2016年10月05日

『地獄の黙示録』ベトナム戦争映画の傑作・あらすじ・意味・解説

映画という実存論



評価:★★★★★ 5.0

この地獄の黙示録という、映画は「存在」する。

地獄の黙示録あらすじ
サイゴンのホテルの一室に、ウィラード大尉(マーティン・シーン)はいた。特殊行動班員である彼に、情報指令本部への出頭命令が下る。そこで下された指令は、ジャングルの奥地で原地人を支配し、自らの王国を築いているという、グリーン・ベレー隊長のウォルター・E・カーツ(マーロン・ブランド)大佐の暗殺だった。ウィラードは、河川哨戒艇に乗り込み、クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)、ランス(サム・ボトムス)、シェフ(フレデリック・ホレスト)、チーフ(アルバート・ホール)と共に、カーツ大佐のもとにk川を遡上し始めた。その途上で空軍騎兵隊キルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)や、アメリカ兵を慰問したプレイメイトのステージや、指揮官がいない最前線の戦闘状況や、麻薬に溺れる哨戒艇の乗組員を見る、ウィラード大尉。王国に近づくまでに、べトコンの攻撃によりクリーンが死に、チーフも死んだ。そして、王国についた時、アメリカ人のカメラマン(デニス・ホッパー)から“神”カーツの話を聞かされる。そして遂にカーツが姿を表した・・・・・・

(アメリカ/1979年/153分/監督フランシス・フォード・コッポラ/脚本ジョン・ミリアス,フランシス・フォード・コッポラ)
【出演者】マーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、マーティン・シーン、フレデリック・フォレスト、アルバート・ホール、サム・ボトムス、ローレンス・フィッシュバーン、デニス・ホッパー、G・D・スプラドリン、ハリソン・フォード、ジェリー・ザイスマー、スコット・グレン、ボー・バイヤーズ、ジェームズ・キーン、ケリー・ロッサル、ロン・マックイーン他
【受賞歴】1979年度カンヌ国際映画祭,最高賞パルム・ドール。米アカデミー賞、作品賞を含む8部門にノミネートされ撮影賞,音響賞受賞。ゴールデングローブ賞の監督賞,助演男優賞。全米映画批評家協会賞の助演男優賞。英アカデミー賞の監督賞,助演男優賞を受賞。

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「地獄の黙示録」感想・解説
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再び言うがこの地獄の黙示録という、映画は「存在」する。
実際見たのだから間違いないのだが、しかし正直、ベトナム戦争を題材とした、何だかよくワカラナイ映画だった。

何を言いたいのか不明瞭であるにも関わらず、その長尺の映像スペクタクルに圧倒され、更にマーロン・ブランドの、まるでゴジラを見るかのように、超絶的で、巨大な、雄々しく君臨する、その威容を目にしたならば、「すっげーェェェ」としか言いようがなかった。

それが、物心がついてすぐの映画体験であり、ヘタをすれば何よりも衝撃的な、映画的 「ヰタ・セクスアリス」だったりする。
それで、トラウマのごときその映画を、周囲の人間にダレカレ構わず「凄いと」言いまくりながら成長した、いやな子供だったのだが、中学に進学したある日のこと成績優秀な級友がこう問うたのだ。「お前は真にあの映画を理解したのか?」
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目が点になった。

ナルホドと思った。
映画には「リカイ」が必要なのかと・・・
しかし、同時に疑問も生じたのである。

シンのリカイとは何ゾヤ
はたまた「リカイ無くして映画をカタッテはならない」のかと。


実は今だに良くワカラない。
ただ、それから考え続けてきた結果、今はこう思う。


「作者がどう思おうと、映画なり表現物は、その作品が誕生した時点で自律的に成立している」

うまく説明できていないのだが、こういう考え方に至ったのは、実は鎌倉の大仏を見物しているときだった。daibutu.jpg
つまり大仏を作った人は仏教振興と仏の御利益を求めて、この像を作ったと学校で習った。
しかし、今この像を見て、お釈迦様とその教えに真剣に向き合おうとする者は「変人」だろう。
つまり、大仏においては作り手の意志から離れて、例えば富士山のように厳然と、ある種の絶対物として在るのである。
そして例えば、仏像を眼にした時にその仏教的背景を考えよというのは、製作者側の傲慢ですらないかと感じる。

それは製作者側は作る為の苦労や、その高邁な思想や、美術的な価値を強調するだろう。
しかしどんな苦労話を聞かされようと、すでに厳然と目の前にある対象が、その言葉を含んで(表現して)いないのであれば、その情報はバナナのたたき売りの口上とおなじではないか?
100万語費やされたバナナもスーパーにあるバナナも、バナナはバナナ。でしょ?

だから余分な情報を入れずに大仏を見ろといいたい。
で単純に目の前にある大仏を見ると、私は単純に「デカくてスゴい」とは思ったのである。

ということで・・・・・
以上を 「地獄の黙示録」にあてはめれば、この映画のレビューとしては「スッゲェェェ」としか言いようがない。
[地獄の黙示録]のすげ〜シーン

実を言えば、この「すっげー」を元にして商売しているのが、映画と言うものではないかとすら思う。

少なくとも、戦争映画やスペクタクル映画というのは、大仏的「すげー」を表現する事を目指して作られていることは、間違いない。
koppora.jpg勿論「地獄の黙示録」も作者の意図を探って、例えばカーツ大佐が表すモノは「西洋文明が東洋と出会い、真に互いを征服も理解も叶わないという事実の元で、東西文化を超越した原始宗教に見出される根源的な人間存在に回帰しようとする者の象徴」であると、こじつけて説明する事もできる。

しかし、それでこの映画を語ったといえるだろうか?
上記のカーツ大佐にかんする説明が、多少なりとも製作者の意図を反映していたとしても、それがこの映画のすべてであろうか。
仮に100%製作者の意図を反映した「テーマ=主題」を汲み取ったとしよう。
しかしそれも哲学的、概念的な一面にすぎないはずだ。
例えば美しい映像であるとか、俳優の演技、音楽、映像リズム、はたまた映画館の雰囲気も含めて、映画の「総体」とでも呼ぶべきモノが生まれると思うのである。

そう考えれば、この「地獄の黙示録」について、「テーマ」解釈の言葉を並べるよりも、「すっげーェェェ」の方が、この映画の「総体・本質」のより多くを告げていると思う。

というわけで・・・・映画という総合芸術、しかも視覚表現に多くをよっている分野は、そもそも言語表現の如く情報を精緻に伝える事は無理なんじゃナイノと思うわけである。
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そしてまた映画の良さとは、「何だか分からないけどスゴイ」というのが本質であって、その「スゴイ」の理由付をしたい人は、個々が勝手に考えればいいのではないか。
ど〜せ一面の解釈なワケだし。

そういうあらゆる誤解が可能なだけの懐の広さを、映画というジャンルは運命的に内包しており、またそれがゆえに自然物のように自身が自立した存在として成立していると思ったりする。

それはそ〜と、大仏さんて、マーロン・ブランドに似ていません?

[地獄の黙示録]を象徴する曲ザ・ドアーズの歌う「The End」


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posted by ヒラヒ・S at 18:20| Comment(4) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!クラシック音楽が流れ罪なき人々を殺し不快指数300以上の憤り・・・でも名作だと思います。マーロン・ブランドさんはクセが強いなぁ〜(笑)すごい俳優さんらしいですね。The Endはね〜マーティンさんにピッタリでしたわ。芸術的な実に不快な殺戮シーンは許せませんが好きな映画です、
Posted by ともちん at 2016年10月05日 18:56
>ともちんさん
ありがとうございます(^^
クラシック音楽が流れ罪なき人々を殺し不快指数300以上の憤り・・・
仰るとうりですね〜戦争の狂気が良く現れていたと思います。
壮大なばか騒ぎが戦争なんだという、反戦映画だと思っていますm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月05日 19:20
地獄の黙示録!!
恐ろしい題名ですね(ーー;)
とにかく凄い映画なのですね〜。気になります。
Posted by いごっそ612 at 2016年10月06日 07:06
>いごっそ612さん
ありがとうございます。(⌒‐⌒)
CG無しの物量押しのオールロケ作品で、本物の死体を使ったという噂が流れたぐらい、圧倒的なスケール感があります。
個人的には、スッゲ〜としか言いようがありませんm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年10月06日 07:32
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