評価:★★★★ 4.0点
生意気な事を言うようですが、山田洋次監督の資質は「大衆作家」として常に在るように感じますし、監督ご自身も大衆作家である事に、誇りをお持ちでいらっしゃるようにお見受けいたします。
それゆえその作品は、日本の庶民・大衆の夢を集めて、映画という形で表現したものだと感じます。
『幸福の黄色いハンカチ』あらすじ
北海道をドライブするのが高校時代からの夢だった欽也(武田鉄也)は、仕事で働いた金を貯めて新車を買い求めた。そんな欽也は網走の駅前で、一人旅をしていた朱実(桃井かおり)と出会う。朱実は職場の人間関係で疲れ、旅に出たのだった。欽也は強引に誘い、朱美も車に乗ったものの、海岸で欽也からキスを求められて、逃げ出した。追いかける鉄也と、逃げる朱実の間に立った一人の男。それが島勇作(高倉健)だった。こうして出会った、三人は共に旅を始めた。その旅の中で、勇作は夕張の炭抗で働らていて、光枝(倍賞千恵子)と結婚し幸福に暮らしていたが、ある事件を境に運命が暗転してしまったという、過去が語られたのだった。そして、同情した若者二人は、勇作がかつて住んでいた夕張の家に車を向けるのだった・・・・・
『幸福の黄色いハンカチ』予告
『幸福の黄色いハンカチ』スタッフ・出演者
製作国・日本/製作年・1977/上映時間・108分/監督・山田洋次/脚本・山田洋次、朝間義隆/原作・ピート・ハミル
出演者:島勇作(高倉健)/島光枝(倍賞千恵子)/小川朱美(桃井かおり)/花田欽也(武田鉄矢)/旅館主人(太宰久雄)/警官(梅津栄)/警官渡辺係長(渥美清)/警察署の中年女性(三崎千恵子)/検問警官(笠井一彦)/医者(里木左甫良)/帯広のチンピラ(たこ八郎)
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『幸福の黄色いハンカチ』感想・解説 |
この映画を見たときに高倉健と賠償千恵子のカップルとは、昭和の夫婦の典型として描かれているように思われてなりません。
それは、黙って言い訳をせず義務を果たす夫と、100%家庭を管理し夫と家族に奉仕する妻という関係です。
これは昭和の夫婦にとって、女性と男の役割が分担されていて、その分業が上手く行った夫婦が昭和の幸福な家族の形だったからだと思います。
しかし山田監督は、この夫婦の間に一つの不幸を描く事で、この家庭の不完全さを描きます。
つまりこの映画の夫婦・家庭とは、幸福な家族に成り得なかった男女を描いたことになります。
しかしそれは大衆作家の山田監督としては、必然的な選択ではなかったでしょうか。
なぜなら、昭和の夫婦に限らず、いつの世でも圧倒的多数は「敗れし者達」だったはずだからです。
そんな夢敗れた家族の代表として、高倉健と賠償千恵子演ずるこの映画の夫婦は在ったのではないでしょうか。
つまるところ大衆の支持を得るということは、日本人の「大多数を代表する者」になることを意味するでしょう。それは、この映画のように絶対的多数を代表したならば、観客は自分の姿をドラマの中に見出し、感情移入し、ついには感動を呼ぶからです。
そしてそんな昭和の大衆を代表した「スター」こそ、高倉健という俳優だったのです。
個人的に高倉健の本質を思うとき、その演技が表したものとは「敗者の美」にあったと感じます。
高倉健の、その敗れし者の姿とは「戦争の敗北」によって日本に突きつけられた、日本人の姿ではなかったでしょうか。
つまり日本の戦後を生きた者たちは、自らの失敗に言い訳ができず、ただ黙って、耐えて、それでも実直に社会を再構築するしかなかったという、大多数の日本人の姿を高倉健は代弁していたと思えてなりません。
そういう観点に立てば、先ほど述べた、昭和の夫婦の圧倒的多数は「敗れし者達」という言葉は、敗戦という形で全ての家族、日本人が「敗れし者達」として存在していたというべきでしょう。
この映画の公開された1977年(昭和52年)の日本とは、高度成長期が落ち着きを見せ、バブル景気に入るちょっと前にあたりますが、昭和20年の敗戦から32年の長きに渡って、高倉健の世代が努力を積み重ねて、復興を成し遂げた結果作られた時代だというべきでしょう。
その日本の復興の象徴として、武田鉄也と桃井かおりの若い二人が現われているように思います。
彼ら二人が、自らの欲望に対して好き勝手に振舞えるという事実こそ、日本が豊かになり、生きるために必死に苦闘しなくとも良くなったという事実を示すものだったでしょう。
この若い二人が高倉健を助ける姿こそ、戦後日本の「戦争を知らない子供達」の、高倉健世代に対する恩返しだったと感じました。
この映画のラストで示される、この不幸な夫婦に「救い」が描かれるとき、それは昭和の復興を「戦争という喪失」から苦闘の連続の上で成し遂げた「昭和の家族=戦後日本の家族」に対する「救い」を意味したと思うのです。
そしてまた高倉健の意味する「敗れし者達」、戦争という罪を犯した者達に対し、もういいと「許し」を与え「感謝」を表している映画であるように感じられてなりません。
そういう意味でこの映画は、「戦後日本」の「世界の奇跡」と呼ばれる復興を成し遂げた、全ての日本人に対する慰労と救いの映画だと思うのでした。
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スイマセン・・・させなくてもいい苦労をさせて、ガンバって短くしたいですが・・・むりだろ〜な〜m(__)m
山田洋次監督だという事で間違いないでしょうね(*‘∀‘)
古い映画で・・・今見るとデザイン的には古いと思うんですが、ドラマとしてキレイなカタルシスがある作品で、もしかすると古典として残るんじゃないと思ったりしますm(__)m