『レヴェナント:蘇えりし者』(感想・実話モデル 編)
原題 THE REVENANT 製作国 アメリカ 製作年 2015 上映時間 157分 監督 アレハンドロ・G・イニャリトゥ 脚本 マーク・L・スミス、 アレハンドロ・G・イニャリトゥ 撮影監督 エマニュエル・ルベツキ 音楽 坂本龍一 |
評価:★★★★ 4.0点
この映画は、アメリカの伝説上の人物ヒュー・グラスをモデルに描いた、レオナルド・ディカプリオのアカデミー賞受賞作です。
この映画の持つ迫力は、映画のドラマとしての強さ以上に、ディカプリオの壮絶な執念が演技に乗り移っているように思います。
ここでは、この映画の語るメッセージと、実在モデルのヒュー・グラスの史実を描かせていただきました。
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『レヴェナント:蘇えりし者』予告 |
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『レヴェナント:蘇えりし者』出演者 |
ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)/ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)/アンドリュー・ヘンリー(ドーナル・グリーソン)/ジム・ブリッジャー(ウィル・ポールター)/ホーク(フォレスト・グッドラック)/アンダーソン(ポール・アンダーソン)/マーフィー(クリストッフェル・ヨーネル)/ポワカ(メラウ・ナケコ)/ヒュー・グラスの妻(グレイス・ドーヴ)
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『レヴェナント:蘇えりし者』感想 |
レヴェナントとは、フランス語のRevenir(ルヴニール:戻る)の名詞形REVENANT(ルヴナン:戻る者)から派生し、英語的語彙としてはネィテイヴでも聞きなれない言葉だと言います。
しかし、英語のREVENANTには「死からよみがえった者」転じて「幽霊」という意味があり、それはこの映画の本質を言い表しているように思います。
この映画で描かれた、峻厳で広大な不毛の大地を見るとき、自然の中でかじりつき、へばりつき、人々がようやく命を維持してきたのだと教えられます。
幾千もの人々が、この過酷な自然に打ち負かされ、アメリカの大地に朽ちていったはずです。
その先人達の犠牲を乗り越えて、今のアメリカの開拓があったのだという事実こそ、この映画の陰鬱な自然の示すものだったのでしょう。
しかし同時にこの映画を見ているうちに、人がこの自然から生きることを許されるためには、自然に対し敬虔になり、人間としての思い上がりや、傲慢さを捨て去ることで自然が受け入れてくれるのではないかと思えてきました。
そんな概念は「原始宗教=アニミズム」に通じるものであり、森羅万象に神を見出すことの重要性が語られているように思います。
そんなアミニズムの考えは、生死が明瞭な、
更に過酷な不毛の自然、砂漠で生まれた一神教「キリスト教・イスラム教」とは違う世界観だと感じます。
砂漠で生を得るには、人智で不可能を可能にする、知性や能力、そして強い意志が必要不可欠でしょう。
それは必然的に、貧弱な自然を人工的に住める世界に改変する、人間が主体となった世界の再構築だったように思います。
しかし、もう少し豊かで変化にとんだ自然を持つ地域では、自然に対して従順であり素直であれば、生きることを許してくれる懐の深さがあります。
そんな「アニミズム」を生きた者達こそ、アメリカ先住民=インディアンだったのです。
そして、アメリカ先住民が共生してきた「アメリカ大陸の自然」を破壊したものこそ、キリスト教文明の法則に則った、人智による自然世界の改変の意思にあったのだと思います。
教会の夢のシーン
このシーンは、死んだ息子と再会する夢のシーンです。
壊れた教会はキリスト教世界の不完全さを表し、そこに悲しげに立つ息子ホークは、そんな西洋文明に殺された犠牲者だというメッセージに思えます。
もう一度言いますが、そんなキリスト教的な人工的な世界を生んだ砂漠に対し、この映画の自然は負けず劣らず過酷で悲惨な環境だと見えるかもしれません。
しかし、この映画の自然を見る内に、その木々の揺らぎや、川の流れ、大地に沈む太陽の中に、明らかな生命の輝きや美しさを感じるはずです。
その雪に閉ざされた酷寒の大地に、間違いなく命が豊穣に息づいていることに気付くはずです。
そんな自然の持つ生命力の中で、主人公がキリスト教的な西洋文明の行動原理から、自然による洗礼を経て、インディアン的なアニミズムを身にまとって復活したことの象徴だと思えます。
そして、主人公と共に映画を進む観客にも、いつしかは自然とは奪いもするが与えもするのだという「アニミズム的」感性が生じるのではないでしょうか。
つまり主人公は、白人移植者としてのキリスト教的世界から殺され、霊魂となってアニミズム的な命を携え復活したからこそ、この映画の題名は『レヴェナント=死から蘇った幽霊』なのだと感じました。
この主人公はアメリカ大陸の自然を乗り移らせた、ゴーストとして西洋キリスト教文明に復讐する姿だと思えてなりません。
(右:映画内で描かれる乱獲されたアメリカバイソンの骨)
白人が移入する以前のアメリカバイソンの生息数は約60,000,000頭だったものが、1890年には1,000頭未満まで激減したとのことです。
またアメリカ先住民=インディアンも、ヨーロッパ人が1492年に上陸する前、約5千万人いたという説がありますが、今アメリカ国内でのインディアン人口は約228万(1996年の推計)に減少しています。世界的に人口が増加する中で、95%もの減少率に慄然とします。
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『レヴェナント:蘇えりし者』解説ヒュー・グラス実話 |
デカプリオ演じるヒュー・グラスは実在したヒュー・グラスとは本質的に異なる点があるように思います。
ヒュー・グラス(Hugh Glass、1780年頃 – 1833年)はアメリカ西部開拓時代のフロンティアの罠猟師で毛皮商、探検家。
ペンシルベニア州のスコットランド系移民の家庭に生まれ、ミズーリ川沿いに現在のモンタナ州、ノースダコタ州、サウスダコタ州およびネブラスカ州のプラット川にわたる地域を探検した。
ハイイログマに襲われて重症を負い旅の仲間に見捨てられながらも生還した話は長い年月にわたり語り継がれ、『Man in the Wilderness』(1971年) および『レヴェナント: 蘇えりし者』 (2015年) として映画化されている。(wikipediaより)
この人の伝説はアメリカの『トールストーリー(ほら話)』の色を帯びて、話が大きくなっている部分が有るのは間違いないでしょう。
関連レビュー:アメリカン・トール・テール解説 『フォレスト・ガンプ』 大らかなホラ話の映画 トム・ハンクスのアメリカ現代史 |
特にクマに襲われる前には、眉唾の話が多くなります。
メキシコ湾の海賊船長ジャン・ラフィットに捕えられ、海賊になったという話があります。(右:ジャン・ラフィット)
2年の間海賊を強要され、その船から泳いでテキサス州ガルベストンに逃げたとか、その後はアメリカ先住民ポウニー部族に捕らえられ、数年間住み、そこでポウニーの女性と結婚したとか伝えられています。
先住民と暮らしていた話は1821年にミズーリ州セントルイスで開かれたアメリカ合衆国当局との会合に、グラスがポウニー族代表団と同行したといいますから事実とも思えます。
この点は映画の先住民を妻としているという描写につながっているかもしれません。
以下映画で描かれた時代に入って行きます。
1822年、ウィリアム・ヘイリー・アシュレー将軍が「毛皮貿易を目指しミズーリ川を船でさかのぼる探検隊の100名公募」をし、それに応じた一人のがヒュー・グラスです。
(ただし、息子を伴ってはおらず、この部分は映画の創作です。)
この隊はジョン・S・フィッツジェラルド(映画の敵役フィッツジェラルドのモデル)、それにジェフ・ブリッジス(映画でフィッツジェラルドと共にグラスを置き去りにする若者ブリッジャーのモデルと思われている)などを含む「アシュレー百人隊」と呼ばれることになります。
当時毛皮取引は大きな利益を産む成長事業だったので、何とアシュレーは3年間で「1億8800万ドル相当の毛皮を集めた」という凄まじさです。
そんな利益を求め白人移植者たちは、先住民との摩擦が生じても乱獲に走ったといいます。(右:狩られたバイソンの骨)
探検隊はアリカラ族の戦士たちに襲撃され(映画冒頭の戦闘シーン:1823年アリカラ戦争)、グラスは足を撃たれています。
ことの発端はアシュリー隊がアリカラ族の村で、火薬と馬を売買した時に、部隊の一人がアリカラ族の女性を口論の末、殺害してしまったからです。(右:)
(映画では冬となっていますが、実際は1823年5月末、つまり春でした。)
ヒュー・グラス移動地図
この戦闘を受け、一度キオワ砦に戻った「アシュレー百人隊」は、アトキンソン砦の米軍兵士240人の隊員と反撃し、更に1823年8月にはラッパー砦と多くのスーインディアンで補強された兵力で、アリカラ族を攻撃しました。戦闘終結後、アリカラ族の指導者の一人が殺され、和平交渉がなされ、アリカラは村を捨てて去ることになります。
その翌朝、村は米軍により焼き払われました。
この後、アンドリュー・ヘンリーを隊長とする14名の部隊は、イエローストーン川上流に向けに陸路を進みます。そして、このヘンリー隊に加わったグラスは1823年の8月、パーキンス郡グランド川の支流の近くで獲物を探している時、2頭の子を連れたグリズリーに遭遇し、襲われます。重傷を負うったものの、幸いにも狩猟隊のメンバーの助けがあり、クマを倒し命は取り留めました。
しかし、2日に渡りグラスを帯同し旅をした隊は、移動ペースが大幅に遅れました。リーダーのヘンリーは、グラスが息を引き取るのを見届けて埋葬する者をふたり募り、ジョン・S・フィッツジェラルドと後に「ブリッジス」と呼ばれる人物が進み出たといいます。フィッツジェラルドと「ブリッジス」は5日間待ってから、グラスのライフルやナイフ、携帯品を持って去り、隊に追いつくとグラスが死んだと嘘の供述をしました。
(映画では「ブリッジス」がJim Bridger:ジム・ブリジャーとなっていますが、このジム・ブリジャーは山岳探検家として有名になる人らしく、実は違う人物ではないかという主張もあります。)
後に二人はアリカラ族の攻撃に合い、止むを得ずグラスを置き去りにしたと弁明をしたそうです。
(この弁明は、アリカラ族との敵対関係を考えると、まんざら嘘でもないように感じます。映画にもあるように、見つかれば確実に襲われたはずですから)そして、意識を取り戻したグラスは、武器も旅の道具もなく、片足は骨折し、肋骨が見えるほどの深い傷を負いながら、ミズーリ川沿いのキオワ砦まで200マイル(320キロ)を走破します。
グラスは自ら脚の骨を接ぎ、仲間が置いて行ったクマの毛皮で体を覆い、傷の壊疽を避けるため、敢えてウジに腐敗した己の肉を食べさせたといいます。
全行程6週間の間、彼は野生の果実や根、昆虫、死んだ動物の死体など、見つけたものは何でも食べ生き伸びました。
またある時は、バイソンの子供を仕留めた2 頭のオオカミから獲物を奪い、生肉を口にしました。サンダー・ビュート山を進む方向の目印として歩を進め、9月の終わりには燃え尽きたアリカラの村に辿り着き、そこでトウモロコシを見つけたそうです。
村の滞在中、先住民スー族が彼を発見し、スー族の村に移動し世話され、健康を回復しました。
そんなスー族の助けもあり、グラスは筏で川を下り1823年10月8日にキオワ砦に戻ることができました。キオワ砦についた3日後、先住民マンデリン族との交易の旅に参加しますが、幾日もしないでアリカラ族の襲撃を受け、グラスと他一名だけがマンデリン族の庇護のもと助かりました。
インディアン社会でも、グラスはグリズリーに勝ちアリカラにも殺せない英雄として有名で、11月までマンデリン族は彼を歓待し旅立たせなかったといいます。ようやく村から出たグラスは、雪の中アリカラの襲撃を警戒しつつ、雪洞に寝て、確かな地図もない状態で、一ヶ月の間深い雪原を歩いて旅しました。
彼は1823年12月の第2週に、ヘンリー隊長とその部隊がいるはずのヘンリー砦に到着しました。
しかし砦はもぬけの殻で、新たな砦はビッグホーン川の上流に移動したとメモが残されていました。グラスは再び旅立ち、12月末に新しいヘンリー砦に到着し、グラスは「ブリッジス」を発見します。
しかしグラスは、映画の通り若い彼を許してやります。
そして、自らはその後アシュレーの狩猟隊に再入隊し、1824年3月27日にはヘンリーによって、彼と他の4人と共にアシュレーのいるセントルイスに派遣されました。
その道中、アリカラ族に襲われ2名が殺害され、グラスも死んだという新聞報道がなされたそうです。
その後グラスは、フィッツジェラルドがネブラスカ州のアトキンソン砦に駐留しているアメリカ陸軍に入隊したことを知ります。彼はフィッツジェラルドを追い、1824年6月下旬軍隊を訪ねます。(右:アトキンソン砦)
グラスはアトキンソン砦の隊長に、フィッツジェラルドを殺すつもりだと言います。対して、隊長ベネット・ライリー大尉は、もし殺すなら「グラスを逮捕し縛り首にする」と通告します。
アメリカ合衆国兵士を殺せば、軍によってグラスも処刑されると伝えたのです。
ライリー大尉は、グラスが殺害を断念したのを見て、二人を面会させフィッツジェラルドが盗んだホーケンライフルをグラスに返却させます。そしてグラスはフィッツジェラルドに、軍隊にずっと留まり外に出るなと警告したそうです。
さらに一説によると、グラスはこの時300ドルを受け取ったとも言います。(右:ホーケン・ライフル)
自分を置き去りした2人との面会を果たした後、グラスは罠漁師の生活に戻ります。
しかしまたもや1825年、ロッキー山脈でショショニ族の矢を背中に受け、川を経由し700マイルを移動し命を取り留めます。そしてとうとう1833年に、イエローストーン川でアリカラ族の待ち伏せを受け、行方不明となります。
その数日後、アリカラ族の者がグラスの体の一部を持っている所を、グラスの友人が目撃しており、グラスは長年の仇敵アリカラ族によって命を絶たれたと考えられているそうです・・・・・・・
いや〜大変ですね〜
1800年代のアメリカは、いつどこで命を落とすかわからない、危険に満ち溢れた野蛮な世界だったという事が良く分かります。
1800年代といえば、フランスではナポレオンが死んだ頃で、日本では享保の改革が進み、イギリスではワットが蒸気機関を発明した頃ですが、そんな世界情勢の中でもアメリカの未開度は、植民地的な混乱を持って際立っているように思います。ともかく、以上の歴史的な資料を元にした物語と、映画を較べてみれば、映画が語ろうとしたドラマの本質が見えてくるように思います。
映画が明らかに事実と異なるのは、以下の点です。
ヒュー・グラスに子供はおらず、子供がフィッツジェラルドに殺されてもいない。
(映画ではフィッツジェラルドに子供を殺されている)
クマに襲われたのは8月で、夏だった。
(映画では真冬の酷寒の大地)
スー族に長期に渡り助けられた。
(映画ではほぼ一人で乗り切った)
フィッツジェラルドに復讐していない。
(映画ではフィッツジェラルドと血みどろの戦いを繰り広げる)これらの差異が生じた理由を考えてみると、全ては「ドラマ=対立構造」を強化する方向に向かっていることが分かります。
しかし、感想で述べた自然と人間との相克、西欧文明と自然破壊のテーマを描くのならば、ここまで過剰に人の憎悪を描く必要はなかったと思います。
結局、この映画の目的はただ一点。
オリジナル物語がどうであろうと、映画としてのテーマがなんであろうと、それらが必要とする以上に、レオナルド・ディカプリオを引き立たせることに主眼があったと感じてしまったのです・・・・・
この映画の過剰な、痛々しい、悲痛な、過酷な、限界ギリギリの、狂気すらほの見える、ディカプリオの演技は、オスカーに対する狂おしい情念が生み出した、役者の執念の凄味に溢れていると感じました。
ディカプリオとオスカーの物語を下に書かせていただきました。========================================================
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ありがとうございます(^^)正直、このあとディカプリオ様のテンションが持つかと心配です。引退とか言いそうな・・・・・・個人的には、西欧の植民地支配の影響と自然破壊はリンクしていると思います。日本の割りばしも相当ジャングルを減少させたようですが💦