評価:★★ 2.0点
==========================================================以下の文章には、この作品に対する悪評があります。ご注意下さい。また下記は、私個人のこの作品に対する評価です。この映画は「アカデミー脚本賞」「英国アカデミー賞 作品賞」を受賞した、評価が高い作品であることを付け加えさせて頂きます。==========================================================
この映画を十年ぐらい前に、名画座で見て本当に嫌いになった。
たぶんその時期に数回、なぜこれほど嫌悪感を催すのかを確認するため見ている。
しかし、今ならば違う感慨を持つかと久しぶりに見てみたが、やはり私はこの映画を愛せない。
<『今を生きる』あらすじ>
1959年、バーモントの名門全寮制学院ウェルトン・アカデミーに、英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してきた。ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の方針は、厳格な規則で学生たちを管理する事だったが、キーティングは教科書を捨てさせ、詩の本当の素晴らしさ、生きることの素晴らしさについて教えようとする。キーティングの自由な授業に、生徒たちは徐々に感化され、自由な人生を選ぶことの大切さを知る。
そんなある日、生徒のニール(ロバート・ショーン・レナード)は、教師キーティングが学生時代に作って、今はない「デッド・ポエッツ・ソサエティ(死せる詩人の会)」を復活させようと呼びかける。同級生ダルトン(ゲイル・ハンセン)ノックス(ジョシュ・チャールズ)、トッド(イーサン・ホーク)達も賛同し、クラブを再開させる。そして彼らは自由に自らの人生を生きたいと望むようになる。そんな中、ニールは俳優を志すが、ニールの厳格な父親(カートウッド・スミス)は決して許そうとはせず、ニールは苦悩する・・・・・・<映画予告>
この映画は青春映画だ。
名門の寄宿学校における、10代後半の若者達が経験する学園生活を描いている。
しかしこの生徒達の姿とは、誰もが等しく経験する、自分の持つ「主観的イメージ」と「現実」のはざ間で苦悩する思春期を描いた物語だったろう。
今だ「現実」を知らない若者が「現実」と向き合うその「青春」と呼ばれる時期には、特別鋭敏な感受性を持つて「現実」から情報を得る能力を与えられていると感じる。
そんな世代の若者に対し、教師が影響を与え生徒を変えていく物語だ。
その教師をロビン・ウィリアムスが、硬軟織り交ぜて演じて説得力が有る。
そのメッセージは「カーぺディエム=今を生きる」という形で伝えられ、その影響により生徒達は、自らの自由意志による人生の選択を志すようになる。
しかし生徒達が自ら欲するものを求め始めた、その中の最もその志に忠実だった、一人の生徒に「悲劇的事件」が起こり、学校側はその事件の責任を追求する。
そのとき、「今を生きる」 自由な心を持った生徒達と、この教師がどうしたかという物語だ。
物語の語り口は、真面目で実直だ。この重厚感こそ、エリート学校の伝統というものかとも思う。
そんな学校内で起こる事件とその決着は、映画の流れに沿って、登場人物の感情と同調しつつ見たならば、感動するしかないほど完璧な映画だと思う。
しかし再び言うが私はこの映画を愛せない――――
===================================================以下の文章には、ネタバレがあります。ご注意下さい。===================================================
この映画で、教師ジョン・キーティングに感化を受けた生徒ニールは、俳優の道を志すが父親の反対を受けて、苦悩の末自殺してしまう・・・・・・・
ここで思うのはロビン・ウィリアムス演じる教師が、生徒達に伝えたのは自ら人生を切り開ける、自立した人間になれという真実だったはずだ。
彼は、その教師生命を掛けて、生徒に自由と自分の意思のままに生きる事を伝えたのではなかったか。
そのメッセージに従い「今を生きる」生徒が、結果的に「悲劇的事件=自殺」をした事に対し、この教師は悔恨や懺悔がないのが不思議だ。
そしてまた、いかに締め付けが厳しかろうと、この「自殺」以外の解決策を見出せなかったのは、この生徒の精神があまりにも脆弱だと感じる。
彼は生きるために「親」を殴るべきだったのだ。
そして、この教師はこの生徒に「親」を殴る力を与えるべきだったのだ。
しかし、結果的に最悪の選択を取らせてしまったこの教師の教育とは「無」に近いと言わざるを得ない。
それはまた、この教師が学校を追われる際に、この教師を愛して止まないであろう生徒達が取った反抗の、あまりにも迫力に欠ける行動にも共通する。
学校側に対して、たかだか机の上に立っただけで、抵抗を示したなどといえるであろうか。
この教師を大事に思うというなら、校長室に殴りこむ生徒が一人でも出ただろうか?
この死んだ生徒の為に、その親を糾弾する友が一人もいないのだろうか?
なぜ、この自らの自由の為に他者を薙ぎ倒してでも「闘う」という根本的な力を、この教師の教え子が持ち得なかったという点に、その教育が正しかったのかという疑念を持たざるを得ない。
つまるところ、この映画の青春群像は一種、「スノビズム=俗物主義」に彩られているように感じる。
この寄宿学校に学ぶ生徒達は明らかに上流階級の子弟であり、この教師が口にする詩を生きるという言葉に感化されてはみても、じっさい人生を賭してまで「今」を生きるなどできはしないのだ。
なぜなら、最終的にその階級の中で大人しくしていれば、成功が約束されている者達であり、自らの人生を変えるリスクなど取る必要はない。
そんな彼らは、しょせんこの教師の扇動によって自由を垣間見たとしても、上流階級の立場を捨て去ってまでその「真実」に殉ずる意思も、友の死を真に「憤る」気持ちも持ち合わせていない。
その自らの危険を冒さず、児戯めいた反抗のポーズで良しとする、そのスノビズムの象徴こそこの映画のラストではなかったか。
こんな俗物達に囲まれている事も知らずに、「真実=詩」に生きようとして果たせなかった生徒に対し、この俗物の生徒等と教師は本当に自分に恥じる所が無いのであろうか。
それとも、この映画の原題「死せる詩人の会」とは、この俗物たちの前では「詩人も死者となって集まる」という意味だったのだろうか。
私は、この自殺した生徒の命に賭けて、この映画を認めることは出来ない。
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ラベル:ロビン・ウィリアムズ イーサン・ホーク
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ど〜もスイマセン・・・お見苦しいものを。
でもね〜死んジャいけないと思うんですよ。
死んだら、教育も、友情も、な〜んの役にも立ってないってことになっちゃうんじゃないかって思うんですよね・・・・それだけはね〜〜ってコトでm(_ _)m
その様な熱意をもって観てもらったら評価がどうであれ
監督も嬉しいと思います。
ブックマーク&ツイート応援さしてもらいます(笑)
ありがとうございます。
映画と真剣勝負だと思っています(笑)
皆様の応援のおかげで、一日30PVに増えてきました・・・トホホ。