映画的評価:★★ 2.0点
商業的評価:★★★★★ 5.0点
じっさいのところ映画の出来としては、今となっては薬師丸ひろ子の瑞々しさ以外、語るべき内容もない。
高倉健の男気も、三国連太郎の重々しさも、舘ひろしの男っぷりも、映画全体の破綻した物語の前で雲散霧消してしまう。
そこに森村誠一原作の持つリアリティーを見出す事はできない。
結局この映画は圧倒的な物量による、広告戦略の成功例としてのみ記憶される一本だと感じる。
しかし、あえて問うがこの映画が商業的に成功した事を、日本映画界は評価すべきだと思う。
なぜなら、公開当時1978年の日本映画界は、青息吐息で産業として縮小の一方だった。
娯楽の王座はTVに奪われ、映画界の才能もTVに流れる。
1958年の11億人強の映画観客動員を頂点として、1978年には1億6千万人まで落ち込んだ。
そんな日本映画に、アメリカ式のメディアミックス戦略を使い、新風を吹き込んだのが角川春樹率いる角川映画だった。
この映画の内容が魅力に乏しかったとしても、明らかにこの映画は集客に成功し、それまで映画を見る習慣のなかった10代を映画に集める事に成功した。
衰退する日本映画界を、角川映画が活性化したことは間違いがない。
しかも、衰退する日本映画が芸術性に偏り大衆の支持を失っていく中で、明らかに売ることを目指した方向性こそ映画界にとって必要なものだったろう。
さらに弁護すれば、角川は映画を作ろうとしていた。
それは今の映画興行が、TVドラマ・TV局のスピンオフで観客動員を稼ぐ事実と較べても、映画界にとっては角川の方法は健全なものだと感じる。
そこには映画としての独立性が保持されうるからだ。
正直にいって現在主流のTV局主導の映画は、スポンサーや視聴者の意向に戦々恐々としている、TV界の体質が反映されていると感じる。
つまりは、社会的に反発が批判が生じる劇を作り得ないのはTVドラマと同様であり、結果的に映画としての表現力を弱める事に通じるだろう。
そういう意味では、角川映画によって日本映画の復活がなされていれば、映画としての表現を保持したまま映画産業としての隆盛を夢見る事もできた。
例えば薬師丸や原田知世のような映画のみで見れる映画スターが、ハリウッド・スターのような集客力を持てたとしたら、映画界だけで映画制作費を十分まかなえただろうと想像する。
冗談ではなく、角川映画がそのまま快進撃を続ければ、ハリウッドのような日本映画界の未来の姿すらかいま見えた。
結局その夢は、角川春樹が直接映画の監督をするという、映画愛の暴走によって会社を追われて蜃気楼のように消えてしまった。
更に言えば、日本の映画界自体が異質な角川に対する拒否反応を示したと言う事実が、現在のTV業界に支配される日本映画界を生み出したように感じる。
その閉鎖性を惜しむ。
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