製作国 アメリカ 製作年1962/上映時間134分 原題 What ever happened to Baby Jane 監督 ロバート・アルドリッチ 脚色 ルーカス・ヘラー 原作 ヘンリー・ファレル |
評価:★★★★ 4.0
サイレント時代からの2大スターが、復活を賭けて壮絶な闘いを繰り広げた、このドラマは迫真のリアリティーを持って観る者を慄かせます。
現実の二人の間には、サイレント映画の時代からこの映画までの30年近い、根深い感情的な確執があり、そんなハリウッド女優の壮絶なプライドがそのままドラマになったような一本です。
このハリウッドの伝説的2大女優の「ビッチ」ぶりと、そのドロドロの「確執劇」の詳細を、書いていてイヤになるほどの凄まじさですが・・・・・よろしければお付き合い下さい


<目次> |

映画『何がジェーンに起こったか?』簡単あらすじ |
6歳のジェーン(ベティ・デイヴィス)は名子役で、ジェーンの姉ブランチ(ジョーン・クローフォード)は売れず嫉妬していた。大人になると逆に姉ブランチは大女優となり、ジェーンは売れず嫉妬していた。そんなある晩、パーティーから車で帰ったときブランチは背骨を折る半身不随の怪我を追い、その事故の原因はジェーンではないかと疑われた。そんな車椅子生活のブランチを世話するジェーン。今は初老を迎えた2人の確執はさらに深まり、ジェーンは異常な行動を見せ始め、ついにブランチに生命の危険すら生じる・・・・・・



映画『何がジェーンに起こったか?』予告 |
映画『何がジェーンに起こったか?』出演者 |
ジェーン・ハドソン(ベティ・デイヴィス)/ブランチ・ハドソン( ジョーン・クロフォード)/エドウィン・フラッグ(ヴィクター・ブオノ)/エルバイラ・スティット(メイディー・ノーマン)/ベイツ夫人(アンナ・リー)/デリラ・フラッグ(マージョリー・ベネット)
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映画『何がジェーンに起こったか?』感想ハリウッド伝説の2大女優の印象 |
“私は、ジョーン・クロフォードが燃えていたとしても、おしっこをかける気はないわ”
“彼女は名犬ラッシーを除いて、MGMスタジオのすべての男と寝てたの”
“彼女はスタジオではプロフェッショナル、でも外でも、個人的にも絶対会いたくない”
あまつさえ、ジョーン・クロフォードが死んだときに言ったコメントは、あんまりすぎて笑ってしまう。
“死者に対して悪いことを言うのは止しましょう。だから良いことだけ言うわ、ジョーン・クロフォードが死んだことよ”
ほんと、ビッチです。
しかし、ビッチさ加減ではジョーン・クロフォードも相当なもの。
“私は静かだが、ベティーは爆発物だ。私は規律を守るが、彼女は守らない”
“ベティーはインタビューで、私を「映画スター」だと言って、彼女自身を「女優」だと言った。何を言ってるんでしょう。”
“可哀そうなベティー!彼女の人生には一日、一晩たりとも幸せな時はなかったんじゃないかと思える”
“私はベティ・デイビスが嫌いではないの。たとえ新聞が「私は、彼女に怒っている。彼女が本当の舞台の経歴なしに、どう演技を習得したか私には分からない。彼女はインチキ、でも、大衆はそれを好きなんだと思う。」という言葉を期待してるにしても”
しかし、ジョーン・クロフォードのトーンは抑え目だ。

こんな、クロフォードとベティを評して
“ベティ・デイヴィスは映画史上最高のサディスト、ジョーン・クロフォードは映画史上最高のマゾキスト”と呼ばれていた。
この性格の違いについて、ベティの言葉は鋭い。
“私が悪女役を演じるのが上手いのは、きっと、私が悪女ではないから。だから、彼女(ジョーン)はいつも淑女ばかり演じている”

辛辣な意見だが、一面ジョーン・クロフォードの本質を言い当てていると、個人的には妙に納得するものがある。
ジョーン・クロフォードは、貧しい家庭で生まれ舞台の端役から苦労の末、ハリウッドの大女優にまで上りつめたが、どうもその人生には取り澄ました表情の下に、打算や野心がマグマのようにウゴめいていたように感じるのだ。
たとえば、映画界の重鎮ダグラス・フェァ・バンクスの息子と結婚をしてみたり、ペプシコーラの社長と結婚してみたりと、どこか計算が常に見え隠れする。

そんな内面を押し隠した外面を、クロフォード・メークアップで「化粧=よそおい」をするのだが、この化粧スタイルがドラッグ・クィーン達のお気に入りだったりする。
うがった見方をすれば、それだけ内面の秘密を隠匿しやすい「粧=よそおい」なのであり、同時にそれほど押し隠さなければならない何事かを持ち合わせていることの証拠ではないかと思える。
憶測でものを言うのも失礼だが、例えばジョーン・クロフォードの長女が書いた、1978年の『親愛なるマミー ジョーン・クロフォードの虚像と実像』という本では、長女と長男を虐待していたという衝撃的な内容が綴られている。
長女と長男は遺産相続権を剥奪されていることもあり、虐待現場を目撃したという証言者や、ジョーンの秘書も事実を認めているものの、彼女の友人などからは異論があるという。<上の本を元にした映画『愛と憎しみの伝説 』>
そんなジョーン・クロフォード対し、ベティ・デイヴィスは、辛辣な言葉と下品すれすれの露悪的なもの言いながら、思ったことをそのまま言うという直截さが明快ではある。

しかし長い間の確執の果てに、この二人は、常にライバルとして意識しているうちに、お互いの逆逆と動いて行ったようにも思える。
つまりは、ベティーが演技派ならばジョーンがスター性を追求し、ジョーンが淑女ぶるならベティーはビッチへと、お互いの反対へと自らを表現していったのではないだろうか。
そんな自らを変革するほどの確執が、二人に生じたきっかけは、1人の男だった・・・・・

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映画『何がジェーンに起こったか?』解説確執の発端 |
2人の確執は、俳優フランチョット・トーンという男を巡る恋のバトルから始まったようだ。
フランチョット・トーン(Franchot Tone, 1905年2月27日 - 1968年9月18日)はアメリカ合衆国ニューヨーク州出身の俳優。英語ではフランショー・トーンと発音。
大学卒業後に1929年に『エイジ・オブ・イノセンス』でブロードウェイデビュー。1932年に映画界入り。ジョーン・クロフォード、ジーン・ハーロウ、ベティ・デイヴィス、キャサリン・ヘプバーンなどの人気女優の相手役として1930年代に活躍した。クロフォードとは1935年に結婚したが4年後に離婚。(wikipediaより)
ベティーは彼女が最初のアカデミー賞を受賞した1935年の映画『青春の抗議(Dangerous)』でフランチョット・トーンと共演した。

しかし、そこに横やりが入る。ジョーン・クロフォードはすでに、MGMのセックスシンボルとして君臨しており、離婚したてだった。
彼女は夕食にトーンを招待したとき、ジョーンはサンルームで裸のまま迎えたという。大スターのそんな出迎えにフランチョットは夢中になった。そしてジョーンと結婚してしまう。
ベティーは、まだ『青春の抗議(Dangerous)』の製作中に、そんな恋人の変心と、二人が毎日ランチで会って、口紅で覆われた顔をして撮影現場に現れるのを見せつけられた。
ベティーは「私はもちろん嫉妬していた。」と告白している。
そんなジョン・クロフォードとフランチョット・トーンは『青春の抗議(Dangerous)』がクランクアップするとすぐ結婚したが、1938年に破局している。
一方、傷心のベティーは仕事に邁進する。『黒蘭の女』('38)で2度目のオスカーを獲得し、ワーナーの女王として君臨する。

一方のジョーンはMGMでヒット作に恵まれず、ベティーの在籍するワーナーへと移籍した。
こんどは、二人は仕事上のライバルとして、映画の役をお互い奪い合う立場になった。
一応ジョーンは仁義を切り、スタジオの先輩ベティーの楽屋に花束とプレゼントを送ったが、ベティーは全て返し「レズビアンの始まりかしら」と嘲笑したという。
しかし、ワーナーに移ったジョーンは『ミルドレッド・ピアース』('45)でアカデミー賞を受賞し、ベティーの演技なら私が上という自負も、世間の声に押され揺らいだことだろう。

実を言えば、この『何がジェーンに起こったか?』の二人の設定は、現実の彼女たちを周到に踏襲して造形されていると感じられてならない。
そういう意味でこの映画は「二人の確執」の、一種ドキュメンタリーとしての強さを持っている。

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映画『何がジェーンに起こったか?』解説映画撮影中の確執 |
この映画の撮影に入る前は、周囲は戦々恐々、無事に終わるか危惧したものの、撮影は順調でした。
二人も公式的には、お互いプロフェッショナルな態度で撮影に臨んでいるとコメントをしています。
しかし、このビッチどもは、水面下で戦い続けていたのです。
◎ジョーン・クロフォードが、映画が上手くいくようにと、ちょっとしたギフトと挨拶のメモをスタッフに送ったとき、ベティー・デイビスは彼女に「お金は払わない」と伝えるメモを送った。
◎二人とも夜になると監督に電話して、相手の不平を言った。
◎ジョーンがペプシの社長と結婚していたので、ベティーは自分の楽屋にコカコーラの販売機を入れた。
こんな小競り合いを経て、撮影はクライマックスへ。
◎ジェーンがブランチをひっぱたくシーンでは、ジョーンはベティーが実際に平手打ちすることに同意した。ベティーは代役を使われるのではないかと心配したが、アップがあるので代役が立てられないと知って喜んだ。
この撮影の時、ベティー・デイビスはジョーン・クロフォードの頭を掴んだ。
ジョーンが叫び、撮影は止まった。ベティーは、「私はほとんど彼女に触れなかった」と言ったが、ある証言ではジョーンは傷を縫うほどだったと語っている。
◎翌週クロフォードは復讐をする。ジェーンがブランチをベッドから引きずり出す場面だ。
ジョーン・クロフォードは、ベティー・デイビスが持ち上げにくくするよう、できるだけ体重をかけた。監督はキャリアに俳優を乗せれば簡単だと提案したが、ジョーンはベティーを苦しませたかった。ある者は、彼女が特別なオモリのベルトを装着したと証言する。彼女はこのシーンの撮影中、途中で咳をして撮り直しをさせている。
撮影が終わったとき、デイビスは苦しんで叫んでいたという。
ま〜だま〜だ終わらない。
◎ベティーは、ジョーンを蹴り上げるシーンでは、本来蹴るふりをするだけだったのに、偶然を装い本当に蹴った。

すったもんだしたものの無事撮影が終わり、作品は大ヒットした。
たぶん二人の確執が、アメリカ中で知られていたからこそ、スキャンダラスな話題が大ヒットに結びついたのに違いない。
この映画は、なんと制作費 $980,000-で、約10倍の$9,000,000-の収益を上げたのだ。
そして、この映画以前の二人は、すでに50歳に達しようという年齢もあって、俳優としての仕事も巡ってこない忘れられた存在になりかけていた。
しかし、この映画によってそのキャリアは一躍注目が集まり、再び役者として返り咲いた。
実を言えばこの映画が語っていたのは、お互いを許しあう感動的なストーリーだと解釈している。
そしてこの二人は、その後は映画の物語同様に、現実世界でも許しあい、長く友情を持ち続けた……
何てことは、これっポッチもなかったのである。
むしろ、この映画を境に決定的に悪くなった。
さあ、第二幕の幕が上がる。

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映画『何がジェーンに起こったか?』解説映画撮影後の確執 |
映画の撮影が終わったが―
まだまだ泥沼は終わらない・・・はぁ〜

それはアカデミー賞・主演女優賞に『何がジェーンに起こったか?』の演技でベティー・デイビスがノミネートされたときに始まった。
なんと、ジョーン・クロフォードは、ベティーの受賞に反対する運動をハリウッドで繰り広げる。さらに、他のノミネート者に手紙を送り、私が代理でアカデミー賞授賞式に参加すると申し入れたのだ。
そして不思議なことに、すべてのノミネート者が同意したのである。
そして、運命の夜オスカーの授賞式に、ベティー・デイヴィスとジョーン・クロフォードは、並んで舞台袖に待っていた。
そして、結果はベティー・デイヴィスは受賞できず、『奇跡の人』アン・バン・クラフトの代理人のジョーン・クロフォードがオスカーを持って微笑んだのである……
司会者はフランクシナトラ、受賞者を自分のベガスのホテル「サンズ」に招くといって笑いを誘う。プレゼンターはマクシミリアン・シェル。
ジョンクロフォード:バンクロフト穣のコメントです、親愛なるジョーン、コメントを託します。引用符、この賞を獲得できた三つの理由は、アーサー・ペン(監督)、ウィリアム・ギブスン(脚本)、フレッド・フォード(撮影)です。引用符閉じる。ありがとう。
この時ジョーン・クロフォードはベティーの肩に手を置いて「ごめんなさい。オスカーをとり行かなきゃ」と言ったとか・・・・・
そのオスカーの時のことを、79才のベティー・デイビスが語っている。
<1987年「TODAY」のインタビュー>
【大意】司会者:ジョーン・クロフォードとのことをお尋ねします。/ベティー:一本の映画で永遠に関連付けて言及されるわ。良い映画なのに。彼女は映画撮影中、時間通りで、基本的にプロフェッショナルだった。でも私とは違いすぎる女性で俳優だった。私が『何がジェーン〜』でオスカーを取れなかった時、彼女はニューヨークに行って他のオスカー候補者の代理人となると言い、さらに私に投票するなと運動した。彼女は嫉妬した。馬鹿げてる。もし私がオスカーを取っていれば、オスカー映画としてもう100万ドルは儲かったのに、彼女はそう思わなかった。/司会者:あなたにとって嫌な記憶ですね/ベティー:激怒した。(以下略)
も〜、この二人・・・・・なにやってんだかという思いがど〜しても、してしまい……★一個減らしました。
実際この映画のラストのメッセージを、この二人の現実の存在がスポイルしている気がしてなりません。
この映画の純粋な物語世界の完成度の高さは、ネタバレになりますので「ネタバレ・完結編」で書かせていただきます……
ほんとビッチなんだから。
長いイザコザ、お疲れですね……スミマセン
最後にもう一つ。実はこの二人の確執を基にしたTVドラマがアメリカで放映されて好評だったらしいのです。
ベティー役がスーザン・サランドンで、ジョーン役にジェシカ・ラングという豪華なモノ。
日本でも「フュード/確執ベティ vs ジョーン」の題でスターチャンネルで放送されました。
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ありがとうございます(^^)昔は映画会社が女優を抱え込んでいたので、ストレスが大きかったんではないでしょうか(^^;
しかし死者に鞭打つという・・・・・・
驚きました(笑)
すごい泥沼バトルですね・・(^_^;)女は怖い・・
ありがとうございます(^^)まさにビッチとしか言いようがないという(^^;・・・・しかし、その迫力が間違いなく映画に力をあたえています・・・・・コワ(笑)