2018年04月06日

映画『花様年華』欲望と禁忌に揺れる恋/解説・感想・恋愛映画紹介

映画『花樣年華』(ネタバレ・ラスト 編)

原題 花樣年華
英語題 In the Mood for Love
製作国 香港
製作年 2000年
上映時間 98分
監督 ウォン・カーウァイ
脚本 ウォン・カーウァイ


評価:★★★★    4.0点



『花様年華』という中国語は「花のようなきれいな時期」、「最盛期」ひいては「青春時代」を指すと言う。この映画内でその言葉は、2人の「恋の最盛期」を表していただろう。
そんな、このウォン・カーウァイ監督が描きだした、2000年の香港映画は公開当時から高い評価を獲得し、時を経てもその称賛の声は衰えを知らない。
しかし、フランス映画かと思うほどに、細密に描かれた恋愛と官能の交錯を描いたこの映画は、どこか背徳的な色合いを持つ。
それはこの一本が、いわゆる不倫を含む反倫理性の恋愛を前にして、逡巡し、苦悩し、自制することで、恋人たちの官能が高まって行く過程を、完璧に描き出しているからだと思える。
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映画『花様年華』予告

映画『花様年華』出演者

チャウ(トニー・レオン)/チャン夫人(マギー・チャン)/スエン夫人(レベッカ・パン)/ホウ社長(ライ・チン)/ピン(スー・ピンラン)

映画『花様年華』受賞歴

第53回 カンヌ国際映画祭(2000年)男優賞・トニー・レオン
第26回セザール賞(2001年)外国語映画賞
第67回NY批評家協会賞(2001年)外国映画賞 撮影賞
全米映画批評家協会賞(2002年)外国語作品賞 他


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映画『花様年華』解説


この映画における恋愛を見て、この「夫に逃げられた妻」と「妻に逃げられた夫」のカップルの関係が、強いセクシャリティーを感じさせるのは、禁忌ゆえだと感じる。
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つまりは、本来結婚制度のタブーにより、社会的な規範に従えば交差しえない二人が、それぞれの伴侶にタブーを踏み越えられる事で、この残された二人にもタブーを犯す権利が生じたように見える。

しかし実際の二人は、恋愛を前に逡巡し、彷徨する。
それは結局、この二人は結婚制度に取り残されたのであり、その事から生ずる制度的な禁忌を、より強く意識のうちに感ぜざるを得ないからだったろう。

さらにこの隣人同士でありながら、共に結婚をしている男女が、しかし部屋を間借りしているために、常に他人に監視されて不自由な状態である事も、この二人の男女の恋愛を閉ざされた秘密の関係に押しとどめただろう。
しかしそんな社会的な制約、人としてのモラルを求められるがゆえに、更に相手を求める欲望を高めたに違いない。

つまるところ、強い禁忌を破るためには、強い衝動を必要とするだろうし、そもそも人とは禁じられるがゆえに欲望を生み出すのではなかったろうか。

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つまり、この映画は「世間=社会的抑圧」が、隠された欲望をさらに強く増進させるのだと語っている。

その抑圧下で、沈黙の内にお互いを探り合う視線と、触れ合うときのためらいがエロチックなのだ。
けっきょく、この二人にとっての「恋愛の本質」は、表に現わせない恋ゆえに、内に内に欲望を内向・沈殿させるものだったろう。
この二人には、世間のモラルから自由になれる場所に逃げ、恋を完遂するチャンスがあったにしても、そうしなかった・・・・

それはこの二人の「恋」が、抑圧の下で育んだ「恋」であるが故に、自由な状況下の二人であれば「恋」を失うと知っていたからだろうと、個人的には感じられたのだ。
つまるところこの二人の恋愛とは、お互いの相手を真に求めたと言うよりは、社会的な制度から逃げるための共犯関係ではなかったろうか。

もちろん、相手を希求し、共に欲望を交し合っただろうが、その恋愛が社会的規制によって形造られ深化させられた。
それはあたかも、流れる音楽に駆り立てられ、パートナーを腕に抱く社交ダンスのような恋愛だったろう。

考えてみれば、この映画の全編で流れる、ラテン音楽やワルツも、男女の欲望を「ダンス=様式」という規制の元、公共の中で密かに昇華させようという試みではなかったか。
劇中歌『キサス・キサス・キサス』歌詞和訳


mood-cross.jpg実際この映画の中で、二人が共に踊るシーンは描かれない。

しかし、その後姿であるとか、交差する体の動き、静止するフォルムに、否応無く官能を秘めた「ダンス=様式」を認める。

ここには、倫理という規制と同時に肉体の自由すらも制限した、しかし間違いなく深く強い「恋=欲望のワルツ」が描かれていると感じる。
そして、その「恋=欲望のワルツ」に酩酊したがゆえに、この映画のどこか不明瞭さを感じさせる、ラストへとつながったのではないかと思えてならない。

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映画『花様年華』解説

大人の恋愛劇のご紹介


まずはこの映画・・・・・・
ほとんど肌も見せずに、この匂い立つような官能。もはやめまいすら感じる。
フランス製・官能恋愛映画
『髪結いの亭主』
フランス的官能としての恋の行方
パトリス・ルコント監督、衝撃のラストの語る真実

フランス映画が描く恋愛は、お互いどろどろになるまで感情をぶつけ合い、相手を支配し喰らい尽くそうとする凄味を感じる。
恋愛こそ全てに優越するという、ラテン的恋愛至上主義の人生が描かれているだろう。
フランス恋愛至上主義者の恋
『ポンヌフの恋人』
互いを貪りつくすような恋愛の形
レオス・カラックス監督の究極の恋

そんなフランス式官能が不倫愛となると、その行きつく先には・・・・・・
「一緒にいたら苦しい・・・・・離れていては生きられない」
フランソワ・トリュフォー監督の描く「不倫愛」
『隣の女』
隣に越してきたのはかつて愛した女だった・・・・・
恋愛至上主義者たちの不倫の行方

そんなフランス的濃厚な恋愛に較べると、清潔な印象を持つアメリカ製不倫映画。
切ない映画だが、アメリカ人は、全力で恋愛に向かうというよりは理性が勝っているように感じる。
クリント・イーストウッド監督の不倫劇
『マディソン郡の橋』
イーストウッドとメリル・ストリープの大人の恋
4日間の短くも燃えるような恋

恋愛下手な日本人・・・・・・
もはや恋愛というよりは、性愛に近いかもしれない。さらに言えば、恋愛を求めているというよりは、社会に対する憤懣を不倫愛にぶつけているようにも見える。
日本製大ヒット不倫映画
『失楽園』
渡辺淳一原作の同名小説を映画化
役所広司、黒木瞳の大胆な性愛描写

そんな日本人の不倫愛の極致。
もはやアナーキーな反社会的・破壊活動の様相を呈している。
全体主義社会と闘う不倫映画
『愛のコリーダ』
芸術か猥褻か世界中で論議の問題作
大島渚監督渾身の戦闘的な恋愛映画




posted by ヒラヒ at 17:09| Comment(0) | 中国・香港映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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