映画『第三の男』(感想・解説 編)
英語題 The Third Man 製作国 イギリス 製作年 1949年 上映時間 104分 監督 キャロル・リード 脚色・原作 グラハム・グリーン 音楽 アントーン・カラス |
評価:★★★★ 4.0点
第二次世界大戦が終わったばかりの、ウィーンは一種の空白地帯だったようで、そこをを舞台に繰り広げられるサスペンス映画です。
アントン・カラスのテーマ曲の響き、モノクロ撮影の美しさ、名優オーソン・ウェールズの存在感、映画史に残る名セリフと名シーンなど、多くの魅力を持った作品だと感じました。
映画『第三の男』予告 |
映画『第三の男』出演者 |
ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)/アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)/ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)/キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)/ペイン軍曹(バーナード・リー)/管理人(パウル・ヘルビガー)/クルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)/ポペスコ(ジークフリート・ブロイアー)/ヴィンクル医師(エリッヒ・ポント)/クラビン(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)
映画『第三の男』受賞歴 |
1951年開催・第23回アカデミー賞受賞:撮影賞 (白黒部門)
1949年英国アカデミー賞:作品賞(国内部門)
1949年カンヌ国際映画祭:グランプリ第三の男
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映画『第三の男』感想 |
特筆すべきなのは、その制作年代でしょう。
なんと第二次世界大戦が終わった4年後の1949年製作です。
キャロル・リード監督は第二次世界大戦直後のウィーンを舞台に、戦争の傷跡がそこここに残るウィーンの街で映画を撮影しています。
建物がいきなり砲弾の痕で崩壊していたり、壁に穴が開いていたりするのを見るだけで、もう歴史資料です。そういう意味では、この映画が持つ混沌とした感じは、一種のドキュメンタリーとしての要素を含んでいるように思います。
そんな戦後混乱期を舞台に演じられる、闇物資を巡って起きる犯罪事件に巻き込まれた、アメリカ人作家に起こるスリルとサスペンスの物語です。
この映画の基調は、イギリス伝統の探偵小説が持つ味わいであり、それはヒッチコックのサスペンス映画と共通するものです。
ヒッチコックが好きな人は、ご鑑賞いただければお気に召すのではないでしょうか。
関連レビュー:ヒッチコック・サスペンスの秘密 『汚名』 アルフレッド・ヒッチコック監督作品 マクガフィンというサスペンスの鍵 |
また、この映画は制作年代を反映してモノクロ映画となっていますが、その光と影の深い陰影を捕えたカメラがと〜っても美しい。 |
そしてこの黒白の対比は、物語の錯綜と謎の行方や、正義と悪など、劇としての要素を強く印象付ける、卓越した効果となっています。
それが一番効果を上げているのが、人の影が建物に怪物めいた巨大な姿となって現れるところでしょうか。
この年代はモノクロ撮影の末期という事も合って、光と影だけで表現できる映像について、ある種完成の域にあったのではないでしょうか。
そんなモノクロ撮影のもつ潜在的な力を再発見させてくれる映画でも有ります。
しかし、何より感銘を受けたのは名優オーソン・ウェルズの悪役ハリー・ライムでした。
この金の亡者のような冷酷なアメリカ人を、なんとも魅力的に、愛らしく演じて、この作品の中では決して多くない出演時間ながら、おいしいところを全て持っていきます。
このカリスマ的なヒールであれば、アリダ・ヴァリ演じるヒロインでなくとも夢中にならずにはいられないでしょう。
白黒の画面の中で輝くような笑顔と、陰鬱な悪を使い分け、その落差の大きさが単なる悪役にはとどまらない、人間としての業の深さを表しているようです。
これほど魅力的な悪役は、他にちょっと思いつかないほど、強い個性を持っています。
これはたぶん、演出上の力もあるでしょうが、多くをオーソン・ウェールズその人の魅力から、発せられているように思えます。
更に音楽映画史上、最も印象深い曲の一つとして上げられる、アントン・カラスのチター演奏によるテーマ曲が、この映画のドラマに見事に共鳴して響きます。
このボヘミア調のメロディーが、戦後の無国籍な混沌とした世相の哀調を奏で、その軽快なテンポが、本来重苦しくなるはずのこの映画の陰惨な内容を、どこか軽快に中和しエンターテーメントとして提供するのにちょうどいい味わいに変えているように思います。
第三の男のテーマ
実際この映画に「プラトーン」で使われた「弦楽のためのアダージョ」が流れたとしたら、重すぎてこれほどヒットしなかったと想像します・・・・・・
関連レビュー:ベトナム戦争をリアルに描いた映画 『プラトーン』 オリバー・ストーンの自伝的物語 ベトナム戦争の敗北の真実 |
そんなこの映画は「魅力的な悪役」「完璧なテーマ曲」「完成されたモノクロ映像」「歴史的ウィーン」など見所がイッパイなのです。
じつは、それ以外にも映画史に残る「名シーン」や「名セリフ」が盛りだくさんなのですが、ぜひ本編でお楽しみ下さい・・・・・・・・
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映画『第三の男』解説 |
ということで終わりにすればいいものを・・・・・・
このタイトル「第三の男」の解釈をしてみたくなりました。
だいたい、つまらないこじつけになるのは眼に見えているのに、悪い癖でスミマセン。
この映画の舞台となった1949年ごろのウィーンは、「ソヴィエト連邦」という共産主義国と、「イギリス・アメリカ・フランス」の自由主義陣営が、その対立が露わになっていた時期です。
実際、占領政策を巡り先に進駐した「ソ連」と、後から加わった「米・英・仏」両陣営間で、様々な駆け引きが繰り広げられたようです。結局、1953年「ソ連」の書記長ヨシフ・スターリンが死んで、講和が一気に現実化したというのも、象徴的です。
この「空白地帯のウィーン」が表しているのは、戦後ヨーロッパの支配権の不在だったように思います。欧州大陸を占めていたナチスドイツが崩壊したあと、映画内で描かれているように「ソビエト連邦」と「イギリス」が、欧州の覇権を本来争うべきだったはずです。
しかし実際は、戦後ヨーロッパを占めたのは「第三の男=アメリカ合衆国」だったと語られていると思うのです。
この、イギリスで作られた映画で、ヨーロッパを舞台としているにもかかわらず、善悪二人のアメリカ人がこの物語上で主役を勤め、ヨーロッパ各国の登場人物がその二人の周囲で右往左往するのは、そういう理由以外に考えられなかったのです。
これは結局、アメリカの存在が善悪いずれにせよ、ヨーロッパ社会の支配者になったのだという苦い諦念だったでしょう。
更に言えば、悪人のアメリカ人が「金」を求め、善人のアメリカ人が「理想」を語るとき、ヒロインが悪人に惹かれるのは、結局ヨーロッパ社会はアメリカの「金=財政支援」は求めても、「アメリカ的な理念」は拒否するという、明瞭な宣告だったようにも思えるのです・・・・・・・・
・・・・・と言うことで、ヤッパリつまらない解釈になってしまいました。
これ聞いたところで、映画の魅力が上がるとは我ながら思えないという・・・・・・
以後、気をつけます。
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