2019年03月25日

映画『チャイルド44-森に消えた子供たち』娯楽と実話の関係/あらすじ・感想・解説・批判・実話モデル

追っているのはスターリンか、犯人か?

原題 Child 44
製作国 アメリカ
製作年 2015
上映時間 137分
監督 ダニエル・エスピノーサ
脚本 リチャード・プライス
原作トム・ロブ・スミス


評価:★★★  3.0点



映画として見れば、焦点がぼけてしまった印象があります。
ソ連の政治体制の批判なのか、殺人事件のサスペンスを描きたいのか、追い求める敵を見失ってしまったのではないでしょうか・・・・

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映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』ストーリー

物語はホロドモール(ソ連の大飢饉)により孤児となった主人公(トム・ハーディ)が孤児院から逃げ出すシーンから始まる。ソ連赤軍の兵士に拾われた主人公はレオと名付けられる。成長したレオは第二次世界大戦のベルリン攻防戦に従軍し英雄となった。帰国したレオはライーサ(ノオミ・ラパス)と出会い結婚し、(MGB)ソ連国家保安省の捜査官となった。ある日スパイ容疑の獣医ブロツキー(ジェイソン・クラーク)を探し一軒の農家を訪ねブロツキーを捕まえるが、レオの部下でベルリンで共に戦ったワシーリー(ジョエル・キナマン)はブロッキーを庇った農夫と妻を射殺してしまう。そんなワシーリーを激しく叱責したレオとの間に確執が生まれる。そんな1953年、スターリン独裁政権下にあったソビエト連邦で、9歳から14歳の子供たちの変死体が次々に見つかる。死体は一様に全裸で胃が摘出されており、さらに山間部であるのに溺死していると不審な点が多かったものの、理想国家を掲げる体制のもと犯罪は存在しないとされていたため、事故として扱われた。戦友アレクセイ(ファレス・ファレス)の息子が死に、レオが真相を追いはじめたとき、妻ライーサにスパイの嫌疑がかけられ左遷される。レオはモスクワからヴォルスクへ民警に降格し赴任する。そこには上司のネステロフ将軍(ゲイリー・オールドマン)がおり、共に事件を精査すると44人もの少年たちが不審な死を遂げていた・・・・・

映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』予告

映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』出演者

レオ・デミドフ(トム・ハーディ)/ネステロフ将軍(ゲイリー・オールドマン)/ライーサ・デミドワ(ノオミ・ラパス)/ワシーリー(ジョエル・キナマン)/ブロツキー(ジェイソン・クラーク)/クズミン少佐(ヴァンサン・カッセル)/マレヴィッチ(パディ・コンシダイン)/アレクセイ(ファレス・ファレス)/イワン(ニコライ・リー・カース)/グラチョフ少佐(チャールズ・ダンス)

この映画の旧ソ連の連続殺人鬼のモデル

<アンドレイ・チカチーロ>


アンドレイ・ロマノヴィチ・チカチーロ(ウクライナ語:Андрі́й Рома́нович Чикати́ло;ラテン文字表記の例:Andrey Romanovich Chikatilo;チカティロ、チカティーロとも書かれる。1936年10月16日 - 1994年2月14日)は、ウクライナ生まれの連続殺人者。ロストフの殺し屋、赤い切り裂き魔などの呼び名で知られる。1978年から1990年にかけて、おもにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内で52人の女子供を殺害したとして殺人罪を言い渡された。一部の犠牲者は、当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国とウズベク・ソビエト社会主義共和国で殺されている。
当時のソビエト連邦では、「連続殺人は資本主義の弊害によるものであり、この種の犯罪は存在しない」というのが公式の見解であった。チカチーロの犯罪については、民警(ロシア語版)(ソ連内務省管轄の文民警察組織)内部では連続殺人という認識がなく、組織立った捜査が行われなかった。チカチーロの犯行範囲は事実上ソ連全土に及んだこと、犠牲者が男女を問わなかったことで、同一犯の犯行とは考えられず、いたずらに犠牲者を増やす結果となった。最終的にはKGBの捜査介入が行なわれ、逮捕されるに至った。(wikipediaより)

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映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』感想


殺人事件のサスペンス映画と見れば、ソ連体制の告発めいた部分が邪魔に思えます。
また政治体制批判であるなら、歴史検証映画として「カチンの森」のように正面から描くべきでしょうし、暗黒社会を描くのならば「1984」ではないですが、デストピアとしての別の描き方があったようにも思います。

やはり中途半端な印象は個人的には否めません。
また映画のストーリー的にも、悪役が殺人犯とジョエル・キナマンの二人に分散しているのも、物語から集中力を欠く要因になっているのではないかと感じました。

正直、ソヴィエト連邦の過去の罪を追求するのを目的とした映画ではなく、ただミステリーの背景としてスターリン時代を利用している作品だと感じます。

しかし映像メディアである映画では、ソ連時代の悪をその背景まで含めて説明するのは困難だったのではないでしょうか。

そんな説明不足を反映してか、ロシア政府は劇場公開を中止しました。
ロシア政府がこの映画を公開中止にしたのも、言論文化の表現の自由からすればイカガなものかと思いますが、ロシア政府の見解はこの映画を「スタ−リン時代の歴史を捻じ曲げており(旧ソ連を)人間以下のモラルと肉体を持った人々が住む暗黒の国と描写している」と、非難しています。
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確かに、旧ソヴィエトの描き方が画一的で、冷戦下のアメリカ的「反共産プロパガンダ」の世界観に立って、この物語は描かれているようにも思えます。

考えて見れば映画というメディアは、情報量が書籍ほど多くないので理論的な判断はしづらく、逆に五感から入ってくる刺激に満ちているので、感情に訴求する力が強い創作物だと思います。
それゆえ、ドラマの感情的な流れのまま、観客は無批判でその主張を受け入れてしまい、だからこそ「プロパガンダ」として機能してきたのではなかったでしょうか。

そんな、映画というメディアが根源的に持つ情報不足を補足した時、この映画に対して違う印象を持ちはしないかという検証をしてみたいと思います・・・・・・
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以下「スタ−リン時代」を検証してみます。おヒマな方はお付き合い下さい。
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映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』解説

スターリンは真に悪だったか?


スターリン時代とは何だったのか
スターリン時代の施政下で取られた政策で批判を浴びているのは、主に2つある。
一つはホロドモールである。
1932年から1933年にかけてのソ連の大飢饉にあって飢えて死んだ者の数は400万人から500万人と推測されている。これには、ウクライナの言うスターリンによる「ジェノサイド=民族虐殺」だという主張から、スターリンの強制的な食糧徴収が人為的な被害を増やしたとされる意見や、更にはロシア政府の言う旧ソ連全体が飢饉であり旧ソ連邦領域の全般に渡り餓死者が出ており自然災害だと見るものまで議論が分かれている。

二つ目は大粛清である。
スターリンは1936年から1938年までの間に政治的理由で134万人余を逮捕し、そのうちの68万人余りを処刑したという強権を発動した。この専制的な施政に対して旧ソヴィエト時代にもスターリン批判がなされた。

以上2点に関し、喪われた人命に対しては哀悼の意を表する以外ないが、スターリンにとって見れば止むを得ない状況があったとも思える。

時代背景
スターリンが政権を取った1920年代後半は、アメリカで1929年に始まった世界大恐慌から端を発し経済不況の真っ只中で、世界は自国の権益を守ることで精一杯だった。
第二次世界大戦前の世界情勢は、各国で人命が喪われる常態の中で、少しでも自国の被害を少なくするために、ドイツ・日本・イタリア・スペインのようにファシズムに走ったり、フランス・イギリスのように植民地を搾取したり、アメリカのようにニューディール政策(戦争までの時間稼ぎ政策との研究もある)で救済をする事になったのである。

しかし、当時のソ連の経済基盤である農産物は、欧州全体の天候不順により1932年に甚大な被害を受け、特に北国のロシアでは被害が深刻で飢餓が進行していく(ホロモドールの時期)。
同時にソヴィエト共産主義は全世界の資本家及び支配層から眼の敵にされ、全ての国家政府から敵対視されており、過去にはロシア革命に対する「干渉戦争」も経験した。
その歴史は建国の始めから外敵と内乱に満ちた闘いの連続だった。
そんな周囲を敵に囲まれた状態で、ついにはヒットラーのファシズム国家による反共産攻撃が明日にも始まるという、世界戦争が目前に控えた時期だったのである。

大粛清弁護論
そんな歴史背景による内患外憂の状況を知れば、客観的にソヴィエト連邦は消滅の危機に立っていたと考えざるを得まい。
そんな時期にスターリンは、祖国を守護する責務を課される。
少なくとも、国家存亡の戦争が目前に迫っているとすれば、国内で権力争いをしている状況ではないのは明らかだし、少しでも「ソ連共産党=スターリン」に忠誠を示さない者がいれば、排除せざるを得ないだろう。
実際ソヴィエトの内部権力争いの激しい歴史を見れば、戦争に突入してから反乱が起きれば、崩壊する事は明らかだからだ。
つまり1936年から1938年という第二次世界大戦直前の時期に行われた「大粛清」とは、戦時体制に必要とされる命令系統の一本化を計るための、過酷だが必要な権力行使ではなかったか。
とった手段は非難されるべきだが、危急存亡の時期で、最終的に独ソ戦を勝ち抜き祖国を守り、結果としてファシズムから世界を救ったとすれば、その大粛清の効果が無ではなかったと言われれば反論し難い面もある。

ホロドモール弁護論
ソヴィエトの経済情勢と他国の敵対視を考えれば、自国経済の基盤を農業から工業への移行を推進する必要があったが、その移行が円滑に進まず労働者が帰農するようになった。
そのためスターリンは、工業労働者として農村から都市部に農民を移動させ、農村は「農業の集団化=コルホーズ」を強引に推し進める。その時期に、その政策に反対した農民は1000万人ほどシベリアに流刑され、そのうち記録に残っているだけでも2万人が処刑されたとされる。

だが、敢えて犠牲に眼をつぶって言えば、第二次世界大戦を前にして工業生産がますます必要とされる時期に、工場労働者が工場を離れるような事態を看過すれば、これも国家として滅亡せざるを得まい。
ここは戦時経済の要請を考えれば、農作物を効率よく集団化し、余った人員を工場労働者と兵士として使役したいと考えるのは理に適っているだろう。

結局そんな産業構造の変革期の最中、1932年から1933年にかけて、天候不順による凶作が発生したのである。
穀倉地帯ウクライナから、作物を奪うようにして持ち出さなければならなかったのは、外貨獲得が農作物しかないソヴィエト経済の事情がある。
1928年に5万トン、1929年には65万トン、1930年には242万トン、1931年には259万トンまで小麦輸出が増加し、経済基盤としてウクライナ小麦輸出はソヴィエトの屋台骨をさせていた。それが1932年の飢饉の襲来によって90万トンにまで輸出が激減する事を考えれば、最低限の外貨獲得とソヴィエト連邦全体の飢餓被害に対する対処を、凶作であろうと(それでも他のソ連邦内農業地帯より収穫のある)ウクライナの穀倉地帯から算段する以外になかったろう。
それゆえ、ウクライナより強制的に農産物を搬出したのは、都市部に移動した工場労働者の食料や赤軍兵士の兵糧と、更に最低限の外貨獲得を、限られた収穫の中から捻出するための苦肉の策であったとも考えられる。

穀倉地帯のウクライナの人々から見れば、自分達の農産物を全て持ち去られたという印象もあり、これはスターリンが政策的に「民族大殺戮=ジェノサイド」を目論んだのだと、結論付けたい心情も無理はないと感じる。

しかし、今まで見てきたような歴史背景の要請により、農業国から工業国へ改革が求められていた時期に、不運にしてソ連全土を覆う大飢饉が重なってしまい、まだ収穫高のあるウクライナからの簒奪被害が拡大したというのが実態に近い可能性もある。
それはスターリンの危機管理を責めるべき失政ではあるだろうが、現ロシアの歴史家が主張する、ロシア国内でも飢餓に拠る餓死者が出ており、これを対ウクライナ人に対するジェノサイドと呼ぶにはあたらないという意見も一考の余地が有るように思われる。

総括
スターリン時代のソヴィエト連邦とは破産寸前の会社のような状態で、しかも周囲は商売敵が結託して潰そうと狙っているという状況下に置かれていた。
そんな、いつ倒産するか分からない状況であれば、現代の会社でも痛みを伴う、リストラや大胆な事業の再編をせざるを得ないだろうし、それが出来るのはワンマンで強引な経営トップだけだろう。
ソヴィエトでそれを担ったスターリンは、後世に悪名を残したが、結果としてヒットラーから祖国を守り、1980年代までアメリカに対抗しうる工業・軍事国家としてソヴィエトを存続せしめる基礎を構築しえたのは、評価せざるを得ないのではないか。

歴史に"もし"は禁物だというが、あえて想像して見れば、大粛清をせずにスターリンの反対者が内乱を起し、農業集団化をせずに農業国のままであれば、ナチスドイツの侵攻になすすべもなく蹂躙されたソヴィエト連邦内の人的被害は、スターリンの政策による損耗人員を凌駕する可能性も、十分想定し得ると思われるのだが・・・・・

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以上、スターリンを敢えて弁護したのは、歴史は多面的な様相を持っているという事実を示すためです。
個人的な好悪でいえば、スターリンは上で見た歴史的状況があるにせよ、自国国民の命を守ることを第一義とはしていない政治家だと思いますし、人権や自由をその国民に与えられなかった政治家だと感じられ、嫌いな政治家の一人です。
スターリンの残した暴言

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映画『チャイルド44 森に消えた子供たち』批判

映画と実話の関係

いずれにせよ上のように別の見方も可能な他国の歴史に関わる事を、しかも当事国にとって否定的な歴史的見解をあたかも事実と見なしたように描くのは問題があるのではないでしょうか。

せめて、その歴史的な事実を正面から取り扱い検証するという作品ならまだしも、それが単なる背景でしかない時、見る者はその世界観を無批判で受け取る傾向があるとも思います。

さらにその悪夢的な他国描写を背景とし、他国の人間を主人公にその苦悩を描くエンターテーメント映画というのは、悪意の上に悪意を重ねたような、そうとう失礼な表現ではないかと感じたのです。

child-44.jpgアメリカ映画に往々にしてある事ですが、こういう無意識の内の刷り込みが人々の国家観や民族観に影響を与え、例えばイスラム教徒に対する忌避感を生んでいると言うのは大げさにすぎるでしょうか・・・・・。
しかし往々にして、アメリカにとっての潜在的な敵を、映画で悪者として描く例が多く見られる事を考えると、無意識の内に「プロパガンダ」を受け取ってしまう危険があると思うのです。

そんな「プロパガンダ」に対して、今回は、あえてスターリンを弁護してみたということでした。

やはり、映画を作る側も、映画を見る側も、どこか批判的な視線を持たないと、映画が無意識の内に人の心を染めてしまう恐れを感じます。
じっさい、その批判精神さえ根底に有れば、政府がシャシャリ出て「映画公開中止」なんていう、表現の自由が脅かされる事もないと思うのです。

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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(4) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは(ФωФ)理解できたかは、、とにかく読んだーーー❗この映画は確かに難しかったです💦陰気ですし。まともな国では無いという印象しか残りませんよね。こうした映画で思うのは日本人で良かったと腹のそこから思うのです、、、
Posted by ともちん at 2016年09月24日 19:33
>ともちんさん
ありがとうございます(^^)
お休みのところ申し訳ありません(^^;
ま〜どの国もいろいろありますよ〜💦
日本も特攻隊に行かされたり、女子供も捕虜にならないように自決させられたり・・・・
Posted by ヒラヒ・S at 2016年09月24日 19:57
映画として見れば、焦点がぼけてしまった印象・・
同意です!
映画として殺人鬼と戦争とどっちつかずですよね〜。
自分もこの映画も記事書きましたが、月間500くらいPVあります。
新しいから検索から流入ありそうですね。
Posted by いごっそ612 at 2016年09月25日 12:09
>いごっそ612さん
ありがとうございます(^^)ちょっと、喰い足りないカンジでしたね〜。
月間500PVありますか・・・・・検索が大事だな〜と今は思っておりますm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年09月25日 20:10
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