2018年01月12日

ヘイズコードと映画『陽のあたる場所』を巡る古典作品の評価/解説・映画史

古典作品とヘイズ・コード



原題 A Place in the Sun
製作国 アメリカ
製作年 1951年
上映時間 2時間 2分
監督 ジョージ・スティーヴンス
脚色 マイケル・ウィルソン、ハリー・ブラウン
原作 『アメリカの悲劇』セオドア・ドライザー


評価:★★★☆   3.5点



上の1951年の古い映画『陽のあたる場所』は、テーマと脚本、映画表現が相まって、高い完成度を見せていると思います。
しかし、今現在この映画を見て、今一つ強い力を感じられない事に、映画表現の完成度と娯楽性の関係を考えざるを得ません・・・・・
さらには古典作品の表現の必然と、その作品価値を求める際に、当時の時代性とその諸条件を考えるべきだと思います。film1-blk-ue.jpg
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映画『陽のあたる場所』のテーマと完成度



この映画は原作小説の題名が『アメリカの悲劇』と言うように、その語るテーマとはアメリカ社会の根元にある「アメリカ的原罪=欲望と宗教的モラルの相克」を描いたものだと、個人的には解釈しています。
このテーマはアメリカの小説や文学で度々語られているテーマであり、このテーマを描いた映画も多数発表されています。
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ここでは、1994年のスタイリッシュでクールなアクション映画『パルプ・フィクション』を比較対象として取り上げたいと思います。
この映画も、そのラストで語られたのは、実は「金=欲望と、神のモラルに揺れる姿」だと個人的には感じたからです。
関連レビュー:タランティーノの傑作
『パルプ・フィクション』

個性的な登場人物が織りなすストーリー
アカデミー脚本賞・カンヌ・パルムドール受賞作品

映画の表現技術のレベルを、その作品テーマを発揮させるために、すべての要素(脚本、配役、美術、撮影、演出)を最適化することを基準とすれば、この映画『陽のあたる場所』は間違いなく高いレベルで最適化され、『パルプ・フィクション』よりも洗練されていると個人的には感じます。

・・・・・・・・しかし、この映画の個人的な評価は、上にも書いた通り「★3.5=標準よりやや良い」というものです。

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古典作品と評価



上で申し上げたように、この映画は高い完成度を持った作品だと感じます。
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しかしそれでも、スゴイとか、面白いとか、傑作だとか、そんな激賞の言葉は、自分の心に問いかけてみても出てきませんでした。

映画技術の高さの割には、心を打つものが少ないのです。
例えば、上であげた『パルプ・フィクション』に対しては、もろ手をあげて傑作だと叫ぶことに、何の躊躇もないのにです。
この印象の違いはなんでしょうか?

テーマは同質。
キャストだって、この映画の配役は完璧と行って良いでしょう。
必要な情報を的確に伝えるという意味の、映画表現技術で言えば、この映画の方が『パルプ・フィクション』より優れているとも感じます。

繰り返しになりますが、この映画は間違いなく高いレベルで最適化され、洗練されていると言わざるを得ない映画なのです。
しかし、それでも人の心を打てないという事態が生じるのだという事実に、個人的に衝撃を受け混乱しています。


そして、なぜこの作品が感動を与えないかと、考えつつ何度か見るうちに、自分が退屈しアクビをかみ殺していることに気がつきました。


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そして分かったのです『パルプフィクション』にあって、この映画に無いもの・・・・・・・・・・

それは刺激の量です。

何せこの『陽のあたる場所』は、殺人事件が1つで、その犯人である主人公は、殺す気はなかったのに殺してしまったという体たらくです。
いかにテーマと合致したドラマだといえども、もっと刺激的な事件が描かれれば、ドラマとして強くもなっただろうし、興味も湧いただろうと思うのです。
それは、同じテーマ性をもつ『パルプフィクション』の欲望を垂れ流すかのような、刺激まみれの世界と較べれば一目瞭然です。

結局、人は一度受けてしまった強い刺激を基準値として、更に強い刺激を求める、欲張りな生き物なのでしょう。

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そう考えれば、この映画のテーマ「アメリカ的原罪=欲望と宗教的モラルの相克」という物語表現のデザインは、1946年の『素晴らしき哉人生』の時代から始まって、『パルプフィクション』の強い刺激へとシフトしてきたことが分かります。

つまりは、映画という表現ジャンルは、視覚表現だということもあり、強い映像的刺激を創造することが、そのまま表現力の強さに直結する構造を持っているように思います。
それゆえ、刺激が強ければ強いほど、商業的にも成功し、芸術的評価も高くなる傾向があると言えるでしょう。

そう考えた時に、この『陽のあたる場所』という映画は、1951年当時には刺激を描きがたい規制「ヘイズコード=ヘイズ法」を、ハリウッド映画界が持っていた点を考慮しなければならないと思えます。
かつての、TVが無い時代の映画とは、「娯楽の王様」として、家族みんなが安心して鑑賞できる「キリスト教的なモラル」を求められるコンテンツであり、過激な表現や反社会的な内容は描けなかったのです・・・・・・・・

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ヘイズコード解説



ヘイズコードとは1922年に設立された、アメリカ映画製作配給業者協会(MPPDA)が定めた自主検閲制度です。
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当時のハリウッドは1921年に起こった、人気俳優ファッティ・アーバックルが、パーティーで女優を強姦殺人したとの容疑に問われた事件(ファッティ・アーバックル事件)のような、スキャンダルに揺れていました。
この事件は最終的に無罪となったものの、ハリウッド映画界の腐敗ぶりが知れ渡ったのです。(右:故殺事件に無罪判決)

同時にハリウッド映画界は、合衆国政府や地方政府が映画を検閲するという危機感から、自主的に規制に乗り出したほうが得策だと考えます。

ここには当時ユダヤ人達が支配していたハリウッド映画界の、商業的利益を守ろうとする意思が働いていたようにも感じます。
当ブログ関連レビュー:ユダヤ人のハリウッド支配
『紳士協定』
ユダヤ差別を描いた映画
第20回アカデミー作品賞受賞

そんな時代にあってアメリカ映画製作配給業者協会(MPPDA)が設立されました。
MPPDAは検閲権を映画産業として管轄する組織として、初代議長に元郵政長官ウィル・H・ヘイズを迎え、ダニエル・ロードとマーティン・クィグリーの2人のカトリック関係者の意見を受け、1930年に「ヘイズ・コード=映画製作倫理規定」を作製しました。

しかし、30年当初は形ばかりで無視され、露骨な性描写の映画が平気で流通していたようです。
そんな形ばかりの規制に対して、カトリック教会内で1933年設立させたカトリック品位教団(Catholic Legion of Decency)が圧力を加えます。彼らが、映画を「品位(decency)」に基づいて格付けすることになり、その厳格な審査で1934年にはヘイズ・コードは義務として厳格に運用されることになりました。
ヘイズ・コードの条項

以下の項目は、いかなる方法においてもアメリカ映画製作配給業者協会の会員が映画を制作する際に用いてはいけない要素である。

1.冒涜的な言葉("hell," "damn," "Gawd,"など)をいかなるつづりであっても題名・もしくはセリフに使うこと
2.好色もしくは挑発的なヌード(シルエットのみも含む)または作品内のほかの登場人物による好色なアピール
3.薬物の違法取引
4.性的倒錯
5.白人奴隷を扱った取引
6.異人種間混交(特に白人と黒人が性的関係を結ぶこと)
7.性衛生学(英語版)および性病ネタ
8.出産シーン(シルエットのみの場合も含む)
9.子どもの性器露出シーン
10.聖職者を笑いものにすること
11.人種・国家・宗教に対する悪意を持った攻撃


また、いかなる方法においても、以下の要素を用いるときは、下品で挑発的な要素を減らし、その作品の良いところを伸ばすためにも、細心の注意を払うようにすること

1.旗
2.国際関係(他国の宗教・歴史・習慣・著名人・一般人を悪く描かぬように気を付けること)
3.放火行為
4.火器の使用
5.窃盗、強盗、金庫破り、鉱山・列車および建造物の爆破など(あまりにも描写が細かいと、障がい者に影響を与えるおそれがあるため)
6.残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面
7.殺人の手口の描写(方法問わず)
8.密輸の手口の描写
9.警察による拷問(英語版)の手法
10.絞首刑・電気椅子による処刑シーン
11.犯罪者への同情
12.公人・公共物に対する姿勢
13.教唆
14.動物及び児童虐待
15.動物や人間に対して焼き鏝を押し付ける
16.女性を商品として扱うこと
17.強姦(未遂も含む)
18.初夜
19.男女が同じベッドに入ること
20.少女による意図的な誘惑
21.結婚の習慣
22.手術シーン
23.薬物の使用
24.法の執行もしくはそれに携わる者を扱うこと(タイトルのみも含む)
25.過激もしくは好色なキス(特に一方が犯罪者である場合は要注意)
(wikipediaより)

1934年以降から、メジャー・スタジオの映画は、すべて映画製作倫理規定の承認印が必要とされ、遵守しない場合には罰金が科せられるようになります。

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古典作品とヘイズコード



そのヘイズコードの規制は上記で書いたとおり多岐に渡り、例えばこの映画『陽のあたる場所』の中でも「堕胎」という言葉も、その行為も表現が許されませんでした。
また、残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面も描く事を禁止されており、それゆえの殺人シーンの迫力のなさにつながっているように思います。
さらには、反キリスト教的な行動も取り得ないということで、主人公の優柔不断さにつながっているように思います。

逆に言えば、当時の「ヘイズコード」という基準の中で、上に上げた映画の『パルプ・フィクション』は、どれほど罰金を払っても、全く許されない映画でしょう。
つまり現在の映画が、当時の基準から見れば、どれほど反社会的なコンテンツになったのかという証左でもあるでしょう。

そしてまた、このジョージ・スティーヴンスという監督は『シェーン』や『ジャイアンツ』という映画を見ても、端正な品格を感じさせる作家であり、当時の規制の強い時代にあっては最もフィットした映画監督だったとも感じます。
ジョージ・スティーヴンス(George Stevens、1904年12月8日 - 1975年3月8日)は、アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家、撮影監督。place-georgesteaven.jpg
アカデミー賞受賞者。戦前はジャンルを問わない商業映画で活躍したが、戦後は主にアメリカの家庭を舞台にした重厚なドラマを撮り続けた。アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、ドメスティック・リアリズムの巨匠と称された。映画作りに関しては常に完璧主義者で、その作風は一つ一つのシーンやショットに画面の美しさと伏線的な効果を求めた為に、納得するまで何度もテイクを重ねることになり、ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月かかることがあったという。(wikipedia より)

そんな厳格な良識を求められた時代の映画として、刺激とモラルの絶妙のバランスを保持した作品が、『陽のあたる場所』だと個人的には思えます。
その当時の規制の中での最高のパフォーマンスを発揮し、時代が欲した作品を生み出す存在だからこその、アカデミー賞・監督賞受賞だったのでしょう。

この映画を見て、古典作品の評価はその時代背景を考慮しなければ、片手落ちになると思ったのでした。

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映画『陽のあたる場所』個人的評価


しかし、そんな時代性や作品完成度を考慮しても、それでもなお個人的評価は★3.5です。
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これは「標準よりやや良い」という評価なのですが、印象として面白いと感じられなかったという点が大きいのです。

そして、またその個人的な印象が、サスペンス映画としての刺激の少なさにあることも認識しています。
つまり私は、映画的な完成度よりも、強い刺激を求める類の人間なのだと、この映画で思い知ったのでした。

しかし、弁明をさせていただければ、この1951年とはすでに「ヘイズ・コード」に対する反旗が翻っていた時期でした。
例えばヒッチコックの『汚名』は1946年。

この中では、「キスは3秒以内」というヘイズコードを逆手にとって、3秒以内に言葉を交わすことで、延々と口付けを重ね何と2分30秒のキスシーンを描いたのです。
そして、それはハリウッド史上に残るロマンチックなラブシーンとなっています。
関連レビュー:ヘイズコードと史上最高のキスシーン
『汚名』
アルフレッド・ヒッチコック監督作品
マクガフィンというサスペンスの鍵

また反へイズコードの代表格は、ドイツから亡命したビリー・ワイルダーが有名です。
『お熱いのがお好き』(1959)がヘイズ・コードを実質的に死に追いやったのは有名な話ですが、1944年の『深夜の告白』で、すでに不倫を扱いヘイズ・コードに兆戦しています。

そして、実はヘイズ・コードに果敢に挑んだ作家が、結果的には後世に映画作家として名を残しているようにも思います。

しかし、ジョージ・スティーヴンスの名誉のためにいえば、かれは当時の状況・環境の中でパーフェクトの仕事をしたのだろうと思います。
Film-katinko.jpg求められるモラル内で、当時の世間が求める作品を、完璧に作り上げた力は賞賛すべきでしょう。
しかしヘイズコードを含め、その環境に完璧に「適応」しすぎたのだろうとも思います。

それは、ジュラ紀に最強を誇った恐竜が、環境変化に対応しきれず地球から去っていった姿にも重なります。

ヘイズ・コードという環境下で、完璧で品格のある作品を生み出した彼は、ヘイズ・コードが力を喪った1960年以後のモラルを喪失していく映画界にあって、自らの矜持を保持したまま去っていったように思います。

老兵は死なず、ただ消え去るのみというべきでしょうか・・・・・・
しかしこの老兵は「ジャイアント=巨人」であったことは銘記したいと思います。

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ヘイズ・コードとジョージ・スティーヴンス・Jr



更に蛇足を言いますが、ヘイズ・コードはリンドン・B・ジョンソン大統領の肝いりで1966年改正され、アメリカ映画協会(MPAA)とアメリカ映画輸出協会(MPEA)による、現代の格付け諮問レイティング・システムに取って代わられました。

そしてこの翌年、1967年ジョンソン大統領は、もう一つの映画関連団体を設立しました。
それがアメリカ映画協会(AFI)であり、その設立理事に任命されたのがジョージ・スティーヴンスの息子、ジョージ・スティーヴンス・Jrでした。
そして、彼は13年間にわたってアメリカ映画協会の理事であり続け、正直この前のキャリアが米国情報機関(United Information Agency)の作品監督だったという、相当政治色の強い人物でした。

もちろんジョージ・スティーヴンスの『陽のあたる場所』とヘイズ・コードの関係と、息子の話はまた別の話だと思いますが・・・・・・・・・・・・・・・・・・



posted by ヒラヒ at 18:52| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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