った映画であるがゆえに、他の「人種・文化」を笑いものにしていると見えたのです。
そう思ってみれば、フランス以外を笑いものにする必然性も分かるように思います。

しかし冒頭の「感想部分」で述べたように、この映画は「フランス料理」を美味しそうに描けず、さらには「フランス映画的」な味わいも生めませんでした。
本来、フランスを愛するのであれば、フランスの栄光を形として見せるべきなのに、それが出来ていない矛盾。

その「愛の証明」の不出来な分、「フランスの外を嘲笑」することで「フランス愛」を主張しているように見えてしまいます。
いずれにしても、他の文化や人種をコキおろして、自国のプライドをくすぐるような作品を私は好きになれませんでした。
こう書いて来ていながら、実を言うと「差別的」な事を書くようで、気が引けるのですが・・・・・・
この映画の監督の出自が気になってきました。
この監督、ダニエル・コーエンはアルジェリア生まれという事で、フランス植民地の出身です。
そういっては何ですが、フランス社会では異邦人です。
関連レビュー:フランス階級社会を解説
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実を言えば、そんな社会内の非正統、傍系であるがゆえに、よりフランス人たらんとして「フランス愛国者」「フランス至上主義」になってししまったのかと想像したわけです。

そう思えばこの映画には、フランスで成功できない移民の悲しみと、それでもフランスを愛さざるを得ない移民の、アンビバレンツな痛みを感じたのでした・・・・・



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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