『シャイニング』(原作違い・映画恐怖解説 編)
原題 The Shining 製作国 イギリス 製作年 1980 上映時間 119分 監督 スタンリー・キューブリック 脚色 スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン 原作 スティーヴン・キング |
評価:★★★★★ 5.0点
モダン・ホラー小説の大家スティーブン・キングの『シャイニング』を原作とするこの映画は、しかし原作とはまるで別の世界観を持っていると感じます。
映画にある、恐怖の本質は小説のそれと真逆だとも思えるので、文句を言いたい気持ちも分からないではないのですが・・・・・・・
しかしそこには、映像作家キューブリックが開いた、新たな「ホラー」の地平線があったように思います。
<目次> |
『シャイニング』簡潔あらすじ |
小説家のジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)は、雪に閉ざされる冬のリゾートホテルの管理人の仕事を得る。妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)と不思議な能力シャイニングを持つ子供のダニー(ダニー・ロイド)と共にホテルに入った。しかし、そのホテルには過去に忌まわしい事件が起きており、次々と怪異な現象が起こり始める。そして、ジャックも徐々に常軌を逸した行動を見せ始め、ついに妻と子に襲い掛かる―
『シャイニング』予告 |
『シャイニング』出演者 |
ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)/ウェンディ・トランス(シェリー・デュヴァル)/ダニー・トランス(ダニー・ロイド)/ディック・ハロラン(スキャットマン・クローザース)/スチュアート・アルマン(バリー・ネルソン)/デルバート・グレイディ(フィリップ・ストーン)/ロイド(ジョー・ターケル)/医師(アン・ジャクソン)
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『シャイニング』解説小説と映画の違い |
この映画と原作の違いを抽出するにあたって、一番手っ取り早いのはスティーブン・キングの主張を聞くことだろう。
スティーブン・キングのキューブリック『シャイニング』批判
【大意】キューブリックのシャイニングは本当に問題だ。キューブリックは「君は同意しないだろうが、全ての幽霊物語は基本的に楽天的だ。もし幽霊が存在すれば、それは死を乗り切れることを意味し、それは基本的に楽天的な見方だろう?」と言った。
私は「でも、地獄をどう思うか?」と聞くと、キューブリックは電話口で黙り、彼は非常に硬く、異様な声で「私は地獄を信じない」と答えた。しかし、私自身は、幽霊は死を乗り越えるとしても、地獄に落ちると考えており、そう行動し、信じている者がいると考えている。そこからシャイニングは来ている。
小説のジャック・トラランスは複雑な性格で、霊や超常現象に怯えてはいるが、彼は基本的に共感でき、暖かい性格で、息子を悪霊から守る。対して、映画はあまりにも冷たい。スタンリーキューブリックは主人公を心霊現象として描いた。私は、その見解が基本的に違うと、見るたびに思う。私の小説ではホテルは火事になるが、映画ではホテルは凍りつく。それは暖かいか冷たいかという相違だ。
また映画のイメージはジャック・ニコルソンに強調され、廊下で彼のヒゲ面の狂った笑い顔が、"ジョニーが来たぞ"とアドリブで言うが、そのイメージが強すぎる。しかしそれは表面的なことで、それは私が書いたシャイニングの本質ではない。この映画は、まるで、美しいがエンジンがない車のようなものだ。
この動画で語られているように、スティーブン・キングは映画『シャイニング』に対して執拗に、何度も、批判を繰り返してきた。
以下にその論点をまとめてみよう。
@地獄が存在するか否か。
Aこの映画が小説の「ウォーム=暖かさ=情」を持っていず、あまりに「クール=非情=冷酷」である。
Bこの映画は強烈な映像イメージが前面に出すぎ、小説の本質とかけ離れている。
やはりこう整理してみれば、この映画と小説の相違は、世界観の相違に尽きると思う。
スティーブン・キングの原作の持つ基調は、勧善懲悪にあり、西洋キリスト教文明に在って善とは神であり悪とは悪魔を指す。
それを反映し、原作では「悪魔=地獄の住民=悪霊」に犯されそうになる、主人公のジャックはアルコール中毒で、さらに家庭内暴力を振るうような弱い人間として描かれている。
その弱さゆえに、本来は「神の子=人間=善」である存在が、悪霊に乗り移られてしまうと描かれている。
それに対して、息子ダニーやハロランが持つ「超能力=奇跡」とは神の能力であり、それゆえ悪に魅入られたジャックから、ハロランはその力でジャックの家族を救うのだ。
また、原作では、最後に主人公ジャックがダニーを助けようとする姿も見られ、これは悪魔に支配された弱き人間が、神の恩寵で改悛したと見るべきだろう。
こう見てみれば、総じて原作のドラマツルギーは、古典的なゴシックホラーを基調としており、そのテーマを新しいデザインで表現したものだと感じる。
つまるところ、スティーブン・キングが上で言う、「ウォームさ」や「地獄が存在する」という主張が、キリスト教的な道徳観が原作の基調としてあることを裏付けていると思える。
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『シャイニング』考察キューブリックの『シャイニング』 |
上で、原作が持つ世界観は、伝統的なキリスト教的道徳律により成立していると書いた。
それでは、キューブリック本人が「地獄の存在を信じない」と言い、原作者キングに「冷酷」な世界だと言わしめたこの映画は、何を表していただろうか・・・・・・・・・・・
前提として言えるのは、本質的にキューブリックは、宗教を信じていないのだろう。
それゆえ、原作では大きな役割を果たした、ダニーとハロランの超能力は作品中であまり機能していない。
また、この映画でも良く論争になる、一体この主人公ジャックは狂気に陥っただけで、霊もジャックの妄想なのか判然としないという声もある。
この点に関しては、霊が映画内で存在していると思えるのは、ジャックが外から鍵を掛けられた倉庫に閉じ込められた時、幽霊のグレディーがその鍵を外すシーンが証明していると思う。
幽霊は存在し物理的な力さえ発揮しているのだ。
そう思えば幽霊は存在するが、しかし、この主人公はその悪霊達に乗移られたというより、自由意志で家族を襲っているように思える。
たとえば、この主人公に宗教心があれば霊に遭遇したとしても、地獄の住人に魅入られた自分を、神が救ってくれるという逃げ道があったろうし、それこそが、スティーブン・キングの小説の主張だったはずだ。
しかし、この映画の主人公はキューブリックの主張を反映して、そんな霊を地獄や神と関連して捉えることをしない、一種の近代的な合理主義を体現しているように思える。
そして、その合理主義者の前に、不合理な「非科学的=非理論的」な世界が展開された時、近代人がいかに衝撃を受け、崩壊し、パニックに陥るかを描き出した映画が、この作品であるに違いない。
つまりは、神の加護も、勧善懲悪も、すでに信じられない現代人が、この霊的現象に遭遇した姿こそ、この映画の主人公に他ならない。
だからこそ近代合理を打ち崩された、自分の似姿を映画に見出し、人々は恐怖に震えるのに違いない。
つまりこの映画に表された、理不尽な、不条理な現象を前に、恐怖を感じるという事実こそが、現代人が合理という枠組みの中で、どれほど硬直し脆弱になっているかを示す実例であるはずだ。
キューブリックはその近代合理を否定するのに、言葉に依らず「感覚的=本能に近い」映像メディアを用いたからこそ、観客を無防備なまま不条理へと放り込めたのだろうと思わずにいられない。
関連レビュー:スタンリー・キューブリックの映画 『フルメタル・ジャケット』 キューブリックのベトナム戦争映画 戦争の非人間性を問う |
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