評価:★★★★★ 5.0点
この映画は発表当時にさかのぼって考えてみれば、サスペンスの巨匠ヒッチコックがどんな恐怖を描き出してくれるか、観客はドキドキして映画館に来たことだろう。
公開当時はこの映画の本編が始まる前、冒頭部にヒッチコック本人が出て、映画の結末を決して他の人には口外しないで欲しいと語るシーンが挿入されたという。
いやがうえにも期待は高まろうというもので、その観客の恐怖の予感をこの映画は引きずり回す。
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サイコあらすじ
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不動産会社に勤めているマリオン・クレーン(ジャネット・リー)は恋人サム・ルーミス(ジョン・ギャビン)とホテルで逢引する間柄だが、結婚できないでいた。ある日銀行に会社の資金4万ドルの入金する際、マリオンはサムと結婚する資金とするため着服し隣町へ逃げた。夜になりモーテルに宿泊したマリオンは、モーテルを経営するノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)と夕食を共にする。ノーマンは母と2人でモーテルに隣接する古い邸宅に住んでいた。その夜マリオンはモーテルの一室で、浴槽の中で血まみれで死んでいた。ノーマンは家に戻り2階の母の犯行を責めるが、証拠隠滅のため4万ドルと死体を車に乗せ裏の沼に沈めた。
マリオンの勤務先では4万ドルを求め、私立探偵アポガスト(マーティン・バスサム)に追跡を依頼し、マリオンの妹ライラ(ヴェラ・マイルズ)は姉を探しサムの家にやってきた。アポガストは調査により、モーテルにマリオンが寄ったということを知った。そしてアポガストもノーマンの家を訪ねたとき、刃物を振りかざしスカートを翻した人物に襲われ、階段を真っ逆さまに落ちていった・・・・・ライラとノーマンはマリオンを求めて、モーテルに乗り込む事を決意する。そして、そこで明らかに成った驚愕の事実とは―
(アメリカ/1960年/109分/監督アルフレッド・ヒッチコック/脚本ジョゼフ・ステファノ/原作ロバート・ブロック)
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サイコ感想・解説
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サイコ感想・解説
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ファーストシーンの昼下がりの情事を見た観客は、この恋人達の様子に感情の「もつれ」による犯罪を予感するだろう。
しかし次のシークエンスでは、その女性が大金を横領するシーンが描かれ、更にこの犯人が警察に追われるサスペンスが続き、ついには主人公だと思われた女性が宿泊したモーテルで殺害される。
歴史的な名シーン「シャワー室での刺殺」
さらに殺害事件の犯人が、善良そうなモーテルの青年経営者の母親だと語られ、その母の元に駆けつける息子の姿が描かれる。
この、善良そうなモーテルの青年経営者の、親孝行な気弱な息子の運命に観客は同情することとなる。
(右:アンソニー・パーキンス/字幕:そう、男の子の一番の友達は母親だよ。)
つまり、この映画は物語が動くたびに、観客の興味とシンパシー(感情移入)の対象が次から次へと、転換し揺さぶられる。
そしてついに衝撃のラストに到るわけだが、この映画の9割はあの手この手で、いかに観客の眼からラストを覆い隠すかに費やされていると言っていい。
それは、映画史上いや人類表現史上初と言いたいぐらいの、心理サスペンスの衝撃を、ギリギリまで観客に悟られたくないという、ヒッチコックの必死の隠蔽工作だ。
それゆえヒッチコックはこの映画で、彼が培ってきたサスペンスドラマの手法をすら捨て去っている。
即ち、インタビュー本「ヒッチコックトリュフォー映画術」の中で、サスペンスとは観客に犯人が分かった状態でその危険が迫るのを描くことだと説明し、更にサスペンスと対比して、犯人(危険)が知らされない状態でいきなり犯人が出現するドラマを、ショッカー・サプライズのドラマだと説明し、そんなサプライズを描くのは非映画的だとさえ言う。
しかしこの「サイコ」は、そんな自らのポリシーに反して、明らかにサプライズドラマとして作られている。
そんな自らの映画人生に背くがごとき必死の努力の甲斐あって、この映画は莫大な利益という成功を得ることが出来た。
なんと $806,000の制作費で$50,000,000収益を上げたのだ。実に当時のレート1ドル350円で換算すれば、2億8千万の制作費で、17兆5億円という莫大な利益を産んだのだ。
しかし、このなりふり構わぬ隠蔽工作は、実はこの映画の本質的テーマと不可避に結びついていると思うのだ。
この映画におけるテーマとは、人にとって恐怖とは何かという根源的な問いとしてある。
そもそも生命の起源と時を同じくして、生物は恐怖と共に生きる必然性を培ってきた。
恐怖もいろいろの様相を持っているに違いないが、根源を探ってみれば不確実な事実に対する不安や心配が、心の表層に浮かんできた状態だと整理できる。
たとえば、人間以前の生物だった時にも、失命の危険や飢餓に対する不安を、本能的に持ち合わせているはずだ。
なぜなら生存競争の激しいこの地球上の生命体は、危険察知能力を持たない個体は、すぐに死んでしまう運命なのだ。
それゆえ生きるためには、ベースとしての危機感・恐れを保持し続けなければ、命を喪わざるを得ない。
つまり、現存する命、種族とは恐れと共に生きながらえてきたというべきだろう。
そう考えてきたとき、恐怖というのは事実の表れではなく、虚空の幻影であることが了解されるだろう。
例えばバンジージャンプは飛ぶ前が一番怖いというのは、自ら創造した恐怖に自縄自縛になるからに他ならない。
いいかえれば恐怖というのは、不安という名の病原菌に対する、精神的な免疫反応であるかもしれない。
それゆえ人々の不安という幻は、ありとあらゆる原因を媒介として、恐怖という姿を持って人々の心を支配する。
そして恐怖は、実体を持たないがゆえに、見聞する全ての存在を覆うだろうし、その精神を満たし支配するだろう。
同時に、終わることのない恐怖に囚われている事実を薄々気づいている人々は、それから逃げる為に遂には恐怖自体を無いことにしてしまう。
即ち恐怖を無意識下に押し込めて、不可知の領域に沈めて、見ないように覆い隠す。
それは、この映画に描かれた、死体を沼に沈めるのと同じ行為だ。
そんな隠蔽・糊塗・欺瞞の果てに、人はバランスを崩し精神的疾患を得るのである。
総括すれば、この映画「サイコ」が表わしているものは、恐怖には実体がないという真実である。
その真実ゆえに、恐怖は永遠であり、更に逃れようがない。
逃れられない恐怖から開放されようとして、人々は恐怖を無意識に隠蔽する。
それはそのまま、この映画ラストの「恐怖」を必死で隠蔽した、ヒッチコックの行為と同じだと了解されるだろう。
つまりは「精神的病理=サイコ」の図式を、そのまま劇構造としたのがこの映画「サイコ」である。
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以降の文章には
「サイコ・ネタバレ」
を含みますので、ご注意下さい。========================================================
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この時まで見てきた観客は、ノーマン・ベイツの母親が探偵アポガストとマリオンを殺したと信じているはずだ。
探偵アポガスト殺人シーン
マリオンを探して、ベイツモーテルに足を踏み入れた、ライラとノーマンが見たものは衝撃の事実だった。
ノーマンの母の正体
恐怖の正体とは、今はこの世にいない亡霊、過去の幻に乗り移られた哀れな男だった・・・・
========================================================サイコ・ラストシーン
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事件の原因として、精神科医がノーマンの精神疾患の診断を説明した。
ノーマンの幼少期父親が死亡、母親は執着心の強い、わがままな性格だった。長期間、母子の強い執着下でノーマンは精神に異常を来していた。決定的だったのは母親に愛人ができ、見捨てられたと感じたノーマンは、母親と愛人を殺害した。
ノーマンは罪悪感から逃れるため、母の死体を盗み処置を施し、母がまだ生存していると自ら信じた。さらに母自身となり話し始める。彼は「自分」と「母」の複合人格でいるか、「母」の人格だった。しかし100%ノーマンに戻ることはなく、彼の中の「母親」はマリオンに会ったとき、彼女に心を動かされたノーマンを察知し、それが「嫉妬する母親」となり、マリオンを殺した。殺人のあと、ノーマンは元に戻って息子として、自分の母親が犯したと確信する犯罪のすべての痕跡を隠した。
【意訳】
(母の声ナレーション)本当に悲しい・・・・母親が自分の息子が有罪判決を受けるような証言をするなんて。でも、彼等が私が殺人を犯しただなんて考えるのは許せません。(間)彼等は、今息子がいないと言っています・・・・・私がいたと・・・・何年も前から。息子はいつでも・・・・悪かった。そして、結局、息子は私がその女の子達と・・・その男を殺したと主張しました。あたかも私は何も期待できず、ただ座って眺めいるだけの・・・・彼の剥製の鳥(間)そう、私は指一本さえ動かせないって、彼等は知ってる。私は望みません。そして、私はただここに座って、そして黙っている。彼等が入れた檻の中で・・・・容疑者として。ハエが近くを飛んでいる。ノーマンの顔の周りを唸りながら、飛び続けている。彼らはたぶん私を見てる。ええ、そうよ。私をそんな人間だと思わせとくわ。(間)私はハエを追い払ったりしない。彼らが見てくれてればいい。見てて・・・・見てて・・・・彼らが知ればいい・・・・・彼らが言えばいい・・・・・なぜ彼女はハエすら追い払わないんだと・・・・・
(沼から引き上げられる車)
このシーンで、ノーマンの恐怖はノーマンを殺し、幻の「母=恐怖」を実体化させた。
まるで犯罪を隠した深い沼から引き上げられる罪のように、己の深層心理にあった恐怖が白日の下に曝された瞬間であったように思える・・・・・
この映画が素晴らしいのは、サイコスリラーの世界初の作品という映画史的な価値だけではなく、その脚本の見事さにある。
最近のどんでん返しの作品では2度目を見ると、どこか矛盾や映画的なゴマカシが目に付くものだが、この作品はそれが一切ない。
見れば見るほど、何回見ても完璧に理屈と整合性が取れており、観客に対する裏切りがない。
私は、この「どんでん返し作品」を基準にして他の作品を見るため、正直いって最近のどんでん返し映画は観客に対する「背信行為」を感じて残念に思う。
また、この映画はサイコジャンルの世界初の作品なので、これ以降の同ジャンル作品に較べれば殺人や異常性の点で、刺激が足らずつまらないと感じるかもしれない。
しかし、この上の動画のラストを除く各シーンを見て欲しい、言葉も使わずモンタージュと表情だけで、ここまでの緊迫感を生める監督が今いるだろうか?
これは間違いなく、サイレント時代に技術を磨いた監督だけが持つ、映像の説得力ゆえだと感じる。
そういう意味で、歴史的な一作である点と、ヒッチコック監督のサイレント的技術の説得力を確認できる映画だと思う。
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ありがとうございます(^^)衝撃のラストですね〜これが60年も前の映画というのも凄いですよね〜((((;゜Д゜)))
古くても流石に知っていますヽ(・∀・)ノ
★5も間違いないですね!
ありがとうございます(^^)サイコはヤッパリ傑作でよろしいンデスヨネ?
今の刺激的な作品に比べるとヌルク見えるんじゃないかと、チョッと心配だったりしたんですが・・・・・