評価:★★★★ 4.0点
この映画は恐ろしいほどに見るものの心を支配する。
この映画を見た者は一様に、どうしようもない精神の落ち込みを経験するはずだ。
この心理的な影響力の強さがナゼなのか、この映画の持つリアリティーの凄みの源泉を、個人的には回答を得たと思う。
この映画の監督ドルトン・トランボが、1939年に発表した反戦小説を元にして、自身が脚本・監督を努め1971年に製作された。
主人公のジョーは戦争で負傷し、「意識を持つ生きた肉塊」となって野戦病院のベッドにいる。意識があるとは外部の人間はしらない。他者とコミュニケーションを取れない彼は、過去と現在を心の中で行きつ戻りつする。彼に意識があることを、ひとりの看護婦が気が付くが、彼の運命はどうなるか・・・という粗筋である。
この映画の強烈な反戦メッセージによって、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、国際映画評論家連盟賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞など、アメリカ本国以外の各国の賞を受けている。
作者のドルトン・トランボは共産党員としてマッカーシズムで米国を追われたが、その後も名前も変えてハリウッド映画で傑作を発表する。
ローマの休日・スパルタカス・栄光への脱出・いそしぎ・フィクサー・ダラスの熱い日・パピヨンなど、映画史に残る名作揃いだ。
もし、レッドパージがなければ、どれほど優れた仕事をしただろうと思う反面、苦境にあったからこそ、これほど映画史に残る作品を残せたとも考えられる。
じっさいこの作品群を見れば、権力に抵抗する個人の自由と、権力の横暴を描いた作品が並ぶ。
やはり作家個人の体験や信念が、作品に反映されないはずはないし、その体験・信念の強さが作品の強さとして見る者の心を打つだろう。
更に言えばこの映画は、ベトナム戦争の痛みをアメリカが否応なく感ぜざるを得ない1971年に製作された。
ソンミ村虐殺事件や、泥沼化する戦場、アメリカ国民の反発、世界中に広がる反戦運動の広がりを受けて、時のニクソン大統領も撤退に向けて模索始めた時期だ。
この映画に籠められた重苦しさと、閉塞感、そして回想シーンのどこかサイケデリックな表現は、はやはりこの制作年代の時代の息吹が力を加えているだろう。
しかし、そんな事実を差し引いても、この映画が真に奇跡的だと思うのは、この映画がもつリアリティーの強さだ。
そのリアリティーゆえに戦争に向かった兵士の運命に涙し、反戦という強い主張を、見る者に否応なく摺り込むのだ。
この映画は明らかに虚構の物語であり、通常脳も破壊された肉の塊が生きていられるはずがないだろうし、ましてや意識を持ち外部と意思の疎通をする事は考えられまい。
しかし、この映画は見ている者の生理感覚に迫る、生物としての存在感に満ちた、まるで触感に訴えかけてくるような生々しい映画だと感じる。
そこには、感覚を刺激する看護婦の描写や、光を感じる主人公のモノローグも有り、回想内の元気な肉体と肉の塊と化した主人公の姿を交互に描くという工夫が有りはするものの、なぜここまで生々しい実在感が有るのかは、我が事ながら不明瞭だった。
その確認のため数度の視聴を重ねていくうちに、実を言えば、この映画のリアリティーの源泉を理解したように思う。
ここからはこの映画を見て私の中に生じた反応、個人的見解であることをご承知願いたい。
さらに、これ以降の見解は、私の人間的な不完全さゆえに受けた印象で有ると、告白しておく。
私は異形の者を見た時に、正直に言えば、自らの内に不安や恐怖を見出さざるを得ない。
私は子供のころ祖父の家に行き、そのコップの中に浮かぶ入れ歯に衝撃を受けた。
また、駅で片腕が無い男性を見て、その晩眠れなかった事もある。
つまり、私はこの映画の中で受けた生々しい皮膚感覚とは、肉の塊と化した主人公の姿自体が、直裁に私の生理感覚を刺激したのだとも思う。
つまり、「障がい者」を見た時その不自由さが、自らの肉体上に生じた場合を想定して、不安や恐怖を覚えるのだと分かったような気がする。
この心理は、ゾンビ映画やホラー映画で、肉体が損傷した存在を見た時に感じる「恐れ」と同質のモノだとも感じる。
そしてその無意識の忌避感こそが、この映画で表された絶対的「障がい者」とでも言うべき主人公の姿を想像したときに生じる、私個人の生理的リアリティーだと気が付いた。
さらにこの映画を見て反戦を思うとき、この映画の肉塊と化した存在になりたくないという思いが、私の中の反戦のメッセージを強くしていると告白しなければならない。
私は人を差別したいと思ったことも無いし、障害を持ち困っている人を見れば実際助けた事もある。
しかし再度言うが、私がこの映画の主人公の肉体の欠落に対して、私自信の心に、間違いなく忌避感・恐怖感を持った。
その、私自身の障害に対する忌避感が強いリアリティーとなって、戦争の残酷さを感じたのだと思わざるを得ない。
そして同時に、上の「障害に対する忌避感」を梃子として、この映画の反戦のメッセージが発せられているとすれば、ギリギリの表現だとも感じる。
戦争が、この映画の主人公のような障害者を生むことは、疑いの余地が無い。
そして、戦争の悲惨を直裁に表す主人公の姿である事も疑いは無い。
私個人は、戦争という人類最大の罪悪を止めるためなら、アフリカの少年兵が死傷している現場に世界中の国家元首を送り込み反省を促したいとすら思う。
結論が正しければ、手段は選ばないという考えもある。
しかし、私はまだ自らの心に生じた感情に戸惑い、その戸惑いを生んだこの映画の表現を、正しく評価しかねている。
この映画は見る価値があるし、見る義務もあると思うが、自らの内にある影を直視することを強いる作品であると覚悟すべきだろう。
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も〜一生忘れないですよね。生理感覚に訴えてくるというか。
戦争が人を傷つけるというのが、どういうことかよく分かる作品ですね・・・(TT)
コピペはありがたいお話で、いつでもご自由に(^^)
病院で働いていたら「意識を持つ生きた肉塊」となっている患者さんもいます。
目だけで合図を送ってきたりするのですが、あまり理解できません。
本人は生きていたいと思っているのでしょうか?
辛い映画ですよね、観なければいけない映画だろうけど・・
重いなあ
ありがとうございます。
重いですね・・・・この監督の人生をかけた魂の一本だと思います。
尊厳死も含めて、色々深く重い作品で、見てて辛いですねm(__)m