1992年『許されざる者』(ネタバレ・ラスト 編)
原題 Unforgiven 製作国 アメリカ 製作年 1992年 上映時間 131分 監督 クリント・イーストウッド 脚本 デイヴィッド・ピープルズ |
評価:★★★ 3.0点
この映画『許されざる者』は、クリント・イーストウッド監督・主演で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
この映画は西部劇の描いてきた価値観を「許されざる者」と糾弾しながら、最後にそのメッセージを覆す語り口が、本当に鮮やかだと感心しました。
映画『許されざる者』予告 |
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以降の文章に 映画『許されざる者』ネタバレがあります。 |
豪雨の中スキニーの酒場では、リトル・ビルが追跡隊に指示を下していた。
そこへ、ショットガンを携えたマニーがひっそりと姿を現す。
【意訳】マニー:誰がこのクソッタレの店の持ち主だ?お前、デブ、言え。/スキニー:ええと、私が、千ドルで酒場の権利を買って経営しているが・・・/マニー:そこからどいたほうがいいぞ。/リトル・ビリー:ちょっと、待て、止めろ!(マニー撃つ)/リトル・ビリー:何て卑怯なクソ野郎だ。お前は丸腰の人間を撃ったんだぞ!/マニー:ヤツは武装すべきだった。自分の酒場に俺の友を飾るんならな。/リトル・ビリー:お前はミズリーのウイリアム・マニーだな、女子供まで殺した。/マニー:そうだ。俺は女と子供を殺した。動くものは何でも殺した。そして俺は今、お前ビルを殺すためにここにいる。ビル、ネッドになぜあんなことをした。小僧どもはどいた方がいいぞ。/リトル・ビリー:いいか諸君、ヤツは一発しか残ってない。アイツが撃ったら、君らの銃を抜いて撃ち殺せ、この薄汚い悪党を!(マニー不発)不発だ!俺達を殺そう何て、このロクデナシ!(銃撃戦)/マニー:他の者を殺したいと、望んじゃいない。裏口から消えな。
激しい銃撃戦の末、リトル・ビルも撃ち倒し、マニーは酒場を出た。
映画『許されざる者』ラスト・シーン |
【意訳】マニー:お前等、ネッドをすぐ埋めたほうが良いぞ!娼婦たちを傷付けたり、害を与えたりしないほうが良い!さもなければ、俺が戻ってきて、全員ぶち殺して燃やしてやる。
(マニーの農場・ナレーション)数年後、アンソニア・フェザー(亡妻の母)は、彼女のただ一人の娘の最後の安息所を訪ねるために、ホッジマン郡に困難な旅をしました。
ウィリアム・マニーは、子供たちと共に、ずっと以前に消えていました.... ある者は、彼の生地サン・フランシスコで、乾物商として財を成したとうわさしました。
そしてフェザー夫人は、彼女の一人娘が、泥棒で人殺しで悪名高く節度のない悪党の男となぜ結婚したか、何も手がかりは残されてませんでした。
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映画『許されざる者』結末感想 |
このラスト10分で、全てが明らかになったと思う。
結局の所、この最後の銃撃戦の前は、全てこの最後のクライマックスのためのタメに過ぎなかったと、個人的には理解した。
つまりは、<解説編>で語ったように、この映画のラスト10分前までは、これでもかとばかり西部劇神話を突き崩し、非難し、笑いものにすらしているように見える。
そして、その代表として保安官リトル・ビルに仮託して、西部劇の男権主義の間違いを指摘する。
しかしその文脈「西部劇の否定」のメッセージを発する作品であったならば、この映画のラスト10分は決してこの終わり方にはならなかったはずだ。
「西部劇の否定」の文脈に沿えば、マニーはせいぜい散弾銃で店主とリトル・ビルを倒し、自分も周りから撃たれて倒れるというのが正しい。
そうすれば、西部劇に登場する保安官、悪漢、人種差別主義者が全て倒れ、この映画は「西部劇神話の否定」で幕を閉じるのだ。
しかし、この結末は明らかに別の物語を指し示している。
冒頭で銃もろくに扱えなかったマニーは、なぜ最後になって5人も1人で倒せたか?
このマニーが「許されざる者」なら、なぜ私的暴力を振るった「許されざる者」が死なずに、しかもサンフランシスコで成功したと語られるのか?
久々の拳銃射撃のシーン
【意訳】娘:パパは人を殺すのになれてるの?
結局のところ、この映画が語ったのは「西部劇神話」の否定ではない。
再び言うが、映画の中で「西部劇」の要素、男権主義、人種差別、私的権力、私的暴力の乱用を否定し、「許されざる者」として語りはする。
それは保安官リトル・ビルが、ロサンゼルスの人種差別的な元警察部長に模されている事でも明らかだ。
この映画の最後10分まで、「西部劇」が育んだ価値観によって、現代アメリカ社会にまで続く歪みが生じたと、糾弾し続ける。
しかし、最後の10分で、他ならないその「西部劇」的私的暴力によって、その歪みを解消して見せるのだ。
つまり、この映画が語るのは「西部劇の罪」を解消するのも、また「西部劇のヒーロー」だと告げているのだ。
それは、「西部劇神話」に問題が間違いなく含まれているにしても、アメリカ国民、アメリカ国家は「西部劇的な正義」無くして成立しないという宣言だったに違いない。
このマーニーが私的な制裁を遂げ、更に人種差別や女性蔑視を諌めて去る馬上の姿の後方、間違いなくアメリカ国旗が映っているのがその証拠だ。
だからこそ、この映画はアメリカ国民にとってカタルシスを与えてくれる、久々の「古典的な西部劇」として受け入れられ支持されたのだ。
この映画が、「西部劇神話」の否定だけで終わっていたとしたら、決してこの高評価は得られなかった。
けっきょく、この作品は「西部劇神話」を否定し、そして最後で復活させる。
それゆえ「マニーの死んだ妻の母=女権」は、娘が人殺しで悪党の「マニー=男権」の中に、愛を見出したことの理由が分からない。
しかし女達にとっても、男達が男であることによって救われるのだと、このマニーは語っているに違いない・・・・・
映画『許されざる者』評価 |
クリント・イーストウッド監督の演出力、その表現力はいつものごとく鮮やかで、見る者に浸みこむような静けさと、ラストの対比が印象的だ。
この映画の持つ、古典的な西部劇のスタイルに郷愁を覚えもした。
しかし、この映画は、やはりクリント・イーストウッドの保守的な志向が出た映画だと感じた。
また正直、最後の銃撃シーンも、唐突に銃の名手になったようで違和感があった。
更には、アメリカ人にとってはアイデンティティに関わるほど重要な「西部劇神話」ではあるだろうが、日本人の自分にとっては、そこまで強く訴求するものではなかった。
それゆえ、評価は★3.0点とした。
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