『ディア・ハンター』(感想・解説 編)
原題 The Deer Hunter 製作国 アメリカ 製作年 1978 上映時間 176分 監督 マイケル・チミノ 脚本 デリク・ウォッシュバーン 原案 マイケル・チミノ/デリク・ウォッシュバーン/ルイス・ガーフィンクル/クイン・K・レデカー |
評価:★★★ 3.0点
この映画は、ロシアン・ルーレットの脚本が先にあり、後ベトナム戦争の部分を加えたといいます。
そんな経緯ゆえに、どこか混乱した映画になっているようにも思います。
以下の文章では、そんな混乱の跡を、批評家の相反する意見や、物語のテーマ性と表現された内容との不整合を確認できたらと考えています。
『ディア・ハンター』予告 |
『ディア・ハンター』出演者 |
マイケル(ロバート・デ・ニーロ)/ニック(クリストファー・ウォーケン)/スチーブン(ジョン・サヴェージ)/スタンリー(ジョン・カザール)/リンダ(メリル・ストリープ)/ジョン(ジョージ・ズンザ)/スチーブンの母(シャーリー・ストーラー)/アクセル(チャック・アスペグレン)/ジュリアン(ピエール・セグイ)/アンジェラ(ルターニャ・アルダ)/プリースト(ステファン・コペストンスキー)
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この映画のタイトル、『ディア・ハンター=鹿猟師』の意味するモノが何なのだろうと、考えてきました。
主人公のマイケルは猟をするなら、鹿を
「1発で」仕留めると言います。
このマイケルの猟における「1発」とは、自ら猟の難易度を上げ、ゲーム性を高めるための自らに課したルールだという気がします。
つまり、マイケルにとって『ディア・ハンター=シカ猟師』になるとは、命を取るゲームを楽しむ存在になることを意味していたのだろうと思います。
これは、アメリカ人であれば、自然の中のレジャーとして釣りやキャンプと同様、誰もが楽しむ娯楽であり、そんな普通のアメリカ青年として描かれているように思います。
そんな、命をもてあそぶような遊びをしていたマイケルが、ベトナム軍の捕虜となります。
そして、命をもてあそばれる「ロシアンルーレット」というゲームで、自らも殺される側=鹿の立場になります。
そして、その鹿に向かって語っていた「1発」で命を失う事の重さを、身に染みて知ることになります。
それは、ベトナムを経験したニックやスチーブンにも同様に生じた、重い真実でした。
彼らは、命が危険さらされることで、精神肉体に傷を負い、命を失う事、奪う事、の異常さに気が付いたのだろうと思います。
それゆえ、ベトナムから帰った後のマイケルは、猟に行っても鹿を撃つことはできません。
結局、この映画の主題は、命をゲームのようにやり取りする事の異常さを描いているのであり、その象徴が「鹿狩り」であり「ロシアンルーレット」だと思います。
そんな異常な命のやり取りを、国家が主体となってする場こそ「戦争」なのです。
この映画の、典型的なアメリカ労働者階級の若者たちは、命を「ゲーム=鹿狩り」として奪う事に無頓着に育ちました。
そして、国家の理論による「ゲーム=戦争」によって、命を奪う事の異常さを知る物語だと思います。
以上から考えれば、この映画はそんな「無自覚なアメリカ人」に「戦争」というゲームの異常さを知らしめるための作品だと、感じました。
そんなテーマから見れば「反戦映画」だと思いますが、この映画に関しては単純にそう言い切れない所を、個人的には感じてしまいます・・・・・・・
『ディア・ハンター』解説脚本の混乱 |
実を言えば、この映画の脚本はルイス・ガーフィンクル、クイン・K・レデカーによる原案からスタートし、当初ラスベガスでロシアンルーレットをするという物語でした。
これを、プロデューサーのマイケル・ディーリーらの判断により、後からベトナム戦争が舞台に置き換えられたそうです。
そして、この映画の脚本はデリク・ウォッシュバーンとなっていますが、実はマイケル・チミノ監督と共同作業で進めながら、両者の間で相当に揉めたそうです。
そして、最後は裁判にまでもつれ込んで、結局、脚本デリク・ウォッシュバーンとなり、原案がマイケル・チミノ、デリク・ウォッシュバーン、ルイス・ガーフィンクル、クイン・K・レデカーの四人になるという混乱ぶりです。
そんな脚本の迷走ぶりが、個人的には「命を巡るテーマ」と「ベトナム戦争の要素」に分離し、メッセージが混乱しているようにも思うのです。
以下その例を・・・・・・・・
ベトナムでのロシアンルーレット |
AP通信のピューリッツァー賞受賞記者ピーター・アーネットは、ベトナム戦争でロシアンルーレットが行われたという証拠はない、ベトコンのロシアルーレットと捕虜の使用は、非現実的であると批判した。
対して、監督チミノはシンガポールのニュースで、戦争中ロシアン・ルーレットが行われたという記事があったと主張していますが、そのニュースは確認できていないようです。
しかし、後からベトナムのシーンを追加したと思えば、ロシアン・ルーレットが非現実的だというのも、当然だと思えます・・・・・・・
批評家の相反する評価 |
公開当時の評論として、肯定的な意見が多かった半面、ベトナム人の描き方が「第二次世界大戦当時のプロパガンダ映画の日本人のようだ」と言われたり、「ベトナム戦争に対する批判がない」と批判もされました。
また、ラストの「ゴッド・ブレスアメリカ」は、「愛国主義に対する批判なのか、そうでないのか」で批評家の間で論争になったと言います。
ここにも、脚本設計の混乱が、矛盾するメッセージとして発せられた結果のように感じます。
関連レビュー:ベトナム戦争の内幕を描いた映画 『プラトーン』 オリバー・ストーンの自伝的物語 ベトナム戦争の敗北の真実 |
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『ディア・ハンター』受賞歴 |
第51回アカデミー賞:作品賞・監督賞・助演男優賞・音響賞・編集賞
第33回英国アカデミー賞:撮影賞・編集賞
第36回ゴールデングローブ賞:監督賞
第44回ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞・助演男優賞
第13回全米映画批評家協会賞:助演女優賞
第4回ロサンゼルス映画批評家協会賞:監督賞
第53回キネマ旬報ベスト・テン :外国語映画部門第3位/読者選出外国語映画部門第1位
第22回ブルーリボン賞:外国作品賞
第3回日本アカデミー賞:最優秀外国作品賞
メリル・ストリープとジョン・カザール |
メリル・ストリープ
1977年、ストリープはアントン・チェーホフ作の『桜の園』の舞台に立つ。彼女の演技に目を止めたデ・ニーロの推挙によりストリープの出演が決まった。映画の撮影は1977年6月20日に始まったが、その時点で公開されている映画の中でストリープが出演している映画はまだ一本もなかった。
ジョン・カザール
カザールとストリープは1976年の舞台『尺には尺を』での共演がきっかけで知り合い、製作当時はロマンチックな関係にあった。撮影前に癌を患い製作会社は彼に降板を催促したが、チミノやデ・ニーロ、ストリープらが「カザールが降板するなら自分も降板する」と主張したことで降板は免れた。カザールは公開を待たずに1978年3月12日に死去。なお、カザールが生涯出演した5本の映画すべてがアカデミー賞にノミネートされており、そのうち本作品を含めた3本が作品賞を受賞したこととなった。(wikipediaより)
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