評価:★★★★ 4.0点
危険を冒すことを冒険というのであれば、この映画は間違いなく冒険映画です。
63歳のニュージーランドの老人が遠くアメリカへ渡り、自分が改造した1920年製のインディアンで世界最速記録を打ち立てる実話の映画化です。
<世界最速のインディアンあらすじ>
ニュージーランドのインバカーギルという町に、主人公バート・マンロー(アンソニー・ホプキンス)は一人で暮らしていた。1920年型インディアン・スカウトという古いバイクを、自ら改良し多くのスピード記録を更新してきた。そして、バートはアメリカのボンヌヴィル塩平原(ソルトフラッツ)で開かれる、世界一の大会に挑戦することを決心する。足りない渡航費を銀行から借金し、貨物船にコックとして乗船しロサンゼルスに入港した。ユタ州のボンヌヴィルへ向かう間に、多くの人々と触れ合いながら『スピード・ウィーク』に間に合った。ところが、大会出場の事前登録をしてなく、受付出来ないと言われたり、バイクを「整備不良」とされたり、老齢である事を問題視されたりと、参加できるか危ぶまれる事態となる。大会参加者のジム(クリス・ローフォード)や周囲の人々が係員に認めるようにと働きかけるが・・・・・・・
(ニュージーランド・アメリカ/2005年/127分/監督・脚本ロジャー・ドナルドソン)
この映画の本来的な訴えは、「いつでも夢を持って真摯に歩み続ければ、その夢を助けてくれる人々も現れ、いつか夢に辿りつける」という事かと思いました。
これを、名優アンソニー・ホプキンスが悠々と演じて、柳のよう柔軟で決して折れないこの老人の強さが印象的です。
<伝説のライダー、バート・マンロー>
バート・マンロー(Burt Munro)ことハーバート・ジェームス・マンロー(Herbert James Munro, 1899年3月25日-1978年1月6日)は、ニュージーランド、インバーカーギル出身のライダー。
1967年、ボンヌヴィル塩平原にて自ら改造したインディアンで1000cc以下のオートバイ陸上速度記録を樹立した。
1962年に、51in3 (850cc) にボアアップしたエンジンで、時速288km (時速178.97マイル) の世界記録を樹立した。
1967年には、58in3 (950cc) にボアアップしたエンジンで、階級記録の時速295.44km (時速183.58マイル) を樹立した。記録を樹立するために、彼はインディアンでの最速の公式速度記録である、一方向走行での時速190.07マイルを達成している。非公式の速度記録は時速331km (時速205.67マイル) である。[1]
2006年にはアメリカモーターサイクル協会のオートバイ殿堂入りしている。
(引用:ウィキペディア)
でもそれにもまして、この老人のチャレンジを認め、助ける人々に、私個人としては衝撃というほど深い感銘を受けました。
だって62歳の老人です、40年前の古いバイクでしかも素人の改造品です、安全装置も、耐火服も不完全です。
失命の危険すらあります。
実際レースの主催者側も危険だという事で一度は出走を認めませんでした。
当然の判断だと思いますし、たぶん日本だったらこれで終わりでしょう。
そして奇跡は起こりません。
しかし、この映画では老人の旅の途中で知り合った人々が後押しし、主催者側も最終的にこの老人の暴挙を許します。

なるほど老人にとっては命を失ったとしても自ら覚悟の上でしょう。
でも出走を助けたり、許可したりした周囲の人間にとっては、いい迷惑だとは思いませんか?
結果的に老人が死んだとしたら、この周囲の人々もこの老人の死に責任を持たなければなりません・・・・・
それを承知したうえで、そのリスクを自ら引き受けても、この老人の冒険を助ける人々に衝撃を受け、感動したのです。
この冒険に対するスタンスは、たぶん、西洋文明の持つ根本的な推進力なのだろうと感じました。
命を賭けてでも、そのリスク以上の利益が得られる可能性があれば、挑戦する。
優れた個人の持つ可能性に賭け、周囲がそれをバックアップする。
挑戦とは新たな可能性の追求であり成否に限らず、賞賛されこそすれ非難されるべきものではない・・・・・・
この考え方の根源に西洋文明の狩猟の伝統があるような気がします。
狩猟民族にとっての集団の維持は、個人の能力に左右されます。
危険を冒してでも新たな地平を目指し、獲物を探す、見つけた獲物を追い込む、見つけた獲物を狩る・・・・・これは集団作業もありはするものの、優れた個人の力によって得られ、その獲物によって、その集団の生命が維持されると思えば、そのエースのために集団全体が最大限援助するのが当然の考え方になるでしょう。
そんな狩猟民族の血が、個人の冒険を賞賛するし、援助もさせるのでしょう。
それゆえ冒険に対する基本的な肯定につながっている様に思いました。
その精神がこの映画には、よく出ているように思い胸が熱くなったのです。
しかしこの考え方は、農耕民族の日本人であればナカナカ難しい気がします・・・・・農耕民族は共同作業が中心であり、そこでは突出した個はむしろ作業の妨げになってしまうでしょう。
それゆえ、危険を冒さなければできないような挑戦は、どこか迷惑事と考えるのでは無いでしょうか。
一番その忌避感が出るのが、冒険の果てに遭難したり行方不明になったりという不幸な結果になったときです・・・・
こんな状況では、日本社会は「バカなことをして」だとか「自分勝手な行動だ」とか否定的な意見が発せられ、最終的に冒険者をして「ムチャをして救助の人々に迷惑をかけ申し訳ありません」などと、謝罪の言葉を強要する雰囲気になりませんでしょうか。
もし、この映画であれば「個人がその限界に挑戦する事は、人類の新たな地平を開く素晴らしい冒険」と見なされ、「また挑戦するなら助けたい」という声が沸き起こったと想像しました・・・・・・・

やはり農耕民族にとって冒険とはジャマな行為なのかなと・・・・
もちろん文化の相違でそれぞれの、長所短所がある事ですのでどちらが良いといえないでしょうが、映画にしてドラマチックなのは狩猟民族かなとは思いました。
いずれにしても、狩猟民族の冒険心の結果が、大航海時代であり、植民地の獲得だったわけです。
そんな西洋狩猟民族の魂が、インディアン・バイクとなって疾走したというのは・・・・・ちょっと皮肉な話ですが、「決して諦めない強い意思」を描いたこの作品は元気がないときには、見て損はない映画だと思いました。
この映画で主人公は言います「夢を追わない人間は野菜と同じだ」と・・・・・農耕民族は植物的ということですねぇ
バート・マンロー本人が疾走する姿はこちら!
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これは流石に知っていますよ〜(*‘∀‘)
60歳を超えてもライダーとしての夢を追い続けるなんて素晴らしいですね!
ありがとうございます(^^)
名作ですよね〜!
チャレンジの大事さが良く分かりますね〜
ありがとうございます(^^)ちょっと前に辛坊さんがヨットで遭難して、自衛隊機に助けられてエライ謝ってらっしゃっていまして、海外だったらもう一回頑張れって言うんじゃないかと想像してました(^^)