評価:★★★★★ 5.0点
この映画「汚名」は、ケイリー・グラントとイングリッド・バーグマンというハリウッド2大スターの、全盛期の姿を堪能できます。
そしてまた、ヒッチコックのサスペンスを楽しむにも、いいバランスの映画で個人的に大好きな一本です。
映画『汚名』あらすじ
ナチスのスパイを父に持ったアリシア・ハバーマン(イングリッド・バーグマン)は、世間から汚名を着せられて生きていた。警察につけ回される毎日にあきあきして、開いたある夜のパーティで、彼女はデブリン(ケーリー・グラント )というアメリカFBI捜査官と知り合う。(右:私に、にやにや笑う紳士は嫌い。)デブリンの目的は、南米で陰謀を企むナチ組織の情報を得ることで、そのため組織の首謀者セバスチャンを知っているアリシアに近づいたのだった。
デブリンの調査協力の申し出に、アリシアも同意し、2人はリオ・デ・ジャネイロに飛ぶ。
共に時間を過ごすうちに、2人の間に愛が芽生えた。
しかし、デブリンは、上司プレスコット(ルイス・カルハーン)からの命令で、昔セバスチャン(クロード・レインズ)がアリシアに好意を持っていたのを利用し、FBIのスパイにする計画を告げられる。
愛し合うようになっていた、アリシアとデブリンはそれぞれ逡巡しつつも、任務に就く。アリシアは容易にセバスチャンとの接触に成功し、彼は彼女を恋するようになった。そしてついには、セバスチャンとアリシアは結婚するが、セバスチャンの母(レオポルディン・コンスタンティン)は彼女を疑念の眼で見ていた。
そんな時、パーティが開かれ、アリシアは陰謀の証拠がある酒蔵の鍵を盗みデブリンに渡した。デブリンは目的の証拠を持ち出して邸を後にしたが、セバスチャンに悟られた。アリシアがスパイであると分かれば組織から責任を問われるセバスチャンは、その後毒入りコーヒーをアリシアに飲ませ、密かに殺そうとする。
一方、瓶の中は原子爆弾の材料のウラニウム鉱で、その出所がどこなのかFBIは情報を求めた。
アリシアは衰弱しながらも、なおもウラニウムの出所を聞き出そうとするが、セバスチャンとその母による毒の投与により、体力は限界に近づくのだった・・・・・・・(原題 Notorious/製作国 アメリカ/製作年 1946年/上映時間 101分/監督アルフレッド・ヒッチコック/脚本ベン・ヘクト)
映画『汚名』予告
T・R・デヴリン(ケーリー・グラント)/アリシア・ハバーマン(イングリッド・バーグマン)/アレクサンダー・セバスチャン(クロード・レインズ)/セバスチャン母(レオポルディン・コンスタンティン)/ポール・プレスコット(ルイス・カルハーン)/アンダーソン博士(ラインハルト・シュンツェル)
映画『汚名』出演者
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映画『汚名』感想 |
この映画はヒッチコックの映画が持つドラマ=劇性の図式がスタンダードとして、表現されているように思います。
それは、その時代の大スターの演技によって、観客の感情移入を最初に促します。
観客の感情移入を促す例「映画史上に残るキスシーン」
【意訳】アリシア:いいホテルね。今晩ホテルを出るのは止めましょう。/デブリン:食事はどうしよう。/アリシア:ホテルで食べましょう。私が料理するから。/デブリン:料理は嫌いだろ。/アリシア:ええ嫌い。でもアイスボックスに鶏があるの。それで我慢して。/デブリン:後片付けは?/アリシア:指で食べましょ。/デブリン:皿も使わない?/アリシア:ええ、一枚はあなたで1枚は私。/デブリン:今夜は一緒に、ディナーを取ろう。/アリシア:嬉しい。どこへ行くの?/デブリン:今夜ここなら、ホテルにメッセージが無いか確認する。/アリシア:後じゃダメなの?/デブリン:必要なんだ。/アリシア:変わった愛の表現ね?/デブリン:そうだね。/デブリン:あなたは実は私を愛していない。/アリシア:変わった愛の表現ね?/デブリン:もしもしパレス・ホテル?数日泊まってるデブリンだが、何か伝言があるかな?でも、愛せなくなったら教えるよ。/アリシア:何も言わなくても態度で示しているわ。/デブリン:読んでくれ。(電話を置く)上司が直ぐ来いと言ってる。/アリシア:彼は何て?/デブリン:分からない。/アリシア:たぶん私達の仕事に関してね。/デブリン:たぶん。帰ってくるとき何か持ってくるよ。/アリシア:記念に上等なワインっていうのはどう?/デブリン:何時に戻ろうか?/アリシア:7時/デブリン:じゃあ後で。
この、キスシーンの華麗さはどうでしょう。さすがに映画史上に名を残すロマンチックな2分30秒です・・・・・・・・
このシーンは、当時のハリウッド映画の倫理規定ヘイズ・コードが、3秒以上のキスを禁止していたため、3秒ごとに会話を入れて中断したものでした。
またこのシーンを「ヒッチコック・トリュフォー映画術」という本の中では、たまたま列車の乗ってる時に見た恋人達がアイデアの元だと語られています。その恋人達は、彼氏が道端でオシッコをしている間もキスをし、言葉を交わしていたそうです・・・・・・・・
二大スターがとろけるように口付けを交わし続ける姿にうっとりします。
さらに、それが途中で断ち切られることで、否が応でも観客はこの二人の恋を応援したくなるでしょう。
しかし、その後の非情な命令を聞き、見る者は二人の運命がどうなることかと心を傷め、ドラマの行方から目が離せなくなります。
こうして、スターに心奪われた観客に対し、そのスターが困ったり苦しんだりするところを見せつけ、見る者をハラハラさせるというのが、ヒッチコックの映画の構造のように思います。
映画『汚名』解説「マクガフィン」 |
つまり主人公達を困らせる「原因」が大事なのではなく、困っている主人公の「状況=シュチュエーション」が重要なわけです。
この主人公が困っている「原因」の事をヒッチ・コックは「マクガフィン」という言葉で説明しています。
上でも引用しましたが、ヒッチコックの映画についてフランスの映画監督フランソワ・トリュフォーがインタビューした、「ヒッチコック・トリュフォー映画術」という本があります(そのインタビューの記録を元に、後年ドキュメント映画になっています)。
「ヒッチコック・トリュフォー映画術」映画予告
関連レビュー:トリュフォーのラブレターのような本 『ヒッチコック・トリュフォー映画術』 ヒッチコックとトリュフォーが映画術を伝授 古典的映画の教科書 |
その本の中には、この映画『汚名』の「マクガフィン=ウラニウム」のせいでアメリカ政府機関(FBI)から取調べを受けたり、プロデューサー・デヴィッド・O・セルズニックと揉めたと語っています。
この時セルズニックに対して返した、ヒッチコックの答えこそ名言でした。
それは「(マクガフィンは)何でもいい」というものです。
その証拠に、あっさりセルズニックに「じゃあマクガフィンをダイヤにしようか?」と提案している位ですから・・・・・・・・
マクガフィン (MacGuffin, McGuffin) とは、何かしらの物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。登場人物たちの視点あるいは読者・観客などからは重要なものだが、作品の構造から言えば他のものに置き換えが可能な物であり、泥棒が狙う宝石や、スパイが狙う重要書類など、そのジャンルでは陳腐なものである。(wikipediaより)
そして、この「(マクガフィンは)何でもいい」という言葉こそ、ヒッチコックのサスペンスの秘密だと思うのです。
結局、主人公が困る状況が生まれるならキッカケはなんでもいいという意味であり、それは主人公が持った「危険な状況」とそこから「脱出」する姿のドラマを、その優れたストリーテーリングでスリリングに描けるという映画監督としての職業的自信だったに違いありません。
そんな、職業監督としての実力をまざまざと見せ付けたのが、ウラニウムを隠しているワインセラーの鍵を受け渡すシーンです。
ワインセラー鍵の受け渡しシーン
この圧倒的なサスペンスの語り口の上手さがあれば、ただの鬼ごっこも傑作にしてしまいそうです・・・・
そして、この「マクガフィン」というのは、英国出身のヒッチコック監督が母国のスパイ小説や探偵小説の伝統を引き継いだ物だと語ってもいます。
英国の冒険小説がイギリス上流階級の「暇つぶし」として作られたことから、どこか結論よりも過程を楽しむという性格を持つように感じます。
つまりは現実生活に満たされた貴族達にとってみれば「マクガフィン」が何であろうと、そこから発生するストーリーが退屈しなければ、それでいいということでしょう。
映画『汚名』解説ヒッチコックとおとぎ話 |
実は物語として、この「マクガフィン」を使ったものは、物語、小説のスタイルとしては特殊な形式だといえると思うのです。
なぜなら、通常の物語においては、大多数は「マクガフィン」こそ主役です。
例えばこの映画で言えば、「ウラニウム」がどういうもので、どんな力を持っているのかという事が、物語に迫力と真実味を与え、そして往々にして「テーマ=主題」になるのです。
その「ウラニウム」が強い力を持つからこそ、それを巡る戦いがスリリングなのです。
この「ウラニウム」の部分を例えば「殺人」「鳥の襲撃」「精神病」とした場合、なぜ殺人が行われたか、なぜ鳥の襲撃がされたか、なぜ精神病になったのかこそ、物語の「主題=テーマ」となる部分であり、その「主題」を語ることこそが物語るということでしょう。
そういう意味で、ヒッチコックの映画群はドーナッツのように中心にポッカリと穴が開いたような作品だと言えます。
そして、それは、繰り返しますが、英国上流社会が持つ現実の切実な「問題=テーマ」を持たない事の反映のようにも思います。
そんな「英国」の伝統的物語を引き継いだ、「テーマ」が空白なヒッチコックの映画は、重いテーマ性から自由になることによって、洗練と純粋なエンターティメントの力を手に入れる事を可能にしたのではないでしょうか。
しかし残念なことに、「テーマ」が空白であるがゆえに、ヒッチコックの映画はエンターティメント「作品」としてヒットしたとしても、テーマ性を重視する批評家から評価を受けられないという結果になったと想像するのです。
アカデミー監督賞を手に入れられなかったのは、そんな理由によるのではないかと感じられてなりません。
しかし実は、このドーナツ型の物語=「テーマの不在」は、主人公達のドラマ=葛藤・対立の理由が不明確であるという事実によって、観客にありとあらゆる解釈を可能にもします。
それゆえ、物語として無限の広がりを持つものです。
この物語の構造は「おとぎ話」と同様のものであり、そう思えば「おとぎ話」がそうで在るように、人々の無意識に訴える強い力を持つのだと、現代の精神分析家たちは教えてくれます。
そんな深い物語を作りながら、ハリウッドで低い評価を受けていたことこそ、この監督に着せられた「汚名」だと言えるでしょう。
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以降の文章に 映画『汚名』ネタバレがあります。 |
衰弱した身で、必死のスパイ活動を続けるアリシアは、ある日一味のアンダーソン博士(ラインハルト・シュンツェル)が口にした言葉で、ウラニウムの出所の秘密を掴んだ。
使命を終えたアリシアだったが、もはや一人で歩くこともままならなかった。
そこに、彼女を心配したデブリンがセバスチャン邸を訪れ、アリシアを病院に連れ出そうとする。
セバスチャンはナチスの組織メンバーと謀議の最中だったが、気付いて二人を阻止しようとする。
映画『汚名』ラスト・シーン
階下には不審に思った、ナチスの組織メンバーがその行動を注視していた。
妻アリシアがアメリカのスパイであると分かると、セバスチャンは組織から殺される危険性があり、とっさにセバスチャンの母は、デブリンがアリシアを病院に運ぶように頼んだとごまかした。
無事に脱出した2人。
セバスチャンは、自分も一緒に連れて行ってくれと懇願するが、デブリンは拒否し車で走り去った。
そしてセバスチャンは死の待つ扉へと歩み、扉は閉ざされたのだった。
映画『汚名』ラスト感想 |
ラストで、示された三角関係と、母親の息子に対する支配欲との綱引き。
さらには、組織の一員という公的な顔と、愛という私的な感情との矛盾。
このラストは実に人間関係の全ての要素を含んだ緊張関係が、まさにサスペンスとスリルに満ちて展開していると思うのです。
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