パルプ・フィクション(感想・解説 編)
原題 Pulp Fiction 製作国 アメリカ 製作年 1994 上映時間 154分 監督・脚本 クエンティン・タランティーノ |
評価:★★★★★ 5.0点
この映画には、過激なな暴力と、突拍子もないアクシデントと、笑える会話に満ちて、見始めたら眼を離せない刺激に満ちた一本です。
しかし、ここには『パルプ・フィクション=三文雑誌』のドギツサだけではなく、そのフィクションを越えた真実が語られていると思います。
個人的には20世紀の映画のベストの一本だと信じます。
『パルプ・フィクション』 |
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『パルプ・フィクション』 |
いきなりだが『仁義なき闘い』を撮った深作欣ニのインタビュー本、『映画監督 深作欣二』の中で語られたエピソードが面白い。
ハリウッドに行った時、タランティーノ監督の家に招かれて、延々と自分の映画を見せられ、タランティーノから、この映画のこのシーンが素晴らしいとか、このショットがクールだとか、このアクションシーンがグレートだとか、褒めちぎったそうだ。深作自身は自分の映画をこんなに見せられてもねぇと感想を述べている。
いずれにしても、この『パルプ・フィクション』を撮ったクエンティン・タランティーノ監督は、遠くアメリカで世界的に言えば話題にもなっていない、極東の一監督にも熱い視線を送る「映画オタク」ぶりが凄い。

この映画にも、深作譲りの、ギャングの持つスタイリッシュさや、巧まざるユーモアー、そして悲哀が、タランティーノ的にショウアップした形で出ていると感じる。
そして、深作だけではなく、古今東西の映画を見つくしたというタランティーノが作り出した、「パルプ・フィクション=三文雑誌」のような、「フイクション=嘘」で構築された事件の数々が、華麗に、無様に、突拍子もなく、可笑しく、悲しく、驚愕の内に、爆笑と、下品と、高貴と、愛おしさを含んで、それでもクールに輝やいている。

そんなこの作品は、基本的に過去の映画的遺産のコラージュだと感じられる。
そこにあるのは、タランティーノの精神を通過した「映画的モノローグ=独り言」だ。
彼の語り口は、映画の全編に込められた退屈を許さない、過剰な娯楽性にあると思う。
そのために、アクションシーン一つを取っても、クールな対決や、熱い罵りあい、笑いを誘う闘いなど、その場面に一番衝撃力を持った刺激を選択し、観客の意識を釘付けにする。
そんな、タランティーノのコラージュ性が際立った作品こそ、この映画だと思う。
この映画でタランティーノは、スットンキョウな語りからの、銃撃シーン。ダンス・シーンからの麻薬過剰摂取。尻に隠された形見の時計からの男色レイプ。銃撃シーンに見出す神の啓示。暴発による死体処理を持ち込まれた恐妻家の狼狽。死体処理の鮮やかな手際、等々、予測不能の展開だ。

脈絡なく、現れる光景に観客は右往左往する。しかし実は、この映画の表現こそ、現代の創作物のあるべき姿ではないかと思えてきた。
過去の創作物とは、現実世界を題材にして、単純化・抽象化することで複雑な現実の中に潜む真実を描くものだったといえる。
しかし現代では、それらの現実から派生した一次創作物を元にした、二次創作物、二次創作物を元にした、三次製作としてしかあり得ない。
それは厳密に言えば、現実を題材にしたドキュメンタリーであったとしても、それを表現する方法とは過去の表現物の蓄積の上に則っているのであり、それらの文法を離れて表現は出来ないからだ。
関連レビュー:映画表現と現実との距離 『荒野の用心棒』 セルジオ・レオーネとクリント・イーストウッドの傑作 西部劇ファンタジーの成立 |
それゆえ今や表現とは、多かれ少なかれ「フィクション=虚構」表現を基礎として成立している。

それであれば、いっそそんなフィクションを突き詰めるべきだという、この映画の開き直りが美しい。
そしてここには間違いなく、タランティーノのフイクションを信じ、愛する、思いがあふれていると信じる。
この映画によって、創作物が現実を装わずとも成立することを証明した点で、傑作だと思う。
そして、タランティーノ以降の世代の作家は、フィクションから生まれたフイクションであることを明示した映画が、増えてきたと個人的には感じている。
しかしその傾向は、現実世界に対して興味を持たず、フィクションの完成度にのみ力を注いだ「絶対的フィクション構築」にまで至っているのではないか。
それらの作品は、創作物としての装飾性に満ちてはいるが、ややもすれば作り手の個人的な嗜好の披露の場となっているように思える。
そして、それらの作品は、しかし現実に関与しない「絶対フィクション世界」として成立していると感じられてならない。
それは、煌びやかで華麗ではあるものの、現実世界の苦しみを解消し得ない点に、個人的には不満を覚える。
なぜなら、現実世界にはまだ、貧困や社会的な不均衡が、間違いなく偏在しているからだ。
それゆえ、現在における「絶対フィクション世界」とは行き過ぎた耽美ではないかとも思えるのだ。
関連レビュー:フイクション表現の個人主義化 『グランド・ブダペスト・ホテル』 マニエリスムとスノビズム ウェス・アンダーソンの肖像 |

例えば、この映画だ。
この映画は、突拍子もない、ありえなさそうなエピソードに満ちている。
しかし、考えてみればこの脈絡のなさ、前後の文脈の不整合、因果の飛躍が意味するものこそ、現実の実相ではないか。
現実とは偶然と、訳の分からない関係性に満ちた、人間から見て理解できない事象に満ちていると言う真実を、この映画は表現している。
さらに言えば「フイクション=虚構」とは、人間が決してその全てを知り得ない「現実世界」の混乱の中から、人間が理解・抽出し得た喜びや、悲しみや、驚きや、理想を語るものではなかったか。

この映画が示したように、現実を装わないフイクションであっても、むしろ、そんなフイクションだからこそ、現実世界の人間にとっての本質を表現し得ると示した点で、この映画は真に奇跡的だと思う。
そして、人間にとって理解不能な現実世界の地平を切り開き、人間が理解出来る形に置き換える作用こそ、フイクションの持つ本質的機能ではないだろうか。
さらに言えば、現実世界からフイクションを取り出すことの快感を、タランティーノは過去のフィクション体験によって知悉しているのではないか。
そのことから、タランティーノは「映画=フィクション」を突き詰める事で、フィクションに潜む幸福が、現実世界を改善し得るという確信があるのではないか。
「映画=フイクション」による幸福が、現実世界の苦しみから救ってくれたという、私個人の過去の経験がそう思わせる・・・・・・
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『パルプ・フィクション』 |
第67回 アカデミー脚本賞(クエンティン・タランティーノ、ロジャー・エイバリー)
第47回 カンヌ国際映画祭パルム・ドール
1994年のカンヌのパルム・ドール受賞式の際、事件が起こった。
審査委員長クリント・イーストウッドに読み上げられ、登壇したクエンティン・タランティーノ他一行。
そこに一人の女性の観客が叫び声を上げる。「こんなのタワゴトだ」「パルプフィクションはクソだ」。司会者も止めなさいよと注意する。
タランティーノは中指を立てて応戦。
その後タランティーノは受賞コメントをする。
【コメント意訳】獲得できるとは思ってていなかったけど、審査員が決めてくれました。なぜなら、僕は人に非難されるような映画を作っていないし、みんなが一緒になるような、離れ離れの全ての人々が一つになれるような映画を作ったからだと思っています。
こんな、タランティーノが大スキです。
なお、審査委員長クリント・イーストウッドのパルプフィクションに対するコメントを意訳します。
審査員は22作品を8〜10日で見る間に色々な意見を聞く。しかし、目的からしてそれらの言葉に影響されないよう努めなければならない。その年の、たくさんの異なった種類の映画から、ゼロから選ぶのは大変興味深い。『パルプ・フィクション』を上映されたのを見て、魅力的に全ての人間が描かれていた。私は、ヨーロッパ人の男性審査員が、興奮して、これがこのフェステイバルでベストだ、この映画がベストだと言っているのに驚いた。私は飛び跳ねずに、心の中で気持ちを推し量っていたが、だが、本当に面白かったし、興奮していた。そして直後には心が静まり、リフレッシュしていた。残りの映画を見終わって、一斉に皆話し出したが審査員室では満場一致で決まった。
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ありがとうございます(^^)カンヌの件は、他に応援している作品があったんでしょうね〜(笑)ま〜非常識ですね。タランティーノはバッシングにも慣れてる気もします。
まだオスカー監督賞取ってませんしね〜わが道を行くではないでしょうか(^^)