2017年06月07日

トム・ハンクス主演映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』アメリカ現代史の証人/歴史・実話・事件の解説

フォレスト・ガンプ(実話・事件 編)


原題 Forrest Gump
製作国 アメリカ
製作年 1994
上映時間 142分
監督 ロバート・ゼメキス
脚本 エリック・ロス
原作 ウィンストン・グルーム

評価:★★★☆  3.5点



この映画は、トム・ハンクスの演じる主人公が、アメリカの現代史の現場を駆け抜けるような映画です。
フォレストガンプというキャラクターは、原作者のウィンストン・グルームの創造した架空の人物ですが、語られている事件は、アメリカ現代史を彩る歴史的事件です。
そんなフォレスト・ガンプが関わった歴史や事件を、簡単ながら説明・解説させて頂きたいと思います。
film1-blk-ue.jpg

『フォレスト・ガンプ』予告動画

film1-blk-ue.jpg
film1-blk-ue.jpg

『フォレスト・ガンプ』解説

アメリカ現代史・実話とフォレスト・ガンプ


この映画の時代背景は、1950年代から90年代にかけてのアメリカ現代史とシンクロしています。
また、ロバート・ゼメキス監督が「バック・ツー・ザ・フュチャー」で使った、主人公が歴史を変えるという手法を、さらに大胆に、見事な特殊映像効果を使って、効果を上げていると思います。
以下、私が気が付いたトピックスを紹介させていただきます。

Film2-GrenBar.png

フォレストの名前はクー・クラックス・クラン(KKK)の創設者、ネイサン・ベッドフォード・フォレスト将軍から由来しているそうです。
クー・クラックス・クラン

僕が赤ん坊のときママは南北戦争で英雄になる、ネーサン・ベットフォード・フォレスト将軍から名前をつけた。ママは僕たちが血がつながっていると言ったが、彼はクー・クラックス・クランというクラブを作った。彼等はローブとベッドシーツで着飾ってユーレイのマネみたいな事をする連中だ。馬にもシーツをかぶせて走らせた。何にしろそれがフォレストの由来だ。ママは、人間はバカなことをすると戒めるため、僕の名前をフォレストにした。

クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)はアメリカの秘密結社、白人至上主義団体である。
主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ、神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。
(wikipediaより)


フォレストが子供の時、母親が下宿屋をしていた。
そこに若き日のプレスリーが宿泊し、フォレストの歩き方に興味を覚えた。
エルヴィス・プレスリー

【意訳】ママ:フォレスト。私はこのステキな若い方を煩わせないでって言ったでしょ。/エルヴィス:いえ。大丈夫です。お母さん。ちょっとギターで幾つか見てもらったんです。/ママ:分かりましたわ。朝食が準備できました。よろしければお食べになって。/エルヴィス:ええ。嬉しいです。ありがとうお母さん。(ドアが閉まる)そのイカレてる、ステップを見せてくれ。今度はゆっくり。(フォレスト・ナレーション:僕は音楽に合わせて体を動かし、お尻を振った。ある日買い物に出て電気店の前を通りかかってビックリした。)ママ:子供は見ないの。(フォレスト・ナレーション:その若者はやがて"キング"と呼ばれ、歌を歌いすぎて、心臓まひを起こしたとか、たぶん"キング"は大変なんだね)

エルヴィス・プレスリー
エルヴィス・アーロン・プレスリー Elvis Aron Presley, 1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカのミュージシャン、映画俳優。
1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、バディ・ホリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大な影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。(wikipediaより)


フットボールで大学進学した先は、アラバマ州立大学だった。1963年にアラバマ大学への二人の黒人学生の入学をめぐる事件の現場にフォレストは立ち会った。
アラバマ州立大学黒人入学問題


フォレスト:アール、どうしたんだ?/アール:黒人(Coon)が大学に入ろうとしてるんだ。/フォレスト:Coon?ラクーン(アライグマ)がポーチに来た時には、ママはほうきで追い払ってた。/アール:アライグマじゃない、バカ、黒人共さ。奴らは一緒に俺たちと、大学に通いたいんだと。/フォレスト:僕たちと?彼らが?/TV:廊下をブロック…ケネディー大統領は国防長官に軍の出動を命じました。ここにあるビデオテープは、州兵のグラハム将軍とウォーレス知事が対峙しております。(ウォーレス知事演説)/TV:そして、日の終わりで、タスカルーサのアラバマ大学は差別を撤廃しました。そして、学生ジミー・フッドとビビアン・マローンは夏のクラスに入学しました。/フォレスト:ちょっと、本落したよ。

アラバマ州立大学黒人入学問題アラバマ州知事ジョージ・ウォレスが、南部白人層の人種差別的な民意を背景に大統領令により認められた、2人の黒人学生ジェームズ・フッドとヴィヴィアン・マローンのアラバマ大学入学を阻止しようとしたもの。大学周辺を州兵で固めて自ら大学の門の前に立ちはだかった事件。
時の大統領ジョン・F・ケネディは2人の黒人学生に、政府特使を付き添わせ、大統領布告を読み上げて認めさせた。


アメリカ公民権運動は1950年代〜1970年代にかけて、アメリカを二分する問題だった。
関連レビュー:人種差別の歴史
『招かれざる客』
黒人と白人の結婚物語
アカデミー賞に輝く名作

Film2-GrenBar.png
スポンサーリンク


Film2-GrenBar.png

フットボールのアメリカ代表になったフォレストは、ホワイトハウスでケネディ大統領と握手をする。
ケネディ大統領


ジョン・F・ケネディ大統領
1961年当選。彼の在任中は公民権運動が盛り上がりをみせ、国外ではベルリンの壁やキューバ危機で冷戦構造が決定的になる。ベトナム戦争が本格化の様相を示し、ケネディーはベトナムから撤退を模索していたとされる。しかし彼はテキサス州ダラスで暗殺され、戦争は泥沼化して行く。更にその弟のロバート・ケネディも暗殺された。


大学を卒業しフォレストは陸軍の勧誘ビラを見て入隊した。
フォレストはヴェトナムを転戦する。
ヴェトナム戦争
第二次世界大戦後、北部にホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟がベトナム民主共和国を樹立し独立し、南部ベトナムは、ベトナム共和国を建国し対抗した。北ベトナムはソ連・中国の共産主義勢力が後ろ盾となっており、北ベトナムの勝利はドミノ倒しのように世界の共産化が進行すると恐れたアメリカ資本主義陣営は、南ベトナムを援助した「東西冷戦」の代理戦争だった。
1961年アメリカの大統領ジョン・F・ケネディが南ベトナムに4000名の部隊を派遣。
1964 年トンキン湾事件を機にアメリカは直接介入。
アメリカ大統領は、ケネディが暗殺されジョンソンに。
1965年アメリカ南ベトナムに軍隊を派遣し、北ベトナムに爆撃攻撃「北爆」実施、255万トンの爆弾を投下。
以降アメリカ軍は最大時54万の兵力を投入するが、ジャングル内のゲリラ戦で泥沼化。アメリカ本国にてベトナム反戦運動が高まり、ベトナムからアメリカは撤退し事実上の敗北を喫する。
1975年4月30日、南ベトナムの大統領官邸は南ベトナム開放民族戦線によって占領、ベトナム戦争は終結。


帰国したフォレストは、戦友救出の勇敢な行動に対しリンドン・ジョンソン大統領から栄誉勲章を送られた。

リンドン・ジョンソン
リンドン・ベインズ・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson、1908年8月27日 - 1973年1月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第36代アメリカ合衆国大統領。1963年ケネディ大統領暗殺で大統領に昇格、政権を引き継ぐ。人種差別に対して否定的であり、公民権運動に強い理解を示した。ジョンソン治世下にトンキン湾事件を契機にベトナムに本格的に軍事介入するに至る。


ヴェトナム反戦運動
当時アメリカでは公民権運動と学生運動、反戦運動が盛んだった。この三者は、その共通点として「現体制に対する反対」があった。これらの運動に多くの若者が集まり、ヒッピーなどの若者文化を形成した。


ジェニーに連れ来られたのは反戦運動のブラックパンサー党の活動拠点だった。
フォレストはそこでジェニーの彼氏となぐり合い、その場を立ち去る。
ブラックパンサー党

ジェニー:行こうフォレスト。/フォレスト:ブラックパンサーのパーティー中にケンカしてごめんなさい。
ブラックパンサー党キング牧師のように非暴力な公民権運動では社会変革はできないとして、武力行使も辞さない、暴力的な差別撤廃運動を主張したマルコムXなどに主導された、革命による黒人の解放を目指す黒人組織。ベトナム戦争は白人の為に戦争だとして、反戦を唱えた。


フォレストは卓球でアメリカ・ナショナルチームの一員に選ばれた。
後にピンポン外交と呼ばれる卓球の試合を行う。
ピンポン外交
gump_pingpong.gif

ピンポン外交(ぴんぽんがいこう)とは、1971年(昭和46年)に日本の愛知県名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権に、中華人民共和国(中国)が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国がアメリカ合衆国など欧米の卓球選手を自国に招待したことを嚆矢とする米中間を中心とした一連の外交をいう。これにより1949年10月1日の中華人民共和国建国以来険悪だった米中関係の緊張緩和が実現、同年7月にヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が極秘に訪中、1972年2月には、リチャード・ニクソン大統領の訪中につながった。(wikipediaより)


ピンポン外交で有名になったフォレストは、テレビ「ディック・カベット・ショー」に出演しジョン・レノンと会い、ジョンの代表曲『イマジン』の歌詞を生む。
ジョン・レノン「イマジン」
【意訳】ディック・カベット:フォレスト・ガンプです。さあ座って。フォレスト・ガンプ、ジョン・レノンだよ。/ジョン・レノン:お帰り/ディック・カベット:中国に行ったなんて・・・・どんな国だった?/フォレスト:中国という国は人々が何も持っていません。/ジョン・レノン:何も持ってない?/フォレスト:それと教会に行きません。/ジョン・レノン:宗教もないのか?/ディック・カベット:想像できない。/ジョン・レノン:努力すれば簡単さ。(フォレストナレーション:数年後英国から来たその若者は、家に帰る途中ファンにサインをしている時、何の理由もなく誰かに撃たれた。)
上の会話、所有物もない、宗教もない、試してみれば簡単なこと、想像してご覧というのは、ジョンの代表曲『イマジン』の歌詞だ。

【イマジン和訳】
Imagine there's no Heaven(想像してみよう、天国が無いと)
It 's easy if you try(試してみれば、簡単なこと)
No Hell below us(我々の下に地獄はない)
Above us only sky (我々の上には ただ空がある)
Imagine all the people (想像してみよう、みんなが)
Living for today...(今日を生きている)

Imagine there 's no countries (想像してみよう、国が無いと)
It isn 't hard to do(それは、難しいことでは無い)
Nothing to kill or die for(殺人や死も無く)
And no religion too (そして宗教すらも無い)
Imagine all the people(想像してみよう、みんなが)
Living life in peace(平和に暮らしているのを)

You may say I'm a dreamer(僕のことを夢想家だと言うだろう)
But i 'm not the only one(でも僕は一人じゃない)
I hope someday you'll join us (いつか君も我々に加わって)
And the world will be as one (そして世界はひとつになる)

Imagine no possessions (想像してみよう、何も所有しないと)
I wonder if you can (君なら出来るはずだ)
No need for greed or hunger (欲も飢えも必要ない)
A brotherhood of man(人々は全て兄弟だ)
Imagine all the people(想像してみよう、みんなが)
Sharing all the world(全世界を共有する)

You may say I'm a dreamer (僕のことを夢想家だと言うだろう)
But i 'm not the only one (でも僕は一人じゃない)
I hope someday you'll join us (いつか君も我々に加わって)
And the world will live as one (そして世界はひとつになる)

Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


Film2-GrenBar.png

ピンポン外交で活躍したフォレストはホワイトハウスでニクソンと面会する。
そこでニクソンはフォレストにウォーターゲート・ホテルを紹介する。
そこは民主党党本部のあるウォーターゲート・ビルの正面で、真夜中に民主党党本部に盗聴器を仕掛けようとしていた、ニクソン大統領の不正工作を目撃する。
ウォーターゲート事件

ニクソン:どこに泊まっているんだ?/フォレスト:ホテル・エボットです。/ニクソン:だめ、だめ、だめ、だめ。もっといいホテルを知ってる。出来たばかりで、現代的だ。君の為に私のスタッフが準備するよ。/ホテル従業員:保安部のフランク・ウイルスです。/フォレスト:ああ、その、保守点検員を向かいのビルのオフィスに送ったかな。ライトを消して欲しいんだ。懐中電灯を使っているから、彼らはたぶんヒューズ・ボックスを探してるんだと思うけど、それで僕は寝れないんだ。/ホテル従業員:わかりました。確認します。/フォレスト:ありがとう。/ホテル従業員:どういたいしまして。/フォレスト:お休み。/ホテル従業員:お休みなさい。(TVのニクソン大統領の退任演説)
ウォーターゲート事件1972年の大統領選挙戦のさなかに当時のニクソン共和党政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に、何者かが盗聴器を仕掛けようと侵入し警備員に発見されて警察に逮捕されたことから始まった。やがて犯人グループがニクソン大統領再選委員会(Committee to Re-elect the President, CREEPまたはCRP)の関係者であることが分かり、当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場を取ったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権内部がこの盗聴に深く関与していることが露見する。合衆国史上初めて大統領が任期中に辞任に追い込まれ、2年2ヶ月に及んだ政治の混乱が終息した。


そしてフォレストは創業当時のアップルの株を買っていた。


【意訳】フォレスト・ナレーション:バッバ-ガンプ・カンパニーの資金は彼(ダン=会社パートナー)が管理していた。彼はある果物会社(アップル)に投資していた。そして、彼からの電話で、もうこれからお金の心配はいらないと言われた。
アップル(英: Apple Inc.)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州に本社を置く、インターネット関連製品・デジタル家庭電化製品および同製品に関連するソフトウェア製品を開発・販売する多国籍企業である。
1980年のAppleの株式公開に合わせて、株を取得していたら、一株3.59ドル(約395円110円換算)が1990年には10.63ドルと3倍、1991年には17.00ドルと5倍の価値に跳ね上がっています。さらに言えば、2011年9月には422.86ドル(約46,515円)の高値を付け、公開時の118倍の価値を生んでいます・・・・・・・・


アメリカ大陸を横断する中で、バンパーに貼るステッカーの業者から声を掛けられた。
「シット・ハップン」ステッカー

【意訳】バンパーステッカー業者:聞いてくれ、僕はバンパーステッカーを仕事にしてて、いい言葉の着想を得たいんだ。そして、あなたが周囲の人たちに影響を与え続けているのを見て、俺も助けてくれるんじゃないかと思ったんだ。うわ!犬のクソ踏んだぞ!/フォレスト: それは起きる( It happens.)/バンパーステッカー業者:何だって、ヒドイ( What, shit?)/フォレスト: たまに/フォレスト・ナレーション:数年あと、あの男の人がバンパーステッカーを作って、それで大儲けしたと聞いた。

gump-shit happen.gifこの会話の中にある「Shit happens」とは、「不運(クソ)は起きる」という意味のようだ。そしてこの「Shit happens」は車ステッカーとして、1980年代に人気が出て、全米的なヒット商品となった。


さらに走り続けると、車に泥水を掛けられ、Tシャツで顔をふく。
その顔の跡がニコちゃんマーク(英語名:ハバ・ナイス・デー)だった。
「ハバ・ナイス・デー」マーク

【意訳】フォレスト・ナレーション:またある時、Tシャツ業で破産した男がいた。僕の顔でTシャツを作ろうとしたが、上手く描けなくて、カメラももってなかった。
Tシャツ業者:ほら、これを使って。皆この色が好きじゃないんだ。/フォレスト:それじゃあ。(Have a nice day)/フォレスト・ナレーション:数年後、その男が作ったTシャツを見つけた。彼はそれで大儲けした。

gump-niceday.jpgフィラデルフィアの兄弟マレーとバーナード・スペインにデザインされて、車のステッカーやマグカップなど、世界中で販売された大ヒットマークが「ハバ・ナイス・デー」。
ニコちゃんマーク自体は、ハーベイ・ボールというデザイナーが、1963年に保険会社のキャンペーンのため10分で45ドルの報酬で書いたマークだったという。ハーベイ・ボールはそのニコちゃんマーク(英語名:スマイリー)を敢えて商標登録せず、皆に使ってもらいたいと考えたようだ。
マレーとバーナード・スペイン兄弟は、そのマークに「ハバ・ナイス・デー」という言葉を付けて、その組合せを商標登録し販売したので大儲けした。その商品名「ハバ・ナイス・デー」というフレーズが、今ではニコちゃんマークのアメリカでの呼び名になっているらしい。


このように、歴史的大事件から、文化ムーブメント、産業界まで大小硬軟取り混ぜて、フォレストがアメリカの現代史と並走する映画です。
film1-blk-ue.jpg


スポンサーリンク
posted by ヒラヒ・S at 17:06| Comment(2) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは( ̄▽ ̄)中身の濃い映画だったんですね〜ビックリです(笑)いろいろぶっこんでますね(笑)これは観たいです♪
Posted by ともちん at 2017年06月07日 19:17
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)エスプレッソのように濃い映画です(*^^*)アメリカの歴史が手に取るように(笑)トムハンクスの好演ガ光ります。
Posted by ヒラヒ・S at 2017年06月07日 21:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック