2018年08月11日

映画『ジャズ大名』我が偏愛のカオスの華/感想・解説・意味・日本人と異邦人

文明の衝突と昇華

英語題 Dixieland Daimyo
製作国 日本
製作年 1986
上映時間 85分
監督 岡本喜八
脚本 岡本喜八、石堂淑朗
原作 筒井康隆

評価:★★★★☆    4.5点



この映画は、一見軽いコメディーで、ストーリー説明より音楽表現や狂騒的エネルギーの描写に力を注いでいるだけに、ワケの分からない、メチャクチャな映画だと思われないかと不安に思う。
しかし、クダクダしい説明によらず、幕末という変革期に生じた巨大なエネルギーの爆発を、疾走するジャム・セッションうちに昇華した傑作だと信じている。
そんな時代の転換点に発生した、日本人と異邦人との衝突の実際を以下書かせて頂きたい。

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映画『ジャズ大名』予告

映画『ジャズ大名』出演者

古谷一行(海郷亮勝)/財津一郎(石出九郎左衛門)/神崎愛(文子姫)/岡本真実(松枝姫)/殿山泰司(玄斉)/本田博太郎(鈴川門之助)/今福将雄(由比軍太夫)/小川真司(中山八兵衛)/利重剛(過激派・赤坂数馬)/ミッキー・カーチス(メキシコ商人・アマンド)/唐十郎(薩藩・益満休之肋)/ロナルド・ネルソン(ジョー)/ファーレズ・ウィッテッド(ルイ)/レニー・マーシュ(サム)/ジョージ・スミス(アンクル・ボブ)/細野晴臣/山下洋輔/タモリ
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映画『ジャズ大名』感想


この映画はメチャクチャだ。
悪ふざけにもほどがある。
そんな言葉が聞こえてきそうな映画ではある。

しかし、この映画の舞台は江戸末期、明治維新を迎える激動期。
黒船を迎え、外国と国交を開くか、鎖国を続けるか、更には天皇の親政を目指すか、徳川政権で乗り切るか、政治権力は乱れに乱れた。
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庶民も諸外国列強の10万両と云われる大量の金の海外流出など貿易不均衡により、品不足と物価高騰が発生し、庶民は明日をも知れない生活に、都市の打ち壊しや地方の一揆が激増し、映画中で描かれた「ええじゃないか」など、一種の集団ヒステリー状態と呼ぶべきパニックを来した。
200px-EeJaNaiKaScene.jpgええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)『8月から12月』にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。(wikipedia より)

つまりは、その幕末という時代自体が、狂おしい、乱れた、非常識な、混乱に満ちた、つまりはメチャクチャな時代だったのだ。
そして、この狂躁的なムードは、この映画の撮られたバブル期のバカ騒ぎにも通じるモノでもある。
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そして、そんな時代の狂乱はこの映画では音楽として昇華されていき、ついには情動失禁状態に至る姿は、法悦でもありフレミングのネズミの集団自殺の姿とも見える。

しかし、つまるところ、人は将来が見えず、理屈が通じない状況では、動物的な本能が目を覚まし、理も非も無く衝動のままその身を拍動させる以外に、その時代を乗り切ることはできないのではないかと思う。
この映画はそんな時代の混乱と沸騰を、言葉による理屈ではなく、音楽的なエモーショナルによって表現しようと試みた、傑作だと思う。

この作品には、太平洋戦争敗戦時にそんな混乱期を知っている、岡本喜八監督の実体験と、映画製作時のバブル時代の躁状態が憑依し、とてつもないカオスの華が咲き誇っていると信じている。
岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本の映画監督。本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)。
jazz_kihachi.jpg明治大学専門部商科卒業後、1943年に東宝に入社し助監督となる。戦局の悪化に伴い招集され、松戸の陸軍工兵学校に入隊、愛知県豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。この豊橋滞在時に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争に対する大きな憤りを抱く。
復員後に東宝へ復帰し、『独立愚連隊』『ああ爆弾』のシナリオで認められて昇進した。1958年、『結婚のすべて』で初メガホンを取る。岡本のオリジナルシナリオによる、日中戦争最中の中国大陸に西部劇や推理劇の要素を取り入れた5作目『独立愚連隊』(1959年)で、一躍若手監督の有望格として注目を浴び、以降、『独立愚連隊西へ』(1960年)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『ああ爆弾』(1964年)、『侍』(1965年)、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾』(1968年)など、幅広い分野の作品を監督。戦争批判・明治維新批判をライフテーマとして掲げ続けた。(wikipedia より)

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映画『ジャズ大名』解説

日本と他文明との衝突

この映画は、無秩序と、不合理に満ちた、時代の混乱そのものを表したような映画だ。
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しかし、極めて乱暴に言えば、日本における混乱とは「黒船=ペリー来航」で象徴的なように、外圧から生じているように思えてならない。

単一民族たる日本人は、外からの刺激に対し敏感で、過剰な反応を起こし、ついには自傷行為と見間違うばかりの狂乱ぶりを、過去の歴史で演じて来たのではないか。
それは、他民族と国境を接していて、相互に侵略を重ねざるを得なかった、大多数の民族の異人種に接する際の二枚腰や二枚舌、面従腹背ぶりに較べると、あまりに単純で赤裸々で痛々しくさえ感じる、慌てふためく姿を見せていると感じる。


嘘だと思うなら、日本史を見ればよい。

大化の改新は朝鮮半島における白村江の敗戦の反動だし、鎌倉幕府の崩壊には元寇があり、豊臣政権の瓦解も朝鮮出兵の痛手が少なからず影響しているだろう。

更に近代に下れば、この映画の舞台でもある、江戸幕府の終焉は黒船の来航が引き金で、それ以降、明治・大正・昭和を通じ、日本の歴史とは端的に外圧に対する過剰なまでの刺激反応だったと個人的には総括したい。

やはり日本人にとって、「異物=異人・異文明」は激烈な反応を、その精神・行動に及ぼしてきたと見える。

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そんな日本人的なメンタリティーを、民俗学者・折口信夫(写真)は「まれびと」と「常世」いう概念で表したのではないか。
この民俗学者は日本における文学、伝承をひも解き、その原型に「まれびと」と「常世」という言葉で、外世界からの来訪者の存在を指摘している。
「まれびと」とは本来、霊的・神的な先祖がまれに来訪する事を指し、その「まれびと」が福をもたらすという、日本的物語の典型を言い表したしたものだという。
そして「常世=とこよ」とは、この世界ならざる異世界であり、しかし極楽浄土や天国ではなく、この現世の陸続きの世界であり、そこから「まれびと」が来訪する場所と考えていたようだ。

折口の語るところからは、大きく逸脱するかもしれないが―
この現世の別世界「常世」から来訪する「まれびと」の伝承とは、海の向こうから島国日本に、時たま漂流する異人たちの記憶が強く刻まれ、残されたものだと個人的には思える。
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それは遠く見知らぬ国から来訪する「異人」達が、日本人にとって大事件であり、ほとんど「神」と同一視されるほどの衝撃を、その精神に残したことの証左ではないかと考えたりする。
それほど「異邦人」に対し、激烈な反応をするのが日本人であるのならば、歴史が「他文明との衝突」を原因として転覆する必然も分かる。
またそれゆえに、日本人にとっての他文明が、常に「非日本的な異物」として認識される事の危険を見る。(左:函館ペリー像)

あたかも、新たな文明世界との衝突とは、新たな伝染病に感染したかのように、日本人は「過剰反応」起こし、相反する二面性を見せる。
1つは、外部世界を拒否し、排斥しようとする「排外主義」であり、他方は、外部世界を崇め、憧憬する「拝外主義」だ。

奇しくも「ハイガイ」という同じ音を持つ、この絶対的拒絶と全面的服従の姿勢は、再び言うが自らの内に「外部」を取り込み共存し得ないという点で、明らかに度を越した反応だと言えるだろう。
そう考えた時、この映画は「他文明との衝突」の日本的反応として、「絶対的拒絶」を戊申戦争の中に表現し、全面的服従の表れとして「ジャズへの没我」を描いているのだと捉えたい。

そして、個人的には、「戊申戦争=苦痛な闘争」で消耗しようと、「ジャズ=狂躁的に自己放棄」しようと、いずれ時代は過ぎるのだとすれば、より個人が快を生じる方向を選ぶべきだと、この映画の「乱交パーティー」に酔った人々の愉悦の表情で語られているように思う。
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けっきょく、「他文明との衝突」の過剰反応の結果として「帝国国家」を構築し滅亡の寸前まで至り、ついにはアメリカ文明に征服された戦後を経ても、平成日本に「日本が持つ本質」が、変わらずそこにあるのであれば痛い思いをするだけバカらしいではないか。

仮に「他文明にレイプ」されたとしても、数千年の内に受け継がれた「日本固有の姿」は、その命脈を良くも悪くも持ち続けるのだと、戦争の廃墟と他文明の占領を経て証明されたのではないか。
だからこそ、衝突し戦い血を流すより、いっそトコトン「他文明とSEX」してしまえと、この戦中派の監督は映画で唆(そその)かしているに違いない。

イエイ!


posted by ヒラヒ at 18:41| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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