評価:★★★★★ 5.0点
この映画を見るとき、この作品の基本的な材料は、過去の作品によってすでに語られていることに気付く。
基本的な物語は、エディプス王から神話構造を持ち込み、そのストーリーをSF黄金期のスペース・オペラに重ね合わせ、同時にSF的なガジェットや、宇宙人の姿を、アメージングマガジンなどのSFのイラストから、流用する。
そして、この物語の真の主役ダース・ベイダーは、クロサワ時代劇の甲冑武者だ。
つまりは、オリジナリティは皆無に等しい。
たとえばこの映画のシリーズ第一作は1977年公開だが、 おおよそ10年前に公開された「2001年宇宙の旅」の方が、明らかに未来感が有るのはキューブリック監督の構想力がルーカスを上回っていた事の証明だったろう。
そういう点で言えばSFに必要不可欠な「センス・オブ・ワンダー=未知への感能力」が、ジョージ・ルーカスには感じられない。
センス・オブ・ワンダーというのが、まだ見ぬ不可思議なモノを想像する力だとすれば、それがないからこそ過去のイメージを安直に持ってきたのだと思える。
再度言うが、そんな「SF」的な視点から見れば、過去SFの分野で既に描かれたモノ以上の、新しさを見出しがたい。
しかし、この映画は間違いなく傑作だった。
それは、たとえSF世界にとっては使い古された材料であったにしても、映画世界にとっては未知のビジュアルだったからだ。
そしてそれは、過去の特殊撮影の明らかな人工物としての外見を持っていなかったからだ。
たとえば、スター・ウォーズ以前の特殊撮影モノは、チャックが見えたり、釣り糸が見えているなど、キワモノ感が付きまっとった。
それゆえ一般客の支持は得られず、SFファンや特殊撮影映画ファンが明らかな作り物だと承知の上で、それらの映画に自らの創造の翼によって補って、実際の映画以上の空想世界を作り上げ楽しんでいたのだ。
それは現代の「オタク」達が二次元世界の上に、彼らのリアリティを重ね合わせ唯一無二の宇宙を形作るのと同じ作用であっただろう。
そしてまた、どこか「イカガワシイ」対象を偏愛する者として、見られていたのも現代の「オタク」と同じだったろう。
しかし「スター・ウォーズ 」はそれまでの特殊撮影の画像を遥かに凌駕し、まるで現実世界を切り取ったようなリアリティーを保持していた。
実際それは、SF世界が現実世界として観客の前に現れた瞬間だった。
その美しい臨場感あふれる「宇宙」は、過去のSF作品とは次元の違うビジュアル・ショックなのであった。
この事実がSF映画史にとって真に革命的だったのは、ビジュアルのリアリティが上がる事で一部SFファンではなくとも、SF世界を違和感無く受け入れられるようになったことだ。
そのビジュアル革命によってSF映画は、安っぽい嘘ではなく、見栄えのする真実を語る資格を手に入れ、同時にコアなSFファンではない人々に対しても訴求力を持つ事となった。
こう整理して見れば、つまるところ映画の本質とは、ビジュアルの実存感が全てなのだと思う。
スクリーンに、人が信じられる絵を描くことさえできれば、それまで誰も見たことのないリアリティを作り出せれば、アニメであれ、ノンフィクションであれ、たった一枚の絵であれ、人は永遠に語り継ぐのだろう。
また、アメリカという新興国にとっては、国を支えるべき背骨としての建国神話を持ち得なかった部分を、映画、特に西部劇とギャング映画で補ってきたと個人的には思っている。
しかし人種問題等で、西部劇が描けなくなった現代では、アメリカの建国神話の役割をスター・ウォーズが担ったのではなかったか。
アメリカの劇場で、大声を上げながらヤジや歓声、ハイ・タッチをしたりのバカ騒ぎをしているのを見ると、アメリカ人にとっての一種宗教的行事とすら思えてくる。
映画館という神殿に集う信者は、今日も世界中で雄叫びを上げているだろう。
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