評価:★★★★★ 5.0点
この1952年公開のミュージカル映画を見て、やっぱり傑作だとしか言いようが無いと思ったのでした。
<雨に唄えばあらすじ>
ヴォードヴィルから始め、1920年代のハリウッドにやって来て、俳優としてサイレント映画のスターになることが出来たドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)と、その友達のコスモ・ブラウン(ドナルド・オコナー)。スターとなったドン・ロックウッドは女優リナ(ジーン・ヘイゲン)とのコンビで映画をヒットさえていた。彼女はドンの恋人だと信じていたので、ドンが若手女優ケーシー(デビー・レイノルズ)と恋仲になったとき、リナはケーシーをクビにした。映画界はサイレントからトーキーへの過渡期で、ドンとリナの新しい主演映画「決闘の騎士」をトーキーで撮影する事にしたが、リナの声は甲高いファニーボイスだったため不評だった。そんな困り果てている時、ケーシーと再会したドンは、リナの声をケーシーの声で吹きかえた所、映画はヒットした。リナはこれからもケーシーの声を使い続けたいと望むが、それはケーシーが裏方のままでいることを意味した・・・・・・・・
(アメリカ/1952年/103分/監督ジーン・ケリー ,スタンリー・ドーネン/脚色アドルフ・グリーン,ベティ・カムデン)
何度かこの映画を見ているのですが、昔見たときには気がつかなかった幾つかの発見があったので、その点について書かせて頂こうと思います。
恥ずかしながら、この映画の背景がサイレントからトーキーに切り替わる、ハリウッド1920年代後半の映画界のバックステージ=舞台裏を題材としていることに初めて気がつきました。
その時代を反映した秀逸なギャグがあり、またストーリーの骨格として機能してまして、そういう意味では脚本が秀逸だと思いました。
しかしこの秀逸という意味は、ミュージカル映画の脚本として優れているという意味でして・・・・
というのも個人的にミュージカルの脚本は、歌と踊りの引き金としての役割であって、あまりストーリーが強すぎると逆に歌と踊りを邪魔してしまう気がします。
それゆえ、マンネリ気味のあ〜こんな話ねというぐらいが、例えばフレッド・アステアとジンジャ・ロジャースの映画脚本ぐらいが、ちょうど良いと思うのです。
フレッド・アステアとジンジャ・ロジャース
アステアとロジャースは、映画史上最高のダンシング・ペア。二人のコンビ主演作は10本に上る。ジーン・ケリーもアステアもお互い敬意を持っていたという。
ところが、この映画はミュージカル脚本として先が読めない新しいデザインを採用していながら、ストーリーのユニークさが、そのまま歌と踊りのリーリースとしての役割を果たし、逆に最後のシーンでそうであるように、歌がストーリーの進行に密接に結びついていたりと、ストーリーとミュージカル要素の複合・混合具合が絶妙だと思うのです。
あらためて、「ハリウッド・ミュージカル」の脚本として、ある種の頂点だと思います。
さらに、この映画で本当に驚いたのは、やっぱりジーン・ケリーの圧倒的な「ミュージカル・スター力(りょく)」でした。
ミュージカル・スター力というのもおかしな言い方ですが、やはりパワーとしか言いようがないと思うのです。
当然ながらジーン・ケリーという役者の持つ、歌と踊りの力がスゴイ。
足までしっかり写して、5分〜10分の歌と踊りを、ノーカットで演じて見せます。
もちろんブロードウェイ・ミュージカルの舞台俳優でも同じことはできるというかもしれません。
しかし舞台俳優にはない、輝くばかりの華やかさ、陽気さ、大らかさ、健やかさ、清潔さといった、このジーンケリーの個性は唯一無二であり、スクリーンに映えるこれぞハリウッド・スターというオーラが、この人にはあると思うのです。
さらに、凡百の舞台俳優が持ち得ないこのスター性も、例えば同時代に人気を二分したフレッド・アステアのノーブルで洗練された個性と較べれば、俗っぽく庶民的に映ります。
しかしその庶民的な善良さこそ、実はアメリカ的な理想を象徴するものではないでしょうか?
「グッド・モーニング」
足元まで見せてのノーカットのダンスが凄い。
だからこそ、ジーン・ケリーという個性=スターを持ちえたハリウッド・ミュージカルが、「アメリカ的な価値を代表する映画」として世界の憧れとなり得たと思うのです。
その映画は、アメリカの持つ陽気で屈託のない楽天性が華やかに繰り広げられる、夢の場所でした。
時に世界中が疲弊した第二次世界大戦後の暗く混乱した世界に在って、ミュージカルの華やかさと西部劇の勧善懲悪が、アメリカ的な価値観を象徴し世界中の憧れとなり得たのです。
さらに、この映画について語れば「ミュージカル」という文化の発展は、アメリカのショービジネスの歴史だといっても良いぐらい密接に結びついて発展し、そのショービジネスの延長線上に「映画ビジネス」もあったといえるでしょう。
この映画はそんなアメリカ文化に対するオマージュとしても成立しているようにも思います。
そんな自らのショウビジネスに対するレスペクトが、素晴らしい歌と踊りの中に自然と溢れ出ているのが感じられて、愛おしい気持ちにさせられます。
やはりハリウッド・ミュージカルの最盛期を代表する一本だろうと思います。
しかし、こういうミュージカルはもう作られないでしょう・・・・・
念のため申し上げれば、最近のミュージカル映画、アンドリュー・ロイド=ウェバーに代表されるような舞台ミュージカルを映画化しただけでは、絶対にこの華やかさは作り得ません。
そこには映画から発想しうる自由さがなく、舞台の法則から逃げられないからです。
この映画は、映画産業の側から発想され作られたからこそ、自由で明るく華やかな世界が構築しえたと思います。
ハリウッド・ミュージカルの最盛期を記録した「ザッツ・エンターテーメント」
そんなわけで映画界が本腰を入れない限り、この作品のようなミュージカルは作れないのですが、繰り返しますが、こんな華やかで楽しいミュージカルはもうつくられないでしょう。
その理由は、制作費や、観客の嗜好、TVの影響等、さまざまに言われていますが、ハリウッド・ミュージカルの本質が、アメリカ的な大衆的価値観を歌い上げることに在ったとしたら、第二次大戦後の冷戦から始まって、すでに世界は、ベトナム以後はアメリカ国内ですら、アメリカ的価値を能天気に受け取れないということに気づいてしまったからかもしれません。
ここにある華やかな夢の世界は、ハリウッド全盛期の作品がそうであったように、アメリカ的な正義と民主主義の輝けるショーケースとして、世界から求められたのではないでしょうか。
しかし人々が構築してきた、過去の理想は全て人為的な不自然さゆえに、例えば共産主義がそうであったように、滅びざるを得ませんでした。
ハリウッド・ミュージカルも、そんな理想を体現していたとすれば、その理想に殉じざるを得ない運命だったのかもしれません・・・・・
そんなわけで、今となってはミュージカル映画という様式自体が過去の遺物になってしまい、監督を初めとするスタッフや、何より俳優がすでに居なくなってしまいました。
日本におけるチャンバラ映画がそうであるように、文化とは継続をし続けなければあっという間に消えていってしまい、また一から始めたとしても決して同じ形でそのまま継承しえない事は、伝統的文化の過去の消失事例が証明していると思うのです。
かつての王侯貴族のために作られた絵画の様に、ハリウッド・ミュージカルもすでに文化的遺物となってしまったと言わざるを得ません。
過去の栄光は、その輝きが強ければ強いほど、その残光に寂寥を感じるのは私だけでしょうか・・・・・せめて世界遺産として認定いただきたいもので。
ジーン・ケリーの映画史に残る不朽の名シーン「雨に歌えば」
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ラベル:スタンリー・ドーネン ジーン・ケリー
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ありがとうございます(^^)
本当に、レベル高いです。今これだけ踊れる人は、ジョントラボルタかクリストファー・ウォーケンぐらいでしょうね(^^;
サウンド・オブ・ミュージックを思い出すけど、あれも60年代ですもんね〜。さらに古い作品かあ〜。
ありがとうございます。(⌒‐⌒)
クリントイーストウッドが新人の頃出た、ウェストサイドストーリーで、ハリウッド・ミュージカルは終わったと、好きな人は見なしてらっしゃるようです。