個人的な評価:★★★★★5.0
愛を巡る物語を世に問うてきた、フランス・ヌーベルバーグの旗手、トリュフォー監督1981年の作品。
ジェラール・ドパルデューとファニー・アルダンの出演で、偶然、隣の家に越してきた昔の恋人との不倫愛憎劇を描く。
<隣の女あらすじ>
ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)は、妻アルレット(ミシェール・ボームガルトネル)と幼ない息子と暮らしている。ある日隣の家にボーシャール夫妻、夫のフィリップ(アンリ・ガルザン)、妻マチルド(ファニー・アルダン)が越してきた。偶然にもマチルドとベルナールは、昔恋人同士だったのだ。ベルナールとマルチドは、伴侶を裏切ることや、お互いに対するわだかまりがありつつも、交流を続けていった。そして一夜を共に過ごした二人は、もう二度と会うのはよそうと言いながら、お互いに執着せずにいられない。そして、二人の関係は周囲に知られてしまう・・・・・・
(フランス/1981年/96分/監督フランソワ・トリュフォー/脚本フランソワ・トリュフォー,シュザンヌ・シフマン,ジャン・オーレル)
この映画はドラマを強調するために、ことさら演出をつけることをせず、日常の些事を淡々と客観的に描写している。
それゆえ、観客の感情移入を容易に許さない。
結果的に、この二人の運命の恐ろしさの割に、見る者にどこか身に迫ってこないような、モヤモヤした不充足感を感じさせる・・・・
しかし、私の友人は言った「怖くて見ていられない」と。
昔この友人が、付き合ってた女性に包丁を突き付けられたという。
その時の女性の眼をファニー・アルダンがこの映画の中でするというのだ。
そういう怖いシーンが、例えば相手を誘うシーンとか、別れの場面などに、危うい脆い崩れそうな一線が顕れるとも・・・・・
この友人は女性との交際が盛んな男だったが、さらに、こうも言った。
この監督も間違いなく、女性との交際の中で命の危険を感じた事があるはずだと。
彼の言葉が正しければ、この映画の監督トリュフォーも多分、この映画の中で描かれたように、隣にいてはいけない女性と付き合ったことがあったのだろう。
フランソワ・ロラン・トリュフォー(François Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日)は、フランスの映画監督。15歳の時に批評家アンドレ・バザンと知り合いバザンが主催する映画誌「カイエ・デュ・シネマ」に作家主義に基ずく批評を寄稿。映画実作を志しロベルト・ロッセリーニの助監督を務め、長編第1作「大人は判ってくれない」(59)(カンヌ国際映画祭の監督賞)によって、ヌーベルバーグ時代を切り開く。その後も精力的に、「突然炎のごとく」(62)や「柔らかい肌」(64)、など作品を発表。「アメリカの夜」(73)でアカデミー外国語映画賞を受賞。スティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」(77)には俳優として出演した。81年からは女優ファニー・アルダンと共に生活した。84年、脳腫瘍のため52歳で他界。通算25本の映画を作製し、アルダン主演の「日曜日が待ち遠しい!」(83)が遺作となった。
お互いに求めながら、うまく添えない。
寄り添おうとすると相手を傷つけ、離れれば狂おしく相手に焦がれる・・・・・・・
日本では古来こういう関係を「逆縁」と呼んだというが、言いえて妙である。
恋焦がれれば焦がれるほど、お互いを傷つけあってしまう。
そんな危険な関係を決着させるには、この映画の結末以外ないのかもしれない。
たぶん恋愛で地獄を見た人間なら、納得のできる決着なのだろうとも思う。
結局この映画に描かれた男女の関係は、経験者にのみ伝わる事柄なのかもしれない・・・・・
逆にいえば、経験者以外には伝わらない何者かがあり、その事を万人に伝える事は無理だとこの監督は判断したのではないか。
それゆえことさら、この男女のドラマを過剰に演出せずに放置したように思う。
だとすれば、結局この映画は監督フランソワ・トリュフォーの「私小説」なのだろう。
私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。
私小説の真髄とは己の体験・経験を素材にして、客観的にその経験で得た自己の感情や状況を開示することで、人間の嘘の無い姿を抽出しようという試みである。
その形式は往々にして、読む者の内部に隠匿された経験を呼び覚ますものだ。
そういう経験のない人間は、嵐の予兆のような黒い澱みのようなものを、かろうじてこの中に見出せれば良しとすべきか・・・・・・・と言うことで、今回は評価不能と言う意味で★5とさせていただきました。
この映画はエディット・ピアフのシャンソンに触発された作品ということで・・・
エディット・ピアフ「愛の賛歌」
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以降
ネタバレ
を含む、ラストシーンですので、ご注意下さい。========================================================
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この映画の最後は衝撃的だ。
ラスト・シーン
ヒロインのマチルドは、不倫相手のベルナールを射殺し、そして自らも命を絶つ。
人を全身全霊を持って愛してしまえば、とても諦めることはできないという事なのかもしれない。
日本の都都逸に曰く「諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた」
つまり諦めるには、この映画のラストの形しかないのかもしれないと想像した・・・・・
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女性との交際の中で命の危険を感じた事がある監督が映画作る・・何事も経験が大事っすね!
ありがとうございます(^^)フランスの方は、恋愛至上主義のかたが多いと聞いた覚えがありますが、そんな一本だと思いますm(__)m
ありがとうございます(^^)
いごっそ612さん、そーだったんですか!尊敬します!
それはともかく、やっぱりアモーレが人生のすべてと思ってらっしゃる、ラテン系の方が多いかと・・・・・