評価:★★☆ 2.5点
キレイな色合いに、凝った画面構成。
キャラクターといい事件といい、第二次世界大戦前のヨーロッパの世界観をノスタルジックに描いている。
この映画が求めるのは、重層的な構造を取った、技巧を凝らした欧州レトロ・ファンタジーなのだろう。
『グランドブタペストホテル』ストーリー
東ヨーロッパ、旧ズブロフカ共和国の国民的作家(トム・ウィルキンソン)が語る物語。
1968年、若き日の作家(ジュード・ロウ)は、グランド・ブダペスト・ホテルを訪れる。今やサビれたこのホテルのオーナーのゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)は作家に対して、ゼロの波乱万丈の人生を語り始める。回想は1932年、ゼロ青年(トニー・レヴォロリ)がホテルのベルボーイになった時から始まる。全盛期のホテルはセレブで溢れ、伝説のコンシェルジュ、ムッシュ・グスタヴ・H(レイフ・ファインズ)が、マダムの夜のお相手も含め、完璧なサービスで評判を得ていた。しかし、懇意にしていたマダムD(ティルダ・スウィントン)が殺される事件がおき、遺言により高価な絵画『少年と林檎』を受け取った。しかし遺産を狙う長男のドミトリー(エイドリアン・ブロディ)の陰謀によりグスタヴが殺人の容疑者にされてしまう。さらにドミトリーの部下私立探偵ジョプリング(ウィレム・デフォー)の魔の手が忍び寄ってくる・・・・・
(イギリス・ドイツ合作/2013年/100分/監督・脚本ウェス・アンダーソン)
『グランドブタペストホテル』予告
【出演】レイフ・ファインズ,F・マーレイ・エイブラハム,マチュー・アマルリック,エイドリアン・ブロディ,ウィレム・デフォー,ジェフ・ゴールドブラム,ハーヴェイ・カイテル,ジュード・ロウ,ビル・マーレイ,エドワード・ノートン,シアーシャ・ローナン,ジェイソン・シュワルツマン,レア・セドゥ,ティルダ・スウィントン,トム・ウィルキンソン,オーウェン・ウィルソン,トニー・レヴォロリ
『グランドブタペストホテル』受賞歴
ベルリン国際映画祭銀熊賞・審査員賞受賞作/第87回アカデミー賞・美術賞・衣装デザイン賞・メイキャップ&ヘアスタイリング賞・作曲賞
『グランドブタペストホテル』受賞歴
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『グランドブタペストホテル』感想 |
この映画を見て、マニエリスムという言葉を思い出した。
【マニエリスム】マニエリスム (伊: Manierismo ; 仏: Maniérisme ; 英: Mannerism) とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する言葉である。ヴァザーリはこれに「自然を凌駕する行動の芸術的手法」という意味を与えた。(Wikipediaより引用)
つまりマニエリスムとは、人工的に美を構築しようとする芸術的手法であり、美しいと思えばデッサン的に歪ませ引き伸ばして構図的な完成度を高めたり、ことさら寓意を加えて絵に哲学的な趣向を凝らしたりした。
その技法の本質は「自然の持つ写実美」ではなく「人工的な虚構美」に対する飽くなき追求であったろう。
この映画は正に「人工的な虚構美」を、スクリーンに投影しようとした作品だと感じる。
幾重にも重ねられた時間的な構造や、スクリーンサイズが切り替わるという表現によって、語られているのが「虚構空間」であると明確に主張し、画面を隙間なく埋めた人工的な映像イメージは現実世界に有り得ない形と色で構成されていると告げている。
その最もいい例が、スキー場のアクションシーンで、いかにも可愛いミニチュア風の演出は、この映画がファンタジックなマニエリスム的な夢物語だという事を表していただろう。
つまりは、作品中の全編に渡り人工的な彩色が、監督の美意識の下作り上げられているのである。
スキーシーンをどう撮影したかという質問に対し、監督はウィレム・デフォーのマペットを作りミニチュアセットを走らせたと言い、CG技術を使わなかったおかげで、生き生きとした雰囲気になったと回答している。監督のコダワリが全編を覆っている一例。
そういう目線で見た時、この人工的ファンタジーの完成度や割り切りはティム・バートンなどと同様、高度な洗練を見せていると思う。

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『グランドブタペストホテル』解説ネタバレ・映画批判 |
しかし、正直に言えばビジュアルのマニエリスム的な完成度の割には、映画としての感動が薄かった。

結局のところ、この映画の監督ウェス・アンダーソンが構築した世界は、優れて技巧的な煌びやかな人工美に満ちてはいるが、それはそのままこの監督の美的趣味を披瀝するだけの意味しか持っていないと思う。
それゆえ、ここには耽美と言いたくはあるものの、それよりはどこか空疎な美の世界が展開されていると感じる。
個人的な印象からすれば、ここに描かれた世界は美しくは有るけれども、1940年代というレトロ世界に対する監督の「ぺダンチックなお遊び」以上の意味を見出しえなかった。
結局、マニエリスムにおける危険性とは「自然対象を求めない=現実世界に関与しない」でも、作品として成立してしまう点にある。
映画において現実に関与しないとは、即ち現実世界にあるテーマ、「理想」であったり「社会問題」であったり「愛」であったりに、触れない作品だといえるはずだ。
しかし個人的な見解としては、現実世界に関わるテーマを描く事によってのみ、その映画が作られる価値があり、他者に影響を及ぼせると、信じている。
この点において、マニエリスム的人工映画でありながら、タランティーノやティム・バートンは、現実世界に関与しようという意思に則ってその作品世界を構築している点で、この映画監督ウェス・アンダーソンとは性格を異にすると、私は思う。
タランティーノのレビューはこちら:『イングロリアス・バスターズ』
特に最近の映画を見てしばしば思うのは、古典映画をコラージュ的に組上げた作品が持つ華やかであるが、現実に関与しない映画が、特に近年の若い作家に多く見られるという事実だ。
それは他者へのメッセージを持たない作品が増えてきたという傾向を示すものであり、この映画もその典型的な一つと思える。
そういう作品を見るにつけ、その作品を撮った監督の自己満足と自己顕示欲のみが感じられ、シラケた気分にさせられる。
関連レビュー:なぜ今サイレント映画? 『アーティスト』 オスカー受賞の現代サイレント映画 この映画はレイプか? |
つまりは、この作品は自己完結した人工世界を、エゴイスティックな欲求の為に、世間に発表したとしか思えなかった。
そんなエゴイスティックな特徴が最も端的に表されているのが、この映画内で使われたウィーン世紀末画家達の作品に対する扱いにある。
左:映画の1コマ壁にクリムトの絵が飾られている/右:クリムトの絵
左:映画の1コマ壁にエゴン・シーレ風の絵が飾られている/右:エゴンシーレの絵
そもそも劇中で、クリムトやエゴン・シーレの絵より高価だという「遺産」として使われている、リンゴの絵が、明らかにチープ。
そして、このリンゴの絵の代りに掛けられた絵が、上のエゴン・シーレ。
さすがにシーレのパチモノ作品で、この絵自体もチープだが、明らかにシーレの作風を模しており、ウィーン世紀末の文化風俗をこの映画の中で展開しているのだから、シーレのイメージに対し丁重に扱うべきだと思う。
しかし、あろうことかこの絵を「このクソはどういう意味だ!」と大声で侮辱する!
あまつさえ、このエゴン・シーレの絵を、映画内で破壊しさえするのである。

この感覚はちょっと承服できない・・・・・
つまりは、過去の芸術に対する敬意がないと、個人的には哀しく感じた。
実を言えば、このエゴン・シーレの絵画イメージに対する冒涜がなければ、人工的な理想世界がファシズムにより壊されるというストーリー展開から、「理想世界=芸術」を破壊する暴力に対するアンチテーゼ映画と解釈することも可能だった。
しかし、この芸術に対する尊敬心の欠如によって、結局そのテーマも雲散霧消してしまい、残るのはエゴイスチックな自己顕示欲のみになってしまったと言わざるを得ない・・・・・
そんなことで、私はこの監督のマニエリスム的な美意識は好きだが、その美意識の表現力が己の功名心のために使役されているように思われ、この映画をあまり好きにはなれなかった。
いつの日か、他者に対する真摯なメッセージのために、この監督の美意識が有効に発揮されることを願う・・・・
あ〜〜〜〜ぁ!ダメだ!
我慢できない!
正直にブチまけよう!!「このクソ映画はどういう意味だ!!!」
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ありがとうございます(^^)スター総出演です。カワイイ、ファンタジックな映画です。細部までコダワったビジュアルは、評価も高く一見の価値ありかと。
私みたいなアマノジャクでなければ楽しめると思います(^^;
しかし、今更ながら★3はクソ映画だったのですね〜。
有り難うございます。(^^)こぎれいな映画かと思いますし、細部までこの監督のコダワリに満ちていると思いますが、私はダメ(*_*)でした・・・