英語題 room 製作国 アメリカ、カナダ、アイルランド、イギリス 製作年 2015年 時間 118分 監督 レニー・エイブラハムソン 原作・脚本 エマ・ドナヒュー(原作『部屋』) |
評価:★★★★ 4.0点
人は取り返しの付かない不運を、人生の中で背負い込む事がある。
この映画はそんな不幸な運命からの復活を描いた、力のある映画だと思う。
この作品を見ながら、自らが犯罪被害者になる事の痛みを想像してみる。
もしかすると、この映画は楽観的に過ぎるのかもしれないと、そう感じる自分がいる・・・・・・・・
映画『ルーム』あらすじ |
天窓しかない一室。ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)は、母と共に暮らしその部屋の調度品と会話する日々だった。ママから唯一の娯楽のTVで映される世界は「にせもの」と聞かされルーム゛だけが世界だと聞かされながらも、それなりに充足していた。時々、夜になると二人がオールド・ニックと呼ぶ男がやって来ると、ジャックはクローゼットに隠れ、ベッドの軋む音を聞きながら眠りにつく。そしてオールド・ニックが去った後には生活必需品が残されている。ママはジャックには言えなかったが、オールドニックに17歳の時拉致され、7年の間監禁される中ジャックを閉ざされた部屋で身籠り出産したのだった。
5歳の誕生日を迎えたジャック。ママはニックに「息子にもっと栄養を」と求めたが、失業中のオールド・ニックは金が無いと逆ギレし、報復として部屋の電気を切り2人を寒さに震えさせた。ニックの怒りに危機感を募らせたママは、監禁の事実をジャックに語る。ママの名前はジョイで、外には広い世界があると聞いたジャックは混乱する。
そんなジャックに、ママは外の世界の素晴らしさを語り、脱出を目指して共に計画を立て始めた。最初はジャックを仮病に仕立て、病院に連れて行ってもらおうと、オールドニックに働きかけたが失敗する。そこでママは、ジャックが死んだならばオールド・ニックも死体を捨てに行くだろうと思いつく。ママはジャックに繰り返し「トラックから出て、走り、助けを呼ぶ」練習をさせた。しかしジャックは恐怖を感じ始め、「ママは?」どうするのと尋ねる。ママは自分の脱出が無理かもしれないと判っており、言葉に詰まった。
そして、ついに決行の日がやって来た。ジャックをカーペットに包み、オールド・ニックのせいでジャックが死んだと責め、せめて埋葬してくれと頼んだ。オールド・ニックもその言葉に、カーペットの中のジャックをトラックの荷台に乗せて、車を発進させた。息をひそめるジャック。そして、線路で車が一時停止した時、ジャックは練習通りカーペットからすべり出た。
しかし、それに気づいたオールド・ニックが車から降り、追いかけてきた―――
映画『ルーム』予告 |
映画『ルーム』出演者 |
ママ(ブリー・ラーソン)/ジャック(ジェイコブ・トレンブレイ)/ジャックの祖母(ジョアン・アレン)/オールド・ニック(ショーン・ブリジャース)/ジャックの祖父(ウィリアム・H・メイシー)/レオ (トム・マッカムス)/パーカー巡査(アマンダ・ブルジェル)/グラボウスキー巡査(ジョー・ピングー)/医師ミッタル(キャス・アンヴァー)/弁護士(ランダル・エドワーズ)/インタビュアー(ウェンディ・クルーソン)
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映画『ルーム』感想 |
冒頭では観客に情報は与えられないので、この「ルーム」が意味するのが、宇宙船内なのか、何かの象徴的表現なのかと、思いをめぐらせる事になる。
それは少年の主観的な表現で語られるために、少年の眼と同化した状態で「ルーム」を見つめる観客にとっても、ある種イビツながら完結した世界として感じられる。
実際この「ルーム」内で母と二人で生きている少年は、夜「 オールド・ニック」という男が訪ねてくるとき以外は、母と満ち足りた生活を送っていて、ある種の幸福を得ていただろう。
それは、この少年にとって産まれ育った狭い「ルーム」の中が全世界であり、それ以外の世界の情報を持ち得なければ「外界」を想像すらできないという事実を示すものだ。
このことは結局、生物学的に言って「生命」は生まれた環境に適応し、自らを形作るのだという事実を示しているだろう。
もう少し具体的に例を上げたい。
例えば生物学的実験によって確認された脳の認知機能が証明したのは、縦縞に囲まれた部屋という生育環境を与えられた猫は、木や壁など垂直な線を持つものには通常通り反応するが、横線を一切認知しないという衝撃的な事実だ。
それゆえ棒が床に落ちていると、横線を認知できないため転んでしまうという。
つまり、動物は生まれ育った環境に合わせて最適な脳を作り上げると同時に、その環境にない情報に呼応する能力を獲得できない。
それは、英語を聞き分ける潜在的能力を全世界の新生児の脳は持っているが、英語の音を聞く経験をしなければ、その音に反応する認知機能は失われるということだ。
結局、生物の脳や反応系が発達するとは、全てに適応できる能力をもって産まれるが、必要な物だけに刈り込んで行く過程なのだという。
つまるところ生物にとって「学習」をするというのは、環境に合わせた能力の絞込みを言う。
上の生物学的見地に立つとき、この少年が「ルーム」で生まれ育ったという事実が、彼のどれほどの可能性を失わせたかをここで確認しておきたい。
そして同時に「ルーム」という環境に完璧に順応しているこの少年にとって、外の世界がどれほど混乱し不調和な環境であるかと思いを巡らせたとき、その精神的負担を想像し恐怖すら覚える。
そしてこの「ルーム」が、「 オールド・ニック」という男によって作られた「監禁」の部屋だと観客は知る事になる。
つまりこの少年にとって壊滅的な影響をもたらす「ルーム」が、犯罪者の支配下にある世界だと知れるとき、この映画の意味するものが明瞭になったと思う。
この映画は、犯罪者の世界に囚われた犯罪被害者の人生を描いたものだ。
犯罪に巻き込まれた被害者が、その人生全般においてどれほど悪影響を受けて、不幸になるかを語った映画だ。
この映画は、そんな不運に見舞われた犯罪被害者の母と息子の物語だ。
この監禁された「ルーム」で生きる母と、「ルーム」で生まれた息子の二人の姿とは、犯罪により人生を喪うという端的な表現だったろう。
突然男に監禁された娘は、母となり息子を産む。
母は現実世界から犯人によって隔絶されて、その人格と人生を犯罪者の影響下で蝕まれる。
先に述べたように、その息子が更に悲惨なのは、彼にとっての全世界が「ルーム」で完結し、その中で充足してしまっている点にある。
この息子の姿とは、犯罪行為の被害者が犯罪下の環境に心理的に慣れ、ついには安住してしまう危険の表れだったろう。
そしてこの映画の後半、犯罪者の引力圏を脱し自由を獲得した二人のその後の人生が描かれる。
そこで語られるのは、犯罪被害者達は実際の事件から、そして犯人から自由になっても、決してその人生の損失を完全に取り戻すことはできないという事実だったろう。
それはたとえば、犯罪者の息子でもある孫を愛せない「祖父」の姿や、母親が自らの監禁下のPTSDに苦しむところなど、犯罪被害にあったものは周囲の人々や自分自身を巻き込み、苦痛や苦悩や、自己嫌悪、終には自傷行為もで含め、長期にわたって「負の影響」を受けざるを得ないという描写として表れる。
安全なはずの母親の生家でも、不安定な二人の姿を映画の後半で描くことで、その傷がどれほど深いかが窺い知れ悲痛だ。
この映画は、その「被害者達の苦悩」を被害者側の視点に観客を上手く同調させる事に成功していると感じる。
この映画を見た観客が、陰鬱で、不穏な、漠然とした不安を感ぜざるを得ないのは、それこそが「犯罪被害者」の精神状態を反映しているからだ。
しかし、この映画が以上のように「犯罪被害者の苦悩」を描いているとすれば、その表現が十分だったのかと問わねばならない。
そういう点で、個人的には、この映画がハッピーエンドとして終わっている点に不満を覚えた。
カナダ、アメリカ資本が投入された映画としてハッピーエンドでなければ、米国内では受け入れられないという判断なのかとも思ったりする。
しかし、上の犯罪被害者にとっての現実の生活を想像したとき、この映画の母子ほど恵まれた環境でリカバリーが進み得ないと想像できる。
実際に犯罪に巻き込まれた被害者と、その家族の現実を反映すれば、この二人と周囲の人間が互いに殺し合っても不思議ではない程のダメージを、負わされているはずだ。さらに、この「ルーム」で五歳まで育ってしまった少年の人生を考えたとき、先の生物学的環境適応からしても、決してこの映画で描かれたように簡単に現実世界に適応できるとは思えない。
残酷な事を言えば、一生涯この少年が「ルーム」で引きこもったとしても、無理は無いとすら感じる。
結局、犯罪行為とはそれほど被害者の人生を、根源的に破壊しつくすのだという事実は、強調しすぎてもしすぎる事はないだろう。
この映画の主題は、むしろそんな被害者たちの「社会復帰=健全化」の姿に焦点を置いているのだとは思う。
しかし、被害者達の永遠に癒えない傷を考えた時に、あえてハッピーエンドは有り得ないと思えてならない。
結局、このハッピーエンドによって、犯罪被害者のリカバリーが容易に成し得るとの誤解を生じるのではないかと感じられ、★ひとつを減じた。
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映画『ルーム』解説モデルとなった実話事件 |
フリッツル事件(Fritzl case)とは、2008年4月に42歳の女性エリーザベト・フリッツル(1966年4月6日生)がオーストリアのアムシュテッテンの警察に対し、彼女が24年間に渡って自宅の地下室に閉じ込められ、父のヨーゼフ・フリッツル(1935年4月9日生)から肉体的暴力、性的暴力を受け、何度も強姦されたと訴えたことから発覚した事件である。父親からの性的虐待によって、彼女は7人の子供を産み、1度流産した。日本では、「オーストリアの実娘監禁事件」また「恐怖の家事件」等として報じられた。(wikipediaより)
<フリッツル裁判の実映像>
しかし、原作者、そして映画の脚本も手掛けたエマ・ドナヒューは、この猟奇的な監禁の経緯を描くことに主眼を置いたわけではなく、そんな犯罪被害からの「リカバリー=社会復帰」にこそ、力を入れて描写していると感じる。
事実、ドナヒューも「事件のスキャンダラスな面には興味がなく、極限状態での母性や、人間が立ち直る力に惹かれた」と述べている。(右:原作本)
そしてまた、この映画の語るところを見れば、監督レニー・アブラハムソンもその思いに共鳴したのだろう。
つまりは、そんな苦難に折れない「人間の尊厳」を描くことにこそ、この映画の主題が在ったに違いない。
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以下の文章には 映画『ルーム』ネタバレがあります。 |
(あらすじから)
逃げ出したジャック。追うオールド・ニック。
危うい所でジャックは、犬の散歩をしていた男性に助けられ、逃げることができた。通報により警察も駆けつけ、ジャックのおぼろげな情報ながら、警察は「監禁事件」として調査を始めた。
そして、ママは救出されオールド・ニックは逮捕された。
救助された2人は病院に入り、祖母のナンシーと同居中のレオ、そして、ナンシーとは離婚している祖父のロバートが見舞いに来た。ジャックはナンシーの家に引き取られたが、ママの退院には鬱症状からの回復を待たなければならなかった。
しかしママがナンシーの家に帰ってからも、彼女は情緒不安定なままで、始終イライラし、ジャックや祖母に怒りの言葉を発した。そして、ある夜ママは自殺を図り、たまたまジャックが見つけ、一命は取り留めたが再び入院してしまう。
しかしジャックの励ましもあり、なんとか退院することができたママは、ジャックに「またあなたに救われた」と感謝の言葉を伝えた。
こうして、外界に順応していった母子は、自らの過去を確かめるため、監禁されていた「ルーム」を再び訪れた。
映画『ルーム』ラスト・シーン |
【意訳】ジャック:ここはルームじゃない。縮んだの。友達はどこ・・・・/ママ:証拠で持ってかれたわ。私たちがここにいたと証明するために。
ジャック:でも、ドアが開いている。/ママ:なに?/ジャック:もし、本当にルームならドアが開いているはずない。/ママ:そうね。閉じ込められた方が良い?(ジャック首を振る)/ジャック:さよなら、お花。さよなら、イス1号。さよなら、イス2号。さよならクローゼット。さよなら星の光。
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