理由なき反抗(感想・解説 編)
原題 Rebel Without a Cause 製作国アメリカ 製作年 1955/上映時間 111分 監督・原作 ニコラス・レイ 脚色スチュワート・スターン アーヴィング・シュルマン |
評価:★★★★ 4.0点
この映画は、世界初の青春映画ではないかと思います。
そして、その若者のあからさまな主張を語るには、ジェームス・ディーンという映画史上でも希有のカリスマの個性が必要不可欠だったでしょうか。
『理由なき反抗』予告
『理由なき反抗』の感想・解説
青春映画の誕生
この1955年の映画は、多分、世界初の青春映画だと思う。
それは、大雑把に言えば、第二次世界対戦の前に描かれた映画では、若者がスターにならなかったという事実と同じ理由から発していただろう。
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つまり、戦前の社会全体が貧困に喘いでいた時期には、女性達の憧れとは中年の富豪との結婚にあり、それゆえ男性スターは中年だったのだ。
それは若い男性にとっても理想の男とは、リッチな大人になることであり、40代位にならなければ達成し得ない目標だったがゆえに、若い世代とはそれと較べ劣った弱い存在に過ぎなかったのである。
しかし、第二次世界大戦が終わり社会が落ち着きを取り戻すにしたがって、映画スターに新たな姿が加わった。
それが、映画史上初の20代スター、1950年デビューのマーロン・ブランドである。
後にゴッドファーザーで知られることになる彼は、26歳でデビューした当時は極めてセンセーショナルな存在だった。
例えば、下着であったTシャツをアウターとして着たのも、『欲望という名の電車』の彼だったし、『乱暴者』のバイクに跨がり革ジャンを着た姿は、当時の若者達の間で大流行し、その後のヘルス・エンジェルス達が踏襲した。
このように、マーロン・ブランドによって20代のスターが成立し、彼が表したキャラクター像とは「怒れる若者」という姿だった。
それが表すのは、社会を構成する大人たちに対して反抗する若者像だ。
つまりは、すでに「確立した社会」に、若さとか、未熟であるとか、力不足だという理由で、受け入れられない若者の必死の抵抗であり、それは『太陽がいっぱい』にも共通のテーマだったはずだ。
その物語の軸足は、基本的に自分達を受け入れない大人社会に対する不満を表現したものだった。
そこで描かれた物語は、実を言えば過去の「資本家と労働者」「正義と悪」というのと同様、「社会の矛盾」を描いたドラマであり、その点過去の物語の主人公を若者に置き換えただけだと言える。
つまりは、その物語が語るテーマとは「大人社会の矛盾」にこそあったのであり、それは過去の価値観に則っていると言える。
しかし、この映画『理由なき反抗』は、新しい「ドラマのモデル」新たな「価値観」を映画史に付け加えた点で、真にユニークだと主張したい。
つまりは、この映画で初めて、等身大の若者の苛立ちが言葉として語られたからだ。
その主張とは、「親が子供の気持ちを分かってくれない」という、10代が心の内で皆感じている真実だった。
それは、主人公ジムの不満が「父親はもっと男らしく」して欲しいとか、ヒロインのジュディーの望みが「父親に愛して欲しい」だったり、この物語の真の主役とも言うべきプラトーが言うのが「親が不在で寂しい」といううものだったりする。
しかしこの主張は、下のストーリーを見てもらえば分かるが、正直ワガママとしか思えない。
なぜなら彼等の親は、彼等に豊かな生活を提供しているのだし、親としての義務を果たしているのは間違いない。
特に主人公の両親は、息子のために引越しまでし、過保護というべき「かまい」ようなのだ。
結局、親は子供に衣食住を提供し、生命を保証している点で、必要最低限の義務を果たしたと言えるのであり、それ以上は余剰分だと言いたい。
あまつさえこの映画の家族は、ロサンゼルスの高級住宅街に住み、高校生の子供に車を買い与えるほど、何不自由のない生活を提供しているのである。
しかるに、その子供達は、それでも不平を言い、不満を露にし、更には非行に走り、親に反抗するのだ。
マーロン・ブランドの「社会の矛盾」を問うという、公的な意義、社会性を持った若者の主張に比べ、なんとせせこましく、利己的な主張なことだろう。
実は、この映画の主役はマーロン・ブランドの役だった。
ニュージーランドTV3のレポート。
【アナウンス大意】ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』の役は、ジェームス・ディーンが最初の選択肢ではなく、スクリーンテストの貯蔵庫から発見されたのはゴッドファーザーだった。
ジェームス・ディーンは『理由なき反抗』で有名になったが、彼がこの役を獲得した理由は他の候補が辞めたからだった。イギリスのTVが23年前のスクリーンテストでマーロンブランドの名前を発見した。彼はこのテストの時点では映画デビューしていなかった。しかし彼の恥じらいと繊細な演技は素晴らしい。
(スクリーンテストの映像、続いて現代のキャステイング担当者の魅力的っだとの意見)
マーロンブランドは主役を与えられたが、その役を断った。なぜ受けなかったかの理由をマーロン・ブランドは生きてるうちに語らなかった。
この役の持つ弱さ、幼さをマーロン・ブランドは嫌ったのではないかと、個人的には思えてならない。
やはりこの役の語る主張は彼が語れば、ティーンエイジャーの愚かさが際立ってしまうと感じる。
ここで語られるのは、まるで、オモチャを買ってと泣くのに等しい幼稚な感情であり、そんなワガママな主張は大人社会では通用せず、だからこれ以前はドラマや映画には成り得なかった。
そんな理不尽な反抗であるから、この映画の題名は『理由なき反抗』なのである。
つまりは、大人社会から見てこの恵まれた高校生達の反抗とは、「理由なきもの」であると宣言している。
そして同時に、大人から見て理由がない不満であっても、ティーンエイジャーにとって重大な意味を持つのだと、初めて正面から語った点で、この映画は世界初の『青春映画』の称号を獲得する権利を得たと信じる。
それは、初めてティーンエイジャーの立場に立った主張が、公的に説得力を持って表現されたものだったろう。
その主張は間違いなく、若者の心を捉え、ジェームス・ディーンは青春の代弁者として輝いた。
そんなこの映画は、ティーンエイジャーの等身大の心情を吐露した、初めての映画だという点で永遠の価値を持つたのだと思うのである。
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この映画は、初めて10代の未熟な主張を基軸として作られたが、同時に10代が主張を出来る社会的背景がアメリカ社会に進行していたのだろう。
それは父権制の揺らぎ「家父長制の崩壊」である。
父権の揺らぎを象徴するシーン
ジムの父は母に食事を運んでいる途中で、落としてしまいその後片付けをしている。父親は彼女が見つける前に片付けると言い、ジムはなぜ後片付けするのか、これを母に見せればいいと父に言う。こんなことをしちゃいけないと怒る。
ジュディーは父にキスをし、何をするんだととがめられる。母親は食事の準備をとジュディーに言うが、ジュディーはなぜキスをしてはいけないのかと父に問う。父は疲れている、大きいからそんなマネはよせと声を荒げる。弟を膝に乗せた父に無理にキスし、平手打ちをされた。謝る父に、これは私の家じゃないと言い捨てジュディーは出て行った。
そんな、父権の不足を彼等は共に擬似家族となることで、乗り越えようとする。
そして、この映画の影の主役と言える サル・ミネオ演じるプラトーが廃屋で、ジュディーとジムに父と母になってくれ、決して一人にしないでくれと訴える。
彼は俺達を家族にしようとしたんだ
それは、彼等の父、ひいては親との関係がどれほど危機的な状況かを物語っていただろう。
実はこの父権の崩壊とは、戦後一貫して進行したアメリカ社会の潮流だと思える。
戦前には餓死者が出ている現実の中で、最も効率よく金銭を稼ぐ方法が「父=成人男性」が外で働き、それを家族全体がバックアップするという家族を構築せざるを得なかった。
そんな「家父長制」の実体は、社会の多様化と、経済的な豊かさ「富の増加」より、人々の道徳律や保守的心理を越えて崩壊に向かう。
個々人が獲得した自由、自活できる道が開かれたことにより、「家父長的制度」が不要になって行く必然的な行程だったろう。
この社会の変革は、自由と豊かさという点で、明らかに人類の勝利だったろうが、しかし社会とは旧弊で保守的な規律によって維持されるのであり、この急激な変化は家族という単位をも再構成を促すものであり、結果として世代間対立などの歪みを生んだのである。
この映画はその時代の変化を象徴した一本だったろう。
しかし、この1955年には露になった「父権の崩壊=社会変化」は、世界的にまだ今日的な問題であり続けていると思われてならない・・・・・・・・・
関連レビュー:『アメリカン・ビューティー』1999年 アメリカ現代家族の家父長制の美しき崩壊を描く アカデミー賞作品賞受賞作 |
関連レビュー:園子温監督『紀子の食卓』2005年 平成の日本家族の肖像 日本における家父長制の崩壊について。 |
『理由なき反抗』の感想・解説
青春スター「ジェームス・ディーン」
この社会的な変革によって露になった、世代間の感覚の違いは、古い家父長の世代から見れば「若者の主張」とは愚かで幼い、自分勝手な主張だった。
更には、基本的な親の義務を越えた要求を成す、過剰な主張でも有った。
しかしティーンエイジャーの本音であり真実だったとき、その主張は若者達にとっては表出されなければならなかったろう。
だが、社会制度を構築するのが保守的な大人であり、その価値観に縛られていることから、ティーンエイジャーの主張は彼等自身にっとてすら抵抗を持たざるを得なかっただろう。
そんな抵抗を伴う主張が形になるとき、その主張者の姿や形が重要になると思うのだ。
この映画が語る、ティーンエイジャーの甘えたワガママな主張が形になるに当たって、ジェームス・ディーンというナイーヴさと、脆さを持ち、しかし鮮やかな爽やかさ清潔感を持つキャラクターだったからこそ、この10代の主張がティーンエイジャーと大人世代に受け入れられたのだろう。
つまり彼の存在はティーンエイジャーという青春の時をそのまま体現した存在であり、その存在のまま天に召された。
これはもう運命的だと思えてならない。
たぶん天は、キリストをこの地上から一度奪い、再度人々の下に戻したように、ジェームス・ディーンという青春のシンボルをこの世から奪い、映画という形の永遠でこの世に降臨させたのか・・・・・
それゆえ彼は、神格化されたのだろう。
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若くして死んだのが残念です。
ありがとうございます×3(^^)ジェームス・ディーンも今は昔ですね・・・・歴史上の人物ですm(__)m
ありがとうございます(^^)ゴッドファーザーのじいちゃん、当時の若者の憧れのアイドルでした(笑)ジェームス・ディーンも、エルビスプレスリーもマネしています。
更にこの二人のフォロワーがたくさんいることを考えると、影響は計り知れません(^^;