原題 The Thin Red Line 製作国 アメリカ 製作年 1998 上映時間 171分 監督 テレンス・マリック 脚本 テレンス・マリック 原作 ジェームズ・ジョーンズ |
評価:★★★★ 4.0点
太平洋戦争における転換点とされる、ガダルカナル島の闘いを、迫力たっぷりに表現した戦争映画です。
この映画のタイトル『シンレッドライン』は、様々な意味を内包した、実は深い題名なのではないかと思うのです・・・・・・
『シン・レッド・ライン』予告 |
『シン・レッド・ライン』解説タイトル意味 |
この映画のタイトル『シン・レッド・ライン=細い赤線』とは、大英帝国の軍隊の一部を形成した栄光のスコットランド歩兵部隊、1799年創設の第93歩兵連隊サザーランドハイランダーズを指す代名詞だ。
この部隊はクリミア戦争中の、1854年バラクラヴァの戦いとして知られる戦闘で、ロシア軍騎兵3,500人に対し、第93歩兵連隊550人の戦力で防衛陣を敷き、撃退した。
圧倒的な敵を前に、かろうじて支える赤い制服の部隊は、まるで細い赤い線のようで、この様子を見たタイムズ紙のウィリアム・H・ラッセルは記事に「細い赤い線は、尖った鋼鉄の線だった」と描写し、イギリス国内で大きなセンセーションを巻き起こした。
以後この「シン・レッド・ライン=細い赤線」は第93歩兵連隊を指すと同時に、イギリス王国軍自体や、歩兵部隊を表す代名詞となっているようだ。
またその戦闘の様子から、大群を迎え撃つ小集団、少数の勇敢な人々、少数精鋭、という英語慣用句として「シン・レッド・ライン」は使われるようになる。
更に転じて、「シン・ブルー・ライン=細い青線」は少数精鋭で困難にあたる警察官や消防士が、職務中に倒れた時のシンボルとして英語圏では一般的に使われているという。
そして、この「シン・レッド・ライン=細い赤線」から派生して、「レッド・ライン=赤い線」が防御線、越えられてはいけない線、限界線を意味するようになった。
上を踏まえてみた時、この映画の題名「シン・レッド・ライン」は、いくつかの意味が含まれているように思える。
米国・第25歩兵部隊を題材にしていることから、歩兵部隊を表現しているのは間違いない。
更には、レッド・ライン=危険な細い一線を、闘う兵士達の心情をも意味していただろう。
そして、当然優勢な敵に立ち向かう「少数の精鋭」という意味もあるかと思ったのだが・・・・・
ここではたと思い悩んだ。
いったい、アメリカ軍を少数と呼ぶべきものかという疑問である・・・・・・・・
そこで、実際の戦闘を以下に確認してみたい。
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『シン・レッド・ライン』解説ガダルカナル島の戦い |
真珠湾以降米軍の戦力が十分整わないうちに、日本軍は太平洋の勢力圏を拡大して行く。
更に制空権を広げるために、ガダルカナルに飛行場を建設する計画を立てた。
ガダルカナル島に進駐したのは、日本軍将兵の数およそ2200名。
しかしその内訳は、戦闘部隊は陸戦隊が400名足らずで、大部分が飛行場建設の労働に従事していた。
この兵力の少なさは、アメリカ軍が真珠湾の損耗から戦力を回復するまで、まだ一年はかかるだろうと想定していたことによった。
しかし、1942年8月7日アメリカ軍は、太平洋の反攻作戦をこの島から開始し、第1海兵師団19,000人と、それを護衛する空母3隻を中心とした50隻ほどの艦隊規模で上陸作戦を決行。
即日ガダルカナル島を占領した。
日本軍は制空権を活かし、ラバウル基地より航空兵力を発進させ飛行場を爆撃し、更にラバウルに駐留していた日本海軍第8艦隊を持って、アメリカ艦隊に夜襲をかけ、重巡洋艦4隻と駆逐艦1隻を撃沈した。(第1次ソロモン海戦)
そして、8月18日にガダルカナル奪還のため、グアム島駐留陸軍部隊一木大佐率いる、一木支隊900名が先遣隊として侵攻した。
敵・連合軍兵力を約2,000名と見ていた日本軍はこの900人と、後詰の部隊2500人で兵力は充分と見ていた。
現地の一木大佐は、先遣隊900名で簡単に飛行場を奪還できるとし、後続部隊2500人を待たず、夜間白兵突撃を命じた。
しかし、この行動は米軍の予期するところで、待ち構えた300丁以上の機関銃の十字砲火を浴び、司令官一木大佐以下ほぼ全滅する(日本軍戦死率85%)
その後を受けて9月7日にはパラオ駐屯の第35旅団、川口清健少将率いる川口支隊4,000名と一木支隊の第2梯団が上陸した。
川口支隊による第一次総攻撃が9月13日夜から14日未明にかけて、行われたが攻めきれず撤退。
10月24日夜、飛行場への第二次総攻撃開始し、再び撤退を余儀なくされる。
戦闘終了後の26日には師団参謀より飛行場「奪回は不可能」と大本営に連絡した。
この後も、佐野忠義中将率いる第38師団(の先遣隊)を送り込み、なおもガダルカナル島の戦いは1942年末まで継続する。
しかし、12月31日の御前会議において「継続しての戦闘が不可能」としてガダルカナル島からの撤退を決定した。
そして翌1943年2月1日〜7日、ガダルカナル島撤退作戦である「ケ号作戦」を実施し、生存兵、約1万名の日本軍兵士が島を後にした。
ガダルカナル島の戦いにおいて、日本軍が投入した累計戦力は約30,000人で、内20,000人が死亡している。
その死者の約15,000人以上が餓死、病死と記録されている。
ガダルカナル島の兵力は数字の上では約2〜3万名を数えるが、通常戦闘が可能な兵員は8,000人程度だったと言われる。
一方のアメリカ軍は60,000人の兵員を動員し、死者は戦死7,100名、戦傷7,100名となっている。
総括すれば、日本側にとってのガダルカナルは餓(ガ)島と呼ばれるように、物資不足と兵装不足の中にあり、闘いよりも命を維持する事が精一杯という中で戦闘を継続したのだった。
つまり、その戦いはアメリカ軍の圧倒的な数的・物理的優位のもとで、常に繰り広げられたのである。
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『シン・レッド・ライン』解説再びタイトルの意味を問う |
上で述べたこの犠牲を前に、この映画が語る「神はこの地獄をなぜ許すのか」という設問に対する解が、見つかるとは思えない。
しかし、絶対者の創造したこの世界の現実だと思えば、そこに「神の意志」を探さざるを得ない。
その全知全能、無謬の神が許した「戦争」の存在は、それが生じる必然があるはずだと、信者なら思うはずだ。
だが、その惨たらしく理不尽な大量の殺戮を正当化する「理由」は、この激しく陰惨な戦闘シーンを前にして見出せるだろうか。
もちろん、その試みは無為に帰す。
戦争を肯定できるいかなる言葉もありはしない。
それでも、この映画のラストシーンでは、最後に一つの希望を描く。
しかし、そこに論理的な説明はない。
戦争という「絶対悪」を生きている者達を前にしては、「神=善の絶対」を盲目的に信じる以外の道はないからだ。
しかしその「信念」は、この世の地獄を前に、揺らぎ、崩落寸前であるように、この兵士達のモノローグを聞けば感じざるを得ない。
そこで、この映画の題名『シン・レッド・ライン』の、真の意味に気づいたように思う。
先にこのタイトルが、圧倒的なアメリカ軍をさして「少数精鋭」や「少ない数で圧倒的な敵
に、勇敢に立ち向かう者」という意味は、不適切ではないかと指摘した。
しかし、その「少ない数で圧倒的な敵に、勇敢に立ち向かう」という意味は、戦争という「絶対悪」を前にして、苦悩し絶望しても、それでも勇敢に「信仰=神の絶対」を必死に守る、この映画の兵士達の姿だったに違いない。
この世が地獄であると感じた兵士達が、それでも生きる為には「神」というギリギリの線「レッドライン」を保たざるを得ないと語っているに違いない・・・・・・・・・・
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