評価:★★★★★ 5.0点
フランク・キャプラ監督の1946年に撮られたこの映画は、アメリカ人の選ぶクリスマス映画の第1位に入っているぐらい評価の確立した作品で、アメリカの国民的映画であるだけでなく、世界映画遺産というものがあれば確実に残る一本です。
現代の過剰な刺激を経験している映画ファンには、アッサリしていると感じるかとも思いますが、美しい「アメリカの理想」は歴史的価値も含め、見る価値は十分ありますし、楽しめると思います。
また同時に、ここには現代にも通じるアメリカ文化の基礎を成す、矛盾も描き出しているように思います。
<「素晴らしき哉人生」あらすじ>
ジョージ・ベイリイ(ジェームズ・スチュアート)はクリスマスの夜、橋の上から身投げしようとしていた。しかし一人の老人に妨げられる。老人はクラレンス(ヘンリー・トラヴァース)と名乗り、自分は2級天使で翼をもらうためジョージを救いに来たのだと語った。
ジョージ・ベイリイは自らの人生を振り返った。彼の子供の頃から夢は、大きな世界をその眼で見たいというものだった。彼の父は住宅ローン会社を経営し、町の貧困層にも住宅を購入可能な低利で融資し感謝されていた。しかし町のボス、銀行家のポッター(ライオネル・バリモア)は、銀行融資の妨げになると敵視していた。彼の父が急死したのは、カレッジを卒業したジョージが海外に出ようとするその時だった。ジョージは社長を継ぐなければならなくなった。弟(トッド・カーンズ)も実業家の娘と結婚し、その工場を見ることになり、ジョージが海外に行けるチャンスは費えた。ジョージは妻メリイ(ドナ・リード)と結婚し、4人の子供に恵まれた。会社の業績も着々と上り前途洋々かと思われた時に、会社の資金8,000ドルをポッターの銀行に入金する際に紛失し、その金はポッターの手に入ってしまった。ポッターはその資金をネコババし、更に会計に穴が生じると見越して、会計検査官に連絡したり、直接脅迫もしたため、ついに金銭的補填が間に合わず絶望し身を投げようとしたのだった。
ジョージは俺の人生は不運ばかりだ、いっそこの世に生まれなければ良かったと愚痴る。それを聞いたクラレンスは、ジョージを別の世界に連れて行った。その世界にはジョージが存在せず、ポッターが街を支配していた。そこは情もモラルもない悲惨な世界が広がっていた・・・・・・・・・
(アメリカ/1946年/130分/監督フランク・キャプラ/脚本フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット、フランク・キャプラ/原作フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン)
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「素晴らしき哉人生」感想
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「素晴らしき哉人生」感想
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この映画の冒頭では、主人公の人生が本人にとっては夢や希望もない死にたいほどの苦難としか思えないと語られます。
しかし、実は彼の人生がとても幸福で豊かであったと気づかせるために、天使は主人公のいない陰惨な世界を見せ、主人公の人生がどれほど重大な意味を持っていたかに、気付かせます。
そこで語られるのは、どんな人生であっても自らの命が持つ使命があって、それを誠実に果たすことこそ「素晴らしい人生」なのだということのように思います。
そんな真摯なテーマながら、本当に人情話の教科書のような、大変ヒューマニズムに満ちた、それでいて都会的なコメディ作品です。
ここには黄金期のハリウッド映画の持つ、美点が全て詰め込まれています。
家族みんなが安心して見れて、しかも夢があって華やかで、楽しめると同時に理想や良識に導かれたハッピーエンドを迎えるという、当時の映画作品に求められた要素をすべて高いレベルで満たしています。
そんな当時のハリウッド作品の要請に従って、ここで描かれた「ヒューマニズム=人情」の基本にあるのは、神と天使の会話で始まる事でもわかる通り、キリスト教的な価値を謳ったものです。
それはそのままアメリカ的道徳・倫理の価値観とほぼ同一な、倫理であり基準だと言えるのではないでしょうか?
何しろ、アメリカ大陸を目指したイギリスからの入植者達が持ったモチベーションの一つは、本国の宗教心の崩壊が我慢ならず、アメリカの地に神の国を打ち建てることを目指し海を渡ったというのですから、その深い宗教心に裏付けられた建国の精神は筋金入りです。
そんなキリスト教的価値とは、ここで語られているように、自らの利益よりも困窮した人々のために尽くす、慈しみや愛の施しの精神であり、労働における価値を利益ではなく奉仕の量によって計る、質素・倹約そして勤勉の精神です。
このアメリカ的な価値観は、自由と平等とセットになって、第二次世界大戦後の疲弊し混乱した世界にあって、地球上の全ての国家民族に受け入れられる「輝ける理想」として、人々を魅了したのです。
そんなことを踏まえて、この映画を見てみると、いくつかのことに気がつきます。
一つには、この映画では悪役が、しかもベニスの商人の悪役ほどに「あくどい」奴なのに、罰を受け無いという点です。
「勧善懲悪」の「悪」に「懲罰」を与えないことに、今の眼からみれば違和感を感じます。
しかし、それも「キリスト教」的な観点に立てば、この敵役、こんな反キリスト教的な人物は地獄で業火に焼かれる運命だと明らかなので、あえて劇中で明示する必要も無いということのようにも思えるのです。
つまりは、観客がそう理解・納得できるほどに、キリスト教が活きた宗教としてアメリカ社会に根付いていたことの、証左だったように思います。
たぶん、この映画はキリスト教的「真・善・美」を社会全体が美徳としていた時代の、そんな良識的な社会の「規範」を描いた作品としてあったのでは無いでしょうか。
そんなキリスト教的なモラルに彩られた作品である事を踏まえると、さらにもう一つ気になることが出てきました。
その前にもう一度ストーリーを整理してみましょう。
この主人公は「個人の幸福」を投げ打って、それこそ自分の夢や希望や財産までも、みんなのためにあきらめますが、その代償として「素晴らしい人生」を送ったという物語です。
その「素晴らしい人生」の象徴として、困った主人公を助けに周囲の人々が大勢集まってくるシーンが描かれます。
つまり、「素晴らしい人生」とは、金や名誉ではなく相互扶助に基づいた「幸福な人間関係」の内にこそ見出せるという物語の帰結であれば、キリスト教精神に則って終始一貫した作品だといえるのです。
が・・・・・・・実はラストに主人公に対して言われた言葉が、私としてはど〜も気になるのです。
その言葉とは「(主人公が)町一番の金持ちだ」というものです。
え〜?です。
だって、金じゃないんでしょう?
名誉じゃないんでしょう?
キリスト的良識は?
そんな?????が一杯です。
そして、この言葉にこそ、もう一つのアメリカ社会の真実があるように思います。
実は、この映画の悪役、金の亡者、冷酷非道な商売人、ポッターこそ、アメリカの社会の本音の価値を表しているように思います。
つまり、キリスト教的良識や自由、平等を建前として掲げながらも、商業的な利潤をあくまで追求し、成功とは「金持ちになる」事と同義だというものです。
結局、アメリカ社会は経済的に祖国で困窮し、アメリカ移住以外に希望が無い人々の集まりでできたことも事実であれば、現実的な経済力はそのまま「命の維持」を約束するものです。
つまり、アメリカ社会とは「生きること=金儲け」であり、その金儲けの方法として「キリスト教的価値」によって人々と関わることが大事だと、この映画は語っているようにも思えます。
しかし、上の仮定が正しければそこにある優先順位は、一に「金」であり、次に「モラル」だと考えざるを得ません。
そして、実際のところ最近のアメリカ映画、特に「実録モノ」で語られるのは、イヤと言うほど「成功=金」という結論で、そこにはキレイさっぱりキリスト教の「キ」の字も出てきません。
悪く取れば、キリスト教的タテマエがなくても金は儲けられるということに気付けば、アメリカ人はキリスト的価値など一顧だにしないのかと疑いたくなります。
そんなアメリカは、まるでこの映画の悪役「ポッター」その人ではないですか?
もしかして、キャプラ監督はそんなアメリカの真の姿を知っていて、だからこの映画では、「ポッター」に罰を与えないのそんな曲解をしたくなりますが・・・・・・
じっさい、ポッターそっくりの人が 「大統領」になっちゃいましたし・・・・
そんな、あれやこれやを考えさせる、実にアメリカ的な映画です。
【ネタバレ前のおまけ】
主人公ジョージが恋に落ちるシーンの、着色カラー版。当時の時代感が良く出ていると思います。
ジョージはメリイは高校のパーティーで出会いますが、メリイは実は幼なじみの少女が成長した姿でした。
チャールストン・コンテストで踊る二人。嫉妬した恋敵が、ダンスフロアーの下がプールなのを良い事に、フロアーを移動させ復讐します。
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以降「ネタバレ」と「ラスト」を含みますので、ご注意下さい。
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こんな人生なら終わりにしたいという主人公ベイリーの望みを叶えて、天使によって眼前に広げられたベイリー抜きの世界は、不幸で陰惨なものでした。
たまらなくなったベイリーは、元の世界に戻してくれと訴えます
元の世界に戻ったジョージ・ベイリー
【意訳】
ジョージ:おーい、おーい、クラランス(天使の名前)戻してくれ。何が起きてもいいから、元に戻してくれ。妻と子供の元に戻してくれ、どうか、クラランス。もう一度生きたい。もう一度生きたい。・・・・もう一度生きたい。/警官バート:ジョージ、おいジョージ。大丈夫か、どうしたんだ?/ジョージ:ここから立ち去れ、さもなきゃ、殴るぞ(ジョージのいない世界でこの警官に逮捕されそうになっていた)/警官バート:サム・ヒルで何を叫んでいたんだ(元の世界で車事故を起こしたときのこと)/ジョージ:・・・ジョージ?バート、俺のことがわかるのか?/警官バート:分かるかって?冗談だろう!お前を町中探し回っていたんだ。車が木に衝突してたから、お前がたぶん・・・・口から血が出てるぞ。お前大丈夫か。しっかりしろ。/ジョージ:・・・(口を舐める)口から血が出てるぞ!バート!娘のくれた花びらは、あった〜バートどういうことか分かるか!メリークリスマス!
ジェームズ・スチュアートの明るいキャラクターが活きた、名演技だと思います。
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「素晴らしき哉人生」ラストシーン
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元の世界に戻ったベイリーは、我が家に戻り、愛する妻と子を抱きしめます。
そこに町中の人々が、彼の人生に関わった人々が、ベイリーの苦難を救おうと、お金を手に手に駆けつけます。
【意訳】
町の人:全部ここにおくぞ。友達が多いって素晴らしいだろう。ジョージ幸せだろう。奥さんがお前が困ってるって何人かに言ったら、町中に広がってお金が集まったんだ。誰も質問さえしなかったさ。”ジョージが困ってる、これ使って”それだけだ。これ以上のことないだろう。/押すな押すな、もっと来るぞ。メリークリスマス!神のご加護を!(中略)静かに、ロンドンから電報だ。”ガウワー氏より聞いた。25,000$の融資を指示した。メリー・クリスマス。サム・ウェインライト(旧友)”/妻メリイ:皆にワインを(皆、歌を歌いだす。)弟のハリーがやってくる。/ハリー:電報を見て急いできた。乾杯。町一番の金持ちの兄に。(蛍の光を合唱)/本を開くと"友を持つ者は敗者ではない。翼をありがとうクラランス(天使)"/妻メリイ:何/ジョージ:親友からのメッセージさ/(ベルが鳴る)娘:お父さん見て、ベルが鳴るときは天使が翼をもらった合図なのよ。/ジョージ:そうだ・・・・・そうだね。やったな、クラランス(蛍の光を合唱)END
このエンデイングの幸福感は何事でしょう。戦争も終わりアメリカ社会の繁栄と成功の予感が、映像に映り込んでいるのかも知れません。
いずれにしても、アメリカの映画学校で必ず教材になるという位の基礎力を持つ「名作」です・・・・・よろしければ。
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ありがとうございます(^^)トランプさんネットで拾いました(笑)古典ですので、アメリカ映画を見ていると、あ〜この映画の変形だというのがイッパイあって勉強のため見た作品でした・・・・このコンビでは「スミス都に行く」もありますね〜
レビュアンさんおいくつなんですか?
もはやウチの親父が生まれた時代・・
もちろん未見です。
ありがとうございます(^^)江戸時代です(笑)
一時期、映画をちゃんと見ようと思ったときに、片っ端から古典作品を見まくったんです。そうすると、映画がどう積み重なって現代につながっているかが分かって、俯瞰的に見れるようになったような気がします・・・・
私の書いてる内容は、映画が好きな人が興味を持ってもらえる記事を目指してますので、映画史的な作品も語ろうかという事ですm(__)m
ヒラヒさんが仰っている
```
が・・・・・・・実はラストに主人公に対して言われた言葉が、私としてはど〜も気になるのです。
その言葉とは「(主人公が)町一番の金持ちだ」というものです。
```
の部分ですが、
おそらく下記の部分が該当のセリフでしょうか・・・?
```
ハリー:電報を見て急いできた。乾杯。町一番の金持ちの兄に。(蛍の光を合唱)
```
もしそうでしたら、ですが
ここでは「金持ちの兄」という訳しで書かれてありますが
richとはお金だけを意味するのではなく、富として「幸せ」も含意しているかと思います。つまり自分を助けてくれる友人がいるということは、お金持ちと同様富める者なのだという主張がそこにあるのかなと。
しかし同様といっても、お金が一番であるということは否定したいことであって、そのために分かりやすい対比・反語として
最後の表現があったのかと思いました。
初めまして。
コメントありがとうございます(^^)
ご指摘ありがとうございます。「リッチ」という言葉に「幸福」という意味が含まれてるいうことですね?
個人的には、アメリカ文化の基礎に「キリスト教的価値」と「金銭的欲求」の矛盾する二つの要素があるように感じていたものですから、こういう文章になりました。
ご指摘感謝しますm(__)m