2021年04月13日

映画感想『スタンド・バイ・ミー』少年の永遠の夏!二つの死の意味/解説・考察・ネタバレなし簡潔あらすじ

映画『スタンド・バイ・ミー』感想・解説 編

原題 Stand by Me
製作国 アメリカ
製作年 1986
上映時間 89分
監督 ロブ・ライナー
脚色 レイノルド・ギデオン、ブルース・A・エヴァンス
原作 スティーヴン・キング


評価:★★★★☆  4.5点

じつはこの映画を最初に見たとき、主人公とその親友とでも呼ぶべき「友」が、何年も会っていなかったという言葉が気になった。

こんな友と、長期間連絡も取らない事が腑に落ちなかったのだ。
実際宴会のときだったか、この映画の話題がでた時、この疑問を口にした。

そのとき座にいた年長者が言った「そんなもんだし、それでいいんじゃないの」

その言葉に、ますます訳が分からなくなったのだ。
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<目次>
映画『スタンド・バイ・ミー』簡単あらすじ
映画『スタンド・バイ・ミー』予告・出演者
映画『スタンド・バイ・ミー』感想
映画『スタンド・バイ・ミー』解説/アメリカは田舎だ!
映画『スタンド・バイ・ミー』考察/少年と二つの死

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映画『スタンド・バイ・ミー』あらすじ


中年の小説家のゴードン・ラチャンス(リチャード・ドレィファス)は、新聞で幼なじみの友クリスが亡くなったことを知る。
その脳裏に、彼の少年時代『オレゴンの人口1281人の小さな田舎町キャッスルロック』での、夏の日の冒険を思い出す・・・
12歳の夏ゴードン(ウィル・ウィトン)は同級生3人、クリス(リヴァー・フェニックス)テディ(コリー・フェルドマン)バーン(ジェリー・オコンネル)と、ニュースになっている行方不明の少年の死体の場所の在りかを知り「死体」探しの旅にでた・・・
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映画『スタンド・バイ・ミー』予告

映画『スタンド・バイ・ミー』出演者

ゴーディ・ラチャンス(少年期ウィル・ウィートン:成人リチャード・ドレイファス)/クリス・チェンバーズ(リヴァー・フェニックス)/テディ・ドチャンプ(コリー・フェルドマン)/バーン・テシオ(ジェリー・オコンネル)/エース・メリル(キーファー・サザーランド)/ビリー・テシオ(ケイシー・シーマツコ)/デニー・ラチャンス(ジョン・キューザック)/チャーリー・ホーガン(ゲイリー・ライリー)/アイボール・チェンバーズ(ブラッドリー・グレッグ)/ビンス・デジャルダン(ジェイソン・オリヴァー)/ゴーディの父(マーシャル・ベル)/ゴーディの母(フランシス・リー・マッケイン)/雑貨屋の主人(ブルース・カービー)/マイロ・プレスマン(ウィリアム・ブロンダー)/グランディ市長(スコット・ビーチ)/DJボブ・コーミア(マット・ウィリアムズ)
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映画『スタンド・バイ・ミー』感想


しかし子供時代の、あの時間の長さは何だろう・・・・・
今みたいにゲームもなければ、TVですら面白くなくって・・・・・
そして、親達は概ね生きるために忙しい。
だから、時間を持て余した子供たち同士が、ヒマダヒマダと呟いて「何か面白いコト無い?」というのが挨拶で・・・・・
何かものめずらしいモノが、目の前にぶら下がりでもしようものなら、どんな魚よりも確実に釣り上げられたに違いない。
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そんな無駄な時間ばかりの悪ガキにも、やはり、未熟な子供同士では解決できない問題がある。
でも答えをくれるべき大人たちはおらず・・・・・
不完全で自信のない己を抱えて、迷路からの出口が見えなくなってしまう・・・・・

実際、男の子達はバカで弱くて向こう見ずで、それでも大人に成らねばならない自分の行く末に、ほとんど茫然としてしまう。
それまで大人に、親に頼って、成長してきたとしても、時がくれば自分で選択しなければならない、その日が必ず訪れる。

そんな、自ら選択する瞬間が来たとき、大人ではない、誰かの助けがいる。
その時、そばにいてくれる友達が言ってくれる。
「俺達は、いつも一緒だ。」
「お前なら大丈夫。」
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そんな友人の言葉が、大人にしてくれたのだと、今にして思う・・・・・・・・

この映画をみて、自分がどこにいて、どうやってここまで来たのか、それを思った。

結局、この映画は少年が少年期を脱する、運命的な夏を描いた物語だったのだろう。
この映画の原題「Body=死体」が少年のモノであることを考えれば、この主人公が見つめたのは自らの少年時代の終焉だったはずだ。

少年時代を卒業し青年期に入る転換とは、親の価値観から離れて、自らの価値を作り上げることであり、そのためには親の引力圏とは関わりがない人間関係を必要とし、それこそが同年代の友人だったはずだ。

そういう意味では、初めて女性と一夜を過ごすことで「大人の恋」を知るように、友達同士で冒険する夏の日に、始めて少年は「大人への扉」を開くのかもしれない・・・・・

そして、この映画を最初に見てから月日は流れ、今となってあの時の「年長者」の言葉が分かるような気がする。
今もやはり、大人は忙しいのだ。
昔の友と会う時間より他にやることがあるのだ。

しかし、それは信頼でもある。
連絡がないのは元気でやっている証拠に違いない。
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【意訳】またな。

「友」は何年会わなくとも「友」で、たとえ直接言葉を交わさなくても、何かに迷った時にはいつでも「友」を思いだす・・・・・・
たとえ空がひっくり返って、山が海に崩れ落ちたとしても・・・・・・
そして2度と会えない、遠い場所に行ってしまったとしても・・・・・・・

それでも、友はそばにいる

<ベン・E・キング『スタンド・バイ・ミー』>


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映画『スタンド・バイ・ミー』解説

アメリカへの偏見的印象!


この映画は、少年が少年期を脱する「特別な夏」を描いて、誰もが覚えのある郷愁を呼び起こす物語だ。
男だったら、誰もが通り過ぎる一種の「通過儀礼」を描いて、この映画のメッセージは万国共通の、普遍的な力を持ち、人々の共感を呼び続けると感じる。

しかしこの普遍性を持った映画は、実はアメリカ合衆国の特殊性も描かれており、それが登場する少年たちの心理に影響を与えているのは間違いない。

そのアメリカ的特異性を、独断と偏見によって、以下に語って見たい。

アメリカは99%田舎で占められている!

アメリカは世界一の先進国だが、その国土の中で都市部の面積は1%程度にすぎないと言う。
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この作品の設定年代、1960年代のデーターを見ても、ほぼ変わらない数値である。
その1%の地域に、1億9000万の都市人口が集中しており、その全人口に占める割合は実に94%となる。

日本の都市部が全国土の約10%の面積を占めているのに較べても、アメリカ都市部の土地面積の狭小さと、そこの人口量の多さは突出したものだ。
つまり、逆に言えば、アメリカとは99%の広大な地域におよそ6%が散らばっている、超過疎地域なのである。

人も少なければ、娯楽も少ない、そんなアメリカの片田舎に住む人々は、下手をすれば町から一歩も出ずに一生を終える人々もざらにいると言う。
そんな、空虚な町で、この映画の登場人物たちは成長し、生活しているのだ。

それゆえ、若い彼らは、その圧倒的なヒマさゆえに、ろくでもない事を考えてしまう。
それは2020年代の今でも、YouTubeの動画が多くアメリカの田舎町から多く供給されているのも、そんな事情によるだろう。

この映画で、この町の不良エース達が、車に乗って郵便ポストをバットで壊して、野球ごっこをしているのもそんな有り余った時間を少しでも楽しく変えようという涙ぐましい努力ゆえだろう。
<郵便ポスト野球>
【意訳】ナレーション:このときチャーリーとビリーはエースと”郵便ポスト野球”をしていた。/エース:アウトだチクショウ!/ハイボール:木製はダメだ/エース:なんでお前は俺の知らないことを言えないんだ?ビリーお前の番だ。/ビリー:お前の勝ちだ。俺はもうやりたくない。/ハイボール:止めるだって!3回までしかやっていない!非公認試合になっちまう。/:なあ/ビリー:止めろ。/エース:ホモか?一日中おかしいぞ?何だ?/ビリー:何でもない、何でもないよ。だろ?/エース:よし、諸君、年金を貰う齢になる前に、ゲームを終わらせちまおう。立て、やれよ。さあ、プレーボールだ!

そしてこんな町で、少年たちが「ボディー=死体」の話を聞いてしまえば、願っても無い大イベントとして、血沸き肉躍り喜び勇んで探しに行くのも当然なのだ。

アメリカは階級社会で成り立っている

アメリカ社会の階級制度とは、南北戦争前の黒人奴隷の時代だけにあったのではない。
それは今も厳然と存在するのだ。
関連レビュー:アメリカ社会の階級とは?
『ヒース・レジャーの恋のからさわぎ』
ヒース・レジャーのラブコメ青春映画
アメリカの高校生が青春を謳歌出来るワケとは?

貧富の格差が激しいアメリカ社会では、例えば富裕層と労働者階級、そして貧困層のスラム街と、その収入に応じて住むところも違えば、付き合う人々も違うと言う。

この映画の舞台1960年代とは、公民権運動が活発になる直前の時期にあたり、アメリカ社会の差別意識も強い時期だった。
アメリカ映画:1962年
映画『アラバマ物語』

黒人差別問題を取り上げた問題作!
グレゴリー・ペックのアカデミー男優賞受賞作

そしてこの主人公の少年の住む地域を見ると、労働者階級の子供達であり、決して裕福ではない家庭であると見て取れる。

そんなアメリカの小さな町の労働者とは、その階級意識も相まって、一生涯その町で労働者として働く将来しか考えられないのが実情なのだった。

そんな、階級の壁を越えるには、特別な才能を学業かスポーツで発揮し、学費免除で大学へと進学するぐらいが微かな望みだっただろう。

この映画で言えば、ゴードンの兄こそがその可能性を持つ存在だった。
<ゴードンと兄>
【意訳】兄:ゴーディお前にプレゼントがある。この、俺の友人を、お前にやるよ。/ゴーディー:これ、兄ちゃんのヤンキースの帽子!/兄:お前の、ヤンキースの帽子だ。これは幸運の帽子だぞ。何匹の魚が釣れるか知ってるか?/ゴーディー:どれぐらい?/兄:ものすごい数。すごく釣れる。似合ってる。お前にぴったりだ。/ゴーディー:うあ〜見えない。/兄:やめなよ、ハグしよう。/父:見つけたか?見つかったか?(部屋を出る)何でデニーみたいなやつと友達なんだ?/ゴーディー:父さんあいつらはいいんだ。/父:やつらが?泥棒と落ちこぼれ二人だ。/ゴーディー:クリスは泥棒じゃない。/父:やつは学校の牛乳代を盗んだ。俺の本も盗んだぞ。

それゆえその死は両親と近隣の労働者達にとっても大きな損失であり、それはこの映画に影のようにまとわりついている。

いずれにしても、この映画の背景にはアメリカ階級社会の歪みが、少年たちの現在と未来に覆いかぶさっている。
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映画『スタンド・バイ・ミー』考察

少年は二度死ぬ

アメリカ社会の階級意識の強い田舎町で、労働者階級に生まれた主人公の少年。

この少年にとっての未来は、せいぜいよくて映画に登場する不良のエースのように、その町で好き勝手に暴れるぐらいが望みうる最高地点だったろう。

しかしその兄は、更にその先、町を出て大学進学をし都市で新たな階級へ駆け上がる可能性を示し、その事実を証明する前に死を迎え、町から消え去った。

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主人公の少年にとって、兄はこの閉塞した町の解放者として、蜃気楼のようにその姿を揺らめかせていただろう。

また同時にその死は、自分を導き、自らの世界観の根本をなす存在としての「父の死=権威の死」をも意味していたかもしれない。
多かれ少なかれ少年達は、自立を成すその一歩として、自らの骨肉と化した「父=権威」をまず殺さねばならないだろう。

そんな主人公を冒険の旅へと誘った、もう一つの死「少年の死体」の意味とはなんだったろう。
その「ボディー=死体」は、町から遠くへ連れ去ってくれるであろう列車が走る、線路の傍で朽ちて行く。
それは生まれ育った田舎町から脱出できず死を迎える、主人公自身の象徴でもある。

少年は、夢と希望を兄と共に葬り去り、自分が信じるべき権威を失い、不安と混乱の中、その町の退屈と虚無から脱出できずに死ぬ、将来の自分を間違いなく見た。

この主人公が、八方塞がりの状況を打開する力を持ち得たのは、その空想の死を自身の死だと明瞭に認識できる「感受性と知性」を持ち得たからだと信じている。

彼は、その「二つの死」を自分自身の姿だと、認識する事で「生」を得たのだ。
心理学で語る「死=タナトス=デストルドー」の力学は、「生への欲求=自己実現」が果たされない時、その不充足は攻撃性を生み、その攻撃は自己をも含め「死」を生むとする。

それを思う時、この主人公は明らかに「生の不充足」から、死を選びかねない自らの将来を見据えていただろう。

その少年は、しかし「二つの死」を経験する中で、自らの中の少年を殺し、青年期へと向け「再生」を果たしたのだ。

それは「死=虚無=恐怖」の体験によって、自らを「賦活=自己実現」する姿だった。

これが、原作者スティーヴン・キングの自伝的な作品だとする時、間違いなく彼も「死と再生」を自らのものとしたのだろう。

だとすれば、彼が描く恐怖の物語とは、その先に新たな生命の息吹を潜ませているだろう・・・・・
関連レビュー:スティーヴン・キングの恐怖の向かう先
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(4) | TrackBack(1) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
懐かしいですね〜
子供のころにこの映画を観て友達と線路をひたすら歩いた記憶があります。名作ですよね!
Posted by いごっそ612 at 2016年08月16日 18:01
>いごっそ612さん
ありがとうございます。ヤッパリ名作ですよね(^^)
10年に一度くらい見ると、これまた沁みるんですm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月16日 18:46
こんばんは!かなり前に観ました( ̄▽ ̄)心に残るメロディですからね🎵思春期の入り口くらいの年齢ですかね〜いい作品ですね。
Posted by ともちん at 2016年08月16日 18:48
>ともちんさん
ありがとうございますm(__)m
オリバー・フェニックスは惜しいことをしましたね。
いくつになっても、見ると切なくなるんです。O(≧∇≦)O
Posted by ヒラヒ・S at 2016年08月16日 18:56
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