2017年09月06日

映画『ディア・ハンター』ベトナム戦争のトラウマ/ネタバレ・ラスト・結末感想・評価・批判

『ディア・ハンター』(ネタバレ・ラスト 編)



原題 The Deer Hunter
製作国 アメリカ
製作年 1978
上映時間 176分
監督 マイケル・チミノ
脚本 デリク・ウォッシュバーン
原案 マイケル・チミノ/デリク・ウォッシュバーン/ルイス・ガーフィンクル/クイン・K・レデカー

評価:★★★   3.0点



この映画はベトナム戦争によって傷付いた、アメリカの痛みを悼む映画だと感じました。
この映画は「反戦テーマ」となるべき物語を持っていたにも関わらず、そうなっていない点に、ある種の混乱を見る思いがします。

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『ディア・ハンター』予告

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『ディア・ハンター』出演者

マイケル(ロバート・デ・ニーロ)/ニック(クリストファー・ウォーケン)/スチーブン(ジョン・サヴェージ)/スタンリー(ジョン・カザール)/リンダ(メリル・ストリープ)/ジョン(ジョージ・ズンザ)/スチーブンの母(シャーリー・ストーラー)/アクセル(チャック・アスペグレン)/ジュリアン(ピエール・セグイ)/アンジェラ(ルターニャ・アルダ)/プリースト(ステファン・コペストンスキー)
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以降の文章には

『ディア・ハンター』ネタバレ

を含みますので、ご注意下さい。

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(あらすじから)
敗戦目前の沸き返るようなサイゴンで、マイケルはニックを地下の賭博場で見つけた。
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あのロシアン・ルーレットのプレーヤーとして、勝ち続けていたが、その魂は荒廃しきっていた。
マイケルが帰ろうと呼びかけても、ニックは虚ろな目で見返し、マイケルに唾を吐きかけるしまつだった。

マイケルは、ニックの魂を呼び戻し、アメリカに連れ帰るために、自らがロシアン・ルーレットの対戦相手となって、必死に友に語りかける。
【意訳】マイケル:止めろ。(ニック引き金を引く)これがお前の求めてるものか?お前はこうして欲しいのか?愛している、ニック。なあ、家に帰ろう。もう、家に帰ろう。生まれた町へ。俺と、喋ってくれ。ニコラス、何か言え。ニック、ニック。ちょっと待て、ニック。お前、腕をどうしたんだ?ニック、お前はそれぞれ違った形の木々を覚えているか?思い出すだろ?なあ?/ニック:山か?/マイケル:全部思い出したろう?/ニック:ああ、一発か?/マイケル:一発だ。一発。/ニック:ああ(笑い、撃つ)/マイケル:ニッキー!ニッキー!ダメだ!ダメだ!

ニックの顔に微笑みが浮かび、懐かしい山の記憶を蘇らせた。
しかし、引き金は引かれ、銃は轟音と共に銃弾を吐き出した。
マイケルはニックを抱き抱え、賭博場の中で泣き叫ぶ。

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『ディア・ハンター』ラスト・シーン


マイケルは、出征前の約束通りニックを故郷へ連れて帰った。
生まれ故郷で、ニックの葬儀が営まれた。
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弔いの後、みんなはジョンの店に集まる。
ジョンが「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌い始めた。

そして、いつしかみんなが合唱し、歌い終わってマイケルとリンダは微笑み合う。
マイケルが「ニックに」とグラスを上げると、それに応えて皆がグラスを掲げた。


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『ディア・ハンター』結末感想


このラストシーンには、正直感動しました。
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これは前半の1時間に及ぶ、アメリカの日常と、鹿狩りの静けさが、ベトナムの狂気の描写を盛り上げているからこそ、初めて得られるカタルシスだろうと感じます。

そういう意味では、映画技術としては完成しており、更に演技者たちの鮮烈な演技が、この作品のクオリティーを一段高く、鮮烈にしているでしょう。
率直に言って、この映画はアメリカの独善的な主張を含んでいると思いますが、それでも感動したのは映画的な表現力の高さゆえだと思います。


『ディア・ハンター』評価


映画表現としては、☆5を上げたいと思うのですが・・・・・・・・・
いかんせん、表現されたメッセージがアメリカにとって、独善的な主張であると感じられて☆をマイナス2しました。

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<『ディア・ハンター』感想編>でも書きましたが、ロシアン・ルーレット、鹿狩りが表したのは、「アメリカの無邪気な青年が、ベトナムで命の重さを知る」物語だと解釈しています。

しかし、この結末を素直に見れば、ニックというベトナム戦争で命を散らした若者を、国に殉じた者として悼むものだと見えます。
ここに、愛国心に対する皮肉や、冷笑を私は感じませんでした。
それゆえ個人的な印象としては、このラストが示したのは「ベトナムで死んだり、傷ついたりした、アメリカに殉じた若者たちを悼む」映画だと告げているように思います。

だとすれば、ここに語られた「命の尊さ」は「ベトナムで死んだアメリカ兵」に対してのみ語られたモノになってしまうでしょう。
しかし本来、この映画が語った「命の尊さ」が向かう先は、命を奪う戦争の否定であったはずであり、「反戦映画」として成立すべきだったはずです。


やはりここには、脚本としての混乱を見出さざるを得ません・・・・・・・

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この映画は「命の重さ」のメッセージを内包した脚本であっただけに、ベトナム戦争のアメリカ兵、ベトナム兵、ベトナムの民間人、全ての喪われた命を悼む映画「反戦映画」になるべきだったと思えて、評価を下げました。


また作り手としても、当時のアメリカの国内状況もあって、「ベトナムで死んだアメリカ兵」のみを悼む必要があったのかもしれないとも想像します。

しかし、この映画を反戦映画にするには、この「ゴッド・ブレス・アメリカ」をマイケルが途中で断ち切って、仲間の歌「Can't Take My Eyes off You」を歌うだけで、十分その反戦メッセージは伝わると思うのですが・・・・・・・

仲間たちと歌う「Can't Take My Eyes off You」


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posted by ヒラヒ at 17:36| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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