原題 No Country for Old men 製作国 アメリカ 製作年 2007 上映時間 122分 監督・脚本 ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン 原作 コーマック・マッカーシー |
評価:★★★★ 4.0点
この映画の、哲学的なテーマと、空から降るような暴力が組み合わさった時、今世界が直面している事態の本質が見えてくるように思う。
このシガーの行動と、結末のトムの言葉が語るものに、この映画の本質的なメッセージが現れていると、個人的には思った。
このラストの放り投げられるような終わり方は、この映画の続きが観客一人一人に委ねられたことを意味しているだろう。
『ノーカントリー』予告 |
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以降の文章に 『ノーカントリー』ネタバレがあります。ご注意ください。 |
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保安官トムがモーテルに駆けつけたとき、メキシコ側の追手が死に物狂いで逃げて行った。
モーテルでは、メキシコ側の追手の一人が地面でのた打ち回り、プールサイドに水着姿の女性が殺され、モスも部屋の玄関で殺されていた。(モスと追っ手のみがこの場にいたのであれば、モスを倒した後、メキシコ側の追っ手が必死に逃げる必要はない。つまり現場には、モス、追っ手以外の、第三者がおり、それこそがシガーだったはずで、モスもシガーに殺されたと見るべきだと思う)
その晩、トムは地元のベテラン警官と事件の話をする。
金はなく、トムはその金はメキシコ人の慌てぶりから考えて持っていないと思えると語った。
地元の警官はシガーをサイコパスだというが、トムはそうは思えないゴーストのようだと語った。
そのトムに対し老警官は、間違いなく現実だと反論し、こんな相手からどう身を守るのかと嘆いた。
モスを救えず残念だったと言って、警官は去った。
一人車に乗ったトムは、何事か考え込みモスの殺害現場へ戻る。
そこで鍵穴が吹き飛ばされた跡を見たトムは、シガーが部屋にいると思い緊張した。
しかし、部屋の中にシガーはいなかった。
だが、その部屋の通気口には金を引きずった跡があり、コインが落ちていた。
その痕跡は、シガーが来て、金を持ち去った事を物語っていた・・・・・・・・
西部に帰った、トムは元保安官だった叔父エリスを訪問する。
叔父はトムの妻からの手紙で保安官引退の話を知っていた。
伯父エリスとの会話
【意訳】伯父:保安官を辞めるのか。なぜだ。/トム:分からない。俺は打ちのめされたようだ。俺はいつも、年をとれば神が俺の人生のどこかで関わってくると思っていた。違った。不平を言っているわけじゃない、俺が神でも同意見だ、俺には関わらない。/伯父:お前に何が分かる。俺はマック伯父さんの保安官バッジとライフルをレインジャーズに送った。記念館に飾るらしい。(以下:マック伯父が、7・8人のインディアンに全てよこせと言われて、ショットガンを持ち出したら、自分の家のポーチで左肺を撃たれ死んだ。叔母は次の朝硬い地面を掘って埋めたと語る)お前が感じる無常観とは今始まったわけじゃない。この国は人に過酷なんだ。来るものを受け入れざるを得ない。彼らはお前を待ちはしない。それはうぬぼれだ。
伯父エリスは、この国の暴力性は昔からで、来るものは拒めないし、古い者達に合わせはしない。
それを合わせろというのは自惚れ、慢心、無意味だとトムに話した。
そして死んだモスの妻カーラは、ガンを患っていた母の葬儀を終え、一人帰宅すると、そこにはシガーがいた・・・・・・・・・・・
妻カーラとシガー
【意訳】カーラ:今日、母を埋めて、お金はない。/シガー:俺は気にしない。/カーラ:座りたい。・・・・あなたに私を傷つける理由がない。/シガー:ないな。しかし俺の言葉がある。/カーラ:あなたの言葉?/シガー:あんたの夫に。/カーラ:それは無意味よ。あなたは夫に私を殺すといったから、殺すの?/シガー:あんたの夫はあんたを救うチャンスがあった。それなのに、それをあんたに使わず、自分のために使った。/カーラ:それは違う。あなたが言うのは違う。これをすべきではない。/シガー:いつも同じことを言う。/カーラ:誰が言うって?/シガー:みんな、これをすべきでは無いという。/カーラ:無いわ。/シガー:分かった。これが俺に出来る最善だ。裏か表か。/カーラ:座っているあなたを見て、狂人だって分かってた。私に何が起きるか分かったわ。/シガー:裏か表か。/カーラ:イヤよ。私は選ばない。/シガー:裏か表か。/カーラ:コインは何も言わない。それはあなたよ。/シガー:そうか、コインがするのと同じことをしよう。
シガーはカーラの家から、出てきた。
家の中で何が行われたかは語られない。
そしてシガーが現場から離れた時、それは起こる。
【意訳】少年A:おじさん、腕から骨が出てる。/シガー:大丈夫。ここにチョット座らせてくれ。/少年B:救急車が来るよ。電話してた。/シガー:そうか。/少年A:大丈夫かい?腕から骨が出てるよ。/シガー:シャツをくれるか?/少年B:えーと、それじゃ、おじさんシャツ上げるよ。/少年A:うわー骨が。/シガー:結べ、縛って。/少年A:なんだよおじさん、そんなつもりじゃないよ。大金だし。/シガー:とっとけ。受け取って・・・・・それで、お前は俺を見なかった。俺はもう立ち去ってた。/少年B:はい。/少年A:分け前くれよ/少年B:イヤだよシャツ着てるだろ。/少年A:そういう意味の金じゃない/少年B:そうだけどシャツ着てるじゃん。
シガーはその場を後にした。
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『ノーカントリー』ラスト・結末 |
物語は、トムが妻に昨夜見た2つの夢の話する場面で幕となる。
2つの夢
朝の夫婦の会話。夫は馬に一緒に乗ろうか、ダメなら整理しようかと問い、妻は両方乗り気ではない。そして眠れたかと聞くと、夫は夢を見たと語る。妻がどんな夢か聞くと口ごもるが、重ねて問われ語りだす。
【意訳】「二つの夢を見たが、両方に父が出てきた。父は今の俺より20歳若くして死んだ。夢では俺が年上だ。どこかの町で親父に金をもらい、それを無くした。二つめは二人で昔に戻ったような夢で、俺は馬に乗り夜中に山を越えていた。寒くて地面には雪が積もっていて、親父は俺を追い抜き何も言わず先に行った。体に毛布を巻き付け、うなだれて進んで行く。親父は手に火を持っていた。夢の中で俺は知ってた。親父が先に行き、闇と寒さの中どこかで火を焚いていると。俺が行く先に親父がいると。そこで目が覚めた。」
その夫を優しげに見つめる妻と不安げな夫。
ここで画面は暗転・・・・・・・・・
『ノーカントリー』結末感想ここから先は、個人的にこの映画の夢を解釈を試みたものです・・・・・・ |
最初の夢は、父は20歳も若くして死んで、その父から貰った金をなくしたというもの。
これは、解説編で「No Contory For Old Man」にも書いたが、つまりは若い者達は「金=欲望」の為に命をかけるのであり、その金を無くしたというのは、欲望に走らなかったことを意味し、それゆえトムは老人になるまで命を永らえたのだろう。
この夢を補強するのが、伯父エリスとの対話だ。
つまり昔から物を巡り対立が生じており、それに対し欲を発すれば、死が近づくのだと語っているだろう。
欲を持った者は常に来て、それに対して「欲を持たない=公平・正義」を求めるのは無理な望みだと語られていると感じた。
実は、この映画のほとんどのパートは、「金=欲」を巡る戦いが描かれている。
そして欲というのが個人の利益の追求だとすれば、その戦いは利己的なほうが勝つ。
だとすれば、そこに広がるのは、弱肉強食の世界なのである。
そう考えれば、シガーという絶対的強者とは「利己主義の権化」を意味するのであり、それゆえ理屈ではなく気分で殺すのである。
そしてその「利己的な殺人」とは、殺される側にとっては、モスの妻が語ったように理不尽で不合理な形をとって現れるだろう。
しかし、それは冒頭、モスが荒野で鹿を撃った狩と同じ行為ではないかと思える。
それは鹿から見れば、それは理不尽に降ってくる死なのだ。
結局、モスとシガーとは共に利己的な戦いを繰り広げ、それゆえモスの死んだモーテルのプールの女やモスの妻に理不尽な死を供給したのではなかったか。
つまりは欲の行き着くところは、利己主義によってもたらされた、理不尽な死であり、その端的な表れが戦争ではないか。
この理不尽さに直面したとき、殺される側、弱者、この映画でいう「老人」は絶対に、死から逃れられない。
なぜなら、欲を持たない者、「利己的」でない者、弱者が生きる道は「利他的」な相互扶助による以外ないが、「利他的」とは利己主義の対極にある。
それゆえ弱者は、利己的な条理の無い暴力を前にすれば、守りようが無い。
それは狩られる鹿のように、何事が起きたか理解できずに死に至る以外ない。
その現れは、不可知で不条理であるがゆえに、保安官トムが「幽霊=ゴースト」といい、モスが「死神」という通り、自然界を超越した神に近い存在だと感じられるだろう。
つまりシガーが表す無軌道な暴力とは、弱者にとっては絶対的な力の行使であり、それは自然災害と同じ顔を見せるだろう。
しかし、その人為的力の行使でありながら、絶対的な姿として現れる、現在の不条理な暴力に、弱き者達は諦め従うしかないのだろうか・・・・・・
その冷酷な運命に抵抗する手段。
その答えを導き出すヒントがシガーが事故に巻き込まれたシーンにあるだろう。
そこで描かれた、弱者にとっての唯一の救いとは、人為的な不条理は「絶対的な力=神」の前で無力化されるのではないかという想定だ。
それは単純に言葉にすれば「勧善懲悪」という表現が相応しい。
弱者はただ正しく生きて、無慈悲な暴力を行使したものの上に「勧善懲悪」の原理が働くのだと祈る以外ないのだと語られていると信じる。
それが、冒頭の言葉「魂が危機に陥ったら、世界の一部になることを承認せよ」というモノローグではなかったか。
たぶん「利己的な暴力行使者」は、シガーが少年二人に「金=欲」を与え、新たな利己的な萌芽を撒き散らしたように、その悪を拡散するだろう。
しかし、その悪の力に弱き者が抵抗するには、やはり正しく生き、悪は滅びると願うという、古来から無力な者達が必死に行なって来た絶対者への祈りしかないと語っているだろう。
そしてそれは、利己的な暴力の前に命を捨ててきた数多くの「弱者」達が、それでも正義を主張し利己主義の不条理に抵抗してきた事にオーバーラップする。
それは、モスの妻がシガーの悪を断罪したように、保安官トムの父やその一族が命を顧みず成してきた事であったのだ。
その悪と対峙する姿こそが、正しき世界を創出しようという「祈りの犠牲」なのだと信じる。
それを象徴的に語ったのが、二つめの夢だったように思える。
たとえ若き欲望の前に朽ち果てる運命だとしても・・・・・・・
たとえ今自らの内に神を感じられないにしても・・・・・・
正しく生き、悪と闘かい理不尽に倒れた父の姿を、追いかけて生きることこそ、現代の不条理に立ち向かう唯一の方法なのだと。
このトムを見つめる妻の笑顔を見た時、「あなたはきっと保安官に戻るわ」という心の声を聞いたような気がする。
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ありがとうございます(^^)わざと説明してないんでしょうね、『鑑定士〜』見たいに。説明してないんだから、勝手に解釈すればよいのでしょうという・・・・シガー実は神説というのも考えたんですが(笑)
解説見てから再度見たら理解できるかなあ〜(-_-;)
ありがとうございます(^^)この手の映画は、もうパズルのようなもので、私にはこの映画の部品を組み合わせると、こう見えたというだけで(^^;
正解がない映画は、その映画を元に新しい世界を産み出すような積もりで見てますm(__)m