原題 Girl with a Pearl Earring 製作国 イギリス 製作年 2002 上映時間 100分 監督 ピーター・ウェーバー 脚本 オリヴィア・ヘトリード 原作 トレイシー・シュヴァリエ |
評価:★★★★ 4.0点
フェルメールの名画「青いターバンの少女=真珠の耳飾りの少女」から空想された原作小説を、フェルメールの時代のオランダを切り取ったように映画化した作品。
ここには、芸術の持つ神秘がどこから生じているかが、説得力を持って描かれていると感じた。
そのモデルとなった少女の運命を、主演のスカーレット・ヨハンソンが弱冠17歳で演じ、鮮烈な魅力を印象付けた。
◎また、このレビューの最後に、映画ラストの意味を探った個人的な解釈を付記した。
映画『真珠の耳飾りの少女』ストーリー |
1660年代、オランダ。
少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、タイル職人の父が失明し職を失ったため、住み込みの下女となり家計を助けることになった。
奉公先は画家ヨハネス・フェルメール(コリン・ファース)の家で、そにには嫉妬深い妻カタリーナ(エッシー・デイヴィス)と、カタリーナの母(ガブリエル・ライディ)やコーネリア(アラキナ・マン)など多くの子供達がいた。
その世話をするため、炊事洗濯や掃除で朝から晩まで休むまもなく、同僚の下女タネケ(ジョアンナ・スカンラン)と共に働いた。
そんなある日、食材の買出しで肉屋に立ち寄った時、息子ピーター(キリアン・マーフィ)と出会い、彼に好意をもたれた。
また、家では光や色に対する美的感覚の鋭さをフェルメールに認められ、彼は彼女に遠近法や絵の具の調合も教えた。
こうして、グリートはフェルメールの絵の助手を任されるようになった。
(左:ほら、グリート。雲を見てごらん。どんな色がある?)
グリートは画家に対し畏敬の念を持ち、フェルメールは下女に新たなインスピレーションを感じ、美を見出す。
しかし、アトリエに入る二人を見る、妻カタリーナは、彼らに嫉妬し、徐々に精神の均衡を崩して行く。
また、娘のカタリーナもグリートに敵愾心を持ち、母の櫛を盗みカタリーナに罪を着せようとした。
そんなグリートを画家がかばい、ますます妻カタリーナは嫉妬を募らせた。
パトロンのファン・ライフェン(トム・ウィルキンソン)も、グリードを見て魅力を感じていた。
彼はかつて、自らの画の中に登場させたモデルのメイドを、慰み者にした過去があった。
そしてグリードも我が物にしようと、自分の絵にグリードを入れたいと画家に申し出た。
しかし、フェルメールは絵の助手として必要だと、ファン・ライフェンと交渉しグリートを手元に置いた。
そして、パトロンのためにグループ画を描き出した。
また同時に、妻カタリーナに知られないように、画家はグリート1人の肖像画も、密かに書き始めた・・・・・
(下部にネタバレとラスト・シーンがあります)
映画『真珠の耳飾りの少女』予告
スカーレット・ヨハンソン(グリート)/コリン・ファース(ヨハネス・フェルメール)/トム・ウィルキンソン(ファン・ライフェン)/キリアン・マーフィ(ピーター)/エシー・デイヴィス(カタリーナ・フェルメール)/ガブリエル・ライディ(カタリーナの母)/ジュディ・パーフィット(マリア)/アラキナ・マン(コーネリア・フェルメール)/ジョアンナ・スカンラン(タネケ)
映画『真珠の耳飾りの少女』出演者
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以下の文章には 映画『真珠の耳飾りの少女』ネタバレがあります。ご注意ください。 |
彼は妻の真珠の耳飾りが絵に必要だと考え、妻にそれをほのめかす。
それを聞いた妻は、ヒステリックに反対し、認めようとはしなかった。
翌日アトリエで、画家に耳飾りを付けるよう求まられたグリートは、奥様に申し訳ない、ピアスの穴も開いていないと、断ろうとする。
しかし、フェルメールに絵を見せられたグリートは、思わず「私の心までお描きになった」と呟いた・・・・・
そんなある日、パトロンのファン・ライフェンが、洗濯をするグリートに忍びより襲い掛かった。
いつまで待たせるのだと怒り、グリートを我がものとしようとするが、その時彼女を呼ぶ声がして断念した。
妻の母はこれ以上パトロンを待たせては、彼が去って行くと危ぶむ。
絵の完成のためにと、密かに耳飾を持ち出しグリートに渡した。
そしてアトリエで、フェルメールはグリートの耳に穴を開けた。
フェルメールから耳にピアスの穴を開けられた日、グリートは肉屋の息子ピーターと初めて体を交わした。
絵が完成し、グリートが母に真珠の耳飾りを返している所を、娘コーネリアに見られた。
自らの耳飾りを使われたと知った妻は怒り、アトリエに押しかけ、フェルメールに絵を見せろと詰め寄った。
母コーネリアは、ただの絵だ、お金が必要だと取りなすが、聞く耳を持たない。
ついに、フェルメールはグリートの絵を妻に見せた。
絵を見た妻は「何て淫らなことを」と言うと悲痛な顔で、夫になぜ私を描かなかったのかと訴えた。
夫は「お前には分からない」とイラだった声で答えると、妻は「彼女には分かるの」と夫にすがりついた。
そして、逆上した妻は「私の家から立ち去れ」と怒鳴り、グリートはフェルメールの家を後にした。
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映画『真珠の耳飾りの少女』ラストシーン |
追い出されたグリートの元を、フェルメール家の下女タネケが訪ねてきた。
そして一つの包みを手渡し去った。
画家フェルメールが封印をしたその包みを開くと、あの真珠の耳飾りが鈍い光を放っていた。
それを見つめるグリートの姿に、名画「真珠の耳飾りの少女」が重なる。
映画『真珠の耳飾りの少女』 映画ラスト意味 |
もちろん、画家の愛の証だという取りようもあるだろう。
しかし、個人的には『解説編』で書いたように、この映画の本質は、曖昧な対象から一瞬の輝きをを切り取るために、少女の純情をも「もてあそぶ」画家のエゴイスティックなまでの、美への執着を描いた物語だと思う。
そう考えたとき、この鈍く光る真珠とは、この少女が画家に持った恋慕から生じた輝きが、彼女の人生における真実の輝きでなかったとしても、それは画家とモデルの間に間違いなく成立した、二人だけがわかる恋の似姿だった。
その、不明瞭ではあるが明らかに認められた、燐光のごとき発光現象こそ、この画家の求めた少女の官能の発露だった。
その「官能=生命力」は、画家によって永遠の命を持たされ、思惑通りにその絵に定着した。
そしてその成功の影で、その純情を弄ばれた少女のために、その二人の間に生じた輝く時を象徴するモノとして、せめて真珠を送ることでせめてもの罪滅ぼしを、画家はしたのだろう・・・・・
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