原題 I Vitelloni 英語題 THE YOUNG AND THE PASSIONATE 製作国 イタリア,フランス 製作年 1953 上映時間 106分 監督 フェデリコ・フェリーニ 脚色 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ 原案 フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネリ |
評価:★★★☆ 3.5点
この映画は、今見れば微妙な作品と言わざるを得ないとは思います。
しかし、イタリアの巨匠フェリーニ作品であるという以上に、この作品以前になかった「ドラマの1典型」を映画史上で初めて生んだという点で、歴史的な価値があるのではないでしょうか。
そして、この映画のだらしない享楽的な青春群像が生まれた背景には、イタリア「ネオ・リアリズモ」とフェリーニ監督のラテン的享楽主義があったればこそと感じます。
<目次> |
映画『青春群像』ストーリー |
イタリアの田舎町に住む20代の若者5人が、ビーチで行われる美人コンテストを見物している。スポンサーリンク
最年長の色男ファウスト(フランコ・ファブリッツィ)、仲間で一番若いインテリのモラルド(フランコ・インテルレンギ)、姉の収入に頼っているアルベルト(アルベルト・ソルディ)、文学を志すレオポルド(レオポルド・トリエステ)、歌のうまいリカルド(リカルド・フェリーニ)五人の暇な彼らは集まってはぶらぶらする友人同士だった。
コンテストはモラルドの妹サンドラ(レオノーラ・ルッフォ)の優勝で幕を閉じたが、サンドラは体調を崩し倒れ込んだ。
実はファウストがサンドラを妊娠させていたのだ。彼はサンドラとの結婚から逃れられなくなった。サンドラの親は無職の彼を、コネを使い骨董店につとめさせた。しかし、店の主人の妻を誘惑し、妻と映画館に入ってすら隣の娘を挑発する浮気症だった。
一方一家の稼ぎを姉の収入に頼り、小遣いをもらって遊び呆けていたアルベルト。しかし、謝肉祭の翌朝、姉は彼と老母を残し男とかけおちした。サンドラの兄モラルドも、旅に出ることを夢見る。さらに仲間のレオポルドは、劇作家になることを夢見て街にやってきた老俳優にその戯曲を高く評価されたが、最後には怖気づいてチャンスから逃げてしまった。歌のうまいリカルド(リカルド・フェリーニ)は、そんな四人といっしょに、カフェーで時間をつぶしたり、海辺を理由もなく歩き廻り、みんなで車に乗り込み肉体労働者をバカにして遊んだり、無駄に日々を送っている。
そんな中ついに店主に浮気がばれ、仕事を馘になったファウストは、はらいせにモラルドと二人で天使の像を店から盗み出した。それを教会に売ろうとしたが、信用されず相手にされない。そして、その像を農民の小屋に捨てるしまつだった。
そんな彼に妻サンドラは絶望し、生まれたばかりの赤ん坊を連れて、とうとうに家を出てしまった。
モラルドは妻が自殺をするのではないかと、必死に行方を追う・・・・・・・
映画『青春群像』予告
モラルド(フランコ・インテルレンギ)/アルベルト(アルベルト・ソルディ)/ファウスト(フランコ・ファブリーツィ)/
映画『青春群像』出演者
レオポルド(レオポルド・トリエステ)/リッカルド(リッカルド・フェリーニ)/サンドラ:モラルドの妹(レオノーラ・ルッフォ)/ファウストの父(ジャン・ブロシャール)/オルガ:アルベルトの姉(クロード・ファレール)/骨董店主(カルロ・ロマーノ)/骨董店主妻(シニョーラ・ジュリア)/モラルドの父(エンリコ・ヴィアリージオ)/モラルドの母(パオラ・ボルボーニ)/映画館の娘(アルレット・ソバージ)
映画『青春群像』感想 |
正直言えば、この映画を最初に見たとき、凡作だと思いました。
そして、今見返してみても面白いとは感じません。
現代の刺激に満ちたカメラワークや、刺激的な表現に慣れた眼からすると、この1953年公開の映画表現はいかにも古臭く、テンポも軽快とは言えず、ストーリーも散漫に感じました。
ぶっちゃけ、現代の映画に慣れた観客にとっては、この映画を娯楽として楽しむことは困難だと、個人的には感じます。
しかし映画には娯楽性の他にも、映画史的な評価という観点もあります。
そこで考えるべきは「公開当時の手法・技術・ドラマ」のスタイルに、どれほど革新的な要素を付与したかという点かと思います。
正直言えば、この映画のフェリーニはその後のフェリーニ作品にある映像的な濃厚さ、黒魔術的なヴィジュアルの力は感じません。
さらに言えば、この当時イタリア映画界の主流であった、社会の不正を問う「イタリア・リアリズム=ネオ・リアリズモ」からも、そのドラマは遠くかけ離れています。
しかし、ここには『青春物語』としての、史上初の表現があり、古典として残すべき画期的な作品だと思います。
以下、なぜこの作品が『青春物語の古典』なのか説明させて頂きます。
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映画『青春群像』解説「青春映画」の歴史 |
じつを言えば「青春映画」というジャンルを、若者を主人公にした、若者主体のドラマだと見た時、真に「青春映画」と呼べるのは、映画スターとして20代の若者が誕生するまで待たなければなりません。
その最初の「若者スター」が第二次世界大戦が終わってから5年を経た1950年デビューのマーロン・ブランドでした。
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しかし、マーロン・ブランドという当時の若者が表現したのは、大人社会への怒りだったと思え、それは「青春物語=若者主体の物語」というよりは、「社会的ドラマ」としての比重が大きいように感じます。
そういう意味では、真に「若者の主張」を主要なテーマとする映画は、1955年ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』であり、それこそ世界初の「青春映画」の第一号だと信じています。
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しかし、このフェリーニの映画『青春群像』は何と1953年の映画なのでした。
う〜ん困った。
しかし『理由なき反抗』は、ジェームス・ディーンという「青春スター」を初めて生み出し、若者達の憧れとなったという点で「正統的青春映画」として、史上初の称号を与えるのにより相応しいのではないかと、言い訳してみたりします・・・・・・
言い訳はともかく・・・・・・
実を言えば、この映画『青春群像』の「青春」は『理由なき反抗』に較べ、見事にグズグズのダメダメです。
若いから、人生経験ないし、仕事ないし、働きたくないし、何もできないし、でも子供は生まれちゃうしみたいな、ホントに人生に夢も希望もない野郎どもの、どうしようもないダメっぷりを語った映画なのです。
しかし、考えてみれば若い世代の大多数は、人生の目的など持ち合わせていず、行き当たりばったり、将来の事なんて知らんもんネ〜、楽しきゃいいもんネ〜、辛いことしたくないもんネ〜なのではないでしょうか?
そういう意味では、この映画こそ青春の現実に近い物語ではないでしょうか?
そこで私は、この映画を青春のリアリズムを語った『青春リアリズモ』と命名したいと思います。
こうこじつければ、この映画はネオ・レアリズモの手法を持つのだと個人的には感じられてなりません。
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映画『青春群像』解説「ネオ・リアリズモ」とラテン的享楽主義 |
それは、1953年当時のイタリア映画界が持つ「ネオ・リアリズモ」が、イタリア社会の現実を鋭く突く作品群であるのと同様、イタリアの若者の現実を「ネオ・リアリズモ」で描き出せば、必然的にこの映画になるという事ではなかったでしょうか。
つまり、イタリア人の持つラテン気質を持った若者、できる限り仕事をせず遊んだり、女の子を追っかけたいという姿を、そのまま描き出せばこの映画『青春群像』になるという・・・・・
この映画が、フェリーニ監督の実体験を踏まえた作品だということも考えれば、イタリアの『 I Vitelloni=(映画原題:牡牛)』達の享楽ぶりが思い知れます。
しかし、この映画のリアリズムに映し出された「ダメ人間」を見ているうちに、このいい加減なヤローどもに、なぜかシンパシーを感じる自分がいます。
そして見終わった後には、「ダメ人間」にも人生があり、それはそれで「等しく愛おしむべき人生」なのだという感慨を、見る者に感じさせた点で画期的だと思うのです。
この映画以前には、偉大な人間、社会的に有益な主張が、映画の題材として描かれていました。
ただそれは、一般人から見れば、ややもすれば現実離れをした立派過ぎる「神」や「崇高な理想」として、姿を見せていたように思います。
しかしこの映画によって、「ダメ人間のダメっぷり」を描くことにも価値があるという、映画史上初の発見をもたらしたように思います。
そういう意味で、この映画は『ダメ青春映画』の元祖であると同時に、『ダメ人間映画』の元祖でもあると、個人的には信じています。
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そして、映画としてその「ダメなヤツラ」をえがき得たのは、「ネオ・リアリズモ」の応用と、フェリーニ監督自身の享楽的な嗜好ゆえではないかと、個人的には想像しています。
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映画『青春群像』評価 |
そんな、映画史的価値としては☆5つが当然かと思います。
しかし、映画作品として見た時、個人的にはおもしろくはなかったし、感動しませんでした。
それゆえ、個人的印象批評としては☆2つという所でした。
じつを言えば、晩年のフェリーニ作品の数々を見ている眼からすると、この映画には「映像の魔術師」と呼ばれた鮮烈なビジュアルも、濃厚な享楽を重ね塗りするようなドラマも見出せず、ただユニークな題材だけが印象に残るだけの作品だと感じてしまいました。
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その事は、未来から過去を裁断するようなもので、フェアな見方ではないかもしれません。
しかし最近感じるのは映画の感動や娯楽性とは、新しい刺激やユニークな表現の量によるところが大きいという事実です。
そんな「新たな表現」が映画の価値判断として大きいのだとすれば、「古典」とよばれる作品は映画史の中で常にお手本とされ模倣される存在であるため、その表現は「使い古される運命」にあると言わざるを得ません。
つまり「古典作品」とはその作品が「典型的」であればあるほど、後世の鑑賞者から見れば魅力を減ぜざるを得ないということかと考えたりします。
そんなことでフェリーニの古典作品としての価値は認めるものの、映画として面白く感じなかったという個人的な印象を元に、冒頭の評価となりました。
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以下の文章には 映画『青春群像』ネタバレがあります。 |
(あらすじから)
ファウストのいい加減な生活に愛想を尽かし、妻が出て行ってしまった。
さすがにファウストも妻と子の身を案じ、4人の仲間の助けを受け、彼女の行方を必死に探した。
そして、ついにファウストの生家にいるサンドラを発見する。
ファウストは彼の父にひどく叱られ、ベルトで何度も叩かれるが、妻サンドラと向き合うと抱き合い涙を流した。
映画『青春群像』結末・ラスト |
一番若いモラルドは、ひとり深夜の町を歩いていると、まだ暗い町を仕事にいそぐ駅の小間使いの少年グイードと出会う。
そして、彼は町をはなれ、一人旅立つことを決心した。
【意訳】少年:出て行くの?/モラルド:グイード。うん、出て行くんだ。/少年:どこに行くの?/モラルド:判らない。でも旅立つ。/駅員:全員乗車。点検終了。/モラルド:グイード。うん、出て行くんだ。/少年:どうして出て行くの?/モラルド:分からない。でも行かなきゃいけないんだ。/少年:ここが嫌いになったの?さよならモラルドさよなら。/モラルド:さよならグイード。
ファウスト夫婦や、レオポルドや、リカルドや、アルベルトたちの、ベッドでのまどろみをあとに、モラルドの汽車は走りさっていった。
ラベル:フェデリコ・フェリーニ
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