評価:★★★★★ 5.0点
日本人なら誰もが知っている古典的名作。
少女漫画の金字塔という以上に、日本文化の国民的遺産とでもいうべき作品ではないか。
また少女漫画のキャラクターとして、オスカル以上の存在を知らない。
このマンガの基本的ストリーは、そのままフランス革命史である。
それ自体、変革期であれば必然的に現れるダイナミズムを内包し、その歴史の変転がそのまま起承転結となっている。
正直に見た感想を言えば、特に後半、歴史的事件と主人公を結びつける必要から遍在というのに近いほど、事件のある場所にオスカルありという状態になっている。
また歴史を描くことに熱心なあまりオスカルの意思より歴史の意志が優先され、物語の中の登場人物として機能していない様に思える。
率直にいって、物語る技術としてはある種の混乱を呈していると言わざるを得ない。
また、話が進むにつれ背景は省略され主人公の顔のアップが描かれる率が高くなっていく。
明らかに描く速度が掲載に間に合っていないのだ。
これが後半においてオスカルの存在を記号化してしまった原因だとすれば、週刊マンガのシステムに問題があるだろう。
これは作者にとっても、マンガ作品自体にとっても、悲しむべきことである。
しかし上記に描いたような欠点があるにしても、この物語は強いオーラーを持って拡散し続けるだろう。
それは従来にない革新性をこの作品が有しているからだ。
まず少女マンガにおいて西洋史が、しかもほとんど世界史のテストを受ける事が可能なほどの正確な歴史が、語られた事。
そして、その歴史的文脈の中で王侯貴族の生活が初めてビジュアルとして鮮烈に日本人にイメージされた事。
ここで示された革新性が意味するのは、日本漫画が技術として歴史を詳細に語りえる力を持ち得たという事実であったろう。
この歴史劇の中に大胆に架空の登場人物を置き、破綻をきたさず語れたという事実が、漫画表現の新しい地平を開いた事は明らかだ。
このマンガにより、真に歴史という事実に負けない、リアリティのある架空キャラクター生み出せることが証明されたのである。
しかしその成功の鍵を握っていたのは、何よりもオスカルという男装の麗人貴族のキャラクターが、圧倒的なカリスマ性を保持していたがゆえに、歴史物語に負けない漫画世界を構築できたと思うのである。
詳細に見れば、このキャラクターと同様の性格を持った「リボンの騎士」という手塚治虫の発想が、過去にあったことは事実である。
また、少女マンガの主人公だから女性にしたい、歴史の事件に能動的に関わらせるためには男性でなければならない、その矛盾を回避する為に男装の女性にすればいいという発想だったとも考えられる。
しかし、いずれも些細なことだ。
オスカルのような男装の麗人であれば、全てが同じカリスマ性を発揮できるわけではないからである。
しかし、キャラクターがカリスマ性を持つという奇跡的な成功は、前文で技術的な疑問を書きはしたが、実は技術を越えて伝わる熱気、迫力、勢いという、ある種の超自然的な力が作品に作用しなければ、世に表れないのではないかと思える・・・・・・・
そして、その奇跡的な力がオスカルに憑依し、この作品に作用したのだとしか思えない。
稀にある作家が運命的に描かされる作品というものが、この世にあると感じる。
正に池田理代子にとってのこの作品が、それであるように思われるのだ。
この漫画を描いているときの池田は、何かに憑依されているように感じたのでは無いか。
それは間違いなく、この作者において、天から作品を預かった事を意味するだろう。
天から何者かを預かる才能を持ったものを、天才というのである。
この「ベルサイユのバラ」こそは、天才の預言書であると信じる。
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ラベル:池田理代子
ありがとうございます。「浦安鉄筋家族」もスキですよ(^^)
この漫画はオスカル、マリーアントワネット、アンドレ、キャラ立ってます!よろしければm(__)m