評価:★★★★ 4.0点
この映画はクリント・イーストウッドとドン・シ−ゲル監督が組んだヒット作だ。
マカロニ・ウェスタンで評価されてはいても、ハリウッドの作品には恵まれなかったイーストウッドは、この映画をジャンプ・ボードにしてハリウッドのB級スターからステータスを高めていった。
このB級映画は制作費$4,000,000-で$35,976,000-の収益を上げたが、それほど刺激的な内容だったと言う事だろう・・・
<ダーティー・ハリーあらすじ>
ある日プールで泳ぐ女性が銃撃され死亡した。10万ドルを支払わなければ狙撃し続けると、犯人スコルピオ(アンディ・ロビンソン)の脅迫情がサンフランシスコ警察に届く。殺人課の刑事ハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)は、上司のブレスラー(ハリー・ガーディノ)、市長(ジョン・ヴァーノン)らの命令を無視して、犯人を追う。ハリーの相棒はラテン系のチコ(レニ・サントーニ)が付けられた。狙撃犯(アンディ・ロビンソン)を警察とハリーとチコも追うが、狙撃事件が又も発生した。ハリーは、犯行現場で待ち伏せを開始し、現れた犯人と激しい銃弾の応酬となった、逃げられる。再び脅迫状が警察に届けられ、20万ドルの身代金をハリーが届ける事になった。犯人に殺されそうになりながらも、犯人をケザー・スタジアムで確保し、人質の行方を言わない犯人に拷問をした。後日ハリーは、拷問により地方検事から告発され、犯人もすぐに釈放された。更にハリーは謹慎を命じられる。自由になった犯人は、スクール・バスを襲い、乗っていた乗客を人質にして警察に法外な要求を突きつけるのだった・・・・・・・・
(アメリカ/1971年/102分/監督ドン・シーゲル/脚本ハリー・ジュリアン・フィンク、リタ・M・フィンク、ディーン・ライズナー)
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ダーティー・ハリー感想
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ダーティー・ハリー感想
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誤解を恐れずに言えば、人は殺人や暴力が好きなのだ。少なくともそういう光景を味わう(見る聞く読む)のが好きだという人間は驚くほど多いはずだ。
そうでなければ、これほど多くのメディアを通じて日々刻々、暴力シーンが流され続けるわけがない。
しかし、人は殺人や暴力が好きだということを、認められない。
それは人間社会を含むあらゆる命の集団にとって、命を連ぎ広げるという至上命題に背くタブーだからだ。
それゆえ、殺人や暴力に至る必然性について、ありとあらゆる言葉を尽くして理由をつけるのである。
映画の初期に現れたのは、西部劇のインディアンだった。
彼らは白人と敵対してるが故に殺されても仕方がなかったと理解されたのである。
この、敵対集団だから殺してもいいという構図は、戦争映画、エイリアン、もっと身近になればヤクザ不良達の抗争まで、多くのバリエーションを持つ。
そして、その集団の大きさによって暴力を正当化する理由もさまざまである。
例えば、ゾンビだから、エイリアンだから殺す、というシンプルなものはまだ良い。
なぜなら、人間本来の攻撃性の本質がアラワになって、それを見て楽しんだ自分に対し「だってゾンビだからね・・・・殺したってイイジャン」といいながらも、はっきり殺人嗜好を自らの心に感じざるを得ないだろう。
問題なのは、殺人は悪い、しかしヨンドコロナクコロシちゃいましたという奴だ。
この説明を上手にされてしまえば、本当は「殺人楽しい」という深層心理ながら、正当な理由があるからこの暴力は仕方がないのだと、そう見る者が自らを偽装してしまうのだ。
例えば想像したくない事だが「ランボー2」のベトナムでの大暴れを見て楽しんだ者が、これはアメリカの正義の為なんだから正しいのだと思ったとしたら・・・・それは戦争が正しいと言っているのと同じことだ。
『ダーティー・ハリー』銀行強盗との銃撃戦
(強盗近くの散弾銃を見る)ハリー:お前が何を考えているかわかってるぞ。俺が6発撃ったか、まだ5発か考えてるんだろ?本当のことを言えば、興奮していたから、俺自身数えてないんだ。でもな、これは44マグナムで世界一強力な拳銃だ・・・・・・撃てば頭はきれいに吹き飛ぶだろう・・・・自分に尋ねてみな”自分が幸運かどうか”、どうだ、試して見るか?チンピラ。(強盗あきらめる) 強盗:どっちなんだ(ハリー空撃ち)強盗:コン畜生!
・・・・・・というわけで、この映画は警察官が犯罪容疑者を撃ち殺す映画のハシリだ。
映画自体、娯楽色の強い、イーストウッドの西部劇のアウトロー・ヒーローのイメージを、現代でどう表現するかという模索の中で生まれたモノとも思う。
また、クリント・イーストウッドの影のあるそのタタズマイが、辛酸を舐めて来たこの人だったら悪党どもを許せないのも分かるなんて、見ている者に言わせる説得力を持つ。
ビルから飛び降りようとする自殺者を思いとどまらせるシーン
汚れ仕事が回ってくるのも苦労人ならでは・・・・・・・
【意訳】
自殺者:俺を捕まえに来たのか。/ハリー:ちがう。あんた自殺したいんだろう。とめないよ。あんたみたいな自殺者に何が起こるか知ってるか?だいたい土壇場で何かにすがり付くんだ。誰か道連れにしたがるんだ。でも一人で行ってくれ。俺はゴメンだよ、ブラザー。/自殺者:俺を捕まえないのか。/ハリー:俺の同僚は何年か前、飛び降り自殺者と20階に居たんだ。飛び降りのとき掴まれて、20階から落ちちまった。奴等押しつぶされてばらばらだよ。アンタこの手がどこに行ったか、足がどこに行ったか言えないだろう。本当に汚いもんさ。俺は腹の中のもの全部吐いちまった。ただ俺は、アンタの名前と住所を教えてもらいに来たんだ。/自殺者:なんで?/ハリー:さっき言ったみたいに、ヤッチまった後は下は汚れてる。すると免許証を見つけても血とか色んなモノで読めやしない。/自殺者:俺は、俺・・・・吐きそうだ。/ハリー:おい、止めてくれ。みんな下にいるんだぞ。見えるだろ?消防署長が上を向いてる。顔にかかっちまう。/自殺者:このクソ野郎が!俺をほっといてくれ!(殴って気絶させ下に下りて同僚のチコに)/ハリー:俺が何で"ダーティ"と呼ばれているか分かっただろう。こんな汚れ仕事ばかりやってるからさ・・・・・
劇中では、警官の犯罪行為の言い訳が完璧に理由づけもしてあり、この犯人なら殺されても仕方がないと思わせる。
それゆえ、個人的にはこの映画を単体で見れば、娯楽映画として楽しむべきで、そう見れば職人的な優れた映画だと思う。
また、この警官の殺人も正当性があるとは言えないが、理解できるということ、最後に警官バッジを投げ捨てて私はならず者ですと宣言した良心に対して、政治家テキ態度で星4つを献じます。
正直、これ以降警察官は、この映画の殺人正当性を映画的免罪符として、派手にドンパチやらかすことになる。
少なくともこの、警官アクションのパイオニア映画には、警察官の殺人に対する言い訳があるが、一度言い訳をしてしまえば、あとに続く映画は言い訳をせずに殺す量と刺激を増やしていくのだ・・・・・・
そんな責任を問うのは可哀そうだが、でも物語の原型を製作した者=パイオニアは、その後の展開しだいでは大変な影響を持つのだという例証として、この映画の「パイオニア的原型」が正しかったのかと、もう一度確認したいとも思うのである。
そんな事で、警察官が殺人を行う正当な理由を世に提示し、フォロワーへ道を示したことに対しては、慎重であるべきだという事で☆1をマイナスした。
犯人スコーピオンを拷問するハリー
少女を誘拐し身代金を要求したスコーピオンを捕え、少女の行方を問い質すハリー。
(0:50秒より)スコルピオ:どうか!もうやめろ!怪我してんだ!怪我が見えないのか?お前が撃ったんだ!止めろ!止めろ!医者を呼んでくれ、医者を呼んで。どうか、医者を俺に!殺さないで!/ハリー:女の子は?彼女はどこだ?/スコルピオ:オレを殺そうってんだな!/ハリー:そうするんだったら、お前の頭はこのフィールドに全部飛び散ってるさ。さあ、女の子はどこだ?/スコルピオ:弁護士を呼べ/ハリー:女の子はどこだって言ってるんだ。/スコルピオ:弁護士を呼ぶ権利がある。/ハリー:女の子はどこだ?/スコルピオ:弁護士を呼ぶ権利がある。/スコーピオ:どうか、やめてくれ!/スコルピオ:弁護士を呼ぶ権利がぁぁぁぁぁぁ
上の動画を見れば、少女の命がかかっているから致し方ないと、見ているものも納得してしまうが、一度正義の名の元で法を超えた行いが認められれば、歯止めが利かなくなる大変危険な描写だと言わねばならない。
ダーティーハリー症候群
ダーティハリー症候群(ダーティハリーしょうこうぐん、英: Dirty Harry syndrome)は、警察官が陥るとされる精神状態の俗称である。以前は、ジョゼフ・ウォンボーによるワイアット・アープ症候群(英: Wyatt Earp syndrome)という名称が多く使われていた。
緊張状態にある新人警官が、自らを逞しく見せようとするあまり過度の暴力をふるってしまうことを指す俗語。
現実社会において、正義の執行者を自任し、「悪党に生きている資格はない」という判断、正義感によって、目の前の現行犯人をたとえ微罪でも射殺し、「逮捕に抵抗するからだ」と正当化してしまう。『ダーティハリー』はアメリカ映画のタイトルであり、「主人公ハリー・キャラハンが正義の名のもとに犯罪者を自ら次々と処刑してゆく」という映画の間違った印象にちなんで、この名で呼ばれるようになった。(Wikipediaより引用)
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以降「ダーティー・ハリー」ネタバレを含みますので、ご注意下さい。
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スコーピオンによってバスジャックされ、法外な要求をされたサン・フランシスコ市。
そんなスコーピオンを独断専行で捕まえようとするダーティー・ハリー。
【大意】
スコーピオンはバスを出させ、楽しい事しよう、誰か歌ってと歌わせる。
家に帰りたいとか、どこに行くのかと尋ねる子供達を、怒鳴り殴りつけながら、歌を歌わせるスコルピオ。
ハリーを見つけパニックになった。
犯人スコーピオはバスから降り、そばで釣りをしていた少年を人質とって逃げ延びようとした。
スコルピオ:銃をおろせ、動くな!このガキの頭を吹っ飛ばすぞ!そのクソ銃を落とせ!(ハリー発砲し倒れるスコルピオ)
ハリー:お前は、俺が6発撃ったか、まだ5発か考えてるんだろ?本当のことを言えば、興奮していたから、俺自身数えてないんだ。でもな、これは44マグナムで世界一強力な拳銃だ・・・・・・撃てば頭はきれいに吹き飛ぶだろう・・・・自分に尋ねてみな”自分が幸運かどうか”、どうだ、試して見るか?チンピラ。
さすがにコレはダメだろう!
スクールバスの中が子供達の死体でいっぱいになってもおかしくない。
さらには、釣りの少年が死ぬ可能性だって相当高い状況ではないか・・・・・
最後にいたっては、動くなといって逮捕する状況なのに、わざと挑発し犯人を射殺する行為は、明らかに違法である。
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「ダーティー・ハリー」ラストシーン
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ハリーは、胸のポケットから警察のバッジを取り出して水中に投げ捨てる。
つまりは、この映画は、警察官がこんな事するんだったら「警察辞めてね」って言ってるんだと、個人的には解釈したいが・・・・
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ラベル:ドン・シーゲル クリント・イーストウッド
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全シリーズは観てないけど何作かは観たことがあります。
ダーティーハリー症候群とかあるとは・・
勉強になりました。
ありがとうございます(^^)イーストウッドの会心作でしょうね〜
西部のならず者のイメージを上手く現代に復活させたと思いますm(__)m