2016年08月15日

『永遠の0』戦争を語らない戦争映画ができた理由

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評価:★     1.0点

戦争というのは、人類の生み出した最大の悪業であり、最悪の犯罪だと信じている。
第二次世界大戦開始の時点ですら戦争の持つ欺瞞や罪悪が語られており、しかも全世界の5000万〜8000万人の命を犠牲にして、その点は微塵も疑う余地無く完璧に証明されたはずではなかったか?
少なくとも日本の映画界は戦後一貫して「戦争=悪」として描き続けてきたのは、戦争に対する忌避感が国民全体に骨の髄まで沁み込んでいたからだったろう。


しかし平成に入ってそんな戦争観が揺らいで来ている点に、個人的には一抹の危機感を禁じえない。
しかし、この映画を見てみると、事態はもっと悪い方向に向かっているようにも思える。
この映画が、戦争という歴史に対して何事も語っていないという事実に、一種の恐怖感すら覚えた。
<あらすじ>
現代の若者、佐伯健太郎(三浦春馬)とその姉慶子(吹石一恵)が、実の祖父である宮部久蔵(岡田准一)が、特攻隊で戦死したという事実を知る。その祖父を調べるため、戦争中に祖父と関わった人々を取材していく中で、彼らの祖父が命を惜しむ「卑怯者」の飛行気乗りだった事実が語られる。しかしそれが、愛する妻と子のためだったという事実が明かされ、そんな命を大事にする祖父が、なぜ特攻隊に志願し戦死したのかという謎が浮上する。その謎の答えが分かったとき、結果的には映画中で「生きたかったのに、死なざるを得なかった」特攻隊兵士と、その残された家族の悲痛が浮き彫りにされる・・・・

映画館では、周りからはすすり泣きの声が聞こえた。
死にたくないのに死ななければならない若者に対して、涙を流さざるを得ないのは人情というモノだろう。
しかし先にも述べたとおり、そんな感動作でありながらも、捕らえ処の無い映画だとの感慨は2度3度見返しても変わることは無かった。

この映画がそんな印象を生んでいる原因が分かったのは、結局のところ、小説版「永遠の0」を読んだからだった。
この映画のストーリーは原作の百田尚樹の小説とほぼ同一でありながら、小説では語られている「戦争」という歴史に対する、歴史観、認識、総括、評価が、この映画化された作品からはスッポリと抜け落ちている。

つまりこの映画は、特攻隊兵士の悲劇を描きながら、その死をもたらした第二次世界大戦の歴史的な意味について、ほぼ何事も伝えていない。
戦争について明確な言及がないが故に、この映画が伝えるテーマは、生きたいのに死ななければならない人間に対する同情や哀れみを表現しただけになってしまう。
それゆえ結局、この主人公と特攻隊兵士の死は、死者とその家族に対する憐憫を促す劇であれば、その死の背景は戦争でなくても問題がないことになる。
むしろ、死の理不尽さを描くのであれば、むしろ平和な状況を前提としたほうが、テーマが明確になるはずである。
しかし明らかに、戦争を題材としたこの映画で、特攻隊兵士や戦火によって喪われた人々の命が、なぜ人為的に殺されなければならなかったのかを描かないのは、死者に対して礼を欠く態度だと言わざるを得ない。

やはり、戦時下の特攻隊員の死を描こうとするとき、その戦争がなぜ起こり、どういう歴史的な意味があり、彼らの死がどういう意味を持っていたのかという点に真摯に向き合わなければ、彼らの命や思いを「ないがしろ」にすることになるだろう。
たとえば、彼らが生きたいのに特攻で散らざるを得なかったのであれば、その死を強要した戦争とは何だったのかと問わなければならないはずだ。
その戦争に対して仮に「無意味」だった総括するのであれば、彼らの死には意味がないということにならざるを得ない。
上の例から答えを導きだせば、そんな意味のない死をもたらす戦争を糾弾することこそ、彼らの死に対して残された人々が出来る精一杯の供養ではないだろうか。

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しかし、この映画ではその戦争に対する見解が何も明示されないが故に、この特攻隊員の死という歴史的な事件が、日常的な人の死と等質に描かれてしまう。
戦争による死と、日常にある死が、同等に描かれるというのは、本当に異常事態だと言わなければならない。

もう一度言うが、戦争を題材にしたドラマを作る以上、その戦争が人々や社会に、いかほどの影響を与えたかを描くのは義務ではないかと、考える。
なぜなら人間のみならず、全ての生命にとって他の命を奪うことは根本的な罪悪である。
そんな一個の命の殺傷という行為すら糾弾されるべきであるのに、国家が自国国民の命を犠牲にしてまで他国の人命を損耗させ滅ぼそうという異常事態を決して看過すべきではない。
そもそも、この戦争という人類が生んだ惨禍を題材として作品制作しようとする者が、この人間の狂気の行いを前に何事かを語らずに済ませられるはずはない。

実際のところ、戦争で死んだ人間の命を、その戦争の意味を問わずして、どう描けるのであろうか。
そいう意味で(個人的には百田氏の戦争に対する意見には反対だが)小説「永遠のゼロ」が戦争に対する歴史的評価を表白したのは、まことに正当でもあり当然のことであると思う。
この映画には決定的にその「戦争」に対する、評価、総括、善悪の判断を含め、製作者の意見が見当たらないことが恐ろしいと感じる。
<映画予告>

実を言えば、個人的には製作者側に同情したい気持ちも有る。
なぜなら、戦争、特に第二次世界大戦に関する歴史的評価は、東京裁判から始まって左から右へと揺れ動き、結局あの戦争とは何だったのかを、歴史家や政府が統一見解として総括できていないのが現状である。
それゆえ、批判的に描こうと弁護的に描こうと、その反対の立場から責められることとなる。
結果として例えばTVのように、不特定多数の人々に発せられるメディアの製作者は、戦争に触れないか曖昧に言葉を濁さざるを得ず、ついには戦争自体がメディアにとって一種のタブーと化し、放送から消え去ってしまう。

それは、日本人の臭いものにはフタをするという民族性もあって、近年は戦争自体を出来れば触れたくないというのが、現代日本の実情ではないだろうか。

従ってこの映画が「第二次世界大戦」について何も語れないのは、そんな日本の現状を反映したものだといえるだろう。
しかしそこに、さらに拍車をかけているのが、その世論に敏感で、クレームを恐れる、TVスポンサーの意向を無視できないTV局が、近年映画製作の主体となっていることだ。TV局が映画製作に加わってから、映画が本来持っていた強いメッセージ性を失ったと思うのはわたしだけだろうか。


いずれにしても、戦後日本の現状は政府にしてもマスコミにしても、戦争に関する公式見解を作りえず曖昧にしてきたがゆえに、戦争によって喪われた命に対して、その意味を正しく引き継げなかったのである。
その戦争に対する真摯な反省の努力をしてこなかった結果が、そのままこの作品に反映されていると思えてならない。

そんな日本社会の帰結として、昨今では「戦争は前の世代がやったことで、私達には関係がない」というような言葉が、平気で若者から発せられることになった。
これが決定的に間違っているのは、ある民族が刻んだ歴史というのは、国土・環境の影響によって育まれたその民族性が、必然的に導いた結果だということである。
従って、日本人のメンタリティーを持つ者は、過去の日本人が何をしてきたかを検証・分析しなければならない。
そうでなければ、間違いを正すことも、今後の発展も期すことができまい。
正直に言って、第二次世界大戦を含む近代にたいして歴史的な検証と公的な結論を曖昧にして、決着をつけずに戦後日本が進んできたが故に、歴史の持つ意味を理解しない日本人を大量生産してしまったのだろう。
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願わくばこの映画を見て、多少なりとも興味を持った人々は「戦争という歴史」に対して関心をもち、少しでもその実体を知る努力をして欲しいと願う。
そうでなければ、この映画の主人公に代表される先の大戦の犠牲者が報われない


以上のことから戦争を描いていない戦争映画に対して、私は高い評価をつけることができない。


関連レビュー:「零戦燃ゆ」/小説「永遠の0」


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posted by ヒラヒ at 19:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!「死にたくない」「特攻隊なんか嫌だ」こんな人がほとんどなんでしょうけどね。命令には逆らえないですし。戦争を美化したような内容だとは言わないけど、ブラピの300人相手に戦う俺たちカッコいいみたいなのに比べると「サラの鍵」はひたすら事実だけを描いていて興行収入は低いかもですが・・尊い映画や(T_T)です。
Posted by ともちん at 2016年08月15日 20:25
>ともちんさん
ありがとうございますm(__)mドイツは戦争責任はナチスにあって、一般のドイツ人は騙されたという歴史総括をしているようです。
日本は曖昧なままなので、戦争を正面から語ることが出来なくなってしまったのが、最大の悲劇だと思います。
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月15日 20:40
うーむ難しいですね(^^;)
個人的には良い映画だと思ったけど、確かに原作を読んでる人からは不評ですね〜💦
レビュアンさんには『野火』とかいいかもしれませんね。
Posted by いごっそ612 at 2016年08月16日 04:55
>いごっそ612さん
ありがとうございますm(__)m
戦争映画に関しては、個人的には反戦の描き方が明確でないと、認めがたいという・・・・・(^^;
野火は、昔のしか見ていないので、新しいほうも試してみますm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月16日 07:19
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