評価:★★★★ 4.0点
この園子温監督の映画は、現代の日本人が抱える問題を、悪夢に還元して語った作品だと感じた。
この映画はその悪夢的な混乱をテコに、見るものに一つの問いを突きつけるだろう「あなたはあなたの関係者ですか」。
この映画は血と痛みと歪みと狂気に彩られている。
この映像が、ドギツイ表現をせねば成らない必然があると信じるが、その血と傷と死の場面を無差別に振りまくことは控えたいし、誰にでも薦められるという作品でもない。
正直言って、YouTubeの映像もあまりにグロテスクなため、ドラマ的な文脈なしに刺激物を見せ付けられ、後味の悪さしか残らないという結果にもなりかねない。
次に動画を掲示したが、血や傷、死に関わる映像に忌避感を持つのであれば視聴を避けたほうが良いと思う。
実際ネット上では、この映画を見てしまったが何がなんだか分からないとか、こんな後味の悪い作品に何の意味があるのかとか、こんな映画はクソだとか、つまりは悪評と困惑や非難が多く目に付く。
このレビューは、この映画に高い価値があるという個人的な思いから、この作品に対する弁護をしようと試みたものだ。
以下ネタバレを前提にして、個人的な解説を書かせて頂きます。
<自殺サークルあらすじ>
夜の新宿駅プラットホームで、54人の女子高生が笑いながら手を繋いで投身自殺した。
その後には200人近い人間の皮をつなぎ合わせた帯が残された。
警察が捜査に乗り出し、黒田、渋沢刑事が真相を追い始めるが捜査は進まず、その後も、自殺者は後を絶たない。捜査員黒田の家族も自殺し、黒田本人も拳銃自殺を遂げる。
インターネット上に自殺者の数をカウントするウェブサイトがあったり、自殺クラブというサイトを主宰するジェネシスなる人物を捜査するが、結局自殺は止まない。
そんな時、女子高生・ミツコは自殺した恋人の部屋で、アイドル・グループDESERTが鍵を握っている事をしり、コンサート会場へ向かう。そこには、小学生低学年の少年少女たちが彼女を待っていた。その子供達は、ミツコに向かって尋ねる「あなたはあなたの関係者ですか」
ミツコは叫ぶ、「私は私に関係している!私は私の関係者だ!」
この映画は、人の痛みの刺激に満ち溢れている。
激烈に、混沌として、唐突に、無残に描かれる、痛みと血と死が描くものは、現代人が何を拠り所にして、自らを確認せざるを得ないかの答えだったろう。
最初のシーンで描かれる手をつないでの自殺シーンや、人の皮で作られた帯(サークル)は、現代人は他者との関連、他人と自分との関係性において、自分を認識するのだという真実を示すものだったろう。
それは、自分が何者か、自分にどういう意味があるのかを、他人との比較の上で決められる事を意味するだろう。
それは「自己存在=アイデンティティ」の喪失を意味し、さらにその傾向はインターネットを介して人とつながることによって更に拍車がかかるはずだ。
つまりは、自分が存在する証明は「他者の承認」によって社会とつながり生まれるのだとすれば、そのつながりがデジタル記号の上でのみ作られる時、そのコミニュケーションは人としての実感とは程遠いものになるはずだ。
「自分は自分の関係者」かどうかは、インターネットのバーチャル情報上で、他者との相対的な関係性を元に確認するしか方法が無いとすれば、本来生物である人間は真の意味での自己確認は不可能になるだろう。
それゆえ、現代人は自分が自分であることの実感を、生物としての痛みを通じてしか感じられない。
自己確認のために、自傷行為による痛みが生成されなければならないのだ。
しかし、生物としての確認を経たとしても、「自分が自分に関係しているか」という問いに対して応えたことにはならない。
真に他者との関係性を離れて、自分が自分であったことの確認を成すためには、自ら死を選ぶことで己の意識が消滅するという、消去法による方法以外ありえないだろう。
結局、この映画で描かれる執拗な痛みと、一種空虚な自殺とは、現代において自分が何者かという証明が不可能であるがゆえに、成されなければならない行為だと語られていると感じる。
それを裏付けるかのように、刑事の黒田はその家族が死んで行ったときに「自分が自分と関係している証明」としての家族を喪い、自殺する以外の道がなくなってしまう。
それでは、全ての現代人は必然として自死し続ける運命にあるのだろうか?
この映画では、その設問に対してNOと答える。
ミツコという少女に仮託して、新たな存在証明を提示する。
彼女だけは「私は私に関係している」と明快に言い切る。
そう言い切れる理由は、ミツコが恋人の自殺の場面で、傷を負ったことによると考えられる。
それは、他者の死、他者の傷を、己の痛みとして刻み込むことを意味するだろう。
他者の痛みを我が事とすることで、自らの生物としての存在証明が可能だと告げているはずだ。
それでは「私が私に関係している」という人間意識に関する事実を、どう証明するのだろうか。
彼女は自らの皮をはがれ、他者とのつながりの中に組み込まれ、冒頭の集団自殺と同様のシュチュエーションに立ったにもかかわらず、自殺はしなかった。
それは、この映画のエンディング・ソングの前に叫ばれる「勝手に生きろという」言葉が鍵であろう。
つまりは、自らを他者との関係によって、己たらしむるのではなく、自分自身の価値を自ら確立せよというメッセージであったろう。
それは人から認められなくとも、他者との関係が断ち切られていても、自らを愛することで人は生きていけるのだ。
そして、自らを愛する心は、必然的に他者を愛する心を生む。
他者を愛するということは、他者の痛みを知るということを意味するだろう。
これで全てが明らかに成りはしまいか。
つまりこの映画は「絶対的な自己=自己愛」を喪失した、現代人の傷の深さを示すために、かくも深く激しく生々しく血を流さねばならない。
この映画は現代人が自らを愛せないという真実ゆえに、その過激なビジュアルから受ける生物的な生理感覚に生じる痛みを媒介として、見る者にそのテーマを体感させるためであったに違いない。
それは、この映画のミツコが体験した真実を、映画を見た観客に追体験させるための、映像装置としてあるのだ。
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ありがとうございます(^^)昨日はご迷惑をお掛けしましたm(__)mようやく上げます!
二度のコメント本当に申し訳ありません(^^;)
今は難しい世の中で・・・ヤッパリ校内カーストとかありました?
刺激的な映画ではあります。
歴代ナンバーワンではないかという血の量でしたね(^^;
園子温監督のメッセージまで読み解き凄いです!
流石っすね(^^)v
有り難うございます。(⌒‐⌒)血とか、傷とか、スゴイインパクトがありますよね。
you tubeで見ると本当に刺激がつよいですねぇ( ̄0 ̄;