理由なき反抗(ネタバレ・ラスト・結末 編)
原題 Rebel Without a Cause 製作国アメリカ 製作年 1955/上映時間 111分 監督・原作 ニコラス・レイ 脚色スチュワート・スターン アーヴィング・シュルマン |
評価:★★★★ 4.0点
この映画は、世界初の青春映画ではないかと思います。その物語の最後はティーンエイジャーの哀しみを表して象徴的です・・・・・・
そして、その最後はアクターズスタジオのメッソド演技の真骨頂ではないでしょうか・・・・
『理由なき反抗』予告========================================================
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以降
『理由なき反抗』ネタバレ
を含みますので、ご注意下さい。========================================================
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バズの仲間がプラトーを追い詰め、プラトーは抵抗するが追い詰められる。
そして銃を発砲し、バズの仲間の一人にあたった。

銃声に、ジムが駆け付けプラトーを制止しようとする。
しかし、プラトーは自分を置き去りにしたジムに怒り、銃を向けた。
「お前は僕のお父さんじゃなかった」と怒鳴る。
そして、ジムを振り払い逃走する。
プラネタリウムに走りこむプラトー。
周囲は警察の包囲網がしかれ、騒然となった。
プラトーを心配し後を追う、ジムとジュディ。
二人とも、警官の眼を盗んでプラネタリウムの中に入った。
ジムは寒がるジョンに自分のジャンパーを着せ、ジョンを安心させようとする。
プラネタリウムの中のジムとプラトー
【意訳】ジム:あったかいぞ、ほら。/プラトー:貰っていい。/ジム:もちろんさ、何いってるんだ。お前の持ってる銃を持たせてくれ、プラトー。それをくれる気はないか。/プラトー:僕の銃かい?/ジム:ああ、ポケットに入っているヤツ。俺にくれよ。
ジムは銃を取り上げることは出来なかったが、その銃から弾を抜き取った。
そして、プラトーに一緒に外に出ようと説得し、三人でプラネタリウムの扉を開いた。
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『理由なき反抗』ラストシーン・結末
ラストシーン
【意訳】ジム:レイ(刑事)みんなを下げてくれ、何も心配することないから。レイ、みんなを下がらせて、レイ。/警官:もう一人の子がまだ銃を持ってる(ライトが点く)/ジム:ダメだ!ライトを点けないでくれ。あんた達の子供も明るすぎたら眩しくて寝られないだろう!ライトを消せ!/ジュディ:ジム!ジム!(警官発砲)/ジム:弾は持ってるんだ!見ろ!/ジムの父:離せ/警官:誰だ、来るな/レイ:大丈夫だ警部/警官:担架をここに。/ジムの父:赤い上着を見て・・・てっきり/ジム:バカどうしてこんな・・・・/ジムの父:しかたない。お前は精一杯やった。(ジム泣き笑い)/ジム:助けてくれ/ジムの父:私を頼ってくれ、信じてくれ。何があっても共に進むと誓う。立て。私もお前と一緒に立とう。強くなるように努力する。
ジムは傍らにいたジュディを「僕の友達だ」と父親に紹介した。
そして、運ばれるプラトーのジャンパーのジッパーを上げ「寒がりだから」と呟いた。
そして夜が明け、ジム達はパトカーに乗せられ、警察へと車が動き出した。
出勤してくるプラネタリウムの職員と、ジム達を乗せたパトカーが、交差した。
エンド・クレジット・シーン
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『理由なき反抗』結末・感想
このラスト、苦しみ傷ついたティーンエイジャーの横を、何も知らずに通り過ぎる職員の姿とは、大人達が無関心だった10代の苦しみが存在するということを象徴するラストだと思います。
また、細やかな脚本で、寒がりのプラトーにジャケットを与えるのは、オープニングシーンの警察署内の出会いにつながっていたりします。
冒頭の警察署内での出会いのシーン
ジム:あったかいぞ
そして、個人的に最も心打たれるシーンは、上の動画(ラストシーン)でジムがプラトーの死に泣きながらも、靴下が左右違うのに気付き、泣き笑いをする場面でした。
この笑いは、喪った者の幼さイノセントさと、見送る者が深い親愛を持っていた事実を明確に表現しており、それゆえその死の悲劇が際立つのです。
その時の、ジェームス・ディーンの演技のリアリティーは、アクターズ・スタジオの提唱する『メソッド演技』のお手本のような見事さだと思います・・・・・・・・
考えてみれば、マーロン・ブランドとジェームス・ディーンによって、アクターズ・スタジオの名声は高まり、ハリウッドを支える演技論として成長したのではないでしょうか。
ハリウッド映画とアクターズ・スタジオ『メソッド演技』 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソンを輩出した名門・俳優養成所、演技の秘密 |
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ありがとうございます(^^)ジェームス・ディーンは泣き顔も上手いとおもいます。ただ個人的には声がチョット・・・・髪は若いときは早起きして頑張るのでしょう・・・(笑)氣志團がパクってますね間違いなくm(__)m
でもそうなのかも知れませんね。
まだ産まれてない自分でさえも知っている映画ですしね。
所で世界初の映画ってなんなんですか?
レビュアンさんなら知っているかと。
ありがとうございました(^^)これ以前に10代の主張を、10代の目線で語っている映画を知らないんです。子供映画はありますが・・・・・・ところで、スクリーンに映した、世界初は1895年仏・ルミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』だと言う説があります。
このとき、観客が引かれると思って、一斉に逃げたという説が有ります(^^)拙記事です参考まで→http://hirahi1.seesaa.net/article/443082978.html