映画『陽のあたる場所』(感想・解説 編)
原題 A Place in the Sun 製作国 アメリカ 製作年 1951年 上映時間0分 監督 ジョージ・スティーヴンス 脚色 マイケル・ウィルソン、ハリー・ブラウン 原作 『アメリカの悲劇』セオドア・ドライザー |
評価:★★★☆ 3.5点
この1951年の映画は古い映画ながら、テーマと脚本、映画表現が相まって、高い完成度を見せていると思います。
アメリカの光と影を描いて、第24回アカデミー賞で監督賞を初め数々の賞を獲得したのも納得の作品です。
ジョージ・スティーヴンス監督の実力が、遺憾なく発揮された完成度の高い作品だと思います・・・・・
映画『陽のあたる場所』予告 |
ジョージ・イーストマン(モンゴメリー・クリフト)/アンジェラ・ヴィッカース(エリザベス・テイラー)/アリス・トリップ(シェリー・ウィンタース)/ハンナ・イーストマン(アン・リヴィア)/フランク・マーロウ判事(レイモンド・バー)/チャールズ・イーストマン(ハーバート・ヘイス)/ルイーズ・イーストマン(キャスリン・ギブニー)/アール・イーストマン(キーフ・ブラッセル)
映画『陽のあたる場所』出演者
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映画『陽のあたる場所』感想 |
この映画の原作の題名が『アメリカの悲劇』と言うように、アメリカ社会の根元にある、一種の飢餓感が象徴的に描かれた作品だと思います。
そもそもアメリカを目指し移住してきた、アメリカ人達のモチベーションは、1に故国での貧困でした。
生まれた地で生活が成り立たないから、いちかばちか移民を決意したのです。
この映画の主人公は、そんな貧困からの脱出に向かって、あがく姿が象徴的です。
そしてまた、もう1つのモチベーションがキリスト教的な純粋性です。
それは、祖国における宗教的弾圧や宗教腐敗に、忌避感を抱いた宗教的に敬虔な人々が、アメリカを目指したのでした。
そう思えば、この主人公も成功に対する焼けるような渇望と同時に、罪を犯さないというキリスト教的モラルの狭間で揺れ動き続けている様子が哀れでもあります。
実を言えば、そんなアメリカ社会のアンビバレンツな成立基盤は、アメリカの小説や文学で度々語られているテーマであるように思います。
古くは、F・スコット・フィッツジェラルドの1925年の小説『華麗なるギャッツビー』に、野心を持って生きる主人公の悲劇を見出します。
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また映画では、1946年の『素晴らしき哉人生』が、実にアメリカ社会を如実に表した作品だと、個人的には思えるのです。
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この貧しさゆえに富を求めざるを得ない哀しみを描いた作品は、小説家トールマン・カポーティによって『ティファニーで朝食を』という題名で1958年に発表され、更に1961年に映画化されました。
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そして、時代は下り2007年公開された映画『ゼア・ウイル・ビー・ブラッド』は、まさに神と金銭的成功のせめぎ合いが描かれ、迫力のある作品です。
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また、スタイリッシュでクールなアクション映画『パルプ・フィクション』だって、そのラストで語られたのは、実は「金=欲望」を満たそうとする力と、神の言葉に揺れる姿が描かれていると感じました。
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映画『陽のあたる場所』解説映画の完成度 |
この映画は1931年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督によって映画化されたセオドア・ドライサーの小説『アメリカの悲劇』の再映画化です。
上で述べた、アメリカ社会の原罪とでもいうべきテーマを、当時の巨匠ジョージ・スティーヴンスが監督し、映画完成度としてはほぼ完璧だと個人的には思います。
たとえば脚本も、「野心=現状に不満」を持った青年と、上流階級の華やかさ、そして「貧しい娘=自らの現実」と関わる姿が、過不足なく表現されています。
特に、成功と引き換えに神に背かなければならない、主人公の状況が実にドラマチックに、繊細に描かれていて感心します。
主人公が「ヒロイン=成功」と「母=神」に板挟みになるシーン。
【意訳】母:ベッテル伝道所です。/ジョージ:やあママ。/母:ジョージ、神の御恵みを、坊や。どうしたの病気?/ジョージ:違うよママ。病気じゃない。/母:家に帰りたいという電話じゃないのかい?/ジョージ:聞いてママ。昇進したんだ。うん。今なら毎月送金できる。/母:誕生日おめでとうジョージ。今日はお前の誕生日だろ、だから私は祈ってたんだよ。お前がすぐに帰ってこれますようにって。そして父さんと同じ仕事(伝道)をしてくれるようにって。父さんはどこに消えたんだか。お前の部屋は、お前が出て行った時のままだよジョージ。/ジョージ:ああ…俺は、俺はここでとても上手くやってるんだよ、ママ。ここでも幸せなんだ、ママ。/母:そこに誰と居るんだい、ジョージ?/ヒロイン:私です、お母さん。/母:それは誰?/ジョージ:ただの・・・・ただの女の子だよ、ママ。違うよ、ママ。違う−ママ、今彼女と会ったばかりさ。うんママ。そうするよママ。/母:いい子にしているんだよ。/ジョージ:約束するよ。/母:さよなら、ジョージ。/ジョージ:さよならママ。/ヒロイン:いい子にしてるって約束したの?(以下省略)
上のようにテーマを的確に表した、ドラマチックなシーンに満ちていて、映画表現の教科書として使いたいぐらいです。
また主要な3人の配役も見事です。
主人公のモンゴメリー・クリフトの、善良でありながら「野望と良心」との間で逡巡する演技も見事だと思います。
モンゴメリー・クリフト(Edward Montgomery Clift, 1920年10月17日 - 1966年7月23日)は、アメリカ合衆国・ネブラスカ州オマハ出身の俳優。
1948年、ジョン・ウェイン主演の『赤い河』で映画デビュー。同年の『山河遥かなり』でアカデミー賞にノミネート。その後『陽のあたる場所』、『地上より永遠に』でもノミネート、二枚目俳優として活躍するも、映画スタジオと長期契約を結ばず、『波止場』、『エデンの東』、『サンセット大通り』、『真昼の決闘』など、出演を断った作品も多い。
私生活ではアルコールとドラッグの問題を抱え、更に1956年に交通事故に遭い、整形手術をし顔の筋肉が一部動かなくなる。それでも、1959年にはテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年には『荒馬と女』に出演。1961年の『ニュールンベルグ裁判』でアカデミー助演男優賞にノミネートされるも、1966年に心臓発作で死去した。
また実力派シェリー・ウィンタースが演じた、貧相な現実世界における「ささやかな幸福」が、しかし自分にとっての全人生を賭けるべき対象なのだという迫力も胸を打ちます。
シェリー・ウィンタース(Shelley Winters, 1920年8月18日 - 2006年1月14日)は、アメリカ合衆国の女優。ウィンターズとも。
幼い時に家族とブルックリンに移る。ハリウッド・スタジオ・クラブで演劇を学んだ後、ブロードウェイの舞台に立つ。当時は同じ劇団に在籍していたマリリン・モンローと部屋をシェアしていたという。1943年に映画デビュー。彼女は数多くの映画に出演し、『アンネの日記』(1959)と『いつか見た青い空』(1965)でアカデミー賞を受賞し、『陽のあたる場所』(1951)と『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)でノミネートされた。他に、『二重生活』(1947年)、『狩人の夜』(1955)、『ロリータ』(1962)、『アルフィー』(1966)、『ピートとドラゴン』(1977)など50年以上のキャリアの中で多数。
ウィンターズは2006年1月14日にビバリーヒルズのリハビリテーションセンターで心不全で85歳で死亡した。
しかし何より、エリザベス・テイラーのイノセントでノーブルな美しさが、まさに太陽のように輝いているのが、この映画の光と影を生み出していると感じます。
この「主人公の成功」がとてつもない光芒を放つものなのだと、理屈ではなく実感として観客は思い知ります。
エリザベス・テイラー(Dame Elizabeth Rosemond Taylor, DBE、1932年2月27日 - 2011年3月23日[1])は、イギリス出身の女優。
少女時代からメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) で子役として映画出演しており、成人後には「ハリウッド黄金時代」(en:Hollywood's Golden Age) を代表する大女優の一人となった。世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色の瞳で知られていた。AFIが選定した映画スターベスト100の女優部門では第7位にランクされている。テイラーは長い闘病生活の末、2011年3月に鬱血性心不全のために79歳で死去した。 (wikipediaより)
エリザベス・テイラーは後年には、『クレオパトラ』のように大御所のオーラで周囲を威圧する威厳を見せました。
しかし、この映画では19歳の純粋に可憐な娘の輝きが、この映画のまばゆい光と、その影の源泉として力を発揮していると思います。
そんなこんなで、映画技術の完成度を、「その作品の持つテーマを発揮させるために、すべての要素(脚本、配役、美術、撮影、演出)を最適化すること」だと規定すれば、この映画は間違いなく高いレベルで最適化され、洗練されていると言わざるを得ないと思うのです。
そういう意味で、本当にこの映画の完成度は、大変高い所にあると感じました。
しかしながら、個人的に評価は★3.5としました・・・・・・・
その理由は、現代のサスペンス映画を見慣れた眼からすると、刺激が少ないという個人的な印象からです。
ただし、その刺激の少なさも時代背景というものを考慮すべきかと思い、古典作品の評価というものの難しさを思いました。
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