2018年05月30日

実話解説・映画『大統領の陰謀』報道の自由とワシントン・ポスト/実在モデル紹介

『大統領の陰謀』(実話・事件・実在モデル解説 編)

原題 All the President's Men
製作国 アメリカ
製作年 1976
上映時間 139分
監督 アラン・J・パクラ
脚本 ウィリアム・ゴールドマン


評価:★★★    3.0点



この映画は、ニクソン大統領の世界を揺るがした「ウォーターゲート事件」のスキャンダルを追う、若手新聞記者の目線で描かれています。
この映画はドキュメンタリー的な表現を採っており、劇中での具体的な説明が少ないと感じられたため、そんな映画内の補足を試みたものです。
ここでは新聞社ワシントン・ポストの実在モデル、ディープ・スロートの正体など、映画内に登場する人々を調べてみました。

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<目次>
実在モデル、ポスト記者「ボブ・ウッドワード」
実在モデル、ポスト記者「カール・バーンスタイン」
実在モデル、ポスト主幹「ベン・ブラッドレー」
実在モデル、、ポスト社主「キャサリン・グラハム」
実在モデル「ディープスロート」とは?

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映画『大統領の陰謀』予告

映画『大統領の陰謀』出演者

カール・バーンスタイン(ダスティン・ホフマン)、ボブ・ウッドワード(ロバート・レッドフォード)、ハリー・ローゼンフェルド(ジャック・ウォーデン)、ハワード・シモンズ(マーティン・バルサム)、ベン・ブラッドリー(ジェイソン・ロバーズ)、ディープ・スロート(ハル・ホルブルック)、ジュディ・ホバック(ジェーン・アレクサンダー)、ダーディス(ネッド・ビーティ)、ヒュー・スローン(スティーヴン・コリンズ)、ケイ・エディ(リンゼイ・クローズ)、ポール・リーパー(F・マーリー・エイブラハム)、ヒュー・スローンの弁護士(ジェームズ・カレン)


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『大統領の陰謀』実在モデル

ワシントン・ポスト関係

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ボブ・ウッドワード

ボブ・ウッドワード(Bob Woodward, 1943年3月26日 - )は、ワシントンポスト紙編集主幹。
カール・バーンスタイン記者とともに、ウォーターゲート事件における卓越した調査報道 (Investigative Reporting) で有名。
イェール大学卒業後、海軍に勤務。そのときホワイトハウスとの連絡係を務め、ディープ・スロートことマーク・フェルト(William Mark Felt)と知り合う。その後、海軍を退役。地方紙への勤務を経て、ワシントンポストに勤務。
単なる侵入事件と見られていたウォーターゲート事件をバーンスタインとともに調査。FBI副長官になっていたフェルトの協力もあり、ウォーターゲート事件におけるニクソン政権の組織的な関与を裏付けた。president_robert_bob.jpg後に同事件は全国的な注目を浴びることになり、政権からのさまざまな圧力に屈しなかったポスト紙と二人の記者はピューリッツァー賞を受賞した。(wikipediaより)
(写真左:映画『大統領の陰謀』のボブ役ロバート・レッドフォード/写真右:ウォーターゲート事件当時のボブ・ウッドワード)

このボブ・ウッドワードはカール・バーンスタインと共に追求した、このウォーターゲート事件の一連の報道によって、調査報道の重要性を世に示しました。
その後も『攻撃計画――ブッシュのイラク戦争』(2004年)や、『ブッシュのホワイトハウス』(2007年)、『オバマの戦争』(2011年)など力のある仕事を精力的に続け、アメリカを代表するジャーナリストとなりました。
調査報道(ちょうさほうどう、英: Investigative journalism)とは報道のスタイルの一つ。
あるテーマ、事件に対し、警察・検察や行政官庁、企業側からの情報によるリーク、広報、プレスリリースなどからだけの情報に頼らず(これを中心情報とする報道は発表報道)、取材する側が主体性と継続性を持って様々なソースから情報を積み上げていくことによって新事実を突き止めていこうとするタイプの報道。(wikipediaより)Film2-GrenBar.png
<ボブ・ウッドワード「調査報道講座」の広告>
【大意】全ての人々が報道者でもある。共に情報を共有し、検証し、そしてやり取りする。誰もがそれぞれの形の真実を持つ。しかしそこに事実はある。このクラスで私が教えるのは人的情報源の重要さだ。誰一人君に全ての物語を与えはしない。しばしば、それは真実と嘘が混ざっている。仕事は検証だ。(ニクソン・スピーチ:私は、明日正午に、私の大統領職を辞する)合衆国大統領は超法規的地位には無い。情報提供者は報道者にとって、救い主だ。この修士課程で、調査、捜査でどう情報を集めるか、どう人々にインタビューし、物語を見出し、組み立てるかを教える。インタビューの目的とは、分かったり、捕まえたりする事ではない。私はこう着状態でちょっとしたテクニックを使う。この指を小指の上に乗せ、心臓より下に動かし、沈黙の覚悟をして、真実を吸い出すまで静かにする。我々が試されている時代だ。真実を伝えよう。恐れずに。法律ではなく、規則に縛られないように。これが民主主義の最終試験だ。

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カール・バーンスタイン

カール・バーンスタイン(Carl Bernstein, 1944年2月14日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト。president_das.jpgワシントンD.C.出身。ユダヤ系アメリカ人。同僚ボブ・ウッドワードと共に、ウォーターゲートビル侵入事件を明らかにし、リチャード・ニクソン大統領の辞任を引き起こしたワシントン・ポスト紙記者。1973年にピューリッツァー賞を含む多くの賞を受賞した。
1976年にワシントン・ポストを退社。ニューヨーク大学教授となり、ABCネットワークの上級特派員として働き、タイム誌に寄稿した。1981年にはワシントン・ポストに副編集長として戻った。
ロマンティックコメディで知られる脚本家兼映画監督のノーラ・エフロンと結婚していた。マイク・ニコルズ監督、エフロン脚本の『心みだれて』で、その結婚生活がモデルにされた。(wikipediaより)
(上写真左:映画『大統領の陰謀』のカール役ダスティン・ホフマン/写真右:ウォーターゲート事件当時のカール・バーンスタイン)

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<カール・バーンスタインのウォーターゲート回想>
【大意】 その日、ワシントンポストの事務所は大騒ぎだった。私たちは最初にキャサリン・グラハム(ポスト紙社主)の所に行き、屋上の左に上がった。盗聴されてるか思ったからだ。それまでワシントンポストの屋上に行った事なんてなかったのに。そして戦略会議をポストの屋上で話した。我々は家の盗聴装置を確かめ、前に起こったことがまた起こるとおもった。それは妙なSFみたいで、本当に狂いそうだった。その夜、どの程度事態を理解し、どれほどニクソンが関係しているか、を話し合った。彼は弾劾されそうだったが、大統領権でどの程度許されるか不明で、ただウォーターゲート事件は合衆国大統領が、憲法違反の対立候補の妨害という犯罪を試みた。盗聴報告書には、密かに反戦運動活動家の虚偽と歪曲の宣伝活動があった。それはボブの言うように、毒のように、アメリカのいたる所に広がっていた。

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ベン・ブラッドリー

ベン・ブラッドリー(Benjamin Crowninshield Bradlee1921年8月26日〜2014年10月21日)はアメリカの新聞記者。ニューズウィークのワシントン支局長を経て、キャサリン・グラハムにヘッドハンティングされ、1968年から1991年までワシントン・ポストの編集主幹を務めた。1957年頃より、故ケネディー大統領と友誼を結び、その暗殺の場にも立ち会ったとされる。彼の編集手腕と信念によって、「ペンタゴンペーパーズ漏洩事件」と「ウォーターゲート事件」に代表される権力に屈しない報道が、ワシントン・ポストを地方紙から全国紙へと飛躍させたと評された。

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<2017年のベン・ブラッドリーのドキュメント『The Newspaperman』予告>
【大意】 ナレーター:同時代の偉大な記者の1人、ワシントン・ポストのベン・ブラッドリーの人生を語れば、20世紀後半のこの国の重大な瞬間の中心に彼はいた。/彼は基本的に事実と真実を伝えようと望んだ。人々に、20世紀の歴史の中で最も欠かせない部分を知らせようとした。/ベンは、嘘をついている政府関係者にとっては、本当に嫌な男だった。/ウォーターゲート事件の報道の闘いは、リチャード・ニクソンの運命を過酷にする役割を持った。/それは本当にワシントンポスト対リチャード・ニクソンだった。/1994年、ワシントンポスト主幹ベン・ブラッドリーは、彼の回顧録を書いた。これは彼が語った物語。/ベン:我々の仕事に愛はない、しかし真実を追求する。

(下:映画のベン・ブラッドリー役ジェイソン・ロバーズ。アカデミー賞に輝いた)
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キャサリン・グラハム

この映画『大統領の陰謀』では、ミッチェル元司法長官が暴露記事が出されると知って、電話で「キャサリンの乳を、搾乳機で絞ってやる!」と罵倒する言葉の中で出てくるだけで、本人は姿を現しはしません・・・・・・・しかし、彼女の強い意志があったからこそ、ニクソンとの戦いに勝ったと思えるのです。
関連レビュー:
ポストと「報道の自由」とキャサリン・グラハム

映画『ペンタゴン・ペーパーズ』
表現の自由とペンタゴン・ペーパーズ事件
ワシントン・ポストのニクソン政権への挑戦
キャサリン・グラハム(Katharine Graham、1917年6月16日 - 2001年7月17日)はアメリカ合衆国の新聞社経営者。夫のフィリップは1961年にニューズウィークを買収、後に謎の自殺を遂げる。キャサリンは1969年以後、アメリカの新聞ワシントン・ポストの発行人から社長、そして会長を歴任した。
マクリーン家からワシントン・ポストを買収したユージン・メイヤーの娘。夫フィリップ・グラハムの自殺後、同社を経営。
リチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件報道は、ワシントン・ポストの評価を高めると共に、報道に踏み切った英断を行った発行人として彼女の名を一躍有名にし、アメリカで最も影響力のある女性の1人として広く語られることとなった。
1998年には、自伝「キャサリン・グラハム わが人生」でピューリッツァー賞(伝記部門)を受賞した。

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<キャサリン・グラハム紹介動画>

【意訳】 キャサリン・メイヤー・グラハムは500の会社を率いた最初の女性で、20世紀で最も力強く影響力のある女性だった。彼女の指揮下ワシントン・ポストは世界でも主要な新聞社になった。1969年から1979年彼女は新聞発行人であり1979年から1991年はCEOで株主会議長だった。かつて他にはワシントンポストでトップになった女性はいなかった。グラハム女史が新聞で、ジャーナリズムの歴史にとって最も重要で世間の注目を集めた、二つの重要な報道があった。1971年の記事はヴェトナム戦争にアメリカがどう関わったかの詳述の「ペンタゴンペパーズ」と呼ばれる極秘文章で、そして1972年のウッドワードとバーンスタインが発表した、ニクソン大統領を辞任に追いやった、ウォーターゲート事件の調査だった。グラハムは、国民的に最も尊敬される新聞として、ワシントンポストの評価を確立した、両記事の掲載を決定した。

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<息子ドン・グラハムの語るキャサリン>

DonGlaham.jpg(夫が死んで会社を引き継ぎ)株を公開した時、価格は6ドルだったが、彼女が辞めた時には220ドルかそれ以上だった。ウォーターゲート事件はとてもハイリスクだったが、記者ベン・ブラッドリーや二人の記者を信頼していた。彼女は正しかった。彼女はウォーターゲート事件を大変誇りとしていたが、個人的な役割に関しては、他の危機(ペンタゴン・ペーパーズ事件)の場合より重要だと思ってなかった。その危機では法曹界ならだれでも知っている大きな判例(報道の自由に関する最高裁判決)で重要な役割を担ったと考えていた。※ドン・グラハムはキャサリンの跡を継いでワシントンポストのオーナーとなったが、2013年アマゾンのオーナーであるジェフ・ベゾスに2億5,000万ドルで売却している。

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ディープ・スロートことマーク・フェルト

ウィリアム・マーク・フェルト・シニア(William Mark Felt, Sr.、1913年8月17日 - 2008年12月18日)は、アメリカ合衆国の連邦捜査局(FBI)副長官。1973年に退職した。ウォーターゲート事件の情報提供者「ディープ・スロート」であることを2005年5月に自ら公表した。
1971年7月に副長官代理に就任。これはフーヴァー長官および序列第二位のクライド・トルソン副長官に次ぐNo.3のポストであり、病気がちであったトルソンに代わって日常業務の最高責任者を務めた。また、フーヴァー長官を畏敬し深い敬意を持っていた。一方、当時のニクソン政権が国防総省秘密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)の漏洩事件から、政権内での徹底した情報管理と不法な活動を行い、フェルトはこれに悩まされていた。
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(左:実在のマーク・フェルト/右:映画で演じたハル・ホルブルック)

フェルトはグレイ長官代行がFBIの捜査資料の内部文書をホワイトハウスのディーン法律顧問(事件の主犯)に手渡していたことで憤慨していた時期であった。そして1972年10月のある日の深夜に密かに会って、事件を取材していたウッドワードの相談に応じながら核心に触れる部分を示唆し、取材活動を援助した。そしてその渦中にグレイ長官代理の不祥事も明るみにされて、長官代理が辞任した翌月の1973年6月22日にフェルトもFBIを退官した。
ニクソン政権側はかなり早い段階から情報提供者がフェルトであることをつかんでいたが、自らの情報源をさらすリスクや公表した場合の報復を危惧して、ニクソンの大統領辞任までそれを明らかにすることはなかった。
晩年は認知症を発したが、2005年に弁護士と娘が説得し、自分がディープ・スロートであったことを2005年5月31日に雑誌「バニティ・フェア」の記事を通じて公表した。2008年12月死去。(wikipediaより)

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実は事件後の後日談があり、マーク・フェルトはFBIを辞任した後、その在職中のFBI捜査に関して訴追され有罪となった。しかし、その罪は罰金刑という軽い形で結審する。その際、フェルトを弁護するための証人として出廷したのがニクソン前大統領で、フェルトは「ニクソンは『ワシントン・ポスト』よりも力になってくれた」と語ったと、ボブ・ウッドワード が2005年に著した『ディープ・スロート 大統領を葬った男』に記されている。

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<ディープ・スロート紹介動画>
【意訳】ニクソンは1974年8月9日辞任した。その時ディープ・スロートの正体は謎のまま残った。フェルトはFBIを1973年6月22日に、彼が記者に事件をリークした後で、すでに辞職していた。話を先に進めれば、2005年に彼は深刻な病気に直面していた。彼の娘ジョーは、世間に公表するよう求め、2005年5月31日フェルトは沈黙を破り、ディープスロートの正体が彼だと、「ヴァニティー・フェア(雑誌名)」で明らかにした。それをウッドワードとバーンスタインの2人の記者も認めた。フェルトがリークをした理由は、CIAが故意にFBIを誤った方向に導いたため、フェルトは真の正義を求め、真の事件の正義の決着をニュースで追求した。彼はウォーターゲート事件の捜査中に、記者の元に入る、大量の情報を確認し、間違いを指摘し続け、しばしばワシントン・ポストの一面を飾った。なぜなら報道の継続をディープスロートが裏付けていた。そして彼の正義の闘いが世間に証明していたのは、たとえアメリカ合衆国大統領でさえ、超法規的存在ではないという事だった。フェルトは死ぬまで沈黙を守ろうとした。しかし彼の死の三年前に正体を明らかにする必要が生じた。フェルトは2008年12月18日に心不全により永眠した。彼は警鐘を鳴らす役割を担った。なぜなら権力を持つ者に社会の法規から逃れられないと証明したからだ。

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そんなマーク・フェルトをリーアム・ニーソンが演じた映画が、日本でも2018年に公開された。
<映画『ザ・シークレットマン』予告>




posted by ヒラヒ・S at 17:05| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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