原題 White Hunter Black Heart 製作国 アメリカ 製作年 1990年 上映時間 112分 監督 クリント・イーストウッド 脚本 ピーター・ヴィアテル、ジェームズ・ブリッジス、バート・ケネディ 原作 ピーター・ヴィアテル |
評価:★★ 2.0点
クリント・イーストウッド監督・主演の、伝説のハリウッド監督ジョン・ヒューストンを描いた映画です。
イーストウッド監督が、同じアイルランド系の尊敬する大監督を描いたこの映画という事で、期待感は高かったのです。
しかし、どうもハッキリしません・・・・・

<目次> |

映画『ホワイトハンター ブラックハート』簡単あらすじ |
1950年代ハリウッド映画監督ジョン・ウィルソン(クリント・イーストウッド)は巨額の負債を抱えながらも、プロデューサーのランダース(ジョージ・ズンザ)と映画撮影で揉めていた。それでも脚本家ピート・ヴェリル(ジョフ・フェイ)と共にストーリーを練り、アフリカ・ロケに旅立ったのは、象ハンティングがしたかったからだ。それゆえ先行ロケハンでアフリカに着いても現地の狩猟ガイド、ライサー(エドワード・チューダー・ポール)と共に象撃ちに行ってしまい、撮影準備は遅々として進まない。ついに脚本も完成しないままキャスト、そしてランダースが到着した。しかしウィルソンの望みは、まだ像撃ちにあった・・・・・・

映画『ホワイトハンター ブラックハート』予告 |
映画『ホワイトハンター ブラックハート』出演者 |
ジョン・ウィルソン(クリント・イーストウッド)/ピート・ヴェリル(ジェフ・フェイヒー)/ポール・ランダース(ジョージ・ズンザ)/ラルフ・ロックハート(アラン・アームストロング)/ケイ・ギブソン(マリサ・ベレンソン)

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映画『ホワイトハンター ブラックハート』感想 |
しかし彼の作品でいえば『ミスティック・リバー』『許されざる者』『スペース・カウボーイ』『マディソン郡の橋』『ミリオンダラー・ベイビー』なんてタイトルが浮かびますが、こうやって思い浮かべてみると、ほんとにバラエティーに富んでいると思いませんか?
アメリカ映画:1995年 映画『ミスティック・リバー』 クリントイーストウッド監督が描く3人の少年 小さな事件が起こす大きな波紋 |
アメリカ映画:1992年 イーストウッド監督『許されざる者』 クリント・イーストウッド監督のアカデミー受賞作 西部劇の解体と再構築を描いた作品 |
アメリカ映画:1997年 『スペース・カウボーイ』 ハリウッド黄金期を思わせる「宇宙西部劇」 クリント・イーストウッドが製作・監督・主演 |
アメリカ映画:2004年 『ミリオンダラーベイビー』 クリント・イーストウッド監督のオスカー受賞作 女性ボクサーの栄光と生命の尊厳 |
アメリカ映画:1995年 映画『マディソン郡の橋』 クリントイーストウッド監督の切ない不倫劇 メリルストリープ主演の永遠の「恋」 |
更に言えば、映画的な手法も多岐にわたっていますし、たぶん、映画の主題に合わせて、撮り方を変えているのだろうと想像します。
そんな、アカデミー賞の最優秀監督賞に輝く、イーストウッド作品ということで期待は高まりますが―
どうもハッキリしません・・・・・
この作品は、どちらかといえば抑えた文学的な描き方ですから、『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラーベイビー』のような哲学的な主題を持った作品なのかなとも思うのですが・・・・・
しかし、いまひとつ伝わってこないという・・・・・
さすがに6回も見た日には、自分の読解力のなさに絶望しました。
とりあえずナンカ書けば整理できるかもというのが、この文章の趣旨です。
お暇な方はお付き合いを・・・・・・

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映画『ホワイトハンター ブラックハート』解説映画『アフリカの女王』とは? |
ジョン・ヒューストン(本名: John Marcellus Huston, 1906年8月5日 - 1987年8月28日)は、アイルランド系アメリカ人映画監督・脚本家・俳優。名優ウォルター・ヒューストンを父に持つ。放浪の後31年の「北海の漁火」で脚本家デビュー、41年「マルタの鷹」で初監督。フィルム・ノワールのハード・ボイルド演出が評価され監督としての名声を高める。48年「黄金」でアカデミー監督賞と脚本賞を、51年「アフリカの女王」で作品賞を受賞。俳優として「チャイナタウン」、「テンタクルズ」などに出演。5人の女性と結婚(最後の妻はイヴリン・キース)しいずれも離婚。長女アンジェリカは女優、長男ダニーは監督、次男トニーは脚本家。
実際ジョン・ヒューストンという人はメチャクチャな人だったようで、何せ5回結婚しているというだけで、私なんかは禁治産者にしか思えないですが。
そのメチャクチャな人が撮った映画ならば、その『アフリカの女王』はオオコケしたに違いないと想像しました。
ところが!!映画『アフリカの女王』は公開当時、興行的にも批評的にも高い評価を得た作品でした。
当時の2大スター、ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘプバーンの主演で、大々的なアフリカロケと、当時としてはまだ新鮮だった総天然色(フルカラー)の作品で、ラブ・コメとアクションが融合したユニークな作品でした。
関連レビュー:ストーリーと公開時の評価 『アフリカの女王』 1951年のハリウッドの大ヒット映画の再現ストーリー アフリカを舞台にカ ップルの冒険を痛快に描く |
そんなことで映画自体は成功を収めたのですがこの映画の撮影は実際、メチャクチャだったらしいです。
主演のキャサリン・ヘプバーンは、後にその恨みつらみを『アフリカの女王と私』という暴露本で書いたほどです。
関連レビュー:映画撮影の舞台裏 『アフリカの女王』 映画の裏で起きた、疫病と象狩りと大混乱とは? 名監督ジョン・ヒューストンの隠された欲望。 |
監督の象狩りの情熱のせいで、出演者とスタッフのほぼ全員が赤痢など病気になってしまうというのですから、カワイそうな話ですが・・・・
この映画では、あまり触れられていないですが、実は2大スターの舞台裏のドタバタも興味深いものが有ります・・・・・
映画がもしコケていたら、監督ジョン・ヒューストンは殺されかねない、混乱振りなのでした。

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映画『ホワイトハンター ブラックハート』考察 |
個人的には、ま〜ちょっと、お付き合いはし兼ねる人なんです・・・・・
借金しまくるは、気に食わなきゃ喧嘩するわ、自分の遊び「像撃ち」を優先して映画の仕事を打っちゃるわ、挙句の果てに現地の狩猟ガイドを不幸にするわ・・・・・

ま〜ここまで周りを振り回して、好き勝手やり放題、こうみれば、絶対コメディー映画が相応しいようです。
じっさい「アフリカの女王」のプロデューサーなんてジョン・ヒューストンに嘘つかれて、オチョクられて、何一つ信じられなくて、撮影は始まらないわ、金はなくなるわ、可哀想すぎて笑っちゃいます。
しかしあくまで文学的な語り口なのです。
しかしまたこんなジョン・ヒューストンですが、人種差別を許せない高潔の人でも有ります。

人種差別的な言動や行動を見聞きすれば、相手が女性だろうと、大男だろうと、自分が血まみれになっても、とことん戦います。頑固なアイルランド人気質をもって、これだけ偉大な作品を世に残した監督です、心の中には正義や熱い血潮がたぎっていたに違いありません。
そんな側面をメインに描けば、理想と現実の相克に格闘する、どこか男っぽい活劇ドラマになったようにも思います。
しかしあくまで文学的な語り口なのです。
たとえば「像狩は犯罪ではない、それはもっと悪い、神に背く罪だ」なんて支離滅裂なことを言ったりします。

最後に起きる悲劇も含めて、そんな局面を強調すれば、心理サスペンのドラマにも仕立てられそうです。
でも、くどいんですけど・・・・・
あくまで文学的な語り口なのです。
つまり、上のようにイロイロな語り口は考えられるのですが、クリント・イーストウッド監督はそうしなかったんです。
その理由を考えるに、あるドラマパターンに組み入れれば「劇的な力=ドラマ性」が高くなるのは間違いないですが、逆にドラマで強調された側面以外は喪われてしまう危険があります。
しかし、実際一人の人間は理想的だったり、破滅的だったり、攻撃的だったり、楽天的だったり、自堕落だったり、エロチックだったり、酒に酔ってたりしますよね。
とても一つの側面を強調するだけで、その人を表現したなどと言えるものではないでしょう。
つまり通常の映画なり劇なりでは、その物語の『主題=テーマ』を表す為にキャラクターの一側面を誇張・歪曲しているといえないでしょうか。
当然クリント・イーストウッドも何本も名作を撮った人ですから、割り切ればそういう描き方もできたはずです。
でも、そうしなかったのは同じアイルランド系の「尊敬する大先輩」の、全人格を誠実に描こうと努力したためだろうと思います。
そして、そのためには、その人物全ての要素をできうる限り忠実に客観的に描く方法として、この映画の表現、文学的なスタイルに落ち着いたのでしょう。
そういう意味では、この映画の捕らえどころの無さは、人というものの万華鏡のような変化であるかもしれません。

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映画『ホワイトハンター ブラックハート』評価 |
正直オモシロクないので高い評価は付けられません・・・・ト・・・・・書いてきて・・・・・・書いてみると、いろいろ見えてくるもので・・・・・・
実を言えば、この映画をもっと面白くできたのに、クリント・イーストウッドが重大な誤りを犯したことに気がついてしまいました。
その失敗とは、自ら主役=ジョン・ヒューストンを演じてしまったことです。
実際クリント・イーストウッドは暗すぎる・・・・こんな陰鬱な顔で好き勝手な事をされても、同情できません。
こういうジョン・ヒューストンのような
破滅型の人物は、カリスマ的なオーラで
周囲がほっとけなくなるような、輝く明
るさを持っていなければ、社会的に抹殺
されるはずです。
クリント・イーストウッドはいい役者ですし、独特のオーラはありますが、残念ながら太陽のような輝くカリスマ性はありません。
例えば、ブラッド・ピットが演じたとしたら、レオナルド・デカプリオが演じたら、と想像したりします・・・・・・
明るい陽性の笑顔があれば、この主人公の行動に観客が好意的な印象を持ったと思うのですが・・・・・・いかがでしょうか。
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ありがとうございます(^^)
いや〜6回見て、それでも何を言いたいのかハッキリしないっていうのも、私としても悔しい・・・・・惨敗かもしれません!
抜群の安定間と思っていました。
しかし・・ジョン・ヒューストン・・ヤバイですね(ーー;)
ありがとうございます(^^)
初期の頃の作品は、結構?という物もあるような・・・・・
ジョン・ヒューストンめちゃくちゃですが、仕事が来るというのは実力があったんでしょうね〜