評価:★★★ 3.0点
この映画を見て、明治文学界の革命者「二葉亭四迷」を思い出しました・・・・・
正直この作者の「浮雲」を読んでも面白いとは思わないのですが、日本文学が話言葉を持ったという「言文一致」を始めて世間に問うた、ただ一点で歴史的な価値を不動のものとしました。
この映画も、映画として「面白い面白くない」はともかく、今となれば映画の歴史の中で必ず言及される古典作品です。
<戦艦ポチョムキン・あらすじ>
ロシア・ロマノフ王朝末期の1905年6月には、労働者ゼネスト、農民の暴動、反乱が相次ぎ、革命の声が軍隊の内部にまで高まって来た。ここ戦艦ポチョムキンでも、食料に蛆が湧いているのを見て、水兵たちの怒りが爆発した。しかし先任士官ギリヤロフスキーは水兵たちに、腐肉のスープをテーブルに並べた。だが、怒りに燃える水兵は手をつけない。非常呼集が掛けられ、甲板に整列した水兵に艦長ゴリコフ(V・バルスキー)は、スープに満足していない者に罰を与えろと命じ、兵達は動揺した。しかし命令に従わず抵抗する水兵たちにギリヤロフスキーは水兵を射つよう命令した。水兵ワクリンチュク(A・アントーノフ)は「兄弟たち、誰を射つつもりか!」と叫ぶと銃はおろされた。更に自ら発砲しようとするギリヤロフスキーに対して、水兵たちは一斉に蜂起した。艦長・軍医・士官は海に投げこまれ、船を水兵が占拠したが、指導者ワクリンチュクも命を落とした。ポチョムキン暴動のニュースはオデッサの町中に広がり、民衆の心を大きく揺り動かした。そしてオデッサ市街でも、人々が蜂起し暴動が発生した。そんな大衆に向けて容赦ない官憲の武力鎮圧が行われた。一方、ポチョムキン号には、黒海艦隊が反乱鎮圧のため差し向けられたという情報が入る。水兵たちは激しい討論の末、徹底抗戦に意見は決した。そして、夜になり、黒海艦隊艦隊が姿を見せる・・・・・・
(英語題 Battleship Popemkin/製作国ソ連/製作年1925年/上映時間66分/監督セルゲイ・M・エイゼンシュテイン/脚本セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、ニーナ・アガジャノヴァ・シュトコ)
========================================================
戦艦ポチョムキン・感想・解説
========================================================
戦艦ポチョムキン・感想・解説
========================================================
戦艦ポチョムキン・作品解説
セルゲイ・M・エイゼンシュテインが、第一次ロシア革命と呼ばれる一九〇五年革命のなかの、歴史的事件“ポチョムキン号の反乱”をテーマに製作したもの。彼は監督・シナリオ・モンタージュを担当し、《リズミック・モンタージュ》と《音調モンタージュ》は特に有名である。シナリオはニーナ・アガジャノヴァ・シュトコがエイゼンシュティンに協力している。撮影はエドゥアルド・ティッセ、音楽はニコライ・クリューコフ、録音はイ・カシケヴィッチ、美術はワシリー・ラハリスが担当した。なお、助監督にグリゴーリ・アレクサンドロフがついている。出演はア・アントーノフ、グリゴーリ・アレクサンドロフ、ウラジミール・バルスキーらのほかに、エイゼンシュティン自身が神父役で出演している。(キネノートより引用)
けっきょく映画技術としては、その後格段の進歩を遂げているので、コマ割りにしても、カメラアングルにしても、古いイメージは否めません。
正直言えばオデッサの階段のパニックシーン以外は、今の眼から見れば、それほどタイトな映画ではありません。
正直、この映画を映画館で上映して、スターウォーズと同じ値段を取ろうとすれば、あまりの面白くなさに、暴動が起きかねないでしょう。
しかし映画技法パイオニアとしての歴史的価値を考えれば、映画として面白い面白くない以前に、既に「浮雲」同様の不動の位置を占めている点は認めざるを得ないと思います。
その歴史的な「表現力の向上」を検証するために、この映画より更に古い映画をテキストとしてご覧下さい。
1903年エドウィン・S・ポーター 監督「大列車強盗(The Great Train Robbery)」
エジソン社が製作の世界初の西部劇。ラストシーンで銃を向けられた観客達は、劇場から本当に逃げ出したのだと言う。これも間違いなく歴史的映画遺産。
上の「大列車強盗」では、カメラが据え置きで移動しないのはともかく、ズームとパンが無く、更にカット割が基本的にありません。
つまりは舞台を見る観客の視線で固定され、舞台下の観客の目線をカメラが肩代わりしているのです。
つまり、エイゼンシュテイン以前の映画カメラは、傍観者、客観的視座として位置し、それを見る観客は客観的第三者として見ること以外できない、撮影方法だったと言えるでしょう。
まずは、そんな上の定型の映像イメージで、頭を一杯にして下さい。
いいでしょうか、大丈夫でしょうか、では次の動画をご覧下さい。
エイゼンシュテイン・モンタージュの名場面「オデッサの階段」
いや〜スゴイ、すごい、凄いとしか言いようが無い!
カメラはロングから、カットが入って強調したい対象に切り替わり、「状況の説明=客観的説明」と「人物の目線=主観」が交互に切り替わり、映し出され、あまつさえカメラが(ジリジリとではありますが)移動さえします!
とりわけ、現代ですら通用する大胆なアップは、叫ぶおばちゃんの迫力も相まって、夢に出そうな迫力ではないですか。
「大列車強盗」が川の向こうの火事だとすれば、「戦艦ポチョムキン」は火事の真っ只中にいる人間の、主観的体験を語るべき視線にまで進化を遂げていると感じます。
四コママンガを見ていた子供達が、手塚治虫のコマが自在に大きさを変える、ストーリーマンガを始めて見た時に匹敵するぐらいの、表現における革命的な事件だったに違いありません。
そういう意味で、当時の衝撃の深さを、多少なりとも追体験して頂けたのではないでしょうか?
そんな映画史に残る革命的な作品のですが、実は題材も「ロシア革命」なのでした。
映画として、現代の目から見れば「面白い」とは言い難いこの映画ですが、個人的に感動したのは、技術を越えた勢い、迫力、パッションが、サイレントでありながらこれほど伝わってくるという事実でした。
これは真に奇跡的なことではないでしょうか。
しかも役者は、あのスゴイ叫び声を上げるオバチャンも含め、数人を除きほぼシロートだそうです。
それでこの表現力はどうした事でしょう。
この映画の製作年は1925年で、ポチョムキン号蜂起から20年目、ロシア革命から数年後の作品です。
そう考えれば、ロシア共産革命はツイ昨日の事です。
これはその共産主義の理想を反映した、間違いなくプロパガンダ映画です。
しかし、通常のプロパガンダ映画と違うのは、監督も出演者も自分達の伝えようとする「共産主義」を、絶対的正義と信じて、信念と確信をこの映画に注ぎ込んだことだと思うのです。
ここには、共産主義に対する絶対の自信と、誇りが、満ち溢れていると感じます。
権力者を庶民大衆が打倒した、世界初の共産革命が意味したものは、労働者達の労働者達による労働者のための国家が生まれたという事実でした。
皇帝でもなく、資本家でもなく、労働者が権力を得ると言う事は有史以来初の出来事であり、ロシア民衆にとっては真に誇るべき、理想であり、理念の現実化でした。
それはアメリカの民主主義に比べても、先進的でより民衆にとって価値をもつ政治体制だと、多くの進歩的な人々が信じていたのです。
そしてそれを自らの血と引き換えに、現実化したロシア民衆にとっては、世界中に共産革命を誇るべき歴史的事件だったのです。
つまり、自分達の勝利の雄叫びがこの映画であり、その喜びと開放が、この映画の凄まじいばかりのパワーとなって奇跡的に結実していると思うのです。
それはたとえば、オデッサの階段以外の間延びしたシーンでも、人物が現れた瞬間に画面がエネルギーで満ち溢れるように活気を帯びるのが、何よりの証拠だと思うのです。
この映画が伝える熱気こそが、ロシア民衆が革命を信じていたという歴史的証拠物件だと言えるでしょう。
そして、更に大胆に推論を推し進めれば、ソヴィエト連邦、共産主義革命の勝利という、ロシア人民にとっての主観的な大事件の感動を、この世に余すことなく表現したいというエイゼンシュタインの強い意志が、これほど革命的なモンタージュを生み出したのではないでしょうか・・・・・・・・
だとすれば「ロシア革命」は「世界初の共産主義国」を生み出しただけではなく、「近代映画表現」も生み出したのだと言わせて頂きます。
しかし、歴史は進みソヴィエト連邦は崩壊し、映画の表現はカメラの進化と共にとどまる所を知りません。
例えば、今の技法を使ってこのオデッサのシーンを撮影すると思えば、あの技法や、この技法で、もっと見栄えの良いものになるのは間違いないでしょう。
そんなことで現代の目線での映画としての面白さは★1・・・です。
映画史的価値と歴史資料的価値で★2・・・です・・・・・悪しからずご了承下さい。
ケビン・コスナー主演『アンタッチャブル』オデッサ階段シーンへのオマージュ
スローモーション・ズームアップ・マルチカメラ・俯瞰・アオリ・・・いやあ〜ここまで表現技術は進んだのかと感心しますが、その歴史的一歩はこの映画のモンタージュにあるのです・・・
========================================================
スポンサーリンク
========================================================
========================================================
以降
「戦艦ポチョムキン・ネタバレ」
「戦艦ポチョムキン・ラストシーン」
を含みますので、ご注意下さい。
========================================================
========================================================
========================================================
黒海艦隊艦隊が姿を見せ、マトウシェンコの命令で、ポチョムキンのマストには「われらに合流せよ」の信号旗が上げられた。
いよいよ艦隊は射程距離内に入り、戦いか、死か、緊張した一瞬がながれ―
戦艦ポチョムキン・ラストシーン
【意訳】「我らと連帯せよ」とシグナルを送れ/連帯・・・我らと!/敵は射程距離内に入った/皆は一人のために/一人は皆のために/発砲?/兄弟よ/同士を賞賛する声が響く/戦艦ポチョムキンは自由の赤旗を掲げ艦隊に合流した/
この映画の、出演者の表情の生き生きしているのを見ると、やはりこの当時のロシア人にとって「ソヴィエト連邦」とは理想の王国だったように感じられてなりません・・・・って・・・・私がプロパガンダに乗せられたんでしょうか?
スポンサーリンク
と思ったら白黒の戦争者なんですね!
この題名に驚きました(笑)
ありがとうございます(^^)迫力あります!もうマジなんですね、昨日ロシア皇帝を倒して自分達の国ができた〜〜みたいな喜びがにじみ出てるような気がしますm(__)m
ありがとうございます(^^)えっえっアニメ〜(゚Д゚)と逆にビックリ!そ〜か〜艦コレにポチョムキンいたんですか?100年前の戦艦ですよ・・・・・あ〜ビックリした(^^;