2016年11月13日

『ソフィーの選択』生命の罪を語った映画のあらすじとネタバレ解説

生きとし生けるものが負うべき「ソフィーの選択」



評価:★★★★★ 5.0

ダミアンという歌手の歌う「暗い日曜日」という曲があった。
その歌を聴いて自殺者が出たという危険な歌だ。
ダミアン「暗い日曜日」

この映画も「暗い日曜日」と同様、強い「負の磁力」を持っている・・・・・
ソフィーの選択あらすじ
1947年ニューヨーク・ブルックリンに、青年スティンゴ(ピーター・マクニコル)は作家を目指して、上京しジンマーマン夫人のアパートに住む。そこでソフィー(メリル・ストリープ)とネイサン(ケヴィン・クライン)と出会う。ソフィーはアウシュビッツ強制収容所に収容されていた過去があった。ネイサンは製剤会社ファイザーに勤務する生物学者だった。三人は親しくなり、ソフィーは戦争中の体験を語り始めた。父と夫がドイツ軍に処刑され、自分もアウシュヴィッツに送られる。カトリック教徒である彼女は、解放後、教会で自殺を図ったとも語る。ネイサンはユダヤ人でナチの犯罪を深く憎んでいた。ネイサンとソフィーは不安定でスティンゴも巻き込まれていく。ある日、スティンゴはポーランド時代ソフィーの父がナチ信奉者だったという事実を聞く。ソフィーを問いつめると、父とその教え子でソフィーの夫でもあった二人が反ユダヤ主義者でナチの協力者だった。しかし、ナチは父と夫を拉致し、彼女自身も息子ヤン、娘エヴァと一緒にアウシュヴィッツに送られたのだと告白した。またある日、ネイサンとケンカしたソフィーを庇って、スティンゴは彼女とワシントンに逃げた。その晩スティンゴはソフィーに求婚したのだが、そこでソフィーは隠された秘密を語りだした・・・・・・・・・・・・・・

(アメリカ/1982年/157分/監督・脚本アラン・J・パクラ/原作ウィリアム・スタイロン)
第55回アカデミー主演女優賞にメリル・ストリープ

個人的には、この暗く陰鬱な映画を思い出すときは、自分の精神状態が危険な状態だと認識している。
困難な状況下に自分が陥った時、この映画で描かれた選択=「ソフィーの選択」が 蘇るのである・・・・・
この映画はホロコースト、アウシュビッツ収容所を経験したソフィーという女性の悲劇の物語だ。

ホロコースト
1933年のナチ党の権力掌握以降、反ユダヤ主義が国是となったナチス・ドイツにおいては様々なユダヤ人、共産主義者に対する迫害が行われていた。第二次世界大戦の勃発後、ナチス内部には「ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決」を行おうとする動きが強まり、ドイツ国内や占領地のユダヤ人を拘束し、強制収容所に送った。
sofuxi- horo.jpg収容所では強制労働を課すことで労働を通じた絶滅を行い、また、占領地に設置された絶滅収容所においては銃殺、人体実験、ガス室などの直接的な殺害も行われた。1943年以降、絶滅収容所の導入など、殺害の手段を次第にエスカレートさせていったとされる。親衛隊は強制収容所の管理を担うとともに各地でユダヤ人狩りを行い、東部戦線ではアインザッツグルッペンが活動した。
ドイツ国防軍は、親衛隊や中央官庁の要請に従ってユダヤ人狩りへの協力を行った。軍需省や四カ年計画庁、一部の企業は工場において強制労働を行わせ、虐殺した。また、ヴィシー政権下のフランスをはじめとする占領地での「ユダヤ人狩り」は現地の治安機関によっても実施された。(Wikipediaより引用)

ホロコーストを生き延びた主人公ソフィーとユダヤ人ネイサンの恋は、辛い過去を基調として不安定で不穏な様相を呈している。
この恋愛が悲劇的な色を持つのは、ソフィーが戦争中に受けた深い傷を解消し得ず、お互いを愛しその傷を癒してやりたいと努力を重ねていったにしても、決して癒しえないことを知っているがゆえの絶望があるからだと感じる。
同時に、それほどの傷をもたらした「ホロコースト」にたいし、深い怒りと絶望を覚えずには居られない。

そんな真摯な哀しみを湛えた映画ではあるが、冒頭で述べたように強い負の力を持っているがゆえに、気分が落ち込んでいるときに見るのはお勧めしない・・・・・・・・・・

いや、むしろ危険だと言おう。

映画自体は、静謐と形容するのがふさわしい。
しかし地味な分、心の深部に染み込むようで、逃がれようがないのだ。

sophiesdai.png

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以降「ネタバレ」を含みますので、ご注意下さい。
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ソフィーはナチスのホロコーストを生き延びてきた。

しかし、ソフィーと二人の子供(長男と長女)がユダヤ人収容所に連行され、入所する時に悲劇は起こった。

ドイツ人将校が子供を捕まえ、こういうのだ「二人の内一人を生かしてやる。どっちか選べ」・・・

「ソフィーの選択」の場面「どっちか選べ」
メリル・ストリープの魂が崩壊したようなラストの表情が胸を締め付ける・・・・・・・・

以下セリフ訳
ドイツ人将校:君は美しい。ベッドに連れてきたい。ポーランド人か?薄汚れた共産主義者の一人か?
ソフィー:ポーランド人です。クラコウで生まれた!ユダヤ人じゃない、子供達もです!ユダヤ人じゃない、人種的に純潔です!私はキリスト教徒です、カトリック教徒です!
ドイツ人将校:共産主義者じゃない?キリスト教徒?
ソフィー:そうです、キリスト教徒です・・・・
ドイツ人将校:キリストを救世主と信じている?(息子を見て)キリストは言わなかったか・・・"幼子をそのまま私の元にこさせなさい(聖書の一文)"。/不審そうなソフィー
ドイツ人将校:残す子供一人を選べ。/ソフィー:え!
ドイツ人将校:残す子供一人を選べ。残り一人は連れて行く。
ソフィー:それは私に選べということ?
ドイツ人将校:お前はポーランド人でユダヤ人ではない、だから選ぶ特権をやる。
ソフィー:わたしには選べない!選べない!
ドイツ人将校:黙れ。/ソフィー:選べない。
ドイツ人将校:選べ。さもなければ二人とも連れて行くぞ!選べ!
ソフィー:私に選ばせないで!できない!
ドイツ人将校:二人とも連れて行くぞ!もういい!黙れ!選べ!二人とも連れて行くぞ!
ソフィー:私に選ばせないで!できない!
ドイツ人将校:二人とも連れて行け!連れて行け!
ソフィー:娘を連れてって!この子を!娘を!

これが題名、「ソフィーの選択」である。

彼女は、娘を犠牲にした・・・・・・・・

この映画が語るのは、この主人公がポーランド人でカトリック教徒であっても、ナチスの暴虐の対象に成ったという事実を語っている。
しかし、それ以上にソフィーの悲劇が示すのは、「戦争」という究極の状況下においては、(ユダヤ人でなくとも)全ての人々が同様の選択を強いられたという事実だろう。

例えば日本では、敗戦時に中国から引き上げるさい、衰弱した子を置き去りにしたり、赤ん坊が泣くと敵に見つかると言う理由で、同じ日本人同士でありながら殺すよう強要された母親がいたのである。
こんな悲劇は歴史上のありとあらゆる戦争で、そして現代の戦時下でも常にそこかしこで発生しているはずだ。


しかし、このシチュエーションは、特殊な戦争下の極限状態だからこそ起こった悲劇だと、そう思えれば良かった。
ソフィーに同情し、涙し、戦争は死んだものも残った者にも、等しく死をもたらすのだと了解し、それ以上考えねば良かったのだ。

しかし、私はこの映画の意味するところを、普遍化して考えてしまった。
この選択は顕在化していなくとも、平和な日常にも潜んでいる選択なのではないかと。

soffi-tate.jpg
例えば、映画のままのシチュエーションを考えれば、私は3人兄弟の末っ子である。
「一番最初に殺されるな」・・・・とか
今クラスの中で犠牲者が必要だとしたら
何番目だろう・・・・とか
会社に勤めてからはもっとあからさまだ。
クビになるとしたら何番目か・・・・
好きな女性にとって自分の位置がどこかなど、
考えだせばきりがなくなる。

一度この映画の「誰を犠牲にするか。」=「誰が犠牲になるか。」という「ソフィーの選択」を自分の心に住まわせてしまえば、私はその問いから逃げる事はかなわなかった。

それゆえ私は、正面からこの問いの答えを追求し、ある結論に達したのだ。

つまり「人が生きるという事は、誰かの犠牲の上で成り立っている」のだと。

それは、現在の地球上の9割以上の人々が飢えを経験している事実であるとか、世界経済における資源と資本の分配の不平等であるとか、それらの不均衡の上で現代世界は無意識のうちに罪悪感もなく「ソフィーの選択」をなしている事実を考えてみれば分かることだ。

sofie.jpgしかし、 もっと根源的に言えば、生命が進化する事=「他者よりも少しでも優位な位 置を占める事で、生存確率を高めようとする変化」自体が、そもそも生命の不可避的に持つ「ソフィーの選択」の出発点なのだ。

それゆえ、生命とは「他を殺す事で成立する」こと、状況によって自らが「殺される側である事」も想定内と覚悟はした。
 
そういうものだという、その厳然たる事実を、自らに言い聞かせてみる。

「生きるとは殺しあうということだ。その痛みに耐えられずに生きていけない。」

そう、つぶやいてみたりする。

しかし、それでも己の心象に、この映画のメリル・ストリープの絶望した顔が浮かぶのを、私は止める事が出来ない。

だかららこう思う― 
私は人殺しです。
でも誰かを助けられるように、努力します。
自分から誰かを傷つけないよう、努力します。
そして自分が殺される運命がくれば、それで誰かが助かるならば ―
自らの命をあきらめます。

sofii-doughter.jpgこんなお互いの命の取り合いをする世界に生まれたことが、避けられない運命だとしても、少なくとも公平な競争ができる世界になるように、日々努力しつづけます。

どんなに苦しくても、辛くても、生きたかった命を奪われた全ての者に背かぬよう、日々を闘い続けます。

ソフィーの失われた娘に、私はそう誓います。


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posted by ヒラヒ at 21:33| Comment(6) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは( ̄ー ̄)、、観ようとずっと思っていた映画ですけど観るのがきついかなぁ〜と。ナチものの中でも私には難易度が高いです。言うのは簡単ですが、私なら全員で生きるか全員で死ぬか、ですね。選択をしたくないし、されたくもないです。あー観たいけど観れない❗
Posted by ともちん at 2016年11月13日 21:53
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)キツイ映画です・・・・アウシュビッツのシーンはほんの少しナンですが、考えさせられます・・・戦争につながる全てのことに私は反対です!
Posted by ヒラヒ・S at 2016年11月13日 22:30
うわ〜何て重い映画なんだ・・
けど一人を生かすために選択せねばならなかった親は地獄だったろうな・・断腸の思いというやつですね・・
色々と考えらされる映画ですね。
Posted by いごっそ612 at 2016年11月14日 16:12
>いごっそ612さん
ありがとうございます(^^)正直トラウマ状態になりますね〜こんな過酷な選択が二度としなくてすむように、世界が平和ならいいなと・・・・
Posted by ヒラヒ・S at 2016年11月14日 19:10
"Did He not say "Suffer the little children to come unto Me"?"
のHeとMeが大文字なのは意味があって、イエス・キリストを指します。息子が言っていない、という意味ではないですよ。
Posted by 通りすがり at 2017年11月28日 20:37


>通りすがりさん

貴重なご指摘感謝申します。私も、違和感はあったのですが、勉強になりました。
>"Did He not say
「キリストは言わなかったか」に修正しようと思います。

お恥ずかしい英語力で、ムリムリやっていますので、大変有り難かったです。
感謝いたしますm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2017年11月28日 22:50
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