2016年06月30日

実話映画『最強のふたり』フランス階級社会の奇跡/感想・解説・あらすじ・意味

「最強の二人」の敵



評価:★★★★  4.0点



この二人の厚い友情に、感動と同時に羨望を感じます。
喧嘩したり、揉めたりという、お互いのエゴが衝突しながらも、相手が自分にとって掛け替えの無い存在になっていく過程が、巧く描かれています。
しかしこの2人の関係は、フランス社会の持つ階級意識が生んだ、奇跡だったようにも思えるのです・・・・・・

映画『最強のふたり』あらすじ


パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。フィリップと秘書のマガリー(オドレイ・フルーロ)は、住み込みの新しい介護人を雇うため、候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。
ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を紹介され、フィリップの邸宅へやって来る。ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった失業保険を引き続き貰えるようにするため、紹介された面接を受け、不合格になったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。
気難しいところのあるフィリップは、他の候補者を気に入らず、介護や看護の資格も経験もないドリスを、周囲の反対を押し切って雇うことにする。フィリップは、自分のことを病人としてではなく、一人の人間として扱ってくれるドリスと次第に親しくなっていく。(wikipediaより)

映画『最強のふたり』予告



(原題 Intouchables/英語題 Untouchable/製作国フランス/製作2011年/上映時間113分/監督エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ/脚本 エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ )

映画『最強のふたり』出演者

フィリップ(フランソワ・クリュゼ)/ドリス(オマール・シー)/イヴォンヌ(アンヌ・ル・ニ)/マガリー(オドレイ・フルーロ)/マルセル(クロティルド・モレ)/エリザ(アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ)/バスティアン(トマ・ソリヴェレ)/アルベール(クリスティアン・アメリ)/アントニー(グレゴリー・オースターマン)/ミナ(アブサ・ダイヤトーン・トゥーレ)/アダマ(シリル・マンディ)/エレノア(ドロテ・ブリエール・メリット)

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映画『最強のふたり』感想



つまるところ、大金持ちの全身不随に近いご主人様と、それに使える貧乏な黒人召使の物語なんですが・・・・
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そんな二人が、心を通わせ対等なパートナーになっていく様子が、丹念に描かれた感動的な一本です。

しかしよ〜く見てみれば、この関係は綱渡りのような微妙なバランスの上で、成り立っているようにも思えるのです。
この映画の舞台はフランスですが、フランスを含め現代ヨーロッパにおける階級制度は、社会を維持する根幹としてしっかりと機能しており、世襲の階級で暮らすうちに人種が違うといわれるほど、差異が生じるそうです。

たとえば階級社会とは何かと例を挙げれば、この映画の主人公フィリップの職業とは何でしょう?
実は映画内では明確に描かれていませんが、階級社会とは世襲で家名財産を引き継ぐことと近似で、このフィリップも仕事らしい仕事をしなくても、先祖代々の資産を管理するだけでマセラッティー位は買えるのでしょう。
つまりは、江戸時代の大名がそのまま現代まで続いているようなものだと想像します。
今の日本ではなかなか想像し難いですが、そんな背景を元に考えれば、この映画のフィリップは生まれながら上流階級に属し、移民のドリスは最下層の人間です。
通常のフランス社会であれば、原題の通り「Intochable=接触し得ない」二人であり、この両者の密接な関係はあり得ません。

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そんな二人に関わりが生じたのは、障害を持った富豪のフィリップが事故によって、首から下の感覚がなく、他者に介護をしてもらわなければ生きられず、いっぽう移民のドリスは定職も、住居も無く、つまるところ生きるために必要なお金に不自由しているからです。

つまりは、フィリップが介護者の面接をするシーンから始まるように、当初の二人は単に雇用関係でした。
しかしこの雇用関係は、上流階級に生まれて、大抵のことは意のままになってきたであろうフィリップが、一転して障害者としてストレスのかかる生活を強いられたことから、介護する側はわがままな「暴君」に仕えるのに等しい苛酷な勤めです。

しかし、そんな暴君になってしまうのも無理が無いと思えるのです・・・・・・
実際フィリップの状況を考えると、障害を得る前と後で根本的に違ってしまった意識の変化があるように思います。
それまでは、生まれながらに持った階級と富のおかげで、人から羨望される立場にいて、しかもそれが当然とすら思っていたでしょう。
ところが一転、障害者となることで、「Intochable=触れてはいけない存在」となってしまいます。
そして、見て見ぬふりをされたり、蔑まれたり、憐憫を受けたりする過程で、それまで無自覚でいた上流階級のある種の傲慢さや欺瞞性を感じたのではないでしょうか。

しかし自分の階級を外れた付き合いといえば、後は自分を助けてくれる使用人しかいません。
しかしどれほど信頼したとしても、そこは金銭的な関係であり真の友人関係とはいえないでしょう。

基本的には障害者として哀れむか、財力に媚びるかという反応に、フィリップが他者と正常な関係を結ぶのが困難だと語られているようです。

つまるところフィリップは、真に安らげる身の置き所を失ってしまいます。
それは大げさに言えば、アイデンティティの喪失に苦しんでいる状態です。
そんな状態だからこそ、ドリスのようなどこの馬の骨か分からないような人物と、関係を持とうとしたのでしょう。
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一方のドリスも定職は無く、移民で、そもそもフランス社会の構成員から外れたような存在です。

しかしその反面、階級からフリーである事で、大きな自由と、斬新な価値観を持つことが可能になり、そして、ドリスの自由な感性は、フィリップの階級的な価値観を覆すものだったはずです。
社会の外から来て、その社会が持つ矛盾や権威を笑うものをトリックスターといいますが、まさにドリスは道化師のようなトリックスターの役割を担っています。

そんな自由なドリスは、そこそこの小銭があれば決して働こうとは思わなかったに違いありません。
しかしフィリップと関わり、働くということの本質が、自らの命を維持するだけでなく、他者の命をも助けるのだと理解したでしょう。

こんな風に、両者は共にフランスの階級社会から「Intochable=隔絶された存在」だったのですが、その社会のマイノリティーにあるという点で共通項を見出した2人でした。
この二人の本来なら雇用関係として成立すべき関係が、「相互依存=パートナーシップ」なった理由が、これで明らかだろうと思います。
金銭を超えた価値観が、この二人が出会うことで生まれたからです。

整理してみましょう。
フィリップは「王座から落ちた王」として、自らの属した王国と戦わなければならない。
王国と戦うためには、王国を否定する価値観が必要とされる。
ドリスは移民で何も持たないがゆえに、自由な価値観を持つ。
フィリップとドリスが組むことで、再び別の価値観の元に、王国を再構築する。

まさに「最強の二人」といえます。
しかしフィリップが、障害を得て初めて今までの価値観に疑問を持ったように、人間の固定観念や価値観というのは堅牢なものです。
それを打ち崩すには、人生が変わるほどの大きな出来事が必要だと語られているように思います。

そう思えばこの二人の戦いは、世間常識という巨人に立ち向かう困難な戦いであり、それが分かるからこそ見ていて感動を呼ぶのでしょう。

突然ですが!いま気がついた!このお話って「ドン・キホーテ」ですね。
最も、これは実話ですが。

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映画『最強のふたり』解説

実話モデル

この映画は、実在の人物である フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴ(Philippe Pozzo di Borgo)とその介護人アブデル・ヤスミン・セロー(Abdel Yasmin Sellou)をモデルにしている。フィリップは、1951年生まれで、1993年に事故で頸髄損傷となり、2001年に自身のことや介護人アブデルとのことを書いた本 Le Second Souffle(第二の呼吸) を出版した。
2002年には、フィリップとアブデルはフランスのテレビ番組 Vie privée, vie publique で取り上げられた。この番組の司会者ミレイユ・デュマ(Mireille Dumas)は二人に興味を持ち、2003年に二人を描いたドキュメンタリー À la vie, à la mort を製作した。
このドキュメンタリーを観たエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュが、映画化を考え、フィリップに話を聞きに行き、脚本を書き上げて、映画を監督した。

<実話との相違点>

劇中では雇ったのはドリスというアフリカ系の黒人になっているが、実際はアルジェリア出身のアブデルという青年(当時24歳)だった。
劇中、フィリップの妻ベアトリスはすでに死亡したことになっているが、実際に彼女ががんで亡くなったのは、アブデルが家にやって来てから4年後の96年5月のこと。
映画では、ドリスの弟が助けを求めに来たことをきっかけに、雇用関係を解消。ほんの1年程度の出来事のような印象だが、実際には10年間にわたって面倒を見ており、2人はモロッコへ移住するのだが、アブデルが現地の女性を好きになったため、アブデルの将来のことを考えて、フィリップの方から契約を解除している。(wikipediaより)

<実在モデル動画>



障碍者を描いた映画

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アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督




posted by ヒラヒ at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは!あ〜今日はわかりやすいです♪この映画は気になってました。「ドン・キホーテ」の例えもわかります( ̄▽ ̄)なるほどね〜・・これは観るべきですね!
Posted by ともちん at 2016年06月30日 23:39
ともちんさん

どーもありがとうございます。面白かったです。オススメです\(^^)/
Posted by ヒラヒ・S at 2016年06月30日 23:46
介護する側はわがままな「暴君」に仕えるのに等しい苛酷な勤めというのに共感です。
映画とは関係ないですが、乙武洋匡氏もまさにそれだったのに、忠誠を誓ってくれた妻を裏切るなんて・・あり得ないですね。
これから彼は金もなく無くなり、寂しい老後を送ることになりそうですね。
Posted by いごっそ612 at 2016年07月01日 06:57
>いごっそ612さん
ありがとうございます。映画自体は面白かったです(^^)
でも障害者の方には、計り知れないストレスもあるかとは思います・・・・乙武洋匡氏の場合、普通の不倫というよりは、健常者に負けないぐらいモテるという、自己証明としての行動のようにも思えて、なかなか複雑な部分もあるようなm(__)m
Posted by ヒラヒ・S at 2016年07月01日 07:43
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