原題 Babel 製作国 アメリカ 製作年 2006 上映時間 143分 監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 脚本 ギジェルモ・アリアガ 原案 ギジェルモ・アリアガ 、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ |
評価:★★★★ 4.0点
映画の題名「バベル」の塔の物語は、旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。
ノアの子達は天に届く高い塔を作ろうとしているのを見て、それを見た神は人間が一つの民で一つの言葉を使っているからだと考えた。
主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされた。
この映画は、そんな言葉が乱れ、各地に人が分散したがゆえに発生した、コミュニケーションの断絶による悲劇を描いた映画だ。

<目次> |

映画『バベル』予告 |
モロッコに住む、幼い兄弟のアフメッド(サイード・タルカーニ)とユセフ(ブブケ・アイト・エル・カイド)は、親からジャッカル退治用に一挺のライフルを手渡される。遠くまで届くと聞いていたので、ユセフは山道を走るバスを狙って一発の試し撃ちをした。その観光バスには、子供を失って関係が険悪になった、アメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、夫婦の絆の修復のためツアーに参加していた。ユセフの放ったライフルの弾頭はスーザンに命中する。リチャードはスーザンを抱え医者がいる村へたどり着く。夫婦にはアメリカに、兄のマイク(ネイサン・ギャンブル)と妹のデビー(エル・ファニング)が留守宅に、メキシコ人の乳母アメリア(アドリアナ・バラッザ)と共にいた。リチャードとスーザンが帰国できなくなり二人の世話を求められたアメリアは、息子の結婚式を控え、是が非でも出席したいので、子供たちを連れてメキシコ国内に行くことにする。モロッコでは犯行に使われたライフルの所有者が、日本人の会社員ヤスジロー(役所広司)だと判明し、その娘の聾唖である高校生の娘チエコ(菊地凛子)も警察の聴取を受けた。会社員ヤスジローと娘チエコは最近母が自殺したことで気分が落ち込み、溝が深くなっていた。チエコは友人たちと渋谷で遊び回り、自宅に若い刑事(二階堂智)を呼び出した・・・・・・・
映画『バベル』あらすじ
息子の結婚式を済ませ乳母アメリアは、国境を越えようとした時、飲酒運転がバレた甥のサンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が、強引に検問を突破し逃げ回った挙句、アメリアと子供たちを砂漠に置き去りにして逃走してしまう・・・・・リチャード・ジョーンズ(ブラッド・ピット)/スーザン・ジョーンズ(ケイト・ブランシェット)/ユセフ (ブブケ・アイト・エル・カイド)/アーメッド(サイード・タルカーニ)/アブドゥラ(ムスタファ・ラシーディ)/アメリア(アドリアナ・バラッザ)/サンティアゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)/マイク・ジョーンズ(ネイサン・ギャンブル)/デビー・ジョーンズ(エル・ファニング)/アンワー(モハメド・アクザム)/国境検問所の警官(クリフトン・コリンズ・Jr)/境警備隊隊員(マイケル・ペーニャ)/綿谷安二郎(役所広司)/綿谷千恵子(菊地凛子)/刑事・真宮賢治(二階堂智)/歯科医(小木茂光)
映画『バベル』出演者
2006年カンヌ国際映画祭 監督賞
映画『バベル』受賞歴
2006年ゴールデングローブ賞 作品賞 (ドラマ部門)
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映画『バベル』感想・解説 |

例えばアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)は、子供を喪いお互いに対して信頼を持てなくなったように見える。

この二人の少年の間にも、聖書「カインとアベル」の兄弟のように、弟のライフルの腕前が上であったり、妹が弟に好意を示している姿に、兄の嫉妬をもとにした確執があった。
その悪戯の発端には、兄弟間の小さな言葉の応酬があったのであり、つまりは、二人の間のコミュニケーションの摩擦が元だと言うこともできる。

アメリカ大使館はモロッコ政府との話し合いに手間取り、モロッコ政府は救急車を出す筋合いは無いと突っぱねる。

そして、幼い子供の世話を押し付けられたアメリアが義務と権利を行使する方法が、幼い姉妹を伴ってメキシコ国境を越えることしかなかったのも事実だ。

事件に使われたモロッコ人の兄弟が持っていた銃は、役所広司演じる会社員ヤスジローがモロッコで狩猟をした時、そのまま現地のガイドにプレゼントしたものだった。
そのヤスジローは妻を自殺で亡くし、娘の聾唖者、女子高生のチエコとも上手く心が通じ合わない。
結局、アメリカ人夫婦と、日本人の親子は、裕福で容易に安全に生活を積み重ねて来ても、家族の一つの命の喪失がお互いにコミュニケーションを不可能にしてしまう。
そして、モロッコとメキシコの家族は貧しくとも、密なコミニュケーションを持っていたが、偶発的な事故によって命の危険に曝される。

この映画は、そんな一組のカップルに生じた事件・事故は更に、別の家族に波及し、波紋が広がるように歪みが大きくなっていく様を描いて、「人の世」と言うのが連関し、摩擦は摩擦を生む様を世界的なスケールで描いた秀作だと感じた。
つまるところ、バベルの神話ではないが、世界は一つの民族一つの言葉でなくなり、分断と分散が人と人の間にあるのが当たり前になった。
そんな他者との境界線を生きる人類に対する、哀しい運命を描いて力が有る。
そしてまた、最後にヤスジローと娘チエコに仮託して描かれたのは、間違いなく言葉を超えてつながる「魂の結びつき」であったように思えてならない。

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以下の文章には 映画『バベル』ネタバレがありますのでご注意ください。 |
翌朝、メキシコ国境近くの砂漠で灼熱の太陽に意識が薄れていく子供達、泣きながら助けを求めるアメリア。
結局子供達は救助されたが、アメリアはアメリカに居られなくなった。
リチャードは衰弱しているスーザンと、久々に心を開いて語り合ったあと、病院へと向かう。
スーザンは無事退院しアメリカに戻った。
モロッコの兄弟は追い詰められ、兄が警官の手で射殺されてしまう・・・・・
そして、娘チエコは全裸で呼び出した刑事に求愛をするが、受け入れられなかった。
刑事の優しい気遣いに、涙を浮かべたチエコは手紙を彼に渡した。
刑事は一人居酒屋で、その手紙を読み切ない顔を見せた。========================================================
映画『バベル』ネタバレ解説
チエコの母の自殺
この映画の核心は日本人家族、父ヤスジローと娘チエコ、そして自殺したヤスジローの妻、チエコの母が、その鍵を握っているように思えてならない。
映画自体で語られた情報として、娘はバルコニーから自殺したと言い、夫は銃で自殺したと言う。夫が警察にも何度も説明したと言うところを見れば、間違いなく銃による死であるだろう。
そして、その第一発見者は娘のチエコだったにもかかわらず、チエコはバルコニーからの投身自殺だと刑事に嘘を言った事になる。
たとえば、可能性として父親か娘が銃で母を殺害して、ライフルを証拠隠滅のためにモロッコの猟の際置き去りにしたという可能性もある。だから、チエコが投身自殺だと嘘を付いたというものだが・・・・・
正直、警察の事情聴取も終わっていて、銃とライフルを取り違えるはずはない。仮にライフルで死んでいてその凶器の行方を探さないはずはないし、更に父と娘の間に共謀が有ったとしても、ライフルを持った猟の写真をわざわざ飾っておくのも不自然だと思える。
更に想像すれば、父と娘の間に性的な関係が有って、それを知った母が自殺したとも考えられる。母に死なれたチエコはもう父とは抱き合えず、父と同年代の男たちに性的な関係を迫るというものだ。
しかし、映画の描写としてこの父と娘の間に、性的関係の影を個人的には感じなかった。この娘は、傷つき、混乱してはいるが、それはむしろ母の死を契機として生じた精神的苦悩から生じたと見る方が自然だろうと思われる。
そう考えてきたとき、多分、母はなにも言わず唐突に死んだのではないか。
前触れもない死は、その周囲の人間に、自らに非が有りはしなかったかという問を突きつけるはずだ。しかも聾唖者で子供の頃から面倒を見てもらった母娘の間に、強い依存関係があったと思えば、娘は自責の念を深く激しく感じたのではなかろうか・・・・・・
そして、第一発見者でありながら、母の死を納得できず、父と話し合うこともできず、そんな苦悩の中で母が突然ベランダから飛び降りたという情景として記憶されたとしても、彼女を責める事もできまい。(上:私たち(聾唖者)のこと怪物だと思っているんだ)
個人的には、母の自殺は突然で周囲の者にもその原因は明確に分からないがゆえに、この映画のテーマ「コミュニケーションの不在」が際立つのだと感じた。
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映画『バベル』ネタバレ解説
刑事へのチエコの手紙
それでは上記の母の自殺を踏まえて手紙の内容を推測して見たい。
手紙とは、刑事が彼女を諭し、それにたいして手紙をチエコは渡す。その内容は、劇中では語られないので、観るものの想像に任されている。
この手紙を読んだ後に、刑事がそのまま酒を飲み続ける事から、事件に対する真相を打ち明けた内容というより、今現在のチエコの精神状態、なぜ刑事に抱かれたかったかを語った内容だったと思われる。
以下は手紙の内容を想像し書いたものだ。突然ふしだらな事をして申し訳ありませんでした。
最近の私は、母が自殺してからの私は、自分でもどうなってしまったのか分かりません。
あの母が何も言わずに居なくなって、その理由がいくら考えても私には分かりません。
私の障害の為に苦しませたのだろうか、私が遊びすぎたのが原因なんだろうかと考えても答えは出ません。
そんな事ばかり考えているうちに、人と人が本当に理解しあう事が可能なのかと思えてきました。
私は孤独に苛まれ、誰も信じられなくなって、誰かが本気で私を求め、つながりたがっているという確信が欲しくなったのです・・・・・・・だから、誰かにSEXをとおしてでも、私を求めて欲しかったのです。
しかし、刑事さんを求めた時に、私には本当に求めているものが分かったような気がします。
本当に話し合いたい、本当に解り合いたいのは父だったのだと。
父と母の事を話したくとも、父はそのことを避けて語ろうとしません。
でも、そのことを避けていれば、私達は生涯お互いを許せないでしょう。
だから、父と話して見ます・・・・刑事さんの前に裸で立った勇気を持って。
それ以外に私達二人も、そして母も救われる道はないと思えるのです。========================================================
映画『バベル』ラストシーン
ヤスジローは帰宅し、チエコの姿を見ると、優しく抱きしめた。
静かに、互いの温もりを分かち合うかのごとく・・・・・
分断された人のつながりを如何に再生すべきかの希望を描いた良い映画だと思う・・・・・・【関連する記事】
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そこそこ年齢行った今観たら評価も変わりそう〜。
今更ながら豪華俳優ですね(*‘∀‘)
ありがとうございます(^^)なかなかヘビーな内容でしたが・・・この監督の実力が遺憾なく発揮された一本ではないでしょうか・・・謎は残りますが(^^;
ありがとうございます(^^)謎は残りますよね〜スッキリ明快ではないだけに後を引くという・・・・・しかし名作だと思いましたm(__)m