2016年10月17日

ゾンビ映画『マギー』シュワちゃんの新境地/感想・あらすじ・感想・評価

哀愁のゾンビ



評価:★★★★   4.0点

娘として守るのか━。ゾンビとして殺すのか━。
この映画には見事にダマされたと思った2つの点と、ちょっとどうなのというダマシが一つありました。
しかし、いっそ清々しいくらいの裏切りに思わず拍手をしてしまいました。
またこの映画の持つ表現トーンは、まるで日本映画を見るような静かな姿をしており、どうしようもない運命に耐える人間を描くためにふさわしいと感じました。
<マギーあらすじ>
感染するとゾンビ化する壊死性ウイルスがパンデミック化した近未来のアメリカ。16歳の少女マギー(アビゲイル・ブレスリン)もこのウイルスに感染し家出をするが、父のウェイド(アーノルド・シュワルツェネッガー)が捜し出し家へと連れ帰る。家には継母にあたるキャロライン(ジョエリー・リチャードソン)と下の子2人がいる。キャロラインは感染を恐れマギーの帰宅と日を置かず、2人の子供を祖母の家に預ける。本来、感染者たちは特別病棟に隔離収容を法律的に義務付けられているが、その病棟に入った者達が再び社会に戻ることはない。ウェイドは娘を手元に置き、隔離命令を持って現れた地元警察をも追い返すが、マギーのゾンビ化は徐々に進行していき、キャロラインも限界を感じ家を出て行く。マギーの病状は最終段階に近づき、ウェイドは自らの手によって娘を死に至らしめるか、選択の時が迫る・・・・。

(アメリカ/2015年/95分/監督ヘンリー・ホブソン/脚本ジョン・スコット3世)

まず見事にダマされたことの一つははゾンビ映画でありながら、派手なアクションやドンパチがないということです。
こんな静謐なゾンビ映画を私は見たことが在りません。
静かなしかし美しいBGMに乗って、陰鬱な空の下、北欧の自然を思わせるような、暗い彩度を落とした風景の下、父シュワルツネッガーとその娘アビゲイル・ブレスリンの苦悩が、静かな「能」のような動作の中に描かれるのです。
こんな静かな映画を95分飽きさせず見せる監督の手腕は、若干カメラが揺れすぎだと思うものの、スゴイと思います。

これは、明らかに従来の「ゾンビ映画」に対するアンチテーゼです。
今までのゾンビは人類の敵として、映画史的には数を増やしスピードを上げ「敵能力」を高めてきました。
zombie.jpgゾンビという存在の本質的意味を語ってみました。
よろしかったらご覧ください⇒『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』

しかし、この映画で描かれたのは「ゾンビ」だって、人間だった時があったという事実です。
つまり、ゾンビになりたくて成ったわけではなく、人間性が喪われて否応なくゾンビ化してかなければならないゾンビの苦悩であり、それを見守る家族の苦悩を描いた点で見事だと感じました。

あまり上手く描きすぎて、ゾンビ保護運動が始まりはしないかと心配なぐらいです。

もう一点良い意味でダマされたのは、あの天下のアクション・スター、アーノルド・シュワルツネッガーがアクションを演じないということです。
では何をするかといえば、小津映画の笠智衆や故高倉健のように、ひたすら耐え続けるのです。
あの大根といわれ、オーストリア系ドイツ語訛りの英語のせいで、普通のアメリカ人の役を演じることすらママならなかったシュワルツネッガーが、娘を喪失する未来に対する悲嘆と慄きを沈黙の内に表現しているのです。
terminater.jpgシュワルツネッガーという役者を語ってみました。
よろしかったらご覧ください⇒『ターミネーター』

この一作でシュワルツネッガーは、性格俳優としての存在感を世に問うたと思います・・・・
そして、その有効な表現手法が、この映画の日本的な沈黙の姿にあると見るのは、いささか強引でしょうか?

いずれにせよこの映画は、シュワルツネッガーがプロデューサーを務めたことでも分かる通り、明らかにシュワルツネッガーの新たな価値を生み出す為に立てられた企画だったに違いありません。

つまりは、脱アクションスターとしてのシュワルツネッガーを描くために、本来アクション映画の素材「ゾンビ」を使いながら一切闘わないという演出によって、より強く「性格俳優シュワルツネッガー」を印象付けられるという効果を狙ったものだと思います。

またこの映画のゾンビが、正常な人間が徐々にゾンビ化する過程を描いていることから、人が不可避的に持つ運命である、アルツハイマーなど老いによる衰えと介護の暗喩とも思えるのです。
それは即ち、老いつつあるシュワルツネッガーの姿のようにも感じられます。
つまりは、オレももうゾンビのように老いて来たので、今後はこうやって静かに演技するよという、ファンに対する目配せのように感じるのです・・・・・

いずれにせよ、この作品によってシュワルツネッガーは、人としての苦悩をその風貌によって語りえる役者としての風格を持ったと、個人的には思います。

しかし最後のエンディングは、正直、悪い意味でダマされたといわざるを得ません。
この娘の最後の描き方は、やはり主人公(シュワルツネッガー)の苦悩を描くのであれば、弱いと言わざるを得ません。
これはハリウッド・スター「シュワルツネッガー」としてはイメージ的に悪役を演じられないがゆえの、一種の逃げのようにも感じられ、★ひとつマイナスさせて頂きました・・・・
『マギー』エンディング・テーマ
この映画の「過酷な運命」に対する諦念を象徴する、印象的な曲だと思います

個人的に言えば、大変好きな作品で、良い作品だと思うのですが・・・・・・最後に残念なお知らせです。
なんとこの映画、$8,500,000−の経費に対して、全米興行収入が$187,112−という・・・・・・オオコケなんてもんじゃない・・・・・・・残念な結果だったという・・・・

タブン、ミンナ大アバレするゾンビハンターのシュワルツネッガーを期待していたんだろうな〜

頑張れシュワちゃん!オレはこの映画の味方だぞ!!背中で語れる男になれ!!

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posted by ヒラヒ at 17:59| Comment(4) | TrackBack(1) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)シュワちゃんは娘を殺せなかった?だろうな〜👽と思いました🐱そんな人ではないもの(笑)ゾンビに人権を❗
Posted by ともちん at 2016年10月17日 18:27
マジっすか・・そんなに大コケなんですか・・|゚Д゚)))
ラストにシュワちゃんが、殺さなければいけないけど殺せないというところで自殺するというような感じにしてれば良かったすね。
ラストがイマイチでしたね(^_^;)
Posted by いごっそ612 at 2016年10月17日 19:38
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)
ゾンビだって人間じゃないか!っていわれたら、う〜ん、う〜ん、私だったら、子供に咬まれて一緒にゾンビになっちゃうかな〜
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月17日 22:12
>いごっそ612さん
ありがとうございます(^^)
自分の身に起きたと考えたら、ど〜するだろうと考えましたが、ヘタしたら心中しちゃうかもしれないとおもいました・・・映画は逃げてますね・・・おしい(TT)
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月17日 22:17
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