2017年04月20日

ハリウッド映画とアクターズ・スタジオ「メソッド演技」/近代映画の誕生・解説・考察

映画の革命と「メソッド演技」



ハリウッド映画の歴史を語る上で、アクターズスタジオとその提唱するメソッド演技は、避けて通れません。
その偉大な功績は、舞台の演技にとってと同様に、映画の演技表現にとって重要な意味を持っていたと思います・・・・・・
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アクターズ・スタジオの概要

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アクターズ・スタジオ (英語: The Actors Studio) は、アメリカ合衆国の俳優養成所である。
1947年にニューヨークの劇団「グループ・シアター」の同窓生だったエリア・カザン、チェリル・クロフォード、ロバート・ルイスによってマンハッタン西44丁目(ヘルズ・キッチン地区)に創設された。
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その後リー・ストラスバーグも参加し、1949年に芸術監督、1952年に運営責任者となった。(右:リー・ストラスバーグ)

act-atani.jpg「グループ・シアター」では俳優の育成方法として、モスクワ芸術座の演出家、コンスタンチン・スタニスラフスキーが構築した演技理論「スタニスラフスキー・システム」を採用しており、この育成方法を基に独自の「メソッド演技法」を確立した。(右:スタニスラフスキー)
その特色は、役作りの上で演技者の実生活での体験や、役の人物の内面心理を重視する点にある。
アクターズ・スタジオへの入学は非常に難しいものであったが、「メソッド」を習得した出身者達の自然体でリアリティのある演技はハリウッドに新風を吹き込み、アクターズ・スタジオの名声は、より高いものとなった。
アクターズ・スタジオは、俳優のみならず著名な作家や劇作家などを多数輩出している。

現在は、アル・パチーノとエレン・バースティン、ハーヴェイ・カイテルが共同で学長を務め、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」のインタビュアーのジェームズ・リプトンが副学長を務めている。(wikipediaより)

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スタニラフスキーの演技論に関する私見

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リー・ストラスバーグ(Lee Strasberg)率いるアクターズ・スタジオの演技教育は、ロシアの演技理論家であるスタニラフスキーの指導法をベースに、『メソッド演技法』という形で確立したという。

だとすれば、スタニラフスキーの演技論とは、19世紀以降の「近代劇=リアリズム(写実主義)を志向した演劇」で、如何に演ずべきかという方法論であったとすれば、その目的は「古典劇=神の世界の劇」にはない、人間の責任の表現だったと思われる。

それ以前の、全能の神の「みわざ」を描いた「古典劇」においては、人間は自らが悲しんだり苦しんだりする理由を考えなくともよかった。
なぜなら全ては神の思し召しであり、人に降りかかったすべての事は、人智では計り知れない神の大いなるご意思の一環なのだから、人は神を信仰さえしていれば自分の非を考えずとも良かった。

つまりは、何が起ころうと神がしたことだと、自己責任から自由でいられた。

しかし、近代に至りニーチェが言った如く「神は死んだ」のだ。
act-sara.jpg世界から「神=宗教」が消えた時、人々はすべての結果、全ての運命が、人間自身に原因があるのだと認めざるを得なかった。

そして、近代の学問・文化・芸術、全ては「神の喪失」を埋める、新たな因果律の生成だと言っていい。


つまりそういう流れの中で、イプセンから始まる近代演劇は、人間の運命を人間自身の責任として描いた劇だったろう。
そこにおいては、全ての「因果=原因と結果」は人間に還元されなければならない。

しかし、脚本は神の不在を書き得たとしても、演技表現が古典劇のままであれば、その「近代劇」は十分に表現されたと言えない。

そこには、クラッシック・バレエ(古典バレエ)から、モダン・バレエ(近代バレエ)への、表現の革新と同様の技術的対応が求められただろう。

クラッシク・バレー/エフゲーニャ・オブラスツォーワ(プリマ)『ジゼル』


モダン・バレー/ハンブルグ・バレエ:ジョン・ノイマイヤー振付の『ニジンスキー』

上の動画で示された、クラッシックバレエの表現とは、神に捧げる美であり、神の作り給うた調和を表現したものだったとすれば、下のモダン(コンテンポラリー)バレエが表したのは、人間存在の苦悩であり、人の世の矛盾だったろう。

同様に、ロシアの演技理論家であるスタニラフスキーの演技法とその訓練とは、神が失われたという認識を前にして、全ての原因と結果は人間存在から生じているという現実を表現すべく、思索され構築されたと言える。

そのために彼が、演技者に求めるのは過去の体験を通した自己認識、自己分析だ。
たとえば、一つの動作、一つの言葉、ありとあらゆる動きに、そう動くべき理由があるはずであり、その理由とは、神がいなくなった今、他でもない動いた人間個々に還元しなければ、求められない答えであるはずだ。

したがって、演技表現の根底にはその演じる架空の個人の、動きの理由が存在しなければならない。

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そして、その理由を求めるためには、まず一番確かな自己の過去の体験を拠り所に、その架空人物の行動を検証することから始められるだろう。

そして、その演じられる人物の「動きの理由=行動原理」が理解された時、演技者にその人物が成すべき動きが可能な身体表現力があるとすれば、本来嘘である演技に「リアリティ=現実感」が生まれるに違いない。
この演技へのアプローチは、それまで感情の表出や、発声、身体表現の形などの、現象として現れた、外形を学ぶという考え方とは明らかに異なる。

人が悩む必要がなかった「神の時代」の演技者は、美しい姿、明快な発声、典型的な感情表現という「パターン=形」を磨き、必要な場面に表出すれば事足りた。
サイレント時代の名女優:リリアン・ギッシュの演技

なぜなら、繰り返しになるが、全ては神が作りたもうた世界であるとすれば、そこで生まれるすべての動きは神という一つの源から生じているのであり、人間個々の差異を考慮すること自体不遜であるだろう。

このように、「神の喪失」が近代演劇を生み、スタニラフスキーの演技技法を生んだと考える。

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アクターズ・スタジオとハリウッド映画

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そして、そのスタニラフスキーの演技教育を継承発展したのが、アクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグであり、その教育理論『メソッド演技法』だった。
ストラスバーグは常に「感情の記憶」、すなわち五感を使って俳優個人の過去の記憶を引き出す方法の、強力な提唱者であった。
それは、スタニラフスキー同様に、世界の因果を人間存在に求めることの必然であったろう。


しかし、この1938年に死んだスタニラフスキーの教えが、アクターズスタジオの『メソッド演技』となって、初めて映画界において衝撃を与えたのは、1951年のマーロン・ブランド主演の『欲望という名の電車』だった。
『欲望という名の電車』予告

この映画の監督はエリア・カザンで、アクターズ・スタジオの創設メンバーである。
マーロン・ブランド自身はアクターズ・スタジオで学ぶ以前から、スタニスラフスキーに演技法を指導された唯一のアメリカ人、ステラ・アドラー(Stella Adler)に師事していた。

それゆえ、正確に言えば『スタニラフスキー演技法』が、衝撃を与えたと言うべきかもしれない。
いずれにしてもマーロンブランドは、一躍、若手スターとして時の人になり、『乱暴者』(1953年)、カザンの『波止場』(1954年)のヒットにより、自分自身とアクターズ・スタジオの名前を世に知らしめた。

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そんなスタジオの革新的演技は、すでに俳優の間で知れ渡っており、 1952年にアクターズ・スタジオの入門テストを受け、150倍の難関を突破してスタジオ史上最年少の研究生となったのがジェームス・ディーンだった。

彼は1954年エリア・カザン監督の『エデンの東』で注目を浴び、『理由なき反抗』で若者のアイドルになった。
関連レビュー:ジェームス・ディーン『理由なき反抗』
ジェームス・ディーンの世界初の青春映画
メソッド演技の輝き

そんな「メソッド演技」を身につけた、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンの表現は、かつてのハリウッド黄金期のスター達とは一線を画し、リアリティーに満ちていた。
たとえばマーロン・ブランドの『欲望という名の電車』猫背の姿勢や、ぼそぼそしたしゃべり方などは、美しさや明快さだけを求めた、かつてのハリウッドスターの演技とは明瞭に異なるものだ。
『欲望という名の電車』のワンシーン
マーロン・ブランドのリアリティーある演技と、ヴィヴィアン・リーの古典的演技の対比が、そのまま物語のテーマにつながっているように思える。

それは映画界における、近代劇の始まりだと言っても良いのではないか。
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演劇界はイプセンの活躍した1850年以降、近代劇「神無き世界」を描きだし、その演技技法はスタニラフスキーの死ぬ1938年には確立していたはずだ。

しかし大衆演劇であるハリウッド映画界においては、ハリウッド・スターという神々がいたために、近代劇へ移行し難かったというのは牽強付会にすぎるだろうか。
しかし、戦前の大衆の夢が集約されたような黄金期のハリウッド映画は、人々の羨望・憧れとして宗教に近い絶対性をスターは求められたのではないか。

それが、戦後経済が豊かになり大衆が共通して見られた夢の時代が終わり、人々の夢が多様化していくとき、人々は最早「神としてのスター」ではなく、自分たちの自己実現のモデルとして仮託できる存在を求め始めたのではないだろうか。

それが性格俳優というものだろう。
そんな人間存在の心の襞を表現するようなドラマが求められる時代が来た時、それまでの俳優では要求に応えられなくなって、アクターズ・スタジオの近代的リアリズムが必要になったのだといえるだろう。


そして、ジェームス・ディーン以降、ハリウッドの映画表現は「アクターズ・スタジオ」の演技者達が大きな貢献と実績を残したのは、下の出身俳優一覧を見てもらえば一目瞭然だ。

しかしまた、その繊細な演技が力を発揮するためには、解像度の低いカメラでは無理だったろうし、自由にズームも出来なければならないし、微細な音を拾えるマイクも必要だったろう。

そういう意味では、撮影機材の進歩がハリウッドの神々を駆逐したのかもしれない・・・・・・・・
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アクターズ・スタジオ出身の俳優一覧

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posted by ヒラヒ at 17:18| Comment(4) | TrackBack(0) | 映画情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うおっ気合入ってますね〜。
かなり時間かかりそう、メソッド演技とか知らなかったです。
一応なんちゃって映画ブロガーですが、知識が無いのですいません。
勉強になりました。
Posted by いごっそう612 at 2017年04月20日 17:56
>いごっそう612さん
ありがとうございます(^^)文章よりも見やすさに時間を取られる今日この頃です。
メソッド演技は、ジェームス・ディーンで思い出したんです💦
一流映画ブロガーが、何をおっしゃいます❗この記事は、ジコマンのようなもので、長文スミマセンm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2017年04月20日 18:44
こんばんは( ̄▽ ̄)ハーヴェイさんにショーンさん♪ゴッドファーザーのじいちゃんは俳優さんたちに尊敬されてるって聞いた事があります。
Posted by ともちん at 2017年04月20日 19:00
>ともちんさん
ありがとうございました(^^)マーロンブランドは演技革命の人です。アクターズスタジオ、デニーロ、ダスティン・ホフマン、デニス・ホッパー、ミッキーロークなど、など、メリルストリープも傍系で習ったようです(^^)
Posted by ヒラヒ・S at 2017年04月20日 22:14
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